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silent lullaby
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年老いた友人が危篤だと聞いて、すぐさま会いに行った。
人口呼吸器が痛々しい。広い部屋に、生命維持装置の規則正しい音だけが虚しく響き渡っていた。
「よくきてくれたね」
彼女が呼吸器越しに、そう笑った。
「あぁ、僕はいつだって近くにいるよ。君が望みさえすればね」
アンティークドールで埋め尽くされたベッド。それから天使の絵画が飾られた壁。
「音楽でもかけようか?」
彼女が頷いた。好きだったラヴソングを流すと、彼女が歌っているように思えた。
元気だったときの彼女は凄く好きだった。ポカポカの暖かな日向の下で、揺り椅子に座って本を片手に揺られていた。マリーゴールドの花と、カモミールの紅茶。それからアップルパウンドケーキ。ケーキはいつも手作りだった。僕が会いに行くと、いつも焼いてくれるのだ。僕も、そのケーキがいつも楽しみだった。
「今日はケーキが焼けなかったの」
残念そうに言った。
「わかってるよ。少し、残念だけどね。もう、君のケーキは食べられないのかな?」
無情にも、時は流れる。一秒、また一秒と彼女の命を削っていく。生きていると言うよりも、生かされていると言った方が正しいと思う。いっそ、消し去ってしまおうか、その命の灯火を。決して戻らぬ光を。
僕は問いた。なぜそこまでして、命を永らえるのかと。そしたら彼女は答えた。
「シャルロットの帰りを待っているの」
「シャルロット?」
*****
製作者が、なぜ『赤』を選んだのかわからない。只の気まぐれなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
時に、それが赤い涙を流すのだと噂された。実際、人形が涙を流すなんて非科学的だ。ありえないし、証明すら出来ない話。それでも、低くはない価値だ。
だから僕は欲しいと思った。
赤い眼の人形が、涙する姿を見てもいいだろうと思った。そして、彼女に赤い薔薇の花束を贈った。
しかし彼女はマドモアゼルとしてそれを受け取ったようで、被害者とはならなかった。
代わりに静かに僕を待っていた。
『王子様がお迎えに来てくれたようね』
赤い眼のビクスドールをそう僕に渡した。
『大事にして欲しいの』
受け取るしかなかった。
『わたしは……もう、長くはないから』
彼女の体は、病魔に蝕まれていた。どんな病気かは知らないが、明らかに死人の匂いを纏っていた。
『受け取れない』
なぜあの時返したのかはわからない。
『また、遊びに来てくれますか?』
悲しそうな目で、僕を見送る。
『君が望むならね』
――あの人形は見当たらなかった。別に、今となってはどうでもいい話なんだが。
「残念ね。あの子は貴方に、娶って欲しかったのに」
彼女が残念そうに笑った。僕も笑った。
決して低くはない価値だ。安くはない思い出話をしていた。たぶん、これが最期だろう。
「シャルロットが連れて行ってしまったの。孫のシャルロット。貴方と同じくらい愛しているわ。でも、あの子と一緒にどこかに行ってしまったの。遠くに……どこか……遠くに……」
彼女の頬が濡れた。
「わたしのお願い。シャルロットに会いたいの。会えないかも知れないけど、どこにいるのかもわからないけど、もし会うことができるなら。わたしの天使」
「探してみるよ。きっとシャルロットを探し出して、連れて来るから」
決して安易に約束したわけじゃない。彼女がどれだけ必死にシャルロットを探してきたかは予想がつく。しかし、彼女には見つけられなかったのだ。もう、この世にいないのかもしれない。それならそれでいい。その方が丁度いいのかもしれない。彼女は、もうじき会えるから。
彼女は、事切れるかのように、夢の世界に入っていった。
*****
少し早いけど、クリスマスプレゼントだと思えばいい。
じゃ、なければなんだっていい。予告状としてではなく、一人のマドモアゼルとして真紅の薔薇の花束を彼女に贈った。彼女の眠る寝室の、天使の絵と金の縁取りの年代モノの花瓶にそれをたっぷりと飾ってやった。
赤い眼のビクスドールに価値があるならすぐに見つかる。世界中に蜘蛛の巣よろしく張り巡らされた情報にかからないはずがない。人々はそれを犯罪と呼ぶらしい。
仮に人形と共にシャルロットがいなかったとしても、すぐに彼女も見つかるはずだ。プライバシーなんてものは、僕らに関係ない。
情報源、といえば聞こえは悪い。その足で僕は友人ポールに会いに行った。
「相変わらず何もないね。今度、絵画でも贈ろうか?」
彼は、無意味ににこにこ笑っているだけ。
リモコン操作で机と椅子がどこからともなく現れる。部屋にモノを置くことが、極端に嫌いらしいのだ。病気、といえばそれまでだけど。
「探して欲しいものがあるんだ」
「なんです?」
いつものことだから、彼は特に驚いた様子も示さない。
「赤い眼のビクスドールだよ。二年前に消えたんだ。シャルロットって女の子と一緒に」
黒い髪を綺麗に整えて、それに似合う漆黒の眼が上品な眼鏡の向こうで笑ったように見えた。
「どうしたんですか?」
僕は笑った。
「いいや、仕事だよ。サンタクロースとしてのね」
「サンタクロースですか」
きょとんとした眼で僕を見る。
「そんな目で見るなよ。まだ少し早いけど、サンタクロースがいてもいいじゃないか」
彼は呆れたように言った。
「嫌なサンタですね。イメージぶち壊しで怒られますよ。サンタの格好をした泥棒なんて最低じゃないですか!?」
思わず、ずるっと肩から落ちる。
「そんな目でみられてんの? 今回は夢を与える方向で行きたいんだけど」
友人は苦笑の後、再びいつもの笑い顔に戻って言った。
「まぁいいですよ。また明日いらっしゃい。調べておきますから」
「頼んだよ」
僕は用件だけを伝え終わると、すぐに家路へと向かった。
****
ただいま、と扉を開けると、金色の巻き毛を揺らしながらショウリィが出てきた。僕の恋人だ。幼い頃病を患って以来、声を失ってしまったらしい。これも運命と言うのか、妙なところで読唇術が役に立った。音のない言葉で、彼女は嬉しそうに僕を迎えてくれる。
『お友達はどうだったの?』
「……うん……。思ったとおり元気だったみたいだよ。思い出話をしてきたんだ。彼女、残念がっていたよ。今日はケーキを焼けなかったって。ショウリィの事を話したら、一度会いたがっていたよ」
『織之(しきの)きっと大丈夫よ。天使が守ってくれるわ』
ショウリィの細い指が僕の頬に触れてはっとした。
『元気を出して。ね?』
「あぁ」
暗い表情でもしていたんだろう。彼女が微笑みながら顔色を覗き込んでいた。
『今、お茶を入れるから』
手を引っ張る。引かれるままに、リビングへと入っていった。
翌朝、昨日の友人の家に行った。期待通り、完璧とまではいかないにしろ充分な情報は得られた。
盗む。というより、連れ戻すと言った方が正しい。どちらかというと探偵向きの仕事だ。たまには、そういう仕事も悪くないさ。
まず赤い眼のビクスドールについての情報を開いた。今から60年ほど前にさかのぼる。僕の、年老いた友人の昔話だ。
彼女はフランスに住んでいたようで、その恋人も共に住んでいた。恋人はパリ街の道端で絵を描いては売っているような名もない貧乏な画家だったそうだ。
彼女の家はお金持ち、そして既に親の決めた婚約者がいた。婚約者も悪い人ではなかった。
しかし彼女は貧乏な彼を選んだのだ。駆け落ちするとき、婚約者は彼女を止めなかった。止めず、赤い眼のビクスドールを彼女に贈った。人形の眼の赤はルビーの赤だそうだ。彼女には赤が似合うから、だから僕も赤い薔薇を贈った。彼も婚約指輪にルビーを贈ろうとしたのだ。贈ることが出来なくなって、彼はそれを使って人形を作るよう職人に言いつけた。
人形は、いつも泣いているかのように赤い眼をしている。それが、彼の心だったのかもしれない。
続いてシャルロットについてのファイルを開けた。母親と父親を事故で亡くした年老いた友人の孫。赤い眼のビクスドールを幼いときから気に入って持っていた。16歳の冬、彼女は人形と共に姿を消した。そして現在いるのは……マジョルカ島?????
*****
飛行機を飛ばして数時間、スペインのやたら観光客の多い島に辿り着く。青い海が波打ち、緑が歌う夢のようなところだ。色の強いカラフルな花は、愛を愛でるのに丁度いいかもしれない。
その昔、かの有名な音楽家がこの島を訪れ、そして恋人と愛を語り合いながら短い人生の一部を過ごしたのだという。
オリーブに見守られた街路地を抜けると、白い家々の向こうに海が見えた。金色の太陽の光が凛々と降り注ぐ中、人目につかない場所に奥へ奥へと歩いていく。タクシーを使ってもよかったのだが、何となく足を使っても悪くないようなのどかなところだった。そんなに急いだふうでもない自動車が、時折僕の横をかけていった。
確かに、資料として記録されていた場所。それから1つの小さな家。
周りのどの家もさほど変わりない。たぶん、あえて違いを述べるなら他の家々より植物の世話が行き届いていると言うことだろう。そして、それに埋まるようにして家が建っていると言うことだろう。
僕は静かに呼び鈴を鳴らした。
「はい」
細い声がして、中から栗色の髪の女性が現れた。年はたぶん、18、19歳くらい。一瞬驚いたような表情をしてから、にっこりと微笑みなおした。
「何か御用?」
「シャルロットさんですか?」
「? えぇ」
不快な顔で僕を見る。承知していたことだ。僕は尚も、用意していた言葉を吐き出した。
「とある老女の使いで参りました」
丁寧に、紳士的に振舞う。嘘は言わない。この際、必要もない気がしていた。僕は今は、本来の姿ではなく1人の老女の友人としてこのシャルロットなる女性の前に現れたのだから。
「老女、といいますと?」
不振に思いながらも、確認のように彼女は問う。そして僕は答える。
「ウェンディア。ウェンディア・レノア。よくお知りでしょう?」
「……お祖母様です……」
僕はにっこりと微笑む。
しばらくの間南風が吹き、緑のざわめく『時』だけがその場に流れた。
沈黙を破るように彼女が口を開く。
「お祖母様は元気ですか?」
僕はゆっくりと首を左右に振った。
「……そう……」
遠い目で彼女は呟いた。そして
「私は……ここを離れるわけにはいきませんから」
そう自分に言い聞かせるように言い捨て、扉を一方的に閉めた。
明日は、たぶん雨だ。
空を、怪しげな灰色の雲がうっすらと泳ぎ始めていた。
*****
音楽のように、静かに雨が窓を打つ。その音は、胸を痛くさせる。
有名なある音楽家は、病に蝕まれながらも悲しく切ない音楽をこの雨音に乗せたんだそうだ。切なく、悲しい音楽だった。自分の死を読んでいたからこそ、美しい音楽が書けたのかもしれない。
半分は才能で、半分は悲しみだ。
雨を傘に受け、もう一度シャルロットの家に行った。僕を見ても、彼女は動揺した様子を見せなかった。寧ろ、1人の客として僕を招きいれてくれた。
僕は、招かざる客として彼女の家に入っていった。
天使の絵画にアンティークの家具。1人ではいささか悲しい部屋。それは、雨のせいだったのかもしれない。
「お茶を」
そう言ってシャルロットはキッチンへと入っていった。1人残された僕。すぐに彼女は現れて、僕にカップに注がれた紅茶を勧めた。
「お祖母さまについて教えてください」
「まだなんとか生きていました。むしろ、生かされていると言った方が正しいでしょう。人口呼吸器と生命維持装置で命を無理やり永らえ、貴方の帰りを待っていますよ」
シャルロットの目にうっすらと涙が光ったように見えた。そう、見えただけなのかもしれないが。
彼女は隠すように用意した人形を一体机に上げた。そして
「これを、お祖母様のお返しください。そして、私は死んだとお伝えください」
そういったのだ。
「なぜ?」
僕は尋ねた。
「こちらへ」
彼女は僕についてくるよう促した。
そこは一番奥の寝室だった。きつい香水が鼻を付く。
「私には愛すべき夫がいます。夫は病の床についていて、私がいなければ生きていけません。彼を残してここを出ることは出来ません」
「この匂いは?」
悲しく笑う。
「病人の匂いが嫌だと言うから、夫の好きな香水の匂いを絶やさぬよう放してあるんです」
扉を開き、彼女は微笑む。
「あなた、お客様よ」
*****
「シャルロットから」
赤い眼の人形を彼女の傍らに置いた。
「残念だけど、病気で死んでしまったって」
彼女の眼から涙が溢れた。
「きっと、綺麗なまま残るために神様がそうしたんだね」
彼女が言う。
「あの子は天使みたいだったから、神様が嫉妬したのかもしれないわね」
僕は微笑んだ。
「この子は貴方のお嫁さんに。大事にしてね」
「わかったよ」
そういうと、僕は再び人形を抱きなおした。彼女がそれを見て大きく息を吸い込んだ。
「あの子に会えるかしら?」
「会えるよ」
幸せそうな顔で微笑んだ。
「貴方に会えてよかったわ。死んだ夫にそっくりなの」
彼女はそう言い終わると同時に眠ってしまった。そして、二度と再び目を開けることはなかった。
*****
開けられた寝室に、人間はいなかった。否、以前はそれだったものらしきものはあった。
乗せられたように埋め込まれたガラスの義眼、白く張り付いたデスマスク、布の巻かれた身体。それらを、シャルロットは愛おしく愛でながらキスした。
「亡くなったのはいつ?」
明らかに、それはおぞましいまでの変化を遂げていた。
「おかしな事を言わないで。まだ彼は死んでないわ。ただ少し痩せただけ」
「そう」
「そうよ」
シャルロットはにっこりと微笑んだ。
*****
彼女の遺品を見ていた。1枚のセピア調の写真。金髪の青年と栗色の髪の女性。その写真と共に、真紅の薔薇を棺桶いっぱいに詰めてやった。葬儀には誰も来ない。身寄りのない1人ぼっちの老人。
葬儀を済ませて、帰り際両手いっぱいの花を買った。
『お帰り』
と、いつものように迎えてくれるショウリィにそれを渡した。
『どうしたのこのお花?』
「ん? プレゼントだよ」
『お誕生日でもないのに?』
「サンタクロースから」
『クリスマスでもないわ』
彼女は無邪気に笑う。
「なんだっていいさ」
『そうね、ありがとうは変わらないわ』
今度は僕が笑う番だ。それは、キスに似ていた。
「こちらこそ、ありがとう」
人口呼吸器が痛々しい。広い部屋に、生命維持装置の規則正しい音だけが虚しく響き渡っていた。
「よくきてくれたね」
彼女が呼吸器越しに、そう笑った。
「あぁ、僕はいつだって近くにいるよ。君が望みさえすればね」
アンティークドールで埋め尽くされたベッド。それから天使の絵画が飾られた壁。
「音楽でもかけようか?」
彼女が頷いた。好きだったラヴソングを流すと、彼女が歌っているように思えた。
元気だったときの彼女は凄く好きだった。ポカポカの暖かな日向の下で、揺り椅子に座って本を片手に揺られていた。マリーゴールドの花と、カモミールの紅茶。それからアップルパウンドケーキ。ケーキはいつも手作りだった。僕が会いに行くと、いつも焼いてくれるのだ。僕も、そのケーキがいつも楽しみだった。
「今日はケーキが焼けなかったの」
残念そうに言った。
「わかってるよ。少し、残念だけどね。もう、君のケーキは食べられないのかな?」
無情にも、時は流れる。一秒、また一秒と彼女の命を削っていく。生きていると言うよりも、生かされていると言った方が正しいと思う。いっそ、消し去ってしまおうか、その命の灯火を。決して戻らぬ光を。
僕は問いた。なぜそこまでして、命を永らえるのかと。そしたら彼女は答えた。
「シャルロットの帰りを待っているの」
「シャルロット?」
*****
製作者が、なぜ『赤』を選んだのかわからない。只の気まぐれなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
時に、それが赤い涙を流すのだと噂された。実際、人形が涙を流すなんて非科学的だ。ありえないし、証明すら出来ない話。それでも、低くはない価値だ。
だから僕は欲しいと思った。
赤い眼の人形が、涙する姿を見てもいいだろうと思った。そして、彼女に赤い薔薇の花束を贈った。
しかし彼女はマドモアゼルとしてそれを受け取ったようで、被害者とはならなかった。
代わりに静かに僕を待っていた。
『王子様がお迎えに来てくれたようね』
赤い眼のビクスドールをそう僕に渡した。
『大事にして欲しいの』
受け取るしかなかった。
『わたしは……もう、長くはないから』
彼女の体は、病魔に蝕まれていた。どんな病気かは知らないが、明らかに死人の匂いを纏っていた。
『受け取れない』
なぜあの時返したのかはわからない。
『また、遊びに来てくれますか?』
悲しそうな目で、僕を見送る。
『君が望むならね』
――あの人形は見当たらなかった。別に、今となってはどうでもいい話なんだが。
「残念ね。あの子は貴方に、娶って欲しかったのに」
彼女が残念そうに笑った。僕も笑った。
決して低くはない価値だ。安くはない思い出話をしていた。たぶん、これが最期だろう。
「シャルロットが連れて行ってしまったの。孫のシャルロット。貴方と同じくらい愛しているわ。でも、あの子と一緒にどこかに行ってしまったの。遠くに……どこか……遠くに……」
彼女の頬が濡れた。
「わたしのお願い。シャルロットに会いたいの。会えないかも知れないけど、どこにいるのかもわからないけど、もし会うことができるなら。わたしの天使」
「探してみるよ。きっとシャルロットを探し出して、連れて来るから」
決して安易に約束したわけじゃない。彼女がどれだけ必死にシャルロットを探してきたかは予想がつく。しかし、彼女には見つけられなかったのだ。もう、この世にいないのかもしれない。それならそれでいい。その方が丁度いいのかもしれない。彼女は、もうじき会えるから。
彼女は、事切れるかのように、夢の世界に入っていった。
*****
少し早いけど、クリスマスプレゼントだと思えばいい。
じゃ、なければなんだっていい。予告状としてではなく、一人のマドモアゼルとして真紅の薔薇の花束を彼女に贈った。彼女の眠る寝室の、天使の絵と金の縁取りの年代モノの花瓶にそれをたっぷりと飾ってやった。
赤い眼のビクスドールに価値があるならすぐに見つかる。世界中に蜘蛛の巣よろしく張り巡らされた情報にかからないはずがない。人々はそれを犯罪と呼ぶらしい。
仮に人形と共にシャルロットがいなかったとしても、すぐに彼女も見つかるはずだ。プライバシーなんてものは、僕らに関係ない。
情報源、といえば聞こえは悪い。その足で僕は友人ポールに会いに行った。
「相変わらず何もないね。今度、絵画でも贈ろうか?」
彼は、無意味ににこにこ笑っているだけ。
リモコン操作で机と椅子がどこからともなく現れる。部屋にモノを置くことが、極端に嫌いらしいのだ。病気、といえばそれまでだけど。
「探して欲しいものがあるんだ」
「なんです?」
いつものことだから、彼は特に驚いた様子も示さない。
「赤い眼のビクスドールだよ。二年前に消えたんだ。シャルロットって女の子と一緒に」
黒い髪を綺麗に整えて、それに似合う漆黒の眼が上品な眼鏡の向こうで笑ったように見えた。
「どうしたんですか?」
僕は笑った。
「いいや、仕事だよ。サンタクロースとしてのね」
「サンタクロースですか」
きょとんとした眼で僕を見る。
「そんな目で見るなよ。まだ少し早いけど、サンタクロースがいてもいいじゃないか」
彼は呆れたように言った。
「嫌なサンタですね。イメージぶち壊しで怒られますよ。サンタの格好をした泥棒なんて最低じゃないですか!?」
思わず、ずるっと肩から落ちる。
「そんな目でみられてんの? 今回は夢を与える方向で行きたいんだけど」
友人は苦笑の後、再びいつもの笑い顔に戻って言った。
「まぁいいですよ。また明日いらっしゃい。調べておきますから」
「頼んだよ」
僕は用件だけを伝え終わると、すぐに家路へと向かった。
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ただいま、と扉を開けると、金色の巻き毛を揺らしながらショウリィが出てきた。僕の恋人だ。幼い頃病を患って以来、声を失ってしまったらしい。これも運命と言うのか、妙なところで読唇術が役に立った。音のない言葉で、彼女は嬉しそうに僕を迎えてくれる。
『お友達はどうだったの?』
「……うん……。思ったとおり元気だったみたいだよ。思い出話をしてきたんだ。彼女、残念がっていたよ。今日はケーキを焼けなかったって。ショウリィの事を話したら、一度会いたがっていたよ」
『織之(しきの)きっと大丈夫よ。天使が守ってくれるわ』
ショウリィの細い指が僕の頬に触れてはっとした。
『元気を出して。ね?』
「あぁ」
暗い表情でもしていたんだろう。彼女が微笑みながら顔色を覗き込んでいた。
『今、お茶を入れるから』
手を引っ張る。引かれるままに、リビングへと入っていった。
翌朝、昨日の友人の家に行った。期待通り、完璧とまではいかないにしろ充分な情報は得られた。
盗む。というより、連れ戻すと言った方が正しい。どちらかというと探偵向きの仕事だ。たまには、そういう仕事も悪くないさ。
まず赤い眼のビクスドールについての情報を開いた。今から60年ほど前にさかのぼる。僕の、年老いた友人の昔話だ。
彼女はフランスに住んでいたようで、その恋人も共に住んでいた。恋人はパリ街の道端で絵を描いては売っているような名もない貧乏な画家だったそうだ。
彼女の家はお金持ち、そして既に親の決めた婚約者がいた。婚約者も悪い人ではなかった。
しかし彼女は貧乏な彼を選んだのだ。駆け落ちするとき、婚約者は彼女を止めなかった。止めず、赤い眼のビクスドールを彼女に贈った。人形の眼の赤はルビーの赤だそうだ。彼女には赤が似合うから、だから僕も赤い薔薇を贈った。彼も婚約指輪にルビーを贈ろうとしたのだ。贈ることが出来なくなって、彼はそれを使って人形を作るよう職人に言いつけた。
人形は、いつも泣いているかのように赤い眼をしている。それが、彼の心だったのかもしれない。
続いてシャルロットについてのファイルを開けた。母親と父親を事故で亡くした年老いた友人の孫。赤い眼のビクスドールを幼いときから気に入って持っていた。16歳の冬、彼女は人形と共に姿を消した。そして現在いるのは……マジョルカ島?????
*****
飛行機を飛ばして数時間、スペインのやたら観光客の多い島に辿り着く。青い海が波打ち、緑が歌う夢のようなところだ。色の強いカラフルな花は、愛を愛でるのに丁度いいかもしれない。
その昔、かの有名な音楽家がこの島を訪れ、そして恋人と愛を語り合いながら短い人生の一部を過ごしたのだという。
オリーブに見守られた街路地を抜けると、白い家々の向こうに海が見えた。金色の太陽の光が凛々と降り注ぐ中、人目につかない場所に奥へ奥へと歩いていく。タクシーを使ってもよかったのだが、何となく足を使っても悪くないようなのどかなところだった。そんなに急いだふうでもない自動車が、時折僕の横をかけていった。
確かに、資料として記録されていた場所。それから1つの小さな家。
周りのどの家もさほど変わりない。たぶん、あえて違いを述べるなら他の家々より植物の世話が行き届いていると言うことだろう。そして、それに埋まるようにして家が建っていると言うことだろう。
僕は静かに呼び鈴を鳴らした。
「はい」
細い声がして、中から栗色の髪の女性が現れた。年はたぶん、18、19歳くらい。一瞬驚いたような表情をしてから、にっこりと微笑みなおした。
「何か御用?」
「シャルロットさんですか?」
「? えぇ」
不快な顔で僕を見る。承知していたことだ。僕は尚も、用意していた言葉を吐き出した。
「とある老女の使いで参りました」
丁寧に、紳士的に振舞う。嘘は言わない。この際、必要もない気がしていた。僕は今は、本来の姿ではなく1人の老女の友人としてこのシャルロットなる女性の前に現れたのだから。
「老女、といいますと?」
不振に思いながらも、確認のように彼女は問う。そして僕は答える。
「ウェンディア。ウェンディア・レノア。よくお知りでしょう?」
「……お祖母様です……」
僕はにっこりと微笑む。
しばらくの間南風が吹き、緑のざわめく『時』だけがその場に流れた。
沈黙を破るように彼女が口を開く。
「お祖母様は元気ですか?」
僕はゆっくりと首を左右に振った。
「……そう……」
遠い目で彼女は呟いた。そして
「私は……ここを離れるわけにはいきませんから」
そう自分に言い聞かせるように言い捨て、扉を一方的に閉めた。
明日は、たぶん雨だ。
空を、怪しげな灰色の雲がうっすらと泳ぎ始めていた。
*****
音楽のように、静かに雨が窓を打つ。その音は、胸を痛くさせる。
有名なある音楽家は、病に蝕まれながらも悲しく切ない音楽をこの雨音に乗せたんだそうだ。切なく、悲しい音楽だった。自分の死を読んでいたからこそ、美しい音楽が書けたのかもしれない。
半分は才能で、半分は悲しみだ。
雨を傘に受け、もう一度シャルロットの家に行った。僕を見ても、彼女は動揺した様子を見せなかった。寧ろ、1人の客として僕を招きいれてくれた。
僕は、招かざる客として彼女の家に入っていった。
天使の絵画にアンティークの家具。1人ではいささか悲しい部屋。それは、雨のせいだったのかもしれない。
「お茶を」
そう言ってシャルロットはキッチンへと入っていった。1人残された僕。すぐに彼女は現れて、僕にカップに注がれた紅茶を勧めた。
「お祖母さまについて教えてください」
「まだなんとか生きていました。むしろ、生かされていると言った方が正しいでしょう。人口呼吸器と生命維持装置で命を無理やり永らえ、貴方の帰りを待っていますよ」
シャルロットの目にうっすらと涙が光ったように見えた。そう、見えただけなのかもしれないが。
彼女は隠すように用意した人形を一体机に上げた。そして
「これを、お祖母様のお返しください。そして、私は死んだとお伝えください」
そういったのだ。
「なぜ?」
僕は尋ねた。
「こちらへ」
彼女は僕についてくるよう促した。
そこは一番奥の寝室だった。きつい香水が鼻を付く。
「私には愛すべき夫がいます。夫は病の床についていて、私がいなければ生きていけません。彼を残してここを出ることは出来ません」
「この匂いは?」
悲しく笑う。
「病人の匂いが嫌だと言うから、夫の好きな香水の匂いを絶やさぬよう放してあるんです」
扉を開き、彼女は微笑む。
「あなた、お客様よ」
*****
「シャルロットから」
赤い眼の人形を彼女の傍らに置いた。
「残念だけど、病気で死んでしまったって」
彼女の眼から涙が溢れた。
「きっと、綺麗なまま残るために神様がそうしたんだね」
彼女が言う。
「あの子は天使みたいだったから、神様が嫉妬したのかもしれないわね」
僕は微笑んだ。
「この子は貴方のお嫁さんに。大事にしてね」
「わかったよ」
そういうと、僕は再び人形を抱きなおした。彼女がそれを見て大きく息を吸い込んだ。
「あの子に会えるかしら?」
「会えるよ」
幸せそうな顔で微笑んだ。
「貴方に会えてよかったわ。死んだ夫にそっくりなの」
彼女はそう言い終わると同時に眠ってしまった。そして、二度と再び目を開けることはなかった。
*****
開けられた寝室に、人間はいなかった。否、以前はそれだったものらしきものはあった。
乗せられたように埋め込まれたガラスの義眼、白く張り付いたデスマスク、布の巻かれた身体。それらを、シャルロットは愛おしく愛でながらキスした。
「亡くなったのはいつ?」
明らかに、それはおぞましいまでの変化を遂げていた。
「おかしな事を言わないで。まだ彼は死んでないわ。ただ少し痩せただけ」
「そう」
「そうよ」
シャルロットはにっこりと微笑んだ。
*****
彼女の遺品を見ていた。1枚のセピア調の写真。金髪の青年と栗色の髪の女性。その写真と共に、真紅の薔薇を棺桶いっぱいに詰めてやった。葬儀には誰も来ない。身寄りのない1人ぼっちの老人。
葬儀を済ませて、帰り際両手いっぱいの花を買った。
『お帰り』
と、いつものように迎えてくれるショウリィにそれを渡した。
『どうしたのこのお花?』
「ん? プレゼントだよ」
『お誕生日でもないのに?』
「サンタクロースから」
『クリスマスでもないわ』
彼女は無邪気に笑う。
「なんだっていいさ」
『そうね、ありがとうは変わらないわ』
今度は僕が笑う番だ。それは、キスに似ていた。
「こちらこそ、ありがとう」
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出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。
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