蒼月館の招待状

天音 翔杜

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第1章 月下の招待

第1話 月下の集い

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 標高1200メートル、長野と群馬の境に位置する峠道を、旧式のマイクロバスが喘ぐように登っていく。

 舗装された道はところどころ崩れ、苔むした崖の影が不規則に窓をかすめた。ハンドルを握る運転手は無言で、眼鏡の奥で冷めた目をしていた。まるで、自分の運ぶ客がどうなろうと興味がないような。

 早乙女翔は、窓の外を見ながら思索に沈んでいた。(こんな山奥で、何が起きようとしている?)

 彼にとって、この旅は興味本位で引き受けた調査だった。文芸評論家・鵜飼幸蔵の遺言に基づいて招集された、得体の知れない集い。その人物は数ヶ月前に死去しているが、その死には不審な点が多く、ネットでも陰謀論じみた憶測が飛び交っていた。

 翔は都内の大学に通う二年生。学内のミステリー研究サークルに所属しており、殺人事件の構造やトリックの考察を趣味としている。今回の参加も、部内で話題になっていた『蒼月館の招待状』を偶然手に入れたことがきっかけだった。

「翔。あんた、さっきからずっと難しい顔してるよ」

 隣から声をかけてきたのは九条結衣。同じ大学の同級生で、同じミステリーサークルに所属する盟友でもある。理知的で冷静、そして翔にとって唯一心を許せる存在でもある。

「いや……なんでもない。ただ、気になるんだ。あの遺言の最後の一文が」

「全員が罪を持っている。それを知る者が、ここに来るだろうってやつ?」

「そう」

 言葉にすればするほど、その意味が重くのしかかってくる。参加者全員が、何かしらの秘密を持っている。それを知る者がいる。つまり、誰かが裁く側としてすでに紛れ込んでいる可能性があるということだ。

 バスがカーブを抜けると、目の前に灰青色の瓦屋根をした建物が現れた。

 蒼月館。

 正面に据えられた半月型のステンドグラスが、光を弾く。まるで、こちらを監視している瞳のように。

(鵜飼幸蔵は、この場所で何を始めようとした?)

 その疑問に答える者は、まだいない。ただ、直感が告げていた。——この館で、死が起きる。しかもそれは偶然ではない。

 バスが停車する音とともに、エアブレーキの吐息のような音が響いた。

 時計を見ると、午後三時を少し過ぎたところだった。

 先に立って降りたのは、スーツ姿の中年男だった。目深に被った帽子の下から、鋭い眼光を隠そうともせず、乗客一人ひとりをじっと見渡す。

「皆様、到着しました。こちらが本日からお過ごしいただく、蒼月館です」

 男の声は妙に抑揚がなく、まるで事務的な読み上げのようだった。

「案内役の者は館内におります。手荷物は後ほどスタッフが部屋までお運びしますので、そのままお降りください」

 翔が外に出ると、標高ゆえの冷えた空気が肌を刺した。にもかかわらず、館の周囲には不思議な静寂が広がっていた。虫の音ひとつなく、風も木々を揺らさない。

 参加者らしき数人が、ぎこちなく周囲を見回している。誰もが互いの顔を探りながら、どこか沈黙を共有していた。

「まるで……最初から『互いを疑え』って言われてるみたいだな」

 翔が低く呟くと、結衣が応える。

「そうね。でも、疑いすぎると足をすくわれる。慎重さと大胆さのバランスを保ってね」

 二人が館の玄関へと足を踏み入れた瞬間、上階のステンドグラスが一瞬だけ鈍く光を返した。

 それは、どこか不吉な予兆のように翔には思えた。

 重厚な木製の扉が、鈍い音を立てて開く。

 中に入ると、黒いスーツに白手袋を身につけた老人が一礼して出迎えた。

「ようこそ、蒼月館へ。私はこの館の管理人、志倉でございます。皆様のお越しを心よりお待ちしておりました」

 志倉と名乗った老人は、実に落ち着いた声で言葉を紡ぐ。その眼差しには、わずかな警戒と観察の色が見て取れた。

「すでに数名の方はお着きです。ロビーにてお待ちいただいております。順にお部屋へご案内いたしますので、まずは奥の暖炉の間へお進みください」

 翔と結衣は互いにうなずき、重い足取りでロビーへ向かった。

 館内は外観以上に広く、天井の高いホールは大理石の床と暗い木目の柱で構成されていた。暖炉の上には、鵜飼幸蔵の肖像画が掲げられている。老齢の男がこちらを見下ろす構図だった。

 暖炉の前には、すでに三人が腰掛けていた。

 一人は、眼鏡をかけた小柄な女性。落ち着きのある雰囲気をまとっていたが、瞳の奥に鋭さを秘めている。

 もう一人は、細身で背の高い男。姿勢が良く、俳優のような整った顔立ちをしていた。

 最後の一人は、年配の男性。手帳に何かを記しながら、時折こちらをちらりと見ていた。

 その場の空気が、またひとつ、きしむような音を立てた。

「早乙女翔さんと、九条結衣さんですね」

 声をかけてきたのは、眼鏡の女性だった。年齢は二十代後半といったところで、どこか記者のような雰囲気がある。

「私は水沢葵。フリーの編集者をしています。鵜飼先生とは数年前に何度か仕事をご一緒しました」

 翔は軽く頭を下げる。

「どうも。僕は大学でミステリーの研究を。先生の本にもお世話になりました」

 水沢はふっと笑った。

「大学生に『先生の本』って言われるようになったのね。なんだか時代を感じるわ」

 冗談めかした口調に、その場の空気が少しだけ和らいだように見えたが、それでも緊張は消えなかった。

「こちらは相川さん、森先生。あとはまだ来ていない方が数名いるようですね」

 名乗られた二人は、軽く会釈しただけだった。

 この静けさと緊張感。そして、全員がどこか他人の様子を伺っている雰囲気。

 翔は直感する。この場に、すでに仕掛けられた謎が、動き始めているのだ。

 と、そのときだった。館内のどこかから、甲高い金属音が響いた。まるで古びた歯車が無理やり回されたような、不自然な音。

「何の音……?」結衣が身を乗り出して尋ねる。

 志倉が応じた。「ご安心を。あれは館の古い暖房設備でして。少々クセがあるのです。動かすときだけ、あのような音を立てることがございます」

 だが、その言葉にすぐには納得できなかった。あの音には、どこか意図的な合図のような響きがあったからだ。

 そして——

「ご到着の皆さま、準備が整いましたら食堂へご移動くださいませ」

 館内のスピーカーから女性の声が流れる。それを合図に、他の参加者も立ち上がり始めた。

 まるで舞台の幕が上がったかのように。

 そのとき翔は、誰にも見られない位置で、静かにドアノブを回す細い手を見た気がした。

 だが、気づいた時にはその手も、その存在も、影の奥に消えていた。
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