【試し読み】44口径より愛を込めて

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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玲奈

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 私は、鳥ではない。
 そんな当たり前の真理を確認するかの様に、身体は空中を下に向かって泳いでいた。兎を追いかけて穴に落ちたアリスも、こんな感じだったのだろうか。
 最初はゆっくりと下降していたのだが、突然落下は加速を始めた。私の耳を通過する風の音も、落下の時間と共にまた明確な音へと変化する。
 そして、自分が目を瞑ったまま阿鼻叫喚の中心にいる事に気が付いた。
「魔夜」
 誰かに呼ばれた。
「魔夜、どうした?」
 怖くて、目が開けれない。
「誰?」
 意識の整理が出来ない。
「大雅。魔夜、悪い夢を見たんだな」
 ……夢……?
 私は、目を瞑ったまま顔を手で覆った。
「目を開けたそこには、何がある?」
「……何って、俺がいて、いつものお前の部屋だけど…」
 顔を覆う私の手の甲に、大雅の掌が触れた。
「大丈夫だから、目開けてみ」
 私は一度大きく深呼吸して、ゆっくりと目を開けた。続いて指の間を少し開くと、その隙間から彼の顔が見えた。その背景は、紛れもなく私が部屋として使っている空間。
「おはよう。ガーゼ、取り替えてやるよ」
「…………」
 心臓が、早鐘の様に鳴っている。昨晩のワンピースのまま眠っていたらしく、ワンピースが汗びっしょりだ。
「……先に、シャワー浴びたい」
 そう告げて、彼の横からベッドに降りようと床に足を着けた時、左足に鈍い痛みが走り、思わず大雅にしがみ付いてしまった。
 やっと、先程の落下が悪い夢だったと認識出来た。
「昨日倒れたとき、左足捻ったみたい」
「取り敢えず、応急処置して、後で病院に連れて行くよ。傷も診て貰った方が良い」
 私は体勢を立て直すと、足を引き摺りながらバスルームに向かった。身体が気持ち悪くて、どうしてもシャワーを浴びたかったのだ。
「無理すんなよ」
 私は、沈んだ顔を向ける大雅に言ってやる。
「心配にかこつけて、お風呂覗かないでよ」
 全く、可愛げのない女だ。
 バスルームから出ると、ソファ前のテーブルに救急箱が出してあり、大雅の姿はなかった。時計を見上げると十一時を過ぎていたので、店にいるのだろう。
 救急箱を開けて応急処置をしようとしたら、玄関が開いて陽太君が入って来た。
陽太君は私を見るなり大袈裟に声を上げながら、ソファの上に飛び乗ってきた。私の身体が、自らの吃驚と共にジャンプする。
「魔夜さん!! 魔夜さん! 魔夜さん!」
「は、はい?」
 陽太君の顔が、私の顔から十五センチと離れていない位置まで近付いた。初めて間近に凝視したが、随分と幼い顔つきだったんだなと思った。この子、幾つなんだろう。
「うわぁ! こんなに傷だらけで。化膿したらやばいっスよ!! 直ぐに病院連れて行きますから」
 彼は早口で捲し立てると、私が反応する余裕も持たせないまま、いきなり私を抱き上げた。
 陽太君に続いて入室してきた大雅がその姿を目撃し、五秒程静止した後、扉を叩き閉めて出て行った。
 大雅の謎の行動の御陰で、陽太君は正気を取り戻した。幾らなんでも、お姫様抱っこで病院まで行くと言うのは、やり過ぎのように思う。しかし、大雅(アイツ)声くらいかければいいのに。
 降ろして貰う際、目に入った陽太君の左手。巻かれた包帯が痛々しい。
「陽太君こそ、大丈夫?」
 笑いながら答える彼。
「魔夜さんの方が、重傷ですよ」
 陽太君に支えられて外に出ると、私達の姿に気付いたケンさんが駆け寄り、いたわってくれた。
「いつ連絡くれてもいいんだからな!」
 ケンさんは、私達が昨晩の襲撃後、直ぐ連絡しなかった事を気にかけているのだ。
「遅かったんで、ご迷惑掛けるのもいけないと思って」
「傷は、大したことないんだな?」
 ケンさんの眉がハの字に歪んでいる。
「はい。念のため、病院に行ってきます。戻ったら、詳しく説明しますね」
 ケンさんが頷いた。
「陽太、頼むぞ。ついでにお前も診て貰え」
「何をですか?」
 ケンさんが、呆れたように答える。
「何じゃない。左手だ」
 陽太君は左手の包帯を確認するように見つめると、ケンさんへとドヤ顔で爽やかに答えた。
「俺、注射大っっ嫌いなんで、医者に行かない主義なんです」
「「威張って言う事か!!」」
 思わす、私まで突っ込んでしまったではないか。

 病院で手当を済ませた。
子供の様に全力で嫌がる陽太君を、診療室へ送るのに手こずったが、幸い二人とも軽傷だった。私の左足も軽い捻挫で、湿布を貼っておけば二~三日で完治すると言われた。
 思ったより遅くなったので、大雅に電話して陽太君と帰りにランチへ寄ったのだが、電話した時、彼が妙に不機嫌だったのが気になった。大雅もたまには外でランチを堪能したかったのかもしれないと思い、帰りに彼の大好物のフルーツケーキを手土産に買った。
 戻ると、十五時を過ぎていた。
「魔夜、遅い。ケンさん、また出直すって帰ったよ」
 益々、不機嫌度が増している大雅。
「お詫び」
 と、彼の目の前にフルーツケーキの箱を置いてやる。
「俺は、誤魔化されないからな」
 そう言いながらも、彼はちゃっかりケーキの箱を手にした。
「魔夜さん、大雅さんヤキモチ焼いてるんですよ」
「は?」
 茶化すように言った陽太君目掛けて、大雅の投げた雑誌が飛来する。それを陽太君が軽く受け止めたので、大雅が小さく舌打ちした。
「ケンさん待たせてるんだから、少し考えろよってこと!」
「……ごめんなさい……」
「じゃぁ、魔夜さん。俺行くんで、お大事に。昨日の話は俺からケンさんにしときますから、何かあったら連絡ください」
 足早に帰ろうとする陽太君の後を追って店の外に出ると、陽太君の車を越えた五十メートル程先に玲奈さんの姿があった。
「ありがとう、気を付けてね」
 そう陽太君を見送ると、玲奈さんも私に気付いて会釈した。
 不満げな大雅に一言告げると、先日松野さんと対談した近くの喫茶店に彼女を案内した。
 左奥の壁際の席が空いていたので、そこに着席した。一番周りから見えにくく、話も聞かれにくいから。
 私がアイスココアを注文すると、玲奈さんはアイスティーを頼んだ。
 暫し、沈黙が続いていた。
 私が何から話を切り出そうか悩んでいると、先に玲奈さんが口を開いた。
「……爽介の……何ですか?」
「……妻……です」
 玲奈さんの顔が、苦悩に歪んだ。
 私は、正直に話すことにした。
「ご存知だと思いますが、私も爽介もコーラカル・アヂーン大量虐殺事件の唯一の生き残りです。厚生労働省の保護下で、事実を隠すために夫婦として共に生活しています。ですから、本当の夫婦ではありません」
 私の落とした視線に、玲奈さんの震えだした手が映った。
「……爽介は、私のことを本当に忘れてしまったんでしょうか?私の渡したものを見ても、何も感じていませんでしたか?」
 彼女の質問に答える前に、今度は私が質問した。
「玲奈さん、でしたよね。玲奈さんと彼の関係は?」
「婚約者です」

『彼女は、俺を押し退けて、盾にするように突き飛ばすと、割れた窓から外に転がり出て……一度も振り向かずに、走って行った……』

 大雅の言葉が、頭を過ぎった。

「写真とストラップでしたね。ちゃんと見てましたよ」
 私が一つ目の質問に答えると、玲奈さんの顔が安心したように緩んだ。
「でも、事件のショックで……私達には記憶が無いんです」
 事切れたように、玲奈さんは泣き崩れた。
「ごめんなさい」
 私はそう呟くと、席を立った。
 本当の事など、言えるはずがない。
 玲奈さんに見捨てられて、心に深い傷を負った大雅の気持ちも解る。大雅を見捨てて、それでも愛する玲奈さんの気持ちも解る。
 私には、どちらも庇えないと思った。
 店の扉を開けると、大雅がカウンターに座ってモデルガン雑誌を読んでいた。
「ただいま。玲奈さん、そこの喫茶店にいるよ」
 大雅が固まった。
「少し、お話してたの。二人は婚約者だったのね。玲奈さん、まだ大雅の事、好きみたい」
 私は、店じまいを始めながら続けた。
「事件の後遺症で、記憶が無いって言っておいた。これっきりにするのも手だけど、多分、気持ちが上手く噛み合わなかっただけだと思うから。だから、ちゃんと話すのも自分の……大雅の為なんじゃないかな」
 少しの間を置いて、大雅が口を開いた。
「……玲奈と話して、もし俺があいつとヨリ戻ったら、俺は出て行くよ。そしたら、お前はどうする?」
「…………」
 そんな事、考えてもなかった。
 彼が「ごめん」と呟きながら、立ち上がった。
「そうね、それで大雅が幸せになるのなら構わないよ。最初っから、お互いを干渉し合う様な間柄でもないし」
 彼は、無言のまま店を出て行った。
 私は、店を片付けて家に戻った。溜まっていた使用済み銃と、モデルガンのメンテナンスを始めることにした。
自分の部屋の作業台に、銃を並べた。
 銃の残弾を確認すると、スライドを後退させストップを抜き、スライドとフレームを別にする。細かい部品を順番にバラしていき、バレルリフレッシャーで掃除する。
 まぁ、いつもやっている言わば流れ作業といった感じなので、一丁終わらすのにさほど時間はかからない。
 二丁目のメンテナンスを終え、部屋を出ると真っ暗だった。暗所恐怖症の大雅を気遣って慌てて電気を付けると、急に不安が込み上げてきた。
 このまま独りになる事が、急に怖くなってきたのだ。
 ソファに座って、独り考えてみる。
 近すぎて気付かなかったのだけれど、多分私は大雅の事が好きなんだと思う。
 今まで何度も自分が出て行く事を考えたのも、強くなりたいと思ったのも、全て今日みたいな日が来るのを恐れていたからだと思う。
 自分から壊すならまだいい。卑怯だけど、自分が傷付くのが怖かったから。だから、玲奈さんが事件現場から必死で逃げて、それでも大雅にまだ未練があるとしても、私は彼女を卑怯だなんて言えない。人の心なんて、弱いものだ。皆何らかを犠牲に、自分を守っているのだから。
 呼吸が、苦しくなってきた。
 ここ最近は、発作にまで至ることはなかったのだけれど、今回ばかりは違うと解る。
 徐々に呼吸の苦しさが増し、冷や汗が吹き出してきた。目眩でソファの上に倒れ込む時、涙で滲んだ視界の向こう側に人影が見えた。
「魔夜」
 放置しておいても、死ぬことはない発作だ。症状を軽くする方法はあるけれど、名前を呼んだ主が私の身体に触れると、徐々に発作は落ち着きを取り戻してきた。
 呼吸が安定するまでの間、私は大雅の手の温もりを感じていた。
「なぁ、魔夜」
 私が聞いていなくても構わないといった様子で、彼は一人語りだす。
「やっぱり玲奈の事、許せなかった」
 どこかで、少し安心した自分がいた。
「……俺は……このままでいいや」
 ほんの数秒、大雅の額が私の額に合わせられた。彼は顔を上げると、ソファ横の小さなテーブルに置きっぱなしになっていた、写真とストラップをゴミ箱に入れた。
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