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第3章 閉ざされた回廊
第3話 沈黙の名札
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東棟の廊下は、夜の帳が降りるに従って、さらに沈黙を深めていた。
薄暗い照明の下、足音が慎重に響く。翔を先頭に、結衣、水沢、森、中川の順に歩を進める。誰も声を出さない。ただ、それぞれの胸の内に、言葉にならぬ感情が渦巻いていた。
翔は立ち止まり、ふと扉のひとつに目を向けた。
「……ここの名札、最初からあったか?」
声を落としながら、指さした先のドアを皆が覗き込む。名札には、見覚えのない名前が書かれていた。だが、それが本当に「見覚えがない」のか、それとも「思い出せなくなっている」のか――誰にも言い切れなかった。
中川がそっと名札に触れる。
「この紙……他のとは違う。裏に日付が書かれてる。三年前の……」
彼女の指先が震えていた。結衣がそっと肩を押さえる。
「中川さん、何か……心当たりが?」
問いかけに即答せず、中川は目を伏せたまま、ゆっくり首を振った。ただ、その動きには、否定ではなく葛藤の気配が宿っていた。
森が壁際の消火器ボックスに目を留める。
「これ……中に、封筒が入ってる」
彼が引き出したのは、まるで誰かが“故意に”残したような茶封筒だった。中からは、印字された古い名簿の写しと、数枚の紙片が出てきた。
名簿には、現在ここにいるはずの人物よりも多い名前が記されていた。だが、不自然な空白と、かすれたインクで消された箇所がある。
「この名前……さっきの名札のと一致してる」
水沢が指さした先――そこには、確かに、名札の人物の名が記されていた。だが他の欄は塗りつぶされ、所属や招待理由は残っていない。
「誰かが意図的に、記録を消した……?」
翔の呟きに、誰もが息をのんだ。
静寂のなか、遠くで軋む音が聞こえた。
――ギィ……。
誰かが、別の扉を開いたような音だった。だが、この廊下には、もう誰もいないはずだった。
その場にいた全員が、瞬時に振り返る。
「今の、聞こえた?」
翔の問いに、全員が無言で頷いた。
「戻ろう。これ以上は、今は危険だ」
彼の言葉に誰も反対しなかった。
引き返す途中、中川は何度か振り返った。その瞳には、懐かしさとも不安ともつかぬ影が差していた。
その夜、ロビーに戻った彼らは、それ以上言葉を交わさず、それぞれの部屋へと散っていった。
翌朝、翔はひとり、再び東棟を訪れた。例の名札は、なくなっていた。消えていた。扉の前には、かすかな靴跡と、誰かの手紙の切れ端だけが残されていた。
――それが何を意味するのか、誰にもはっきりとは言えなかった。
だが、誰よりも、最初から違和感を抱いていた者たちは、静かに確信していた。
ここで何かが起きようとしている。
いや、既に――何かが始まっていたのだ。
薄暗い照明の下、足音が慎重に響く。翔を先頭に、結衣、水沢、森、中川の順に歩を進める。誰も声を出さない。ただ、それぞれの胸の内に、言葉にならぬ感情が渦巻いていた。
翔は立ち止まり、ふと扉のひとつに目を向けた。
「……ここの名札、最初からあったか?」
声を落としながら、指さした先のドアを皆が覗き込む。名札には、見覚えのない名前が書かれていた。だが、それが本当に「見覚えがない」のか、それとも「思い出せなくなっている」のか――誰にも言い切れなかった。
中川がそっと名札に触れる。
「この紙……他のとは違う。裏に日付が書かれてる。三年前の……」
彼女の指先が震えていた。結衣がそっと肩を押さえる。
「中川さん、何か……心当たりが?」
問いかけに即答せず、中川は目を伏せたまま、ゆっくり首を振った。ただ、その動きには、否定ではなく葛藤の気配が宿っていた。
森が壁際の消火器ボックスに目を留める。
「これ……中に、封筒が入ってる」
彼が引き出したのは、まるで誰かが“故意に”残したような茶封筒だった。中からは、印字された古い名簿の写しと、数枚の紙片が出てきた。
名簿には、現在ここにいるはずの人物よりも多い名前が記されていた。だが、不自然な空白と、かすれたインクで消された箇所がある。
「この名前……さっきの名札のと一致してる」
水沢が指さした先――そこには、確かに、名札の人物の名が記されていた。だが他の欄は塗りつぶされ、所属や招待理由は残っていない。
「誰かが意図的に、記録を消した……?」
翔の呟きに、誰もが息をのんだ。
静寂のなか、遠くで軋む音が聞こえた。
――ギィ……。
誰かが、別の扉を開いたような音だった。だが、この廊下には、もう誰もいないはずだった。
その場にいた全員が、瞬時に振り返る。
「今の、聞こえた?」
翔の問いに、全員が無言で頷いた。
「戻ろう。これ以上は、今は危険だ」
彼の言葉に誰も反対しなかった。
引き返す途中、中川は何度か振り返った。その瞳には、懐かしさとも不安ともつかぬ影が差していた。
その夜、ロビーに戻った彼らは、それ以上言葉を交わさず、それぞれの部屋へと散っていった。
翌朝、翔はひとり、再び東棟を訪れた。例の名札は、なくなっていた。消えていた。扉の前には、かすかな靴跡と、誰かの手紙の切れ端だけが残されていた。
――それが何を意味するのか、誰にもはっきりとは言えなかった。
だが、誰よりも、最初から違和感を抱いていた者たちは、静かに確信していた。
ここで何かが起きようとしている。
いや、既に――何かが始まっていたのだ。
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