【試し読み】44口径より愛を込めて

鞍馬 榊音(くらま しおん)

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PTSD

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 朝十時頃。大雅は用事があると言い残し、店を出て行った。昼までには戻るらしい。
 それから三十分くらいして、ケンさんと陽太君が顔を出しに来てくれた。
「おはよう、魔夜ちゃん。昨日は、遅くまでどうもありがとう」
「おはようございます、魔夜さん。大雅さんは?」
 通院日は曜日で決めており、それをケンさんも陽太君も業務として把握している。今日は、本来なら私も大雅もいるはずなので、大雅の姿が見えないことを気にしているのだ。
「なんか、用事があるとか言って、朝から出かけて行きましたよ。昼までには戻るそうです」
「女っすかねー」
 無機質に呟いた陽太君の脳天に、ケンさんがチョップをお見舞いした。
「陽太!!」
 患部を抑えながら、蹲る陽太君。
「ケ、ケンさん。こちらこそ、ありがとうございました。本当に、小春ちゃん可愛いですね。妹だったらいいのにって思いました」
 私はとにかく、大雅逢引説から話題を逸らそうと思った。
 ケンさんの顔が、呆れ顔から照れ笑いに変わる。
「でも、初夏に生まれたのに小春って名前。何か深いモノを感じますね。上手く言えないけど」
 私からすれば、些細な疑問だった。けれど、その場の雰囲気が気まずくなったように感じ、余計な事を言ったなと口を噤んだ。蹲っていた陽太君が座ったまま真面目な顔でケンさんを見上げ、ケンさんは寂しそうな顔になると悲しそうに微笑んだ。
「二人目、なんです」
 物言えば唇寒し秋の風。とは、よく言ったものだ。
「一人目は、小春が生まれる三年前の春に生まれましたが、死産でした。その子の分まで生きて欲しいと思い、自分達も忘れないように、そう名付けました」
 どう口を開いていいか分からず、かと言って謝るのもおかしな話だと言葉を失っていると、陽太君が真面目な顔でくしゃみをした。
「あー、誰か俺に惚れたみたいですわ」
 恐らく、彼なりの助け舟なのであろう。
「ケンさん、そろそろ仕事に戻らないと。またハゲ河童にどやされますよ」
 ハゲ河童……あぁ、あの上司。
「陽太、自分の上司に変なあだ名付けるんじゃない! じゃぁ、魔夜ちゃん。また」
「魔夜さん、また来ますねー」
 ケンさんは朴訥に、陽太君はノンシャランと店を出て行った。
 とうとう午前中の来客は望めず、正午を少し過ぎたところで大雅が帰ってきた。
「ただいま、ごめん。直ぐ、昼飯の準備するから」
 随分と申し訳なさそうな表情で謝りながら弁解するが、私はそこまで腹ペコではない。
「慌てなくていいよ。たまには……」
 私が作ろうか。と言いかけたところへ、昨日訪ねて来たツーピースの女性客が、血相変えて店に飛び込んできた。荒々しい呼吸にシンクロして上下する肩は、汗で頬に張り付いた髪を気にかける余裕も無い程、彼女の心を動かす何かがそこに存在するんだと物語る。
「……どう、されましたか?」
 私は、そのただならぬ様子に、“いらっしゃいませ”が言えなかった。
 だが、彼女に私の声は聞こえなかったようで、彼女は大雅の全身を上から下までくまなく舐めるように見渡すと、大粒の涙を流しながらその場に崩れ落ちた。
「……っけ……そ……っ……」
 言葉にならない声が、慟哭する彼女の口から掠れ出る。私と大雅が近付くと、彼女は大雅にしがみつくようにはっきりと名を呼んだ。
「爽介(そうすけ)」
 と。
「誰ですか?」
 大雅が彼女を引き離そうとしながら、そう問うた。
「誰って……あたしよ……玲奈……。爽介、わからないの……?」
「…………」
 硬直する大雅から身体を起こすと、玲奈と名乗った彼女は下げていたショルダーバッグの中から何かを取り出した。それを大雅の手を取り握らせると、愛おしそうに彼の頬を数回撫でた。
「ねぇ、爽介。また明日来るから。ちゃんと思い出しておいてね」
 玲奈さんは立ち上がると、生まれたての子馬の様によろめきつつ、扉やら壁やらに身体をぶつけながら店を後にした。
 終始何も言えず、何もできず、立ち尽くしたまま見過ごす事しか出来なかった私。
 大雅に目をやると、彼は真っ青な顔で、玲奈さんが先程まで崩れ落ちていた場所を見つめていた。
「大雅」
「…………」
「ねぇ、大雅」
 二度目の呼び声に、彼の肩がぴくりと反応した。
「……ぇ?ぁ、ぅん?」
 目は泳いだまま、視点は定まらず、曖昧な反応しか示さない。PTSD発作?実際、私も大雅もコーラカル・アヂーン大量虐殺事件によるPTSDとの診断結果が出ているので、症状に対して敏感になっている。
 まともに立てなくなった大雅を家の方に送り届け、店に戻ろうとした時に彼が呟いた。
「……書いてあった名前だ」
 私の胸に、ナイフで突き刺された様な痛みが走った。それを誤魔化すように、ソファで伏せる大雅の顔を覗きながら、彼の髪を撫でた。
「怖い。なんだか解らないけど、すごく嫌なんだ。爽介って、あの人に呼ばれると……すごく胸が痛い」
「大雅の、本名?」
 私の問いに、彼はこくりと頷いた。
 玲奈さんが渡したモノを、大雅の手から拝受する。彼に握り締められクシャクシャになっていたそれは、写真と汚れたハート型のシルバーストラップだった。写真には、玲奈さんと、彼女を抱きしめる大雅の姿が写されている。二人共幸せそうで、大雅に関しては見たこともない笑顔だった。
 再び、私の胸に先程より鋭い痛みが走った。少しずつ呼吸が苦しくなってきたのだけれど、メランコリックと言うか酷く錯乱状態の大雅を見ていたら、不思議と持ち直す事が出来た。
 私は写真とストラップを、ソファ横の小さなテーブルに置いた。
「お店、閉めてくるね。今日は、休もう」
 どうせ、客なんて来やしないだろう。私だけ店に居ても良かったのだが、彼が心配だったのだ。
 この日は一日中、私は大雅の様子を気遣いながらも側で色々考えていた。病気の事、治療の事、玲奈さんの事、私自身の事。時々、ネットで調べたりなんかもした。結局、自分が何を知りたいのかもわからなくなってしまい、夜には頭が痛くなる程だった。
 そして気付くと、自覚もないまま病院へと婦長宛に電話をしていた。
 この日、婦長はたまたま夜勤だったようで、電話に出てくれた。そして明日午前中に、少しだけ会って話をして貰えることになった。私の胸は、明日婦長と話が出来ると決まっただけで、随分と楽になっていた。
 大雅の事は、少しだけ無理言って陽太君に頼もう。独りにしておくのは、少し心配だ。
 大雅を寝かせると、私も直ぐ自分のベッドに入った。色々と考えすぎて、本当に疲れた一日だった。
 大雅は夜中に何度か魘されて目を覚ましたが、朝方は少し落ち着いた様で気持ちよさそうに眠っていた。暫くは起きないだろうと見越し、陽太君に何かあったら直ぐ連絡して貰えるよう託けて、私は家を出た。ケンさんには、現在の状況を説明した。
 何かあったら直ぐに戻れるよう、婦長には近くの喫茶店まで来てもらった。私はカフェ・オ・レ、婦長はレモンティーを注文すると、モーニングセットにトーストと卵とオレンジが付いてきた。まだそんな時間か。
「疲れてるところ、ありがとうございます。婦長さんしか、思いつかなくて」
「いいのよ。魔夜ちゃんこそ、疲れた顔してるわよ。それに、私の事は松野(まつの)って呼んでね」
 松野さんの笑顔と優しい言葉に、少し泣きたくなった。
「……私……もっと、強くなりたい……」
 頬に、生暖かい筋が通ったのがわかった。
 松野さんの「どうしたの?」と言う問いかけに、また涙が出てきた。
「訓練中、何度か体験したことだったから、直ぐにわかったんです。大雅の、PTSDが発症して……。今は何かあったらと頂いていた精神安定剤で眠っているけど、私、何も出来なかった。病気のこと、今まで自分自身に精一杯で、本当に何も知らないんだって情けなくなって。今更ネットで調べたりしましたが、よくわからなくなってきちゃって……。簡単に、教えていただけませんか?」
 きっと、私も参ってるのだろう。
 松野さんは、ゆっくり宥めるように、説明を始めた。
「日本語で言うと、心的外傷後ストレス障害と言うの。死んでしまいそうになったり、重症を被る様な状況で、心や精神に深く傷を負う事によって引き起こされる病気。トラウマと言った方が馴染みがあるかしら。PTSDとしての症状は幾つかあるけれど、魔夜ちゃんは、過換気症候群、所謂過呼吸、パニック発作、悪夢。大雅君は、離人症、パニック発作、悪夢の症状が出やすいと報告を受けているわ。ただ、入院中の治療で悪夢を見る症状は治まった様だけど、同時に健忘症が現れたの。記憶としてイメージできなくても、心の奥底では経験として生きている。だから、きっかけさえあれば発作が起きたり、フラッシュバックや悪夢として蘇ることもあるの。ただそうなると精神的にも身体的にも負担が大きい。本当なら思い出さない方が良い記憶でも、事件の完全解決に繋がる緒が二人の記憶しかないから、少しずつ記憶を引き出す事を前提に薬を使って、認知行動療法の一つである暴露療法を採用しているの。本来は、症状を軽減する目的で使用される療法ね。この場合、さっきも言ったように二人に関しては記憶の引き出しを目的で採用している訳だから、通常の患者は記憶があることにあるわ」
 松野さんは、冷め始めたレモンティーを一口飲んだ。
「少しでも早く思い出させる様に。それが、厚生労働省からの通達ね。その為、やむを得ずアモバルビタールを処方しているわ。アモバルビタールは、中型睡眠剤、鎮静剤として使われる薬なのだけれど、自白剤としても有名なの。ただ、全く起こらなかった出来事を思い出させる効果もあるし、副作用も比較的強いモノだから信頼性に欠けるって、私は反対したのだけれど、日向野先生が……」
私も、微温くなったカフェ・オ・レを一口飲んだ。
「……後で、落ち着いたら大雅を病院に連れて行くつもりです。松野さんは、お休みですか?」
「いいわ。本当は夜勤なのだけれど、誰かに準夜勤と変わって貰うから、十六時半以降に来て頂戴。何があったかは、その時に聞くわ」
「ありがとうございます」
 ふと思い出したように、松野さんが再び口を開いた。
「そう、大雅君の離人症なのだけれど。もしかしたら自虐行為を繰り返すかもしれないから、気をつけて欲しいの」
「……自虐行為……ですか」
「感覚は人それぞれみたいなのだけれど、自分が無くなっていく感覚が強くなってくると、痛みで自分を取り戻そうと自虐行為を繰り返す事があるわ。所謂、離人症の発作。舌や指、腕を噛んだり、時にはリストカットをしたり。本人に自覚や記憶がないから、気付いた時のショックは大きいわ。独りにしないであげてね」
 私に、務まるだろうか。
「魔夜ちゃんも、絶対に無理しないようにね。何かあったら何時でも構わないから、私に電話して」
 松野さんは、携帯電話の番号を教えてくれた。
「甘えて良いのだからね」
 松野さんのその言葉に、私はどれだけ救われたか解らないくらい安心した。
 喫茶店で四十分程対談し、家に戻った。玄関を開けると、陽太君の声が聞こえた。何を言っていたかはわからなかったが、何か揉めている様子で、慌てて大雅の部屋を開けた。
 ガン! と無機質な音を立てて、私の足元に血の付いたハサミが飛んできた。
「……陽太……君……?」
 恐る恐るゆっくり視線を移動させると、ベッドの上で必死に大雅の両手首を押さえつける陽太君の姿があった。二人の顔と服と手首とシーツに、そんなに多くはないが血液が飛び散っていた。
 私の呼吸が、少しずつ苦しくなって来たのを感じる。同時に怖くなって、私は動くことも発声する事も出来なかった。
「大雅さん、魔夜さん帰って来ましたよ!」
 半ば自棄糞気味に叫んだ陽太君の声に、私ははっと我に返った。同時に大雅の力も抜けたようで、陽太君の手が離れ、彼もその場にどっと腰を下ろした。
「魔夜さん、大雅さんに怪我はないです。揉み合ってる時に、俺、ちょっと切っちゃいました。驚かして、すみません」
 痛そうに顰めた顔に無理矢理笑顔を作って、陽太君はそう笑ってくれた。
「直ぐに、手当するから!」
 今度は、そう言い終わるのが早いか否かで走り出そうとした私を、陽太君が呼び止めた。
「魔夜さん、俺より先に大雅さんを」
 彼は、近くにあったテッシュで患部を抑えながら「水道借りますね」と、部屋を出て行った。
「大雅」
 私は、彼の顔やら手やらに飛び散った血液をテッシュで拭き取ってやりながら、声を掛けてみた。少しずつだけれど、正気を取り戻した大雅の目から涙が溢れて来た。
「……俺……」
「落ち着いたなら、良かった。陽太君、見てくるから少し待ってて」
 松野さんが言っていた通り、大雅は酷く落ち込んでいた。
「魔夜さん、もう良いんですか?」
 私は陽太君に、タオルを差し出した。彼が受け取った後、救急箱を取り出しながら答えた。
「取り敢えず、落ち着いたみたいだから。それより、ごめんね」
「何がですか?」
 陽太君の切ったと思われる左手を取って診ると、親指と人差し指の間の付け根部分と小指下の辺りに、それぞれ二~三センチ程度の切り傷があった。じんわり血が滲み出してきたので、滅菌済みコットンを消毒液に浸し、それで患部の血液を拭き取った。その後、ガーゼで保護し、包帯を巻きつけた。
「大雅さんの事なら、魔夜さんが謝る必要はないですよ」
 私の事を、見透かしたかの様に彼がそう呟いた。
「大雅さん、何があったんでしょうね。本当に愛してた人に再会したのなら、あんなに取り乱す事ないと思う」
「…………」
 陽太君の手が、私の肩に触れた。
「魔夜さんが、気負う必要はないんです。本当の夫婦じゃないんだし、なんなら俺からケンさんに話して、上に話し付けましょうか?」
 松野さんに続いて、陽太君の気遣いにも、私の心は救われた気がした。
「……今は、まだ大丈夫。もう無理だって思ったら、真っ先に連絡するから」
 陽太君が、いつもの笑顔になる。
「わかりました! じゃぁ、俺行くんで」
「うん、ありがとう」
 陽太君を玄関まで送ると、タイミングが良いのか悪いのか、扉の向こうに玲奈さんが立っていた。
「あの、爽介いますか?」
 彼女は陽太君を見ながら、怯えた様に問うた。血の飛び散ったシャツを着て、左手に包帯を巻いた男と鉢合わせたら、誰でも驚くだろう。
 私は玄関の外に出ると、大雅に聞こえないよう扉を閉めた。
「初めまして。私は、魔夜と言います。大雅の……爽介の……」
 何なんだろう?
「…………」
 私は、一体何なんだろう???
「……爽介の、何ですか?」
 痺れを切らした玲奈さんが問うた。
「……お引き取りください…」
「…………」
 文句言いたげな玲奈さんの顔が、私の視界に映る。次第に、またあの呼吸の苦しさが込み上げてきた。
「明日、ちゃんと説明します。また、夕方来てください!」
 限界だった。
 私はそう叫ぶと、玄関の中へと転がるように飛び込んだ。
 扉の向こうで玲奈さんが、数回「すいません」と呼びかける声が聞こえたが、直ぐに立ち去ったようだった。
 大雅の部屋に戻ると、落ち着きを取り戻した彼が独り言のように弁解を始めた。
「起きた時、誰もいなくて。夢を見てると思った。一刻も早く覚めたくて……そう願ったら、目の前に陽太がいて、魔夜が帰って来た」
 私は、彼の手を握り締めた。
「……あの女は? 玲奈は?」
 私は答える。
「帰って貰った」
 彼の手が、私の手を握り返した。彼は続ける。
「同じ夢ばかり見るんだ。俺が、ホテルのレストランで玲奈を待ってる夢。一階で、窓際の席だった。庭園の噴水が良く見るんだ。そこへ玲奈が来て……何か大切な話があったんだ。その話をしようとしたら、突然隣のカップルの頭が砕けて……」
 彼が口を抑えて蹲ったので、気分が悪いんだと思った。何か吐けるものを持ってこようと立ち上がった私の手を、彼が引っ張った。
「待って。大丈夫……だから」
 私は再度ベッドの傍らに座り込むと、大雅の背中を摩った。
「……それを合図に、どんどん人が死んでいった。俺は、玲奈を守らなきゃって思ったんだ。でも彼女は、俺を押し退けて、盾にするように突き飛ばすと、割れた窓から外に転がり出て……一度も振り向かずに、走って行った……」
 大雅が、嗚咽を始めた。
「……俺の中で、何かが、壊れた気がした。でも、それを消化するまもなく……ガスが広がって、沢山の人が、俺の上に重なって来た。真っ暗な圧迫感の中、悲鳴と、怒声の中、息が出来なくなって……そこで、いつも夢は終わる……」
 人は、弱いモノだと思う。死の危機に直面した時、他人を庇える人間なんてどれだけいるのだろうか。どんなに傷付いても、どんなに裏切られても、死を目の前にした人間を責める事は出来ない様に思う。
「……あれは、本当に夢だったのかな……」
 力なく問うた大雅に、私は何も答えてやれなかった。
 夕方、相変わらず元気はなくとも、調子を取り戻した大雅と病院に行った。彼が日向野先生に事細かに夢の話をしている傍ら、私は松野さんに大雅のPTSD発症の経緯と、喫茶店から帰宅後の彼の様子を詳しく説明した。
 結果、大雅に一番ショックを与えた人物が引き金となって起きた、記憶のフラッシュバックだと診断された。
 少しずつでいいから、記憶の糸を手繰り寄せていけばいい。その中に、事件完全解決への緒が見つかれば。幾らか薬を投与され、ふらふらになっている大雅がそう言われるのを見て、私は心が痛かった。忘れたままにしておいてあげて欲しいと思った。悪い夢のままにしておいてあげて欲しいと思った。
「大雅、着いたよ」
「…………」
 家に着いた頃には、すっかり暗くなっていた。近くの田んぼで、蛙がゲコゲコ鳴いている。梅雨が近いのかな。
 車から降りて、助手席の扉を開いた時だった。静かに近付いて来る何かが気になり振り向くと、それは黒いセダン型ハイブリットカーだった。私は大雅に手を伸ばしながら、そのハイブリットカーを見つめていた。と言うのも、その車が必要以上に徐行を始めたからだった。加えて言えば、事件の後遺症で弱くなった私の視神経では、その時感じた他の違和感が何かに直ぐ気付けなかったのもある。
 かなり接近して来たところで街灯に照らされ、ハイブリットカーの全貌が明らかになる。違和感の原因は、ナンバープレートを始め、ガラス全面に透過率の低いスモークフィルムを貼られていた事だった。ナンバーは愚か車内も見えず、正直気持ちが悪いと思った瞬間だった。ハイブリットカーから見ると、私達側になる運転席の窓が十五センチほど開いており、その隙間から黒い筒状の金属が覗いているのが見えた。見慣れた物だったからそれが何か直ぐに解ったのだけれど、気付くのが少し遅かった。
 私は掴んできた大雅の手を咄嗟に振り払い、力任せに運転席側へ突き飛ばすと、叩きつけるようにドアを閉めた。
 瞬間、助手席の窓である私の正面のガラスがパン! と弾けるように割れ、私の腕や頬、首筋にガラスの破片が降り注いだ。
 夥しい程の細かな鋭い痛みと、ガラスの砕けた勢いでバランスを崩し、私の身体が左肩から地面に落下する。
防護機能として、いつの間にか強く閉じられていた瞼をゆっくり開けると、暗闇に黒く重たい水滴が幾つも落ちているのが見えた。
 黒のハイブリットカーは、私を通り越した辺りで突然ホイールスピンをさせながら、勢いよく走り去って行った。

 ――あの車は、明らかに大雅を狙っていた。

 でも、何故?
 須臾の判断で防御になればと扉を閉めたのだけれど、あの割れたガラスはちゃんと防壁の役目を果たせたのか。
 身体が空へ放り出されている間、地面へ落下した直後、写真の様な無数の映像が連写よろしく私の目の前を過ぎっていったのだけれど一体何だったのか。
 身体を動かそうとすると、激しい痛みに襲われた。その為、身体をどう起こそうか悩む方が忙しくなり、フラッシュ映像について考える余裕なんて無くなっていた。けれど、大雅の声が聞こえたので、彼は無事だったのだと安心した。
 大雅は薬でふらふらであるにも関わらず、私を背負ってベッドまで運び、傷の手当をしてくれた。幸いなことに、軽い切り傷だけで済んだようだ。
「傷、残らなきゃいいな」
 私の頬傷のガーゼを撫でながら、彼がそう呟いた。
「……ぅん……」
 私は小さく頷いてから、頬に置かれた彼の手に自分の手を重ねて、言葉を続けた。
「……あれは、サイレンサーの取り付けられた……Glog26……」
「意図的過ぎて、状況が把握できない」
 同じ意見だと答える代わりに、私は首肯した。
 警察に通報しようとしてやめた。状況が掴めない以上、立場的にも混乱を招きたくなかったからだ。先に、ケンさんに相談することにした。
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