【試し読み】妖言(およずれごと)ー本編ー

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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【試し読み】特装版 絆鬼(つなぐおに)

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 男は直ぐに、勘違いだろうと首を振った。それでも、その場所がどうしても気になり他に思い当たらず、どうせ駄目であるならと、黄昏時になって、その場所に足を運んでみた。
 越中から二人連れられ、この土地に初めて足を踏み入れた晩のことである。
 勿論、越中から連れられて来たのは男と妓の二人だけでは無かった。ここまで何人かいたが、それぞれ売り場が決まっていたらしく、早々に買われて行った。
「お前さん二人は、他の奴等より器量が良いからな。良い店に高値で買って貰うつもりだ。上方から来たと言うから、合わせるんだ。売れるまで、なるべく喋るなよ」
 女衒は二人に、一杯のかけ蕎麦を食べさせながら、そう告げた。二人とも、齢七つの頃である。男は先に蕎麦を啜ると、蕎麦は好きじゃないからと妓に差し出した。その心は、男が女を守ってやらないといけない、そんな使命感だけである。
「雪が白く見えるうちなら、また逢えるよね」
「もし俺が先に自由になれたら、あんたを探すからね」
 二人、指切りをした。この時は希望であり、売られてからは絶望の指切りである。日々を重ねる事に、指切りの約束が果たされる事は無いと二人とも諦めた。

「悪いけど、この場所にみすぼらしい若い男が来たら、毎日弁当を届けてやってくれないかい」
 妓は下男に、地図と金を渡した。
「いなかったです」
 と、下男が妓に告げたのは最初の二日だけ。
「弁当、渡しましたよ。数日前、来た客でしょう。代金を肩代わりしたり、そんなに気に入りましたか?」
「あの男は、生き別れた私の兄弟みたいなもんさ。見逃しておくれよ」
 この下男は、妓を水揚げしてからずっと妓についている。頭が悪く、妓楼の男衆でも下の方である。妓女にも馬鹿にされてはいるが、聞けば下男も越中から来たと言うので、妓が情で世話を焼いているのである。そんな事を続けているから、妓の借金は減らないし、他の妓女や男衆に目を付けられて客も取れないでいる。
「花魁にもなれない安い妓にもさ、夢を見せてくれるんだ。そのくらいの価値はあるだろう」
「それは、あっしのせいですよ。姐さんは、あっしを見捨てるべきです」
 妓は口元だけ寂しく笑った。
「同じ故郷の者同士だ。気にするな。あちきが唐瘡で伏せった時、あんたが世話を焼いてくれたから、症状も治まって、今こうして居られるんじゃないか」
 下男は、顔を伏せた。
「姐さんが、あの男を好いているのでしたら……あっしは、姐さんの幸せを見届けたいです。なんでも、言い付けてください」
「あんたも、馬鹿な男だね。それじゃ、あんたが殺されちまうよ」
 妓は箪笥から、心中箱を取り出した。
「これさ、あの男がくれたんだ。あちきの物と一緒に入れている。これだけで、年季まで頑張れる気がするんだ。それまで、悪いけど。あの男に弁当を届けてやっておくれよ」
 下男は頷いた。
 少し前から、この妓楼の店主は阿片売買にも手を出し始めていた。これが、思った以上に儲かるので、何人か下男を雇って、販売の手を広げていたところであった。時には、陰間や遊女にも、その手は伸びた。
 阿片とは、どんなものか。そんなに良いものか。との好奇心が店主の心を動かしたのが、ほんの少し前の出来心。店主の言う、悪夢の、呪いの正体である。

 男が妓を思い出し足を運んだのは、最後に二人で夜鷹蕎麦を食べた裏路地である。人気は無く、鬱蒼としていて、少しの密談をするには丁度良い。しかし、通りも裏長屋も直ぐなので、逢い引きするような場所では無い。
 今はもう夜鷹蕎麦は無いし、ただ変わったような変わらないような景色があるだけである。
「これ、姐さんから」
 妓の居る妓楼の法被を着た下男が、弁当を手に男へと声を掛けてきた。よく見れば、妓が雑用を言い付けていた下男である。向こうも、先日の客だと気付いたのだ。
「これは?」
「姐さんが、毎日持って行けって言ったから」
 男は、涙で声が出せなかった。惨めで情けなく、嬉しくて温かい。
「姐さんは、あんたの為に年季まで頑張る気だよ。あんたも、頑張っとくれよ」
 男は、その場でおいおいと泣き崩れた。その姿には、恥も外聞も無い。
 数日してから、男は血を吐いた。先日からの咳の正体が、労咳であると気付かされた。
 その日、男は弁当を持ってきた下男に、膝を着き額を地面に付けながら告げた。
「俺は、年季が明けるまで待ってやれなくなってしまった。血も吐いたから、もう長くも無いだろう。弁当はもういい」
 男は、袂から櫛を取り出した。安物の櫛だが、男にとっては精一杯の品である。懸命に貯めた金で、最後に何とか買った。
「どうしても、何か礼をしたくて。こんな物しか、贈ってやれないのだけれど。俺の事を忘れてくれても構わないから、せめて幸せになって欲しい」
 妓が妓楼から姿を消したのは、この日から数日のうちである。これに手引きした、下男は殴り殺された。
 店主は、下男を加減無く痛め付けはしたものの、殺すつもりは無かった。下男が、夜な夜な悪夢として現れるのだという。
「祓い屋を呼べ!」
 暴れる店主に、医者が告げた。
「鬼の歩き巫女の噂をご存じでしょうか?」
「なんだ、それは?」
「金で、面倒事を消してくれるそうですよ。どうせ頼むなら、鬼の方が合っているのでは?」
 お海の噂など、この程度である。この程度の方が、忍海にとっても都合が良い。
「何処にいるのだ?」
「さあ、鬼ですから。神出鬼没のようです。噂が流れれば、現れることもあるとか」
「呼べ! 呼んでくれ!」
 医者は知っていた。店主の気狂いが、阿片の所為であると。阿片で儲けているくせに、支払いになると値切りに値切る店主が医者は気に入らなかった。没落してしまえ、鬼に喰われればいいのにと、腹の中で思っていた。だから、お海の噂を教えたのだ。なんせ今日も、難癖付けて診察代を値切ろうとしてきたのだから。

 さて、心中を誓った男女である。命を懸けた下男のお陰で、妓は男の貧乏裏長屋の一室に隠れていた。幸いにも畳が無いので、誰か来た時には床板を外してそこに隠れた。
 こうして二人で居ると、元は心中するつもりが未練が湧いて、少々この世が名残惜しくなるものである。
「豆腐を炊いたんだ。少しは食べられるかい」
 男の身体は、最低限しか動かない。どうせ、間もなく死ぬのだ。無理に心中しなくても良いだろう、互いにそう思い始めていた。
「吐いてでも食べるよ。こんなに温かい物は贅沢だ」
「体力付けないとね。さ、身体を支えてやろうね」
「俺は、今が一番幸せだ。このまま、死んでもいい」
「馬鹿言うんじゃないよ。心中にも体力がいるだろう」
 妓は男の頭を自分の胸元に抱えると、程良く冷ました湯豆腐を、少しずつ食べさせた。今日は、吐かずに咳き込まずに食べられたので互いに安心した。これなら、明日も生きていられる筈だ。
 妓が隠して持ってきた金で、男には毎日、豆腐や卵を食べさせた。お陰で、少しずつではあるが、男の体力は回復していった。若さも幸いしたのであろう。男女共に、まだ齢二十三である。
「卵が好きだろう。今夜は卵にしようか」
「お前は、食べているのかい?」
「あんたが食べられない分、食べているよ。昨日は天麩羅蕎麦を食べたし、その前は寿司を食べたよ。どうだい? 羨ましいだろう。早く食べれるようにならないとね、連れていってやれないじゃないか」
 妓は嘘を付いた。男の残した冷や飯しか食べてはいない。仮に目の前に豪華な食事を並べられても、男が心配で喉を通りそうもなかった。
「そうかい。最近、あんまり視界が良くなくてね。あんたと妓楼で会った最後の日から、心中する前に鰻でもと思って金を貯めていたんだ。それでも俺の稼ぎでは刻が掛かるし、何よりこんな身体になっちまって。あんたの分の金しかないんだけど、鰻を食べてきてくれないか」
 妓の目に、堪えきれない涙が溢れた。
「あんたの分くらい、“あたい”が出すよ。一緒に食べなきゃ意味が無いだろう」
 妓は、思い付いたように続けた。
「その金で、鰻、買ってきてやるよ。少しくらい食べれるだろ。半分にしよう。あの時の蕎麦みたいにさ」
「ちゃんと一人前、食べさせてやりたいな」
「元気になったら、駆け落ちしよう。そしたら、別の土地でやり直すんだ。働けるようになれば、鰻だって何だって食べられるよ」
「駆け落ちかあ。夢みたいな話だ」
 男が眠ると、妓は裏長屋を出た。早速、鰻の蒲焼を買う為である。
 鰻屋の前で、妓は妓楼の男衆に捕まった。
 少しの刻を置いて、裏長屋の男の部屋に妓楼の男衆がやって来て、男を捕まえた。妓が捕まった事で、男の住まいが特定されたのである。
「ひでえな」
 寝込んでいた所を無理矢理引き摺り、妓楼へと連れて行かれる男の姿を見た野次馬は、口々にそう呟いていた。それでも、この不幸にも哀れな男女の行方が、人々にとっては娯楽の如く気になるのである。それは、忍海にとっても例外ではなかった。
 数日前から、男の姿で遊郭に入り、巫女に化けて妓楼の店主に声を掛けていた最中である。
 最初、店主の部屋に入って早々。お海は、店主の気狂いが阿片の所為だと臭いで気付いた。店主の態度にも少し不満があったので、金を毟れるだけ毟り取ってやろうと決めた。
 そこで、連日の悪夢は殺してしまった妓女を逃がした下男の祟りだと信じ込ませ、祈祷と称しては毎日金を払わせている。
 何日かに一度、男として霧雨に顔を出すことで、怪しまれない様にもした。同時に、妓楼の様子も探っていた。
 忍海がいつものように妓楼に近付くと、時代遅れの桶伏せがあった。
(おや?)
 と思い、お海の前に忍海にまま霧雨を訪ねた。
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