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第2章 霧の中の足音
第6話 誰かが、見せている
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廊下に戻った翔たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
誰からともなく足を止め、互いの顔を確認するわけでもなく、ただ静かに――空気の変化を感じ取っていた。
館が、なにかを語ろうとしている。
だが、その言葉はすべて隠された断片であり、真相はまだ霧の奥に沈んだままだ。
「なあ……このまま戻るのも、なんか気持ち悪いよな」
相川が口を開いた。普段の軽口は鳴りを潜め、どこか探るような声音だった。
「そうね。ここまで見せておいて、なにもないとは思えない」
水沢が小さく頷き、視線を廊下の奥へと向ける。
「それに、中川さんの態度。あれは……知らないというより、言えない顔だった」
森の言葉に、翔と結衣も無言で同意した。
ほんの一瞬の逡巡――だが、あの間こそが、沈黙の裏に潜む“歪み”を物語っていた。
そのときだった。
どこからともなく、風のような、掠れた囁きのような音が聞こえた。
誰も声を発していないのに、ふと耳の奥で反響するような、言葉にならない気配。
翔が身を固くしたのと、ほぼ同時だった。
「……いま、聞こえた?」
結衣が、声を潜めて言う。
「うん。でも……どこからだ?」
翔の視線が、再び“あの書庫”のある西棟へと向かう。数歩だけ歩みを進めたとき、今度は別方向――南の廊下の奥から、かすかに光が漏れているのが目に留まった。
「……あそこ、昨日は真っ暗だったよな?」
誰も答えなかった。代わりに、全員が自然と歩き出していた。
近づくにつれ、古びた絨毯の軋みが妙に耳に残る。微かな光は、ドアの下の隙間から漏れているものだった。
翔がそっとノブに手をかける。冷たい金属の感触。鍵は――かかっていない。
ゆっくりと開いた扉の先には、小さな応接室があった。
古いソファに、ひとつだけ点けられたスタンドライト。棚には誰かが最近まで読んでいたと思われる書籍が数冊。空間には、誰かの“生活の温度”が、まだ残されているようだった。
「……誰か、いた形跡があるわね」
結衣の言葉に、水沢が低く呟く。
「使われてる部屋が、空室として隠されてるってこと?」
森がゆっくりと室内を見回す。
「誰が、何のために?」
応接テーブルの上に、ひとつのノートが置かれていた。
無地の表紙、擦れた角。誰かが持ち歩いていたような形跡。
翔がページを開くと、手書きの文字が並んでいた。だが、内容は断片的で、読めるページは少なかった。
『……夜になると、音がする。人の歩く音……』
『……私の部屋の前で、止まる気配。ノックは、ない。ただ、気配だけが……』
『……姿は見えない。だが、確かに何かが――』
そこで、インクが掠れて途切れていた。
そのページを指でなぞったとき、紙の間から、小さなメモが滑り落ちた。
拾い上げたそれには、こう記されていた。
『二階の書庫の扉。あのノブは、内側からしか開けられないはずだった』
読んだ瞬間、翔の背に冷たい汗が伝った。
――ならば、昨日開いていたあの書庫は、誰が、どうやって?
「……これはもう、偶然じゃない。誰かが、俺たちに見せてる。そう思うしかない」
呟いた翔の声に、誰も反論しなかった。
むしろ、誰もがその誰かの存在を、すでに肌で感じ始めていたのだ。
沈黙は、ただの偶然ではない。
この館そのものが、過去の痕跡を通して、今も何かを語ろうとしている。
だが、それが誰に向けたものなのかは――まだ、誰にも分からなかった。
誰からともなく足を止め、互いの顔を確認するわけでもなく、ただ静かに――空気の変化を感じ取っていた。
館が、なにかを語ろうとしている。
だが、その言葉はすべて隠された断片であり、真相はまだ霧の奥に沈んだままだ。
「なあ……このまま戻るのも、なんか気持ち悪いよな」
相川が口を開いた。普段の軽口は鳴りを潜め、どこか探るような声音だった。
「そうね。ここまで見せておいて、なにもないとは思えない」
水沢が小さく頷き、視線を廊下の奥へと向ける。
「それに、中川さんの態度。あれは……知らないというより、言えない顔だった」
森の言葉に、翔と結衣も無言で同意した。
ほんの一瞬の逡巡――だが、あの間こそが、沈黙の裏に潜む“歪み”を物語っていた。
そのときだった。
どこからともなく、風のような、掠れた囁きのような音が聞こえた。
誰も声を発していないのに、ふと耳の奥で反響するような、言葉にならない気配。
翔が身を固くしたのと、ほぼ同時だった。
「……いま、聞こえた?」
結衣が、声を潜めて言う。
「うん。でも……どこからだ?」
翔の視線が、再び“あの書庫”のある西棟へと向かう。数歩だけ歩みを進めたとき、今度は別方向――南の廊下の奥から、かすかに光が漏れているのが目に留まった。
「……あそこ、昨日は真っ暗だったよな?」
誰も答えなかった。代わりに、全員が自然と歩き出していた。
近づくにつれ、古びた絨毯の軋みが妙に耳に残る。微かな光は、ドアの下の隙間から漏れているものだった。
翔がそっとノブに手をかける。冷たい金属の感触。鍵は――かかっていない。
ゆっくりと開いた扉の先には、小さな応接室があった。
古いソファに、ひとつだけ点けられたスタンドライト。棚には誰かが最近まで読んでいたと思われる書籍が数冊。空間には、誰かの“生活の温度”が、まだ残されているようだった。
「……誰か、いた形跡があるわね」
結衣の言葉に、水沢が低く呟く。
「使われてる部屋が、空室として隠されてるってこと?」
森がゆっくりと室内を見回す。
「誰が、何のために?」
応接テーブルの上に、ひとつのノートが置かれていた。
無地の表紙、擦れた角。誰かが持ち歩いていたような形跡。
翔がページを開くと、手書きの文字が並んでいた。だが、内容は断片的で、読めるページは少なかった。
『……夜になると、音がする。人の歩く音……』
『……私の部屋の前で、止まる気配。ノックは、ない。ただ、気配だけが……』
『……姿は見えない。だが、確かに何かが――』
そこで、インクが掠れて途切れていた。
そのページを指でなぞったとき、紙の間から、小さなメモが滑り落ちた。
拾い上げたそれには、こう記されていた。
『二階の書庫の扉。あのノブは、内側からしか開けられないはずだった』
読んだ瞬間、翔の背に冷たい汗が伝った。
――ならば、昨日開いていたあの書庫は、誰が、どうやって?
「……これはもう、偶然じゃない。誰かが、俺たちに見せてる。そう思うしかない」
呟いた翔の声に、誰も反論しなかった。
むしろ、誰もがその誰かの存在を、すでに肌で感じ始めていたのだ。
沈黙は、ただの偶然ではない。
この館そのものが、過去の痕跡を通して、今も何かを語ろうとしている。
だが、それが誰に向けたものなのかは――まだ、誰にも分からなかった。
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