蒼月館の招待状

天音 翔杜

文字の大きさ
23 / 45
第3章 閉ざされた回廊

第2話 欠けた声の在処

しおりを挟む
 誰からともなく、椅子の軋みと共に体が浮いた。

 再び歩き出すと決めたわけではない。けれど、この場に留まり続けることの方が、よほど危ういと感じた。
 重く静かな空気に背中を押されるように、翔たちは自然と立ち上がっていた。

「ちょっと……確認しておきたいことがある」

 翔が口を開いた。

「俺たちって、全員で何人だった?」

 唐突な問いに、水沢が眉をひそめた。

「八人よ。確か、名簿でも人数分の部屋でも、そうだったはず」

「そう、なんだけど……どうも引っかかるんだ」

 翔の目はロビーの奥――廊下へと続く扉に向いていた。

「館に来てから、ずっと誰かを見ていた気がするのに、誰だったのか思い出せない。
 部屋の中にいたことも、食堂で隣に座っていたことも、何度もあったような気がするのに――その顔がまるで、思い出せないんだ」

「記憶違い、ってだけじゃない?」

 水沢は苦笑したが、結衣が小さく首を振った。

「私も、さっきそれを考えてた。確かに“いた”って思えるのに、その人が話した言葉も、服の色も、印象すらぼやけてて……」

 中川が静かに呟いた。

「記録が残らない、ということが現実に起きているとすれば、誰かが“いた”という痕跡だけが、私たちの中に薄く残っているという可能性があります」

 森が、ロビーのソファに腰を下ろしながら口を挟んだ。

「それが沈んだ音の正体かもしれませんね。
 記録には残らず、ただこの空間に沈んでいく誰かの痕。それが、今、浮かび上がりかけている」

 全員が再び沈黙した。
 暖炉の灰は冷えきり、細く煙ることすらなくなっていた。

 翔はふと、暖炉の真上――肖像画の額縁を見上げた。

 鵜飼幸蔵の眼差しが、さっきよりもずっと深く沈んで見えた。
 その視線の先に、何かを伝えようとする意思すら感じられた。

「……一度、東棟を見に行ってみよう」

 翔の言葉に、誰も反対しなかった。

 あの場所に、彼らが“見落としていた何か”がある気がした。
 それはもしかすると、記録に残らなかった声――誰にも届かず、ただ館に沈み、今なお残り続けている痕跡かもしれない。

 そう、誰かの記憶の欠片が、あの回廊のどこかに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

私の優しいお父さん

有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。 少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。 昔、私に何があったんだろう。 お母さんは、どうしちゃったんだろう。 お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。 いつか、思い出す日が来るのかな。 思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。

処理中です...