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第3章 閉ざされた回廊
第1話 帳(とばり)の裏側で
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階段を引き返してから数分、翔たちは誰とも言葉を交わさなかった。
沈黙が支配する館内の空気は、先ほどよりもさらに重く、足元を伝う床の軋みさえ、どこかよそよそしく聞こえた。
翔は階段の手すりに手を添えながら、自分の掌がわずかに汗ばんでいることに気づいた。
(記録が消えても、記憶は残る……)
その言葉が、頭の奥に焼きついて離れない。
誰かの記録ではなく、自分たちの記憶こそが、いまこの館で何かを支えている。そんな直感だけが、薄暗い空間を進む手がかりだった。
ロビーへと戻る廊下の途中、結衣が立ち止まった。
「……翔、今、誰か通らなかった?」
「え?」
翔も足を止める。
遠く、ロビーの方から誰かの足音のようなものが聞こえた気がした。 硬く、規則的。けれど、すぐに消えてしまうような曖昧な音だった。
水沢が静かに呟く。「いま館にいるのは、私たちだけのはずなのに」
森も続ける。「いや、もしかすると、我々が知っている限りでは、そうだが……」
全員の視線が交錯する。だが、誰も口には出さない。疑念だけが、じわじわと染み込んでくるようだった。
翔が再び歩き出そうとしたとき、階段の陰から中川が口を開いた。
「……先生は、かつてこう言っていました。この館には、情報よりも先に沈む音があると」
「沈む音?」結衣が訊き返す。
「はい。文字にもならず、声にも出せず、ただ残るもの……それが、記録にならない“思念”なのかもしれません」
中川の言葉は穏やかだったが、その裏には、彼女自身の中にある確信のようなものが滲んでいた。
翔は頷きながら呟く。
「じゃあ、今俺たちが感じてるのは……その沈んだ音なのかもな」
会話はそれ以上続かなかった。
やがて一行はロビーへ戻り、暖炉の間に腰を下ろした。
そこには、変わらず鵜飼幸蔵の肖像画が掛かっていた。だが、今の彼らの目には、あの肖像の瞳が、何かを伝えようとしているようにも見えてしまう。
火は消えていた。残った灰の奥から、わずかな燻煙がまだ漂っていた。
翔は椅子に身を預け、結衣と視線を交わした。
「ここからだよな、たぶん」
「うん。ここから、本当に始まる」
それが何を意味するのかは、まだ誰にも分からなかった。
だが、扉の奥にあったのは終わりではなく、入口だったのだという感覚だけは、誰の胸にもあった。
沈黙が支配する館内の空気は、先ほどよりもさらに重く、足元を伝う床の軋みさえ、どこかよそよそしく聞こえた。
翔は階段の手すりに手を添えながら、自分の掌がわずかに汗ばんでいることに気づいた。
(記録が消えても、記憶は残る……)
その言葉が、頭の奥に焼きついて離れない。
誰かの記録ではなく、自分たちの記憶こそが、いまこの館で何かを支えている。そんな直感だけが、薄暗い空間を進む手がかりだった。
ロビーへと戻る廊下の途中、結衣が立ち止まった。
「……翔、今、誰か通らなかった?」
「え?」
翔も足を止める。
遠く、ロビーの方から誰かの足音のようなものが聞こえた気がした。 硬く、規則的。けれど、すぐに消えてしまうような曖昧な音だった。
水沢が静かに呟く。「いま館にいるのは、私たちだけのはずなのに」
森も続ける。「いや、もしかすると、我々が知っている限りでは、そうだが……」
全員の視線が交錯する。だが、誰も口には出さない。疑念だけが、じわじわと染み込んでくるようだった。
翔が再び歩き出そうとしたとき、階段の陰から中川が口を開いた。
「……先生は、かつてこう言っていました。この館には、情報よりも先に沈む音があると」
「沈む音?」結衣が訊き返す。
「はい。文字にもならず、声にも出せず、ただ残るもの……それが、記録にならない“思念”なのかもしれません」
中川の言葉は穏やかだったが、その裏には、彼女自身の中にある確信のようなものが滲んでいた。
翔は頷きながら呟く。
「じゃあ、今俺たちが感じてるのは……その沈んだ音なのかもな」
会話はそれ以上続かなかった。
やがて一行はロビーへ戻り、暖炉の間に腰を下ろした。
そこには、変わらず鵜飼幸蔵の肖像画が掛かっていた。だが、今の彼らの目には、あの肖像の瞳が、何かを伝えようとしているようにも見えてしまう。
火は消えていた。残った灰の奥から、わずかな燻煙がまだ漂っていた。
翔は椅子に身を預け、結衣と視線を交わした。
「ここからだよな、たぶん」
「うん。ここから、本当に始まる」
それが何を意味するのかは、まだ誰にも分からなかった。
だが、扉の奥にあったのは終わりではなく、入口だったのだという感覚だけは、誰の胸にもあった。
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