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第1章 月下の招待
第2話 消えた足音と、触れられた扉
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翌朝、翔は浅い眠りから目を覚ました。夢と現実の境が曖昧なまま、ぼんやりと天井を見つめる。
何かがおかしい——
目覚めの第一感がそれだった。疲労感ではない。体は眠ったはずなのに、心がどこかざわついている。まるで、忘れてはいけない何かが、夜のあいだに置き去りにされたような。
カーテン越しの淡い光。時計の針は午前七時過ぎ。
(静かだ……静かすぎる)
山奥の館なのだから当然だろう。だが、昨夜のあの音——何かが軋むような不快な金属音——を聞いてしまった後では、この静寂は、かえって異常に感じられる。
翔はゆっくりと起き上がり、顔を洗い、身支度を整えた。洗面台の鏡に映る自分の顔が、どこか他人のように見える。
(今の自分は、ただの大学生の顔じゃない)
ミステリーサークルの仲間として、謎に首を突っ込むのが好きだった。だが今、ここにいるのは——謎の中に飲み込まれかけている人間だ。
昨夜は、暖炉の間で簡単な自己紹介があった。館内に招かれた参加者は全員で八名。誰もが戸惑いを隠しつつも、与えられた時間に促されるように名前と肩書を語っていた。プログラマーを名乗った森川亮太という男の姿も、その中にあった。
部屋を出ると、廊下の空気は冷たく張り詰めていた。誰もいないはずの館内に、誰かの気配だけが残されているような——そんな錯覚。
翔は東棟側へと足を向けた。昨日確認していた空室の部屋の前で、ふと立ち止まる。
(やはり気になる……昨夜のあの音、そしてこの部屋)
扉に触れる。鍵はかかっている。だが、ノブの冷たさの中に、ごく微細な熱の痕跡を感じた。
そのとき——
「……何してるの?」
背後からかけられた声に、思わず心臓が跳ねた。
「結衣……驚かせるなよ」
「驚いてるのはこっち。こんな朝早くから、こんな場所で何してるのかと思った」
「ちょっと……気になって」
言い訳のような言葉しか出てこなかった。
「昨夜、ここから音がした気がした。ほんの一瞬、何かが動いたような……」
結衣は翔の言葉に目を細め、扉を見つめた。
「鍵はかかってる。でも……このノブ。誰かが最近触った跡がある」
彼女の観察眼は鋭い。サークルで事件分析をする時も、彼女は常に誰も見落とさない視点を持っていた。
「もしかしたら、私たち以外に、まだこの館に『誰か』いるのかもね」
軽く言うその言葉に、重い現実味がにじんでいた。
そこへ足音が近づく。
「早乙女さん、九条さん」
現れたのは管理人の志倉だった。背筋の通った佇まいと、読み取れない微笑み。だが、その声にはほんのわずかな警告が含まれていた。
「お二人には、食堂で朝食のご案内をしております。ほかの皆さまも、すでに集まり始めておられます」
「……ええ、すぐ行きます」
結衣が応じる。志倉は一礼し、音もなく去っていった。その背中が、まるで深入りするな、と言っているようで、翔は無意識に息を詰めていた。
食堂には、すでにほとんどの参加者が集まっていた。だが、空気が重い。誰もが無言で、互いを確認するように見ている。
「志倉さん。……森川くんの姿が見えませんが?」
年配の森が口を開いた。
森川亮太。昨夜の自己紹介で、彼はプログラマーだと言っていた。だが今、その姿はここにない。
志倉が一瞬、沈黙する。
「森川様のお部屋にはお声掛けいたしましたが、応答がございませんでした。……まだご就寝中かと」
「彼、そんなタイプには見えなかったけど」
誰かが呟く。
沈黙。
翔は結衣と視線を交わした。その目に浮かぶものは、疑念と確信のはざま。
(やはり、あの部屋は……)
不在。鍵の痕跡。音。そして、誰もそれを気にしようとしないこの空気。
何かが、確実に始まっている。
そのとき、テーブルに置かれたナイフが、ひとりでにわずかに揺れた。誰も触れていないのに、微かにカチリと音を立てて、テーブルの上で転がる。
それを見た瞬間、翔は確信する。 (この館は、ただの場所じゃない……何かが、俺たちを試してる)
翔の内側に、冷たい予感が、じわりと根を張り始めていた。
何かがおかしい——
目覚めの第一感がそれだった。疲労感ではない。体は眠ったはずなのに、心がどこかざわついている。まるで、忘れてはいけない何かが、夜のあいだに置き去りにされたような。
カーテン越しの淡い光。時計の針は午前七時過ぎ。
(静かだ……静かすぎる)
山奥の館なのだから当然だろう。だが、昨夜のあの音——何かが軋むような不快な金属音——を聞いてしまった後では、この静寂は、かえって異常に感じられる。
翔はゆっくりと起き上がり、顔を洗い、身支度を整えた。洗面台の鏡に映る自分の顔が、どこか他人のように見える。
(今の自分は、ただの大学生の顔じゃない)
ミステリーサークルの仲間として、謎に首を突っ込むのが好きだった。だが今、ここにいるのは——謎の中に飲み込まれかけている人間だ。
昨夜は、暖炉の間で簡単な自己紹介があった。館内に招かれた参加者は全員で八名。誰もが戸惑いを隠しつつも、与えられた時間に促されるように名前と肩書を語っていた。プログラマーを名乗った森川亮太という男の姿も、その中にあった。
部屋を出ると、廊下の空気は冷たく張り詰めていた。誰もいないはずの館内に、誰かの気配だけが残されているような——そんな錯覚。
翔は東棟側へと足を向けた。昨日確認していた空室の部屋の前で、ふと立ち止まる。
(やはり気になる……昨夜のあの音、そしてこの部屋)
扉に触れる。鍵はかかっている。だが、ノブの冷たさの中に、ごく微細な熱の痕跡を感じた。
そのとき——
「……何してるの?」
背後からかけられた声に、思わず心臓が跳ねた。
「結衣……驚かせるなよ」
「驚いてるのはこっち。こんな朝早くから、こんな場所で何してるのかと思った」
「ちょっと……気になって」
言い訳のような言葉しか出てこなかった。
「昨夜、ここから音がした気がした。ほんの一瞬、何かが動いたような……」
結衣は翔の言葉に目を細め、扉を見つめた。
「鍵はかかってる。でも……このノブ。誰かが最近触った跡がある」
彼女の観察眼は鋭い。サークルで事件分析をする時も、彼女は常に誰も見落とさない視点を持っていた。
「もしかしたら、私たち以外に、まだこの館に『誰か』いるのかもね」
軽く言うその言葉に、重い現実味がにじんでいた。
そこへ足音が近づく。
「早乙女さん、九条さん」
現れたのは管理人の志倉だった。背筋の通った佇まいと、読み取れない微笑み。だが、その声にはほんのわずかな警告が含まれていた。
「お二人には、食堂で朝食のご案内をしております。ほかの皆さまも、すでに集まり始めておられます」
「……ええ、すぐ行きます」
結衣が応じる。志倉は一礼し、音もなく去っていった。その背中が、まるで深入りするな、と言っているようで、翔は無意識に息を詰めていた。
食堂には、すでにほとんどの参加者が集まっていた。だが、空気が重い。誰もが無言で、互いを確認するように見ている。
「志倉さん。……森川くんの姿が見えませんが?」
年配の森が口を開いた。
森川亮太。昨夜の自己紹介で、彼はプログラマーだと言っていた。だが今、その姿はここにない。
志倉が一瞬、沈黙する。
「森川様のお部屋にはお声掛けいたしましたが、応答がございませんでした。……まだご就寝中かと」
「彼、そんなタイプには見えなかったけど」
誰かが呟く。
沈黙。
翔は結衣と視線を交わした。その目に浮かぶものは、疑念と確信のはざま。
(やはり、あの部屋は……)
不在。鍵の痕跡。音。そして、誰もそれを気にしようとしないこの空気。
何かが、確実に始まっている。
そのとき、テーブルに置かれたナイフが、ひとりでにわずかに揺れた。誰も触れていないのに、微かにカチリと音を立てて、テーブルの上で転がる。
それを見た瞬間、翔は確信する。 (この館は、ただの場所じゃない……何かが、俺たちを試してる)
翔の内側に、冷たい予感が、じわりと根を張り始めていた。
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