【試し読み】44口径より愛を込めて

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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「昨日は、すみませんでした」
 今朝、私がケンさんに低頭すると、ケンさんは下げられた私の頭を優しく撫でた。
「気にする必要はないよ。陽太がサボりたくて、上手いこと誘ったんだろう」
 ケンさんにそう嫌味を吐かれながらも、陽太君はケンさんの後ろでヘラヘラ笑っていた。全く、信頼があるのかないのか解らないコンビである。
 ケンさんに事情聴取の為、店を閉めるように言われたので、私達は閉店して家に戻った。
 リビングのソファ前のテーブル周りに、大雅が座布団を四枚用意して並べてくれた。私はその間に珈琲を淹れ、 全員に配り終えると、大雅の隣に腰掛けた。
 陽太君がケンさんの隣で、A5版のノートを開いて準備していた。
「じゃぁ、大雅君。無理しなくていいから、話せる所まで話してくれ。まずは、君なりに当時の状況を聞こうか」
 ケンさんが大雅の顔を真剣な眼差しで見つめながら、ゆっくりとした口調で尋問を始めた。
「日時は、報道の通りです。あの日俺は、ホテル一階のレストランで、玲……当時の恋人とディナーの予定でした。その為、予約してあった噴水の見える窓際の席に座っていました。そしたら、ホテルフロアから突然悲鳴と無数の足跡が響いてきました。俺達の席はレストランの奥だったので、他の客より騒動に気付くのは遅かったんです。最初に気付いたレストランの客は何かに気付いて、悲鳴を上げながら非常ドアの方へと走って行きました。確か、四十代くらいの女性でした。続いて、五十代くらいの男性も同じように逃げて行きました。その二人の行動で、俺達は何か大変な事が起きていると感じて席を立ったんです」
「その恋人も? 席を移動したんですか?」
「恋人も一緒に立ち上がりましたが、席は移動していません。強いて言えば、俺が恋人を庇う位置に一歩前に出た程度です」
「続けて」
「非常ドアに二人が入ると、マシンガンの連射音がしました。何かと思う間もなく、マシンガンを持った男達が数名、非常ドアから流れる様に入って来ました。格好はバラバラでしたが、全員目出し帽を被っていました」
「どんな格好でしたか?」
「ジャージだったり、ジーパンとトレーナーだったり、ジャンバーを着ていたり。ただ、何語か解らない言葉を話していたので、外国人だとは思いました。何語か解らなかったのも、訛りがキツいのか呂律が回っていなかったのか。そんな雰囲気でしたから。少なくとも日本語では無かったです」
「続けて」
「その中でもリーダーかと思われる人物が、突然笑いながら闇雲にマシンガンを連射しました。俺の前にいたカップル二人の頭に弾が直撃し、俺の後ろの窓にも弾が当たりました。俺はカップルの血と飛び散った窓硝子から恋人を庇う様に抱きしめながら、その場に座り込みました。恋人は俺を突き飛ばし、盾にする形で割れた窓から這い出て、難を逃れました」
「……酷い……」
 ケンさんの隣で大雅の言葉をメモしていた陽太君の手が止まり、彼がそう呟いた。ケンさんが自制を要求する視線を陽太君へ送ると、彼は「すいません」とだけ発言し、仕事に戻った。
「続けて」
「恋人の行動を認識する間も与えられす、今度は他の男達が闇雲にマシンガンを連射し始めました。その時点で……情けないんですが……俺は腰を抜かしていて、動くことが出来ませんでした。客達がどんどん死んでいく中、俺の後ろの窓が割れている事に気付いた客が、俺目掛けて飛び込んで来ました。俺も逃げなきゃと窓枠に手を掛けたんですが、動けない俺は結果的に逃げることも出来ず、逃げようとする客の邪魔にしかならなかったんです」
 大雅が、テーブルの下で私の手を握った。震えていた。彼の記憶は、私に打ち明けた時以上に、鮮明になっていた。私は、震える大雅の手を握り返した。
「俺には、沢山の罵声が降り注がれました。人数はわかりませんが、何人かが俺を乗り越えようと上に乗ってきたり、俺を退かそうと服を引っ張ったりしてきました。俺は人に揉まれ、圧迫され、真っ暗な中で呼吸が出来なくなっていました。意識が遠のき始めた頃だと思います。ガスが撒かれたのは。その様子も、状態も、人に揉まれていた俺にはわかりません」
 あぁ、そうか。大雅の暗所恐怖症は、これが原因だったんだ。
 大雅の話が終わり、暫し沈黙が流れた。彼のPTSDが発症するのを心配して、私は繋いだ手に力を込めた。
「ありがとう、大雅君」
「……いえ……」
 大雅が、力なく返事をした。
 そして、ケンさんの質問が始まる。ケンさんが、机の上である大雅の前に三枚の写真を並べた。どっかで、見たことある顔触れだ。
「では、大雅君。事件当日、この三人のうちの誰か一人でもいい。見かけた記憶はありませんか?」
大雅は寸刻、写真を凝視し「ありません」と答えた。
 私は、机に並べられた三人の顔がどうしても思い出せなかった。
「ケンさん、その三人、誰でしたっけ?」
 ケンさんの代わりに、陽太君が返答する。
「順番に、政治家“坂下勝次”、その秘書“色摩太朗”、暴力団幹部“賢木田雄也”。ヘロイン密売容疑が疑わしい三名です。この三名、以前からマメに密会してるんです。大雅さんの巻き込まれた事件当日、同ホテルでの三名密会のタレコミ情報が入った為、ケンさんが向かったんですが、事件発生。それどころではなくなった。事件が三名に関係する意図的な犯行なのか、それとも偶然か。そして二年後、魔夜さんの巻き込まれた事件発生」
「私の事件の時も、同じようにタレコミが?」
 私の質問に、今度はケンさんが答えた。
「はい。事件と三名の関係は、より疑わしいモノとなりましたが、ただ肝心の証拠が一切出てこない。偶然と認知せざる負えない状況です」
 そして、陽太君は言う。
「大雅さんの証言からして、タレコミ情報がガセだったと考えられますが……。三人が予め垂れ込まれたのを知っていて、密会を変更したと言う可能性もある。それに、大雅さんは見ていないだけで三人はホテルにいた可能性も……」
 陽太君が、言葉に詰まってから、再度続けた。
「……それは、ありませんね。すいません」
 陽太君の考えには、興味を惹かれた。どうしても続きを聞きたくて、私は「何故か?」と問うた。
「タレコミ情報による密会時刻は、事件発生時刻から一時間後の予定でした。ですから、大雅さんが目撃していないだけという可能性は充分に考えられます。ただ、そうなると三名は何らかの形で事件に巻き込まれ、被害者でなければならない。もし犯人グループが混乱に乗じて逃がしたのであれば、警察かケンさんに捕まっていてもおかしくない。何故なら事件発生後、五分と待たずに警察が到着、続いて機動隊、自衛隊がホテルを包囲していますから。ヘリも船も出ましたしね。事実、犯人グループがガスを巻いた直後、機動隊の強行突破により一網打尽にされています。ホテルという空間に、残されたお客は密閉監禁状態。まるで、ナチスのユダヤ人虐殺だ。ついでに言うと、ホテルの防犯カメラに三人の姿は一切映っていませんでした」
 陽太君が、初めて珈琲を一口飲んだ。
「三ツ木(みつき)玲奈。大雅さん“水上(みずかみ)爽介”の恋人、間違いないですね?」
 陽太君の質問に、大雅は怯えるように頷いた。
「機動隊到着後、ホテルから走り出てきたところを、彼女は警察によって保護されています。三ツ木さんの取り調べは当時完了していますが、唯一彼女がホテルから逃げ出せた人物だと記録されています。ですから三名がホテルにいたという説は防犯カメラの件を含んでも考えられないのですが、今度は密会のタレコミが事実なのか、三人と犯人グループとの関係性がはっきりしないまま残りました」
「というと?」
 今度は、ケンさんが答える。
「密会情報を垂れ込んできたのは、賢木田の組員との情報でした。そして、賢木田、坂下と色魔の主張は、共に事件発生前後の時間は車で移動中だった、と。確かに、賢木田の乗用車と坂下、色魔の乗車していた乗用車のナンバーは、ホテル近辺の道路に設置されているエヌシステムにて確認済みです」
「その車、ダミーかも知れないって事?」
 私の何気ない言葉に、ケンさんは頷いた。そして、陽太君が続ける。
「魔夜さん、これはあくまで俺だけの考えですよ。三名がタレコミ情報に気付いて密会を中止した可能性と、ホテル到着前に事件が発生してしまった可能性が残ります。しかし、魔夜さんの巻き込まれた事件が起こった際も、同じ内容だった。ですから、彼等がタレコミも含め事件そのものを計画し、自分達の疑いを書き換えようとした。と言う可能性も考えられると思うんです」
「……書き換え……」
 ポツリと零した私の言葉に、陽太君はサラリと繋げた。
「俺達が追っているのは、あくまでヘロインのルート。三人は、密売の疑いがあると言うだけで、三人を追っている訳じゃないんです。それは、警察の仕事です。事件の結果として、犯人グループからヘロインが検出された事、主犯が他にいる可能性から二人を保護する事になりましたが、ヘロインルートの根本を抑えるのが我々の真の目的です」
 次から次に、謎は湧いて出る。
「それは、ヘロイン取引の密会だったのかしら? それとも、全く関係のない密会? 本当に密会の予定はあったのかしら? もし、犯罪の為の密会なら、そんな目立つ場所で会うかしら?」
「勿論、三人の答えは“密会? 何の事だ?”ですよ」
 私と陽太君の会話に、ケンさんは渋い顔をした。
「坂下は、賢木田が暴力団だとは知らなかった。昔馴染みの只の友人だ、と答えた。賢木田は、坂下が政治家だと知っていたので、迷惑を掛けない為に公に会えなかった。昔馴染みの友人だ、と答えた。ヘロイン密売の疑いに関しては、ヘロイン売買で捕まった犯人数名が、賢木田の組員だったからなんだが……組をガサ入れしても出てこなかったんだ」
 先程まで珍しく真面目な顔をしていた陽太君が、突然学生よろしく指先でボールペンをくるくる回し始めながら、かったるそうな顔で溜息を吐いた。
「ねぇ、ケンさん。やっぱり、ガセの線で追った方が良くないっスか? モヤモヤ気持ち悪いのはわかりますが、事件もヘロインも賢木田達の事も、一旦全て別に考えた方がいいと思うんです」
 ケンさんが、溜息を吐いた。
「既にその線でも、追っているんだ!」
「……すみません、出しゃばり過ぎました」
 母親に叱られた子供の様に、陽太君は小さくなった。
 少し疲れた。と言うか、混乱してきた。私は深呼吸して、体勢を少し崩した。
「俺、ちょっとトイレ」
 大雅が席を立ったので、そのまま休憩になった。
 休憩中の会話は無かった。ケンさんは難しそうな顔で考え事をしているようだったし、陽太君も大雅の証言をメモした内容を見ながら、考え事をしているようだった。
 私だけが、蚊帳の外。そんな居心地の悪さを感じていた。
 暫くして大雅が戻ってきたのだけれど、彼は大層疲れた顔をしていた。
「次は、魔夜ちゃんの番だ。陽太に話した内容も含めて、順番に話してください。一昨日の襲撃について」
 ケンさんより、聴取は再開される。私はひと呼吸置いてから、話始めた。
「一昨日、大雅を病院へ連れて行ったのが夕方、カウンセリングや薬の投与やらで時間が掛かって……帰宅したのは夜の七時半前後だったと思います。大雅は薬で意識が朦朧としていたので、先に家に入れてから車を停め直そうと思い、玄関先に駐車しました。病院帰りなので、車道側が助手席です。私が先に降車し、彼を降ろそうと助手席のドアを開けた時、約一五十メートル後方から静かに何かが近付いて来るのに気付きました。振り向いて見ると、セダン型ハイブリットカーだとわかりました。真っ暗で詳しく見えなかったのですが、単なる通行車だろうと大して気にしていませんでした。その車との間合いが半分位まで縮まった時、気味の悪さを感じて再度振り向きました。それが何故か解らなかったので暫く見ていたら、街灯に照らされて車の姿が確認できました。ナンバーもフロントガラスも窓ガラスも、全部真っ黒なシートみたいなのが貼ってあったんです。しかも、時速二十キロも出ていないような超徐行運転をしていました。嫌な予感がしたので、目を凝らすと、運転席窓が十五センチ程開いていて、隙間から黒い筒の先っぽが出ていたんです。車が私の横に並ぶか並ばないかの所で筒は更に顔を出し、それが銃だと気付いて私が助手席のドアを閉めるのと同じくらいのタイミングで、発砲されました。黒い筒はサイレンサー、銃はGlog26で、間違いないと思います」
 ケンさんからの質問が始まる。
「魔夜ちゃんは、病院で大雅君の投与された薬が何か、説明を受けましたか?」
「私達の暴露療法時に使われる、アモバルビタールだと聞きました。いつもよりカウンセリングが長かったです」
「カウンセリングの時間は、それぞれどこで何をしていましたか? 話した内容も含めて、教えてください」
「私は、婦長の松野さんと診察室にいました。日向野先生の病院の診察室には、別に診療室と呼ばれる部屋があります。いつもそこで松野さんが暴露療法を行うのですが、この日は大雅が日向野先生と診療室に入って行ったので、私は松野さんと診察室の方で待っていました。松野さんに、大雅が記憶を取り戻した経緯について説明していました」
 続いて、大雅が答える。
「俺は、日向野先生と診療室にいました。アモバルビタールを飲まされたのですが、いつもより量が多かったです。それを言ったら、いつもが少ないんだと言われました。あと、栄養剤だからと点滴をされました。意識が朦朧としてきて、浮いているような気持ちの良い感覚の中、いつもの誘導尋問……魔夜の言う暴露療法が行われました。意識が朦朧としていたのであまり内容は覚えていませんが、多分ケンさんに先程話した内容だったと思います」
「ありがとう。では、大雅君の記憶が呼び戻されたのを知っているのは、私達以外では日向野先生、松野婦長のみですか?」
 ケンさんは、事務的に質問を続けていく。
「あと、大雅の恋人の玲奈さん」
 敢えて“元”と付けなかったのだが、大雅が文句ありげな視線を私に寄越した。
「では玲奈さんは、どこで大雅君の事を知り得たのか、ご存知ですか?」
 今度は、大雅が答えた。
「玲奈の友人が、俺を見つけて玲奈に連絡したそうです。実際に会うまでは、半信半疑だったそうですが。そう本人から聞きました。俺も気になって、直接本人に聞いた事なので、間違いないと思います。日向野先生のいる病院の近くに、俺の卒業した大学があるんです」
 少しの間を置いて、陽太君が独り言よろしく呟いた。
「そうすると、大雅さんの事を知っているのは俺達を除くと、日向野先生と松野婦長、そして大雅さんの恋人の玲奈さん」
 陽太君が、何故か“大雅さんの恋人の”と強調して言うので、大雅の顔が引きつった様に思えた。
「魔夜さんも大雅さんも、世間では行方不明者。実際は、存在するであろう残りの犯人の目を誤魔化す為、藤代夫婦と言う形で生活。そして約三ヶ月、大雅さんの顔を知っている玲奈さんの友人が、どこかで大雅さんを見かけ、玲奈さん本人に通達。大雅さんの恋人玲奈さんは、半信半疑のままモデルガン射撃場に来店、魔夜さんと鉢合わせ。となると……」
 陽太君が、軽蔑する様な目で大雅を見た。
「二股の現行犯ですよね。魔夜さんを襲ったの、玲奈さんじゃないんですか?」
 大雅の投げたティッシュの箱が、綺麗に陽太君の顔面に直撃した。
「さっきから恋人、恋人って、いい加減にしろよ! 元だ、元!! 今は玲奈と関係ないし、復縁する気も一切無いと伝えた。今回限り、二度と会うつもりも無いともな。それに、魔夜が襲われたのは、玲奈と話し合った前日だ!!」
 陽太君に今にも飛びかからんとする大雅を引っ張って止めると、ケンさんが陽太君にげんこつをお見舞いした。
「陽太!!」
 同時に、ケンさんの怒鳴り声が室内に響いた。
「……冗談ですよ。すみません、悪ふざけが過ぎました」
 いつものおちゃらけた雰囲気ではなく、少し怒ったように陽太君は詫びた。
 なんで、喧嘩になるかな。
「大雅さんの身内が見付けるぐらいです。残りの犯人グループ一味が、どこかで二人の何らかの情報を得てもおかしくはないとは思いますよ」
「…………」
 何も、言葉が出てこなかった。ただ、その時の気持ちを敢えて言葉で表すのならば、“恐怖”だろうか。
「魔夜ちゃん、襲ってきたハイブリッドカーの犯人は、何を狙っていたか見当が付きますか?」
 陽太君の頭をぐりぐり攻撃しながら、ケンさんが問う。
「私が思うに、大雅を狙っていました。だから、私があの程度の怪我で済んだんです」
 あの時、あの車の人物が大雅じゃなく私を狙っていたら、私は避けきれずに撃たれていた。
「そうなると、事件との関係性を強く感じますね。通り魔の可能性も無くはありませんが、少々強引すぎます」
 ケンさんは、陽太君の代わりにノートを閉じた。
「今日は、本当にありがとう。この情報を元に、改めて事件をまとめてみたいと思います」
 膨れてそっぽ向く大雅と、叱られて不満そうな陽太君を他所に、ケンさんがニッコリと笑顔を浮かべた。
「話は変わりますが、この後、何かご予定はお有りですか?」
「特に、何も」
「でしたら、丁度良かった」
 ケンさんが、嬉しそうに身を乗り出した。
「明日から張り込み捜査の為、暫く家を空けなければならないんです。それで家族で話し合って、今夜うちの庭でバーベキューをする事になりました。小春が、また魔夜ちゃんに逢いたいとも言うので、是非お二人で来てくださいませんか?」
「是非、参加させてください!」
 大雅の了解も得ずに、私は承諾した。
「俺、聞いてないっスよ!!」
 先程まで膨れていた陽太君が、突然ありえないと言った素振りで叫んだ。
「あぁ、陽太は仕事が山になってるって聞いてな。敢えて言わなかったんだ。仕事が終わってから、来ればいいさ」
 ケンさんが、今度は陽太君の頭をゴシゴシ撫でた。
 やっぱり、仲良いんだな。
「そ、そうじゃないですって!! 張り込みの事っつ!」
 ケンさんは、あぁっと漏らして続けた。
「今朝、タレコミがあったばかりなんだ。明日晩、お前は別件で出なきゃいけないだろ」
「誰と行くんですか?」
「あいにく誰も空いてなくてな。私一人だ」
「危険過ぎます!」
 陽太君が机を両手で叩き、そのまま立ち上がった。
「陽太、落ち着け!」
 ケンさんの言葉も無視して、陽太君は鼻息荒く捲し立てた。
「こっちは、三人。俺、ケンさんに付きます!!」
 陽太君が言い終わるが早いか「ダメだ!」と言うケンさんの言葉が被せられた。
「なんで?」
「お前が受け持っている件は、お前が主任だって事を忘れるな」
「…………」
「本来なら、無罪放免で終わっていてもおかしくない件なんだ。私が今までの実績で、なんとか繋いでいる事件。もし白なら、私は会社を辞める覚悟でいる。そんな状況に、お前の信頼を失わせてまで手伝わせるつもりはない」
 陽太君が、座り直した。
「……悔しいですよ……なんか、結局、俺……蚊帳の外じゃないですか」
 ケンさんが、今度は優しく陽太君の頭を撫でた。陽太君が涙ぐんでる様に思えたが、私達は敢えて見えないフリをしていた。
「陽太。お前は、よくやってくれてるよ。だけど私は、陽太を子分にする為にマトリにしたわけじゃない。お前には将来をもっと大事にしてもらいたい。私は、命を掛けてもこの事件の真相を暴きたい。だから、家族がいながら将来を捨てた。出世の道を。最低の亭主だ。だが、お前は違う。出世し、家族を持って、幸せに生きるんだ」
 四人の間に、静かな沈黙が流れる。私はすっかり冷め切った珈琲を眺めながら、とうにお昼の時間が過ぎていたことに気が付いた。
「……でも……やっぱり、悔しいです……」
 ポタリ、ポタリと、必死に堪える陽太君の目から、堪えきれなかった涙がこぼれ落ちた。
「俺は、ケンさんに憧れて、この世界に入ったんです。貴方の力になりたい。ずっと、それだけを胸に頑張って来ました。だから、俺みたいな馬鹿でも、あんな有名大学の法学部を卒業出来たんです。内定が決まった時、夢が叶うって……嬉しかった」
 居た堪れなくなったのか、大雅が席を立った。キッチンに向かったので、お昼ご飯でも作りに行ったんだろう。
「泣き虫は、変わらないな」
 ケンさんが呟くから、陽太君は「泣いてなんかいません」と、強がった。
「あのう」
 この感動的なシーンを、ぶち壊す覚悟で私は発言した。
「そんなに危険な張り込みに、一人で行くのって、やっぱり危なくないんですか? 何の事件か解らないけど、命を捨ててまでやらなきゃいけない事件て……上手く言えませんが、残された人の事を、ケンさんこそもっと考えるべきなんでは?」
 ケンさんの姿勢が、陽太君から私へと向き直された。私はとんでもない事を言ってしまったような気がして、土下座して詫びようかと正座した。
「魔夜ちゃん」
 私は、ごめんなさいと叫びながら土下座した。
「……謝る必要はありませんよ。頭を上げてください。魔夜ちゃんの言うことは、正論だと思います」
 頭を上げると、キッチンからトマトを煮込む甘い匂いが鼻孔を擽った。
「坂下と賢木田と大量虐殺事件の関係性の件です。警察では、坂下と賢木田は証拠不十分の為、事件ともヘロインとも無関係と発表されました。しかし、私はどうしても坂下と賢木田が、直接でないにしろどちらにも関係しているような気がしてならないのです。何故なら、第一次で犯人グループが一網打尽にされたのにも関わらず、第二次として同じ事件が起こってしまった事。どちらも同じタレコミだったこと。ヘロイン流出には、現在進行形で全く変動ない事。ヘロインの売人数名が、賢木田の組員だったこと。これだけ疑わしい情報があるのに、証拠不十分で片付けてしまうのには納得がいかなかった。それから……」
ケンさんは、数秒置いてから続けた。
「第二次コーラカル・アヂーン大量虐殺事件で、私の妹が殺されました。妹のお腹には、子供もいました。今のままでは、第三次が起こる可能性も考えられる。それだけは、何がなんでも避けたい。そして、妹の身体を司法解剖をした結果、僅かですがヘロインの成分が検出されました。そこで妹の家を調べましたが、ヘロインに関するものは全く出てきませんでした。親しい友人や交流場所など、考えられる場所も調べまわりましたが、何も出てきませんでした。何かが、おかしいのです」
「…………」
「残された者の事を考える、それは忘れてはならない事です。ですが、多くの悲しみが生まれないように、残された者が努力しなければならないとも、私は思っています。それに、今回は一人ですから無理はしません。安心してください」
 そう言って、ケンさんは皆を安心させるように、いつもの穏やかな微笑みを見せた。
「お昼が出来ました!!」
 タイミングよく、大雅シェフが昼食を運んできた。彼の事だから、きっとタイミングを伺っていたんだろうが。右手の大皿にトマトとベーコンのパスタが盛られており、左手の大皿には鳥の唐揚げとコロッケが山積みにされていた。
 昼食を食べ終えると、ケンさんは夜迎えに来るからと言い残し、陽太君と仕事に戻って行った。
 私に出来ることはなんだろうか。やはり、記憶を取り戻す事だけなんだろうか。
 そんな事を考えながら洗い物をしていると、テレビを観ていた大雅がポツリと零した。
「……知らない方がいい事も、思い出さなくていい事もあると思うんだ。少なくとも、俺は心が折れそうだ」
 なんともなしに言うから、少しだけ笑いそうになった。
「そうね、もし折れたら、私が添え木になってあげる」
「え?」
「感謝しろよ」
「あ、はい」
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