お召し替え

関谷俊博

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湿地帯の向こうへ赴きたいと言う誘惑は日増しに強くなった。自分のお召し替えが近いことをケンイチは知った。湿地帯の向こうに自分の帰るべき場所はあるのだ。そこにはトモベもアヤノもいるはずだった。帰ろう。仲間の元へ。
ケンイチは湿地帯へと一歩を踏み出した。背表紙に「ケンイチ」と書かれた「モノガタリ」を脇に抱えて。歩を進める毎にケンイチは幸福感に包まれていった。途方もない幸福感だった。空魚達が煌きながら雲間を泳いでいた。目に映る物全てが輝いていた。ケンイチは殆ど恍惚となって湿地帯を進んだ。湿地帯の果て。そこには理想郷が有り仲間達が待っている。
夜になると光蜻蛉が乱舞し始めた。ケンイチは瑠璃色の光に包まれて湿地帯を進んでいった。光蜻蛉の御蔭で夜でも歩けるのが有難かった。光蜻蛉がケンイチの行手を照らしてくれている様な気がした。ケンイチは歩みを止めなかった。夜になり昼になりまた夜になった。腹が減ると懐からヌタイモリの干物を出して囓った。
湿地帯はいつしか草原となり、やがて砂丘へと変わった。砂丘には漣の様な風紋が拡がり、穴だらけの岩やまるで空魚の様な格好をした岩が顔を覗かせている。空魚の鰭を三つ組み合わせた様な形を刻み込んだ岩もあった。一体何の印だろうか。
喉が渇いていた。湿地帯にも草原にも泉が湧いていたが、この砂丘ではそれも期待できそうにない。
ケンイチはふと立ち止まった。砂地が揺れた様に感じたからだ。足元で異変が起きていた。砂地が流れ始め、徐々にケンイチの足を捉えていった。
流砂だ!
やがてケンイチは砂に飲み込まれ急速に意識が遠いていった。

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