【試し読み】44口径より愛を込めて

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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コーラカル・アヂーン大量虐殺事件

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 バーベキューは、大雅とケンさんで一生懸命火起こししたのだけれど上手くいかず、あーだこーだやってるうちに陽太君が到着。慣れているのか、陽太君が始めると三十分とかからずに火が付いた。
大雅もケンさんも、バーベキューの火起こしをしたのは初めてだそうだ。普段は、仲間内の誰かがやっていたとか。人生、何事も経験が大切だなと思った。
 芝生の生えた綺麗な庭、白い塀にリビングへと繋がる窓敷居。小春ちゃんがもっと小さい頃使っていたんであろう、幼児用のブランコが置かれ、その近くに小屋があった。昔は犬でも飼っていたんだろうか、小屋には手書きで“ちゃこ”と書かれている。
 火起こし救世主の陽太君は、小春ちゃんに追っかけられてタジタジしているし、それを見てケンさんが軽く溜息を吐いてる。大雅は、鍋奉行ならぬ網奉行と化して、ひたすら肉をひっくり返している。私はというと、ケンさんの奥さんと庭に設置した簡易テーブルで、野菜を切っている。
「魔夜さん、ウィンナー焼けましたよ」
 小春ちゃんが、紙皿に焼けたウィンナーを持って走って来てくれた。
「ありがとう。もう少しで焼きそば分の野菜切り終わるから、そしたら私もそっちに行くね」
「うん」
 一旦手を止めてウィンナーを食べる。少し焦げてカリカリした表面が、バーベキューらしくて好きだ。奥さんの手作りのタレも、とても美味しい。
「このタレ美味しいです。後で、作り方教えてください」
「いいわよ。炒め物に使っても、とても美味しいから」
 キャベツを切り終わったタイミングで、大雅の肉が焼けたという声が聞こえた。
「魔夜ちゃん、私達も行きましょう」
 小春ちゃんが先程ウィンナー入りで持ってきてくれた紙皿を持って、焼けた肉と野菜を貰いに行った。近くで、小春ちゃんが陽太君に「あ~ん、して!」と言いながら、鶏肉を食べさせようとしていた。
 コンロから少し離れた場所で、アウトドアチェアに腰掛けてビールを飲むケンさんの横に歩み寄ると、私も右隣にあった空いているアウトドアチェアに腰掛けた。
「魔夜ちゃんも、どう?」
 ケンさんが、左横に置いてあるクーラーボックスの中からカクテルを取り出した。
「ごめんなさい。アルコールは、控えていて」
 ケンさんが、微笑した。
「大丈夫。そう思って、ノンアルコールカクテル」
 私は受け取って、一口飲んだ。ジントニック味だった。
「考えても見たら、初めてでした。小春とバーベキューするの。火も起こせない親父だなんて、情けないですね」
 ケンさんは、誰に語るでもない風に、ポツリポツリと話し出した。
「最後にバーベキューをしたのは、いつだったかな。……そうだなぁ……学生の時だった気がする。陽太とも、したことないなぁ」
 酔っているのか、ケンさんが飲みかけの缶ビールを一気で飲み干した。
「バーベキューどころか、満足に遊びにだって連れて行ったことがない。本当に、最低の親父です。……そこに、犬小屋があるでしょう。五年前の秋、台風の前日に小春が子犬を拾って来たんです。私に出来たのは、飼う事を許可してやったことぐらい。陽太が、小春と犬小屋を作って、名前まで決めてやっていました」
「その子犬は?」
「小春が小学校一年生の夏、病気で死んでしまいました。大泣きする娘の近くに、気が済むまで居てやる事も出来なかった。それを知って、陽太が小春を夏祭りに連れて行ってくれた」
 ケンさんは、クーラーボックスから新たに缶ビールを取り出した。
「いつも、陽太が私がやりたかった事を、代わりにやってくれていた。それに、甘えていたのかも知れません。小春にとって、私は親父であるんでしょうか。小春にとって、陽太は何なんでしょうか。陽太が親父であり、私は只のオジサンなんじゃないのかって思うんです。家族の為に、人の為に働くことが、結果家族を犠牲にしている、そう思うんです。ですが、やはり私には守りたいものがある。だから、陽太を危険な目に合わす訳にはいかないのかも知れません」
 目先では、大雅と代わって奥さんが笑いながら肉を焼いていた。小春ちゃんの差し出した豚肉を、陽太君の代わりに大雅が食べたらしく、小春ちゃんが真剣に怒っていた。
「ケンさんは、どんな状態であれ、小春ちゃんの大切なお父さんですよ。きっと、小春ちゃんにとって陽太君は、騎士(ナイト)様。だから、ケンさんも無茶しちゃいけないんです。ケンさんがいるから、陽太君はきっと小春ちゃんの騎士様でいられるんだと思いますよ」
 私は、立ち上がった。
「魔夜、肉食えよ!」
 と、大雅に呼ばれたからだ。小春ちゃんが、大雅を「こいつめ!」と何度も叫びながら、蹴りを入れている。
「大雅、小春ちゃんに何したの!! 女の子泣かせるなんて、最低」
「魔夜さん、大雅さん酷いんですよぉ! 浮気モノですよ!!」
「そりゃ、最低だな。大雅の器にワサビ入れて復讐してやりなさい」
「うん」
 小春ちゃんは、ワサビを取りに家の中へ走って行った。
「魔夜、ホントにいらんことを」
 ワサビが大嫌いな大雅は、ブツブツ言いながらコンロの方へと戻って行った。
 私は、肉と野菜を貰うと、ケンさんの隣のチェアに戻った。同時に、小春ちゃんがチューブ入り練りワサビを持って帰還。近くで陽太君が爆笑している。
「私には、父の記憶は愚か、藤代魔夜としての記憶しかありません。だけど、父の事を大好きだった気がする。ケンさんみたいな父だったら、良いなぁって思います」
「言い過ぎです」
 ケンさんの顔は赤かった。少し、飲みすぎたのかもしれない。
「この事件(ヤマ)が片付いた暁には、長期休暇を取って、家族で海外旅行でもと思っています」
「きっと、小春ちゃん喜びますよ」
 バーベキュー最後の焼きそばが始まった。今度は、陽太君が自信満々にヘラを振り回している。
「疲れた! ワサビは、マジきついって」
 私の斜め前に置いてあったアウトドアチェアに、疲れた顔で大雅が腰を下ろした。
「お疲れ」
 そう言った私の方へ、大雅が文句ありげな顔を向けた。
「何よぉ。文句あるなら言いなさいよ」
 大雅の頬を摘んでいった。
「ふるはぁい」
 頬を摘まれていなかったら、多分“うるさい”と言いたかったのだろう。
「お二人の為にも、早く事件を解決しなければ」
 そう言うとケンさんは立ち上がり、小春ちゃんの方へ歩いて行った。
 バーベキューが終わると、いつも通り陽太君に自宅まで送って貰った。別れ際、陽太君にコーラカル・アヂーン大量虐殺事件の詳しい資料を見せて欲しいと相談した。私なりに、少しでも事件解決の手助けをしたいのだ。彼は、なんとかしますと答えてくれた。

 翌日の夕方、陽太君がコーラカル・アヂーン大量虐殺事件と書かれたファイルを持参して来てくれた。
「今晩は張り込みで戻れないので、明日また取りに来ます」
 そう言い残して陽太君は、足早に店を出て行った。同時に、ケンさんが到着した。
「こんにちは。大雅君、実銃を貸してもらいたいんだが」
「何にします?」
「そうだなぁ……」
 ケンさんは少し考えた素振りで、先程陽太君が持って来てくれた私の抱えるファイルへと、視線を移した。
「あぁ、陽太の奴、魔夜ちゃんに頼まれたのか」
 大雅が適当に五丁程、奥の銃庫からハンドガンを持ってきてカウンターの上に並べてみせた。
「これにしよう」と、ケンさんが手にしたのはHK-P7M13だった。ドイツ警察が使用していることで有名な、9ミリ弾十三発のハンドガンだ。ケンさんは念の為にと、予備の弾倉もレンタルしていった。
「気を付けてくださいね」
 大雅が銃を片付けながら、急いで出て行くケンさんの背中に投げかけた。
「こんなもの、使う状況に置かれたくはないがな」
 ケンさんは、じゃぁと車に乗り込んだ。
 私はその後を、弾かれたように追いかけた。
「ケンさん、ちょっと待っててください!!」
 再び店内に戻ると、銃庫からSW-M329の2.5インチを引っ掴み、急いで弾を詰め込むと車へ走った。
「どうしたんだ、魔夜ちゃん」
「これ、持っていってください!!」
 激しく乱れる息を押し殺しながら、私はケンさんにSW-M329を押し付けた。
「え? これって??」
「弾は……詰めときました……護身用……です」
 ケンさんが、笑った。
「頼もしい護身用だな」
「……ご無事で……」
 なんだか、戦争に送り出すみたいだ。
「あぁ、戻ったら、またバーベキューしよう」
 ケンさんの車が、走り出す。
 私はケンさんを見送った後、陽太君の持ってきてくれたファイルを持って自宅に戻った。リビングのソファに座ってそれを開くと、目次にはコーラカル・アヂーン大量虐殺事件についての調査内容が項目別にまとめられていた。尚、ここからの解説は、私が簡潔に説明を踏まえて読み解いていくものである。
 毒ガス、コーラカル・アヂーンについての、説明から目を通すことにした。
 コーラカル・アヂーン。KOLOKOL-1。ロシア連邦レニングラード州軍の秘密研究施設にて、化学兵器科学者レフ・フョードロフによって一九七0年代に開発された無力化ガス。
 合成オピオイドから派生し、カルフェンタニルもしくはメチルフェンタニルをハロタンに溶解したものを、エアロゾルとしたものではないかと予想される。
 成分として考えられるカルフェンタニルはモルヒネの一万倍以上の効果を有する。噴射後約3秒以内に効果を発揮、約六時間意識不明にする。
 非致死性兵器とされていたが、二00二年に勃発したモスクワ劇場占拠事件にて、一二九名が窒息死したことにより非致死性については疑問視されている。
 当初政府は、成分について公表せず。後日保健相が麻酔薬フェンタニルを主成分にしたものであると発表。しかし、詳細については未だ不明。
 フェンタニル。訓練研修で、聞いた覚えがある。確か、“チャイナホワイト”の事だ。別名“合成ヘロイン”“ヘロインのデザイナードラッグ”と呼ばれる合成麻薬。時として、麻酔、鎮痛、癌性疼痛除去として使用され、経口モルヒネが使えない患者に有用されるものだ。麻薬としては、同量でヘロインより効果が高く、ヘロインに混入されているとも言われる。
 ここにも、ヘロインの名前が。と、呟く。
 ヘロイン、俗名“ペイ”。モルヒネに塩化アセチルを作用させて得られる半合成アルカロイド、ジアセチルモルヒネの事を指す。ヘロインとは、ドイツで販売された際の商品名だ。
 モルヒネが癌性疼痛を主とし、疼痛緩和目的で使用されるのとは別に、ヘロインはモルヒネより脂溶性に優れ、強烈な麻薬作用を引き起こす為、厳しく規制されている。依存性も極めて強い。傾向としては、慢性膵臓炎等の激痛を伴う病気の際に手を出し、そのまま依存者となる場合が極めて多いと言われている。
 犯人グループについてのページに移動した。
 コーラカル・アヂーン大量虐殺事件、第一次の犯人は全二十五名。全員身元不明の為、国籍はアジア系と以外判明せず。恐らく、密入国者と考えられる。逮捕後、犯人達の身体検査を行うと、全員ヘロイン各約四十~六十グラム、およそ三十六~五十四万円相当を隠し持っていた。薬物検査については、全員が陽性。ヘロインの強い依存性を示す。事件については、ヘロインによる幻覚、妄想、錯乱、不安や恐怖の消滅、快楽が引き起こしたものだと推測される。他、動機は不明。拘置及び取り調べ中に起きた、非常に強い禁断症状により全員死亡した為である。
 犯人達がグループで生活していたと思われる無人倉庫(第二次倉庫は、第一次倉庫より直線距離にして約五百メートル南)を、港の倉庫街から発見。中から約二十三キログラム、およそ二億七百万円(第二次の際は、二十七キログラム、およそ二億四三百万円)のヘロインと約六百グラムのコーラカル・アヂーン(第二次の際は、約四百グラム)が見つかった。尚、第二次に関与した犯人は全二十七名。以下、第一次と同様。第一次、第二次共に、犯人全員が武器としてHK-MP5を所持。
 とある。そして、倉庫の場所に印された地図が貼り付けられ、犯人の顔写真が全員分載せられている。写真の下には、各犯人の特徴である身長、体重、血液型、健康状態等が、事細かに明記されている。
 後に続く記事として、賢木田の名前が目に入った。
 暴力団幹部、賢木田雄也の組員三名(第一次後二名、第二次後一名)を、ヘロイン密売により麻薬取締法違反にて逮捕。入手先とし、港の無人倉庫の場所を自白した為に発覚。賢木田の組を捜査するが、ヘロイン及び薬物は発見されず。賢木田雄也及び組員全員の、薬物検査結果は陰性。
 予てより、政治家、坂下勝次、秘書、色摩太朗との接触が問題視される。賢木田、坂下、互いに友人関係、色摩に関しては、坂下の付き添いであると主張。
 犯人グループ倉庫の発見された倉庫街近辺のエヌシステムより、坂下所有車のナンバーが確認される。
坂下の事務所及び坂下、色摩の家宅捜査を行うが、薬物は発見されず。坂下、色摩の薬物検査結果は陰性。
よって、数年大衆を中心に流通していたヘロインルートに関し、コーラカル・アヂーン大量虐殺事件の容疑者グループによるものだと警察は発表した。
 ここまでの報告内容に関しては、私自身に直接関係が無い分、好奇心とも使命感とも呼べる気構えで読んでいく事が出来た。
 問題は、ここから先だ。
 事件当時の状況について目を通す。震える手で、第一次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件のページから捲っていくと、目を背けたくなるくらい、悲惨な写真が何枚も貼り付けられていた。
 白目を剥きながら、眠ったように死んでいる人。行き倒れる様に、うつ伏せに死んでいる人。出入り口及び窓際で、山の様に積み重なる死体。飛び散る血液、肉片。血飛沫の付いたドア、壁、床。…吐きそうに、なった…。
それでも、読み進めなければと思った。
 当時の状況はこうだ。五年前、土曜日二十時頃。海と隣接する港ホテルより、警察に緊急通報が入る。通報者は、二階に宿泊中の男女五名と三階に宿泊中の男女三名、計八名。尚、ホテルは10階建てである。通報内容は、一階から悲鳴と銃声が聞こえる。直様、ホテル全室へ部屋から出ないようにとの緊急連絡が入れられる。
 五分後、現場に二台のパトカーが到着。同時刻、駆けつけた警察官が手榴弾による爆発音を聞く。救援要請、最終的にはパトカー五台、救急車三台、消防車一台、ヘリコプター一台、海上船一台が出動。警察、機動隊、自衛隊がホテルを包囲。ホテルより、逃走に成功した女性、三ツ木玲奈、事件当時21歳を保護。約二時間後、機動隊による強行突破にて犯人グループの逮捕に成功。犯人グループは、ガスの流れない三階に逃げ込んでいた。全員座り込み、様子がおかしかった(この時、ヘロインを投与していたと考えられる)。
 ホテル一階に居合わせた客、男女合わせて八十二名が死亡、一名が重傷。うち、ガスによる窒息死が六十五名、十七名が銃殺されていた。
 犯人グループのホテル侵入ルートが、ホテル一階見取図に赤い矢印とバッテンにて書き込まれている。犯人達は、全ての出入り口である非常口三箇所、正面玄関、駐車場玄関から潜入、エレベーター、階段を塞ぐ様に客を撃ちながら動き回ったと考えられる。
 生存者一名について。と書かれ、写真が一枚載せられていた。集中治療室だと思われる場所で人工呼吸器、心電図モニター、点滴等で繋がれた包帯まみれの人間だ。これが、救出直後の大雅なのだろう。包帯の間から覗く皮膚は紫の混ざった土色で、布の上からでも解る程、顔も身体も酷く浮腫んでいる。……胸が、痛い……。目を背けるように、記事に視線を移した。そこには、簡単なプロフィールから記載されていた。
 被害者所持の身分証明として、運転免許証より確認。名前、水上爽介。男性。(事件当時)二十三歳。九月十日生まれ。本籍、住所。身長一七三センチ、体重六十五キログラム、血液型A型、健康状態良好であったと予想。父所有の一戸建てにて、父、母、弟と四人暮らし。地元の調理大学、栄養・食物学科を卒業後、フレンチレストランにて在職中であった。
 事件当時の状態とし、一階レストランの割れた窓枠下、遺体の下から発見される。上には5つの男性の遺体が乗っていた。いずれも水上爽介を乗り越え逃げようとし、混乱の為の押し合いの末、ガスで窒息したものと考えられる。その為、下敷きにされた事による外傷性胸部圧迫症を負う。外傷性胸部圧迫症により仮死状態であったこと、顔を壁と床の隙間に向けていた事が、ガスによる窒息から免れた事だと考えられる。入院中、暗所及び閉所に極端な恐怖心を示す。孤独に対する恐怖も強く、離人症、パニック発作、悪夢を頻繁に起こす。PTSDとの診断。離人症による自殺行為を繰り返すため、度々拘束を余儀なくされる。
 退院一ヶ月前、突如個人情報に関する全記憶を喪失する。記憶喪失後、PTSDの発症無し。暗所、閉所恐怖症は僅かながら残る。入院期間は約六ヶ月間。
 入院中、謎の人物より殺すとの脅迫多々有り。また、事件詳細を記録する為、厚生労働省にて無期限保護対象に承認。尚、家族には行方不明との報告がなされている。
 きっと、大雅自身もここまでの内容は、把握していないであろう。記憶を失ってから初めて、事件以前の自分達の情報だと渡されたデータは、プロフィールのみが箇条書きに印刷された紙切れだったのだから。だから客観的に、何一つ取り乱さずに読み終える事が出来たのだろう。受け入れられた訳じゃない。納得出来た訳じゃない。ただ、読んだだけなのだ。道端に咲く花の名前を知るように、自分の事を“知った”だけなのだ。魔夜あるいは大雅と言う人物の、知識を得ただけなのだ。
 第二次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件のページへと捲る手が震え、ファイルを床に落としてしまった。再び拾い上げるまでに、どのくらいの時間が掛かったのだろうか。僅かな時間だったと思う。時計の秒針が、静かな室内から頭の中へとチクタク木霊するのを聞いていたから。とても息苦しかった。とても。
 私は、入院中の大雅の写真に、再び視線を落とした。彼の姿をおまじないの様にそっと撫で、その流れでページを捲った。
 第二次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件、当時の状況報告だ。第一次同様、吐き気を催す程、悲劇的な写真が数枚貼り付けられていた。
 エスカレーターで逆さまに倒れ込んでいる人、白目を剥いて手すりに乗っている人、売り物の衣類に隠れるように蹲っている死体、出入り口で血塗れになって積み上がる遺体、血みどろの床、散らばる商品……。視線を止めて見ることが出来なかった。気分の悪さに意識が遠のきそうになり、キッチンで吐いてから再びソファに戻った。大雅に怒られそうだが、知ったことか。
 私は、当時の状況を読み始めた。三年前、第一次から二年後、日曜日十七時頃。海と隣接する港デパート警備室より、緊急通報が入る。内容は、マシンガンを持った男数名に攻撃されたというもの。通報中の銃声を最後に、通信が途切れる。
 五分後、第一次事件を考慮し、パトカー三台と救急車三台、消防車一台が先行して到着。同時刻、デパート内より連続して爆発音が響く。既に、機動隊、自衛隊、消防車二台、パトカー四台、救急車四台、ヘリコプター一台、海上船一台が現場に向かっていた。人質の安全を考慮し、強行突破のタイミングを計れず。結果、コーラカル・アヂーンによる大惨事を免れる事が出来なかった。強行突破により犯人グループを逮捕出来たのは、最初のパトカーが到着してから約三時間後だった。
 デパートは、エスカレーターとエレベーターで繋がれた三階建て。警備室からの緊急通報により、混乱は避けきれなかったものの、二、三階に居たほぼ全員が店員の誘導により早期避難に成功している。犯人グループは、一階でガスを巻いた後、三階に移動。逮捕。第一次同様、犯人達は三階でヘロインを吸引していたものと考えられる。
 第一次の説明同様に、犯人の侵入ルートが、赤で印されたデパートの見取り図を加えて説明されている。犯人達は一階に用意された四箇所の非常口と、正面玄関から侵入。地下駐車場と二階に繋がるエスカレーターに手榴弾を投げて封鎖すると、混乱の中ガスを撒いた。二三五名がガスによる窒息死、二十八名が銃殺、一名重傷。死者二六三名。
 ここまで読み進め、ある事に気付く。ケンさん、陽太君から聞いていた内容との相違点。私達は、私達以外に生存者はいないと聞いていた。しかし、報告内容によると、少なからず生存者は存在している事になる。玲奈さん、部屋にいた宿泊客、デパートで店員の誘導により逃げ延びた人。
 何故、偽る必要がある?
 私達が聞いていた坂下や賢木田の情報収集の為の保護下だという理由が、以上の情報内容では、何かを隠す為の単なる口実にしか思えない。
 保護の理由は他に、事件詳細を記録する為とあるが、詳細不明の毒ガス、コーラカル・アヂーンについての影響を研究する為とも考えられなくも、ないが。
 もう一つ別に大雅が入院中殺すとの脅迫があったとある。
 一体誰が、何の為に?
 脅迫から保護するにしても、嘘を本人達に教えるなんて。
 ……私の時は、どうだったのだろう?
 私は、はちきれんばかりに打ち鳴らす鼓動を飲み込んで、ゆっくりページを捲った。
そこに写真はなく、“第二次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件・生存者一名について”とあった。こちらも、プロフィールから始まる記事だ。
 被害者所持の運転免許証より確認。名前、神里星(かみさと せい)。女性。(事件当時)二十六歳。四月三日生まれ。本籍、住所。身長一五九センチ、五十七キログラム、血液型O型、健康状態良好であったと予想。賃貸マンションにて、父と妹の三人暮らし。母親は、数年前に他界。地元の女子高校を卒業後、アパレルショップに就職。事件当時は、二階エスカレーター付近にいたものと思われる、手榴弾の爆発によりエスカレーターから落下。銃殺された被害者の上に落ちた為、クッションとなり一命を取り留めたものと考えられる。天井にディスプレーされていた布旗の一部が身体を包み込んでいた為、ガスの被害を最小限に抑えられていた。落下の際、頭を強く打ち付け頭蓋骨線状骨折を負う。後遺症として、外傷性視神経症による視神経損傷が残る。入院中、高所恐怖症と強い光による不安を示す。過呼吸、パニック発作、悪夢の発症。PTSDとの診断。
 退院一ヶ月前、突如個人情報に関する全記憶を喪失する。記憶喪失後、PTSDの発症無し。過呼吸、高所恐怖症、強い光への恐怖症は僅かながら残る。入院期間は五ヶ月間。事件詳細を記録する為、厚生労働省にて無期限保護対象に承認。尚、家族には行方不明との報告がなされている。
 ファイルは、以上で終わっていた。
「ふざけるな!!」
 衝動的に、私はファイルを床に投げつけていた。ソファに置いてあったクッションを引っ掴むと、ファイルをそいつで叩きつけた。何度も何度も。
 通りで、すんなり貸してくれた訳だ。多分だけど、重要な情報は抜かれている。私自身の情報に至っては、最初に渡された個人情報データだとかいう紙切れ内容そのままだ。
「馬鹿にするんじゃないわよ!」
 ファイルにクッションを投げつけた。バウンドしたクッションが、近くの観葉植物にぶつかった。
 私の怒声を聞きつけて、大雅が何事かとリビングに飛び込んできた。鉢を倒されて土まみれの床を見つめ、私の肩に手を掛けた。
「どうした?」
 私の様子を伺いながら、大雅の視線がファイルへと移行した。
「……これのせいか?」
 彼が、屈んでファイルを拾おうとした。
「触らないで!!」
 私は咄嗟にそう怒鳴りつけ、びくついた彼の横からファイルを奪い取ると、転がり込むよう自室に飛び込んで鍵を掛けた。
「魔夜! おい、魔夜!!」
 怒っているとも心配しているとも取れる声で、大雅は何度も何度も私の部屋の扉を叩いて呼びかけていた。
 私は何度か陽太君の携帯電話にコールしたけれど、彼の電話は電源が切られていた。

 ようやく陽太君に会えたのは、翌日の十七時頃だった。
「魔夜さん、昨晩はすいません。丁度張り込み中だったんで」
 店に来た陽太君は、何食わぬ顔でヘラヘラと言うので、私は無言でファイルを彼に投げつけた。それを見て、唖然とした大雅が私に歩み寄る。
「ふざけないで!!」
 怒鳴りつけた私に、陽太君は怒ったような目を向けた。
「……仕事中だったんで、電話に出れ……」
「馬鹿にしないで!!」
「…………」
 陽太君が床に落ちたファイルを、無言で拾い上げた。
「惚けないで! 私達は、一体何なの? 神里星に、何があったの? 水上爽介は、誰に狙われてるの? 何の為に? 何故、事実を偽ってまで隠そうとするの?」
 私は、早口で捲し立てた。頬に、生暖かい筋が一本通ったのが解る。
「……魔夜さん、気が済みましたか?」
 宥めるように発言した陽太君の言葉に、私の中で何かが切れた。
「魔夜!!」
 気付くと、大雅に抑えつけられていた。それでも、振り払おうと必死に暴れた。一発、殴ってやりたかった。
「離せ!! 大雅、離せ!!」
「魔夜、落ち着け! 何があったんだ?陽太、どういう事だ?」
 ムカつくくらい冷静に、陽太君が述べる。
「知って、魔夜さんは冷静でいられるんですか? 今ですら、そんなに取り乱して。本来は、隠す事も偽る必要もないんです。ただ、最初は混乱させるのを防ぐためでした。今は……傷付いて欲しくないと思っています。会社もケンさんも魔夜さんが全てを思い出すことを望んでいますが、俺は思い出さなくていいと思っています。知らない方がいい」
 私は、はらはらと涙を流していた。
「……解決しますから……」
 そう呟いて、陽太君は店を出て行った。
「魔夜」
 惨めだった。


 惨めな私に、更に追い打ちがかけられる。
 ケンさんが張り込み捜査に出てから一週間後の早朝。第一次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件アジト跡である無人倉庫にて、ケンさん、加藤健作の死体が発見された。
 どうやら、悪魔は本格的に牙を剥いてきたようだ。
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2019.12.20 ユーザー名の登録がありません

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結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。 真由子の母、雪江は大学教授であり、著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。 婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。 白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。

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