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「なぜだ! なんの攻撃も効かない!」
いとちんが悲鳴をあげた。
「こいつ、ウィルスよ!」
フローラが叫んだ。
ダイオウサソリと見えたものは、いつものサイバーモンスターではなく、コンピュータウィルスだったらしい。サイバネティクス社とは無関係な誰かが〈熱帯植物街〉にばらまいたのだ。
「タイヘンダー、タイヘンダー」
サッカーボールのような「見張り玉」が、二枚の羽をブンブンふるわせながら飛んできて、また離れていった。
「見張り玉」は〈熱帯植物街〉のウィルス監視ソフトだ。コンピュータウィルスを感知し、状況を〈熱帯植物街〉のメインコンピュータに伝達する。まもなくサイバネティクス社のウィルス駆除ソフトが発動するはずだった。ウィルス駆除ソフトが、どんな姿をしているのか、見てみたい気もしたが、それを待っている余裕はなかった。
いつものモンスターなら倒されても復活できるが、ウィルスにはどんな危険が潜んでいるのかわからない。それこそ、あの精神科医の言った通りになるのかもしれなかった。
「おい。ログアウトだ」
ぼくはいとちんに声をかけた。
「そうだね」
いとちんも、うなずいた。
「またね」
フローラも言った。二人の姿は一瞬で消えた。
四組の矢萩がやられた。このニュースは、さざ波のように学校中にひろまっていった。
「今度もまた、サイバーゴーグルだけが、部屋に落ちてたんだって」
「こえーっ」
「やられるのは〈熱帯植物街〉で最終ステージまで行ったヤツらしいぜ」
「いったい何が起こるんだよ。最終ステージで」
最終ステージで何が起こるのか、サイバネティクス社は、明らかにしていない。
そのとき、教室のスピーカーから、アナウンスが流れた。
「十時から校長先生の大切なお話があります。生徒の皆さんは時間になりましたら、校庭に集合してください」
「大切な話って何かな?」
ほくといとちんは、顔を見合わせた。
「始まったわ」
振り返ると、フローラがいた。フローラは真剣な顔でつぶやいた。
「覚悟しておいた方がいいわよ」
ぼくらが校庭に整列すると、近藤校長は話し始めた。
「小中学生連続失踪事件のことは、皆さんもテレビのニュースなどで、聞いているかもしれません。本校でも大切な生徒が、行方不明になっています!」
近藤校長は、悲痛な声をはりあげた。
「いま、巷では〈熱帯植物街〉などという、実にくだらないゲームが流行っています。そして、小中学生連続失踪の原因が〈熱帯植物街〉にあるのではないか、ということを、たくさんの人が指摘しています。〈熱帯植物街〉はサイバードラッグのようなものなのです!」
近藤校長の声は、一段と高くなった。生徒たちがざわつき始めた。
〈熱帯植物街〉とサイバードラッグを一緒にするな、と反発の心がわいた。
サイバードラッグは一種の幻覚剤だ。サイバードラッグの使用者のことを、サイバードラッカーと呼ぶ。サイバードラッカーは、ドラッグガジェットという、サイバーゴーグルに似た装着を使う。ドラッグガジェットを使うと、昂揚感に包まれ、とてつもない幸福感を感じるらしい。しかし、サイバードラッグには強い中毒性があって、使用者は次第にドラッグガジェットを手放せなくなる。慢性中毒者は一日中、ドラッグガジェットを装着したままになり、廃人のようになってしまう。その為、サイバードラッグの使用は法律で禁止されていた。
「私はそんな危険なゲームを、そのまま放っておく訳にはいきません! 」
近藤校長の声はますますヒステリックに、高くなっていった。
「皆さんは、両親や先生の言うことを良くきいて〈熱帯植物街〉をしてはいけません! 本校では〈熱帯植物街〉は禁止します!」
動揺と驚きが、生徒たちの間ににひろがっていった。
「どうする?」
ぼくといとちんは、公園で考えこんでいた。
目の前には、サイバーゴーグルが二つ。
「隠すんだ…隠すんだよ! このままじゃ、どうせゴーグルは、親に取り上げられちまう!」
いとちんは悲鳴にも似た声をあげた。
「どこに隠すんだよ? それに隠しちゃったら、プレイができないじゃんか!」
「仕方ない。ほとぼりが覚めるのを待つんだよ」
そのとき、ぼくらの後ろから声がした。
「おまえらぁ」
振り返ると、同じクラスの矢島が立っていた。
「そんな危険なもの。まだ持っていたのかぁ」
矢島はチクリの名人だ。親や先生の前では、いい子を演じているが、弱い生徒を見つけると、陰で徹底的にいじめぬく。それに他の生徒が少しでも、先生の言いつけを守らないと、すぐに先生にチクった。そうすることで得点を稼ぎたいのだ。
「別にぼくらの勝手じゃないか」
いとちんが、矢島に言い返した。
「〈熱帯植物街〉はサイバードラッグなんだろ」
「違うよ!」
「俺によこせよ!」
「やだ!」
「大人たちが言ってたぞ。おまえたちは現実から逃避してるってな!」
矢島は、いとちんの前に、ずかずかと歩み寄った。
「こんなもの、こうしてやる!」
矢島が、いとちんから、サイバーゴーグルを奪い取って、地面にたたきつけた。
「ああっ!」
いとちんのサイバーゴーグルは、粉々に砕けちった。いとちんは、一瞬ぽかんと口を開け、それから大声で泣き出した。
その夜。うちに一本の電話が、かかってきた。電話に出たのは、うちの母親だった。
「いえ…はい。うちには来てませんけど…」
母親はしばらく話していたが、やがてぼくに受話器を手渡した。
「あなたに、ちょっとかわってほしいって言ってるのよ。伊藤くんのお母さんなの」
ぼくは電話をかわった。
「うちの子が、どこへ行ったか、心当たりはないでしょうか!」
受話器の向こうから、いとちんの母親の悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
「外へ出たまま、まだうちに戻らないんです!」
いとちんは、それきり消えてしまった。いとちんは「小中学生連続失踪事件」の犠牲者の一人になったのだ。けれども〈熱帯植物街〉の最終ステージまで、いとちんが行っていないことも、ぼくは知っていた。それなら何故いとちんは消えたのか。だけど理由なんて、もうどうでもいいような気がした。
テレビではニュースが流れている。
「サイバネティクス社が、サイバーゴーグルの販売を中止すると、発表しました。サイバネティクス社は、一連の事件との関わりを、依然として否定していますが、今回の販売中止は、世論の高まりを受けた形で…」
虚ろな頭で、ぼくはそのニュースを聞いていた。全ては終わってしまったように、ぼくには感じられた。
ぼくのサイバーゴーグルは、親に取り上げられ、もう捨てられてしまっていたからだ。
いとちんがいなくなって、ぼくはひとりだった。フローラこと、松川みどりも、ずっと学校を休んでいた。
ぼくは、たびたび涙ぐんでは〈熱帯植物街〉での冒険を思い返した。
どこへ行ったんだよ? いとちん…。
ある日、ぼくは、いとちんと最後に別れた、あの公園に行ってみた。
今にもいとちんが「かっちゃん!」と、出てきそうな気がした。
あの日、壊されてしまったサイバーゴーグルを握りしめて、ずっと泣き止まないいとちんの肩をだいて、ぼくは何も言えなかった。
ぼくらにとって〈熱帯植物街〉は本当に本当に大切なものだったのだ。
いとちん…また会いたいよ…。
また涙があふれてきて、視界がぼやけた。
いとちん…もう会えないのかい?
そのとき、後ろから声がした。
「克也くん…」
振り返ると、フローラがそこに立っていた。
「これを使うといいわ」
フローラの手には、シルバーのサイバーゴーグルが、握られていた。
「フローラ…」
「伊藤くんもこのゴーグルを使って先へ行ったわ」
「いとちんが!」
ぼくは叫んだ。
「いとちんに、また会えるのかい?」
フローラはうなづいた。
「このゴーグルを使えば、最終ステージの入り口まで行けるわ。このゴーグルは、そういう特殊なサイバーゴーグルなのよ」
「サイバーゴーグルが、まだ残っていたなんて…」
フローラが、ぼくにゴーグルを手渡した。
「あなたはそこで、森の王に出会う」
「森の王って誰なの?」
「会えばわかるわ」
「フローラは、いろいろと知ってるんだね。どうしてだい? それにこのゴーグル…」
「すぐにわかるわ」
フローラは言った。
「森の王に会えばね」
ゴーグルを装着すると、幾条もの白い光が、矢のように飛んできて、また後ろへと去っていった。最終ステージの入り口へと、ぼくは急速に進んでいるのだ。
視界が霧に包まれたように真っ白になった。やがて、霧は取り払われ、目が慣れてくると、黒いコートを着た白髪の老人が、黄金色の光の前に立っていた。
「最終ステージのゲートへようこそ。克也くん」
老人は言った。頬は削げていたが、目は優しかった。
「私は安住林三。〈熱帯植物街〉の開発者だよ。いまは、森の王、と名乗っている」
「森の王…」
ぼくはつぶやいた。
「あなたは、いったい誰なんですか?」
「今も言っただろう? 私は〈熱帯植物街〉の開発者だ」
落ち着いた口調で、森の王は繰り返した。開発者。この人は、きっと全てを知っている。
「〈熱帯植物街〉って、いったい何なんですか! そのゲートをくぐると、いったい何が起こるんですか!」
ぼくは混乱していた。
「このゲートは、人間の身体そのものを量子化する装置なんだよ」
ぼくを諭すように、森の王は言った。
「いま、きみはきみの脳を通じて〈熱帯植物街〉と繋がっている。このゲートをくぐると〈熱帯植物街〉は、きみの脳にあるプログラムを送りこむ。そのプログラムは、きみの脳と神経に作用し、きみの身体を量子化する」
「量子化? 良くわからないです。いったい何が起こるんですか?」
「現実世界でのきみの身体は消え去り、残るのは〈熱帯植物街〉でのデジタル信号化したきみだけだ。つまり、デジタル信号化する為に、きみは一度、量子という目に見えない粒子に分解される」
「つまり、その段階で、現実世界でのぼくの身体は消え去るんですね」
これがたぶん「小中学生連続失踪事件」の真相だったのだろう。
「そうだよ。しかし〈熱帯植物街〉のメインコンピュータは、きみをきみならしめていた情報の全てを、量子からデジタル信号に変換した形で保持している。そして、そのデジタル信号を、ネットワーク上に伝達して、きみを再構築する」
「そんなことができるんですか…ぼくはネットワーク上の存在になるんですね」
「いやかね? しかし、きみはそこであるものを手に入れる」
「あるものって?」
「不老不死だよ」
「不老不死…」
「そうだ。この私のようにな。私は〈熱帯植物街〉を造ったときに、私自身の身体を量子化した。つまり、今の私は、ネットワーク上のデジタル信号に過ぎないんだよ。生身の私は存在しない」
「デジタル信号になると、人は永遠に生き続ける、ということですか?」
「その通りだ。最終ステージのサイバースペースが存在する限り、きみは永遠に生き続ける」
森の王はうなずいたが、ぼくには疑問があった。
「誰かが、最終ステージのサイバースペースを破壊しようとしたら、どうなりますか?」
「最終ステージのサイバースペースへの入り口は、このゲート以外にない。外部からは見えないように隠されているんだ。もし攻撃をかけようとしても、ファイアーウォールというソフトウェア。かたい防御壁に守られているから、消去することはできない。最終ステージのメインサーバーも実はサイバネティクス社にはない。私が誰にもわからない場所に隠したんだ」
森の王は最終ステージへのゲートを指差した。黄金色の光はときどき揺らぎながら、輝きを放っている。
「問題は〈熱帯植物街〉の他の空間と繋がっているこのゲートだが…ここも間も無く閉じるだろう。サイバネティクス社が、サイバーゴーグルの販売を中止したことは、私も聞き及んでいる」
森の王は悔しそうに言った。
「そうですか…これが最後のチャンス…なんですね…」
森の王は深くうなずくと、ぼくの肩に手をのせた。
「決めるのはきみ自身だ。最終ステージに進むのも、ここから引き返すのも」
いとちんには会いたいが、まだためらいがあった。
「迷っているね。私から一つアドバイスを。森に溶け込め。森と生きれば楽になれる」
ぼくはしばらく黙っていた。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何でも」
「どうしてあなたは、このような手の込んだ仕掛けをしたんですか?」
森の王は、言葉を選ぶように、話し始めた。
「私の人生は孤独だった。〈熱帯植物街〉を開発することだけが、私の生きている意味だった。だから私は〈熱帯植物街〉に、自分の人生を埋めこんでしまおうと考えたんだ」
「それが自分を量子化することだったんですね」
「そうだ。いま私は孤独ではないよ。たくさんの子どもたちが、最終ステージまで進んでくれた。きみの友だちの伊藤くんも、そこにいる」
ぼくの心は決まった。
「わかりました…行きます。ぼくは、いとちんに、もう一度会いたいんだ」
「私もすぐに後から行く。それから私の娘もな」
「娘って?」
森の王は、目元にしわを寄せて、笑顔になった。
「フローラだよ。もちろん血は繋がっていない養子だがな…」
ゲートをくぐると、ぼくは丘の上に立っていた。
「よく来たね。待ってたよ」
ふと横を見ると、いとちんだった。
フローラもいる。大勢の仲間たちが、丘の上に集まっていた。二組の北島や、四組の矢萩など、見知った顔も、ちらほら見える。
目の前に青白い発光体が現れ、それはやがて、森の王の姿になった。
丘の下には、数えきれないほどのモンスターたち。
敵は手強い。
だけど、こちらは不死身だ。
最終ステージの全面対決。
最高だ。胸がおどる。
「全軍、進撃を開始する!」
剣をふりあげて、いとちんが叫んだ。
いとちんが悲鳴をあげた。
「こいつ、ウィルスよ!」
フローラが叫んだ。
ダイオウサソリと見えたものは、いつものサイバーモンスターではなく、コンピュータウィルスだったらしい。サイバネティクス社とは無関係な誰かが〈熱帯植物街〉にばらまいたのだ。
「タイヘンダー、タイヘンダー」
サッカーボールのような「見張り玉」が、二枚の羽をブンブンふるわせながら飛んできて、また離れていった。
「見張り玉」は〈熱帯植物街〉のウィルス監視ソフトだ。コンピュータウィルスを感知し、状況を〈熱帯植物街〉のメインコンピュータに伝達する。まもなくサイバネティクス社のウィルス駆除ソフトが発動するはずだった。ウィルス駆除ソフトが、どんな姿をしているのか、見てみたい気もしたが、それを待っている余裕はなかった。
いつものモンスターなら倒されても復活できるが、ウィルスにはどんな危険が潜んでいるのかわからない。それこそ、あの精神科医の言った通りになるのかもしれなかった。
「おい。ログアウトだ」
ぼくはいとちんに声をかけた。
「そうだね」
いとちんも、うなずいた。
「またね」
フローラも言った。二人の姿は一瞬で消えた。
四組の矢萩がやられた。このニュースは、さざ波のように学校中にひろまっていった。
「今度もまた、サイバーゴーグルだけが、部屋に落ちてたんだって」
「こえーっ」
「やられるのは〈熱帯植物街〉で最終ステージまで行ったヤツらしいぜ」
「いったい何が起こるんだよ。最終ステージで」
最終ステージで何が起こるのか、サイバネティクス社は、明らかにしていない。
そのとき、教室のスピーカーから、アナウンスが流れた。
「十時から校長先生の大切なお話があります。生徒の皆さんは時間になりましたら、校庭に集合してください」
「大切な話って何かな?」
ほくといとちんは、顔を見合わせた。
「始まったわ」
振り返ると、フローラがいた。フローラは真剣な顔でつぶやいた。
「覚悟しておいた方がいいわよ」
ぼくらが校庭に整列すると、近藤校長は話し始めた。
「小中学生連続失踪事件のことは、皆さんもテレビのニュースなどで、聞いているかもしれません。本校でも大切な生徒が、行方不明になっています!」
近藤校長は、悲痛な声をはりあげた。
「いま、巷では〈熱帯植物街〉などという、実にくだらないゲームが流行っています。そして、小中学生連続失踪の原因が〈熱帯植物街〉にあるのではないか、ということを、たくさんの人が指摘しています。〈熱帯植物街〉はサイバードラッグのようなものなのです!」
近藤校長の声は、一段と高くなった。生徒たちがざわつき始めた。
〈熱帯植物街〉とサイバードラッグを一緒にするな、と反発の心がわいた。
サイバードラッグは一種の幻覚剤だ。サイバードラッグの使用者のことを、サイバードラッカーと呼ぶ。サイバードラッカーは、ドラッグガジェットという、サイバーゴーグルに似た装着を使う。ドラッグガジェットを使うと、昂揚感に包まれ、とてつもない幸福感を感じるらしい。しかし、サイバードラッグには強い中毒性があって、使用者は次第にドラッグガジェットを手放せなくなる。慢性中毒者は一日中、ドラッグガジェットを装着したままになり、廃人のようになってしまう。その為、サイバードラッグの使用は法律で禁止されていた。
「私はそんな危険なゲームを、そのまま放っておく訳にはいきません! 」
近藤校長の声はますますヒステリックに、高くなっていった。
「皆さんは、両親や先生の言うことを良くきいて〈熱帯植物街〉をしてはいけません! 本校では〈熱帯植物街〉は禁止します!」
動揺と驚きが、生徒たちの間ににひろがっていった。
「どうする?」
ぼくといとちんは、公園で考えこんでいた。
目の前には、サイバーゴーグルが二つ。
「隠すんだ…隠すんだよ! このままじゃ、どうせゴーグルは、親に取り上げられちまう!」
いとちんは悲鳴にも似た声をあげた。
「どこに隠すんだよ? それに隠しちゃったら、プレイができないじゃんか!」
「仕方ない。ほとぼりが覚めるのを待つんだよ」
そのとき、ぼくらの後ろから声がした。
「おまえらぁ」
振り返ると、同じクラスの矢島が立っていた。
「そんな危険なもの。まだ持っていたのかぁ」
矢島はチクリの名人だ。親や先生の前では、いい子を演じているが、弱い生徒を見つけると、陰で徹底的にいじめぬく。それに他の生徒が少しでも、先生の言いつけを守らないと、すぐに先生にチクった。そうすることで得点を稼ぎたいのだ。
「別にぼくらの勝手じゃないか」
いとちんが、矢島に言い返した。
「〈熱帯植物街〉はサイバードラッグなんだろ」
「違うよ!」
「俺によこせよ!」
「やだ!」
「大人たちが言ってたぞ。おまえたちは現実から逃避してるってな!」
矢島は、いとちんの前に、ずかずかと歩み寄った。
「こんなもの、こうしてやる!」
矢島が、いとちんから、サイバーゴーグルを奪い取って、地面にたたきつけた。
「ああっ!」
いとちんのサイバーゴーグルは、粉々に砕けちった。いとちんは、一瞬ぽかんと口を開け、それから大声で泣き出した。
その夜。うちに一本の電話が、かかってきた。電話に出たのは、うちの母親だった。
「いえ…はい。うちには来てませんけど…」
母親はしばらく話していたが、やがてぼくに受話器を手渡した。
「あなたに、ちょっとかわってほしいって言ってるのよ。伊藤くんのお母さんなの」
ぼくは電話をかわった。
「うちの子が、どこへ行ったか、心当たりはないでしょうか!」
受話器の向こうから、いとちんの母親の悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
「外へ出たまま、まだうちに戻らないんです!」
いとちんは、それきり消えてしまった。いとちんは「小中学生連続失踪事件」の犠牲者の一人になったのだ。けれども〈熱帯植物街〉の最終ステージまで、いとちんが行っていないことも、ぼくは知っていた。それなら何故いとちんは消えたのか。だけど理由なんて、もうどうでもいいような気がした。
テレビではニュースが流れている。
「サイバネティクス社が、サイバーゴーグルの販売を中止すると、発表しました。サイバネティクス社は、一連の事件との関わりを、依然として否定していますが、今回の販売中止は、世論の高まりを受けた形で…」
虚ろな頭で、ぼくはそのニュースを聞いていた。全ては終わってしまったように、ぼくには感じられた。
ぼくのサイバーゴーグルは、親に取り上げられ、もう捨てられてしまっていたからだ。
いとちんがいなくなって、ぼくはひとりだった。フローラこと、松川みどりも、ずっと学校を休んでいた。
ぼくは、たびたび涙ぐんでは〈熱帯植物街〉での冒険を思い返した。
どこへ行ったんだよ? いとちん…。
ある日、ぼくは、いとちんと最後に別れた、あの公園に行ってみた。
今にもいとちんが「かっちゃん!」と、出てきそうな気がした。
あの日、壊されてしまったサイバーゴーグルを握りしめて、ずっと泣き止まないいとちんの肩をだいて、ぼくは何も言えなかった。
ぼくらにとって〈熱帯植物街〉は本当に本当に大切なものだったのだ。
いとちん…また会いたいよ…。
また涙があふれてきて、視界がぼやけた。
いとちん…もう会えないのかい?
そのとき、後ろから声がした。
「克也くん…」
振り返ると、フローラがそこに立っていた。
「これを使うといいわ」
フローラの手には、シルバーのサイバーゴーグルが、握られていた。
「フローラ…」
「伊藤くんもこのゴーグルを使って先へ行ったわ」
「いとちんが!」
ぼくは叫んだ。
「いとちんに、また会えるのかい?」
フローラはうなづいた。
「このゴーグルを使えば、最終ステージの入り口まで行けるわ。このゴーグルは、そういう特殊なサイバーゴーグルなのよ」
「サイバーゴーグルが、まだ残っていたなんて…」
フローラが、ぼくにゴーグルを手渡した。
「あなたはそこで、森の王に出会う」
「森の王って誰なの?」
「会えばわかるわ」
「フローラは、いろいろと知ってるんだね。どうしてだい? それにこのゴーグル…」
「すぐにわかるわ」
フローラは言った。
「森の王に会えばね」
ゴーグルを装着すると、幾条もの白い光が、矢のように飛んできて、また後ろへと去っていった。最終ステージの入り口へと、ぼくは急速に進んでいるのだ。
視界が霧に包まれたように真っ白になった。やがて、霧は取り払われ、目が慣れてくると、黒いコートを着た白髪の老人が、黄金色の光の前に立っていた。
「最終ステージのゲートへようこそ。克也くん」
老人は言った。頬は削げていたが、目は優しかった。
「私は安住林三。〈熱帯植物街〉の開発者だよ。いまは、森の王、と名乗っている」
「森の王…」
ぼくはつぶやいた。
「あなたは、いったい誰なんですか?」
「今も言っただろう? 私は〈熱帯植物街〉の開発者だ」
落ち着いた口調で、森の王は繰り返した。開発者。この人は、きっと全てを知っている。
「〈熱帯植物街〉って、いったい何なんですか! そのゲートをくぐると、いったい何が起こるんですか!」
ぼくは混乱していた。
「このゲートは、人間の身体そのものを量子化する装置なんだよ」
ぼくを諭すように、森の王は言った。
「いま、きみはきみの脳を通じて〈熱帯植物街〉と繋がっている。このゲートをくぐると〈熱帯植物街〉は、きみの脳にあるプログラムを送りこむ。そのプログラムは、きみの脳と神経に作用し、きみの身体を量子化する」
「量子化? 良くわからないです。いったい何が起こるんですか?」
「現実世界でのきみの身体は消え去り、残るのは〈熱帯植物街〉でのデジタル信号化したきみだけだ。つまり、デジタル信号化する為に、きみは一度、量子という目に見えない粒子に分解される」
「つまり、その段階で、現実世界でのぼくの身体は消え去るんですね」
これがたぶん「小中学生連続失踪事件」の真相だったのだろう。
「そうだよ。しかし〈熱帯植物街〉のメインコンピュータは、きみをきみならしめていた情報の全てを、量子からデジタル信号に変換した形で保持している。そして、そのデジタル信号を、ネットワーク上に伝達して、きみを再構築する」
「そんなことができるんですか…ぼくはネットワーク上の存在になるんですね」
「いやかね? しかし、きみはそこであるものを手に入れる」
「あるものって?」
「不老不死だよ」
「不老不死…」
「そうだ。この私のようにな。私は〈熱帯植物街〉を造ったときに、私自身の身体を量子化した。つまり、今の私は、ネットワーク上のデジタル信号に過ぎないんだよ。生身の私は存在しない」
「デジタル信号になると、人は永遠に生き続ける、ということですか?」
「その通りだ。最終ステージのサイバースペースが存在する限り、きみは永遠に生き続ける」
森の王はうなずいたが、ぼくには疑問があった。
「誰かが、最終ステージのサイバースペースを破壊しようとしたら、どうなりますか?」
「最終ステージのサイバースペースへの入り口は、このゲート以外にない。外部からは見えないように隠されているんだ。もし攻撃をかけようとしても、ファイアーウォールというソフトウェア。かたい防御壁に守られているから、消去することはできない。最終ステージのメインサーバーも実はサイバネティクス社にはない。私が誰にもわからない場所に隠したんだ」
森の王は最終ステージへのゲートを指差した。黄金色の光はときどき揺らぎながら、輝きを放っている。
「問題は〈熱帯植物街〉の他の空間と繋がっているこのゲートだが…ここも間も無く閉じるだろう。サイバネティクス社が、サイバーゴーグルの販売を中止したことは、私も聞き及んでいる」
森の王は悔しそうに言った。
「そうですか…これが最後のチャンス…なんですね…」
森の王は深くうなずくと、ぼくの肩に手をのせた。
「決めるのはきみ自身だ。最終ステージに進むのも、ここから引き返すのも」
いとちんには会いたいが、まだためらいがあった。
「迷っているね。私から一つアドバイスを。森に溶け込め。森と生きれば楽になれる」
ぼくはしばらく黙っていた。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何でも」
「どうしてあなたは、このような手の込んだ仕掛けをしたんですか?」
森の王は、言葉を選ぶように、話し始めた。
「私の人生は孤独だった。〈熱帯植物街〉を開発することだけが、私の生きている意味だった。だから私は〈熱帯植物街〉に、自分の人生を埋めこんでしまおうと考えたんだ」
「それが自分を量子化することだったんですね」
「そうだ。いま私は孤独ではないよ。たくさんの子どもたちが、最終ステージまで進んでくれた。きみの友だちの伊藤くんも、そこにいる」
ぼくの心は決まった。
「わかりました…行きます。ぼくは、いとちんに、もう一度会いたいんだ」
「私もすぐに後から行く。それから私の娘もな」
「娘って?」
森の王は、目元にしわを寄せて、笑顔になった。
「フローラだよ。もちろん血は繋がっていない養子だがな…」
ゲートをくぐると、ぼくは丘の上に立っていた。
「よく来たね。待ってたよ」
ふと横を見ると、いとちんだった。
フローラもいる。大勢の仲間たちが、丘の上に集まっていた。二組の北島や、四組の矢萩など、見知った顔も、ちらほら見える。
目の前に青白い発光体が現れ、それはやがて、森の王の姿になった。
丘の下には、数えきれないほどのモンスターたち。
敵は手強い。
だけど、こちらは不死身だ。
最終ステージの全面対決。
最高だ。胸がおどる。
「全軍、進撃を開始する!」
剣をふりあげて、いとちんが叫んだ。
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ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
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