君の声が、届くまで

Haruto

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第8話 この声が、未来へ

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春の匂いがした。
 少し暖かい風が頬を撫でて、桜の蕾がほころび始めている。
 収録スタジオの前に立ちながら、俺——天野悠真は、深く息を吸った。
 今日から始まる新作アニメのアフレコ。
 タイトルは『リフレイン・ノート』。
 物語は、“声を失った少女と、彼女を導く少年”の話。
 不思議なことに、最初に台本を読んだ瞬間、胸の奥で何かが震えた。
 まるで、この作品のために俺たちは出会い直したんじゃないかって思った。
 そして——共演の相手は、相川葵。
***
 スタジオに入ると、彼女がもうブースに立っていた。
 ヘッドフォンをつけ、軽くマイクチェックをしている。
 ライトに照らされる横顔は真剣で、それでいて柔らかかった。
 「おはようございます、天野さん」
 葵が振り向いて笑う。
 その声だけで、胸の奥が温かくなる。
 「おはよう。今日も、よろしくな」
 「はい」
 短い言葉のやりとりなのに、十分だった。
 そこに込められた想いは、言葉の何倍も重かった。
***
 録音が始まる。
 ブースの中は、世界がひとつに閉じたような静けさ。
 マイクの前で呼吸を合わせ、監督の合図を待つ。
 > 「第1話、シーン25。少年と少女、初めて出会う場面——はい、スタート」
 録音ランプが点く。
 台本を見つめ、セリフを紡ぐ。
 > 「君の声を、もう一度聞きたかった」
 隣で、葵の声が応える。
 > 「……私も。あなたの声が、ずっと道しるべだった」
 その瞬間、心臓が高鳴った。
 芝居なのに、現実みたいだった。
 いや——きっと、現実のほうが物語に寄り添っているんだ。
 監督の「OK!」の声が響いた。
 ブースを出ると、スタッフが拍手していた。
 「最高だよ、二人とも! 息がぴったりだ」
 「ありがとうございます」
 葵が笑顔で頭を下げる。
 俺は隣で、そっと呟いた。
 「……ほんとに、また一緒にやれるなんて」
 葵が少しだけ照れくさそうに笑った。
 「ね。夢みたい」
***
 昼休み。
 スタジオの屋上に上がると、風が優しく吹いていた。
 遠くで電車の音がして、空には白い雲が流れていく。
 自販機で買った缶コーヒーを二つ持って、ベンチに座る。
 葵が隣に腰を下ろした。
 「……ねぇ、悠真」
 「うん?」
 「今でも思うんだ。あの雪の日、私、もう一度だけ声が届けばいいって願ったの」
 「届いたよ」
 「え?」
 「ちゃんと、届いてた。たとえ記憶がなくても、心のどこかにずっと残ってた」
 葵はゆっくりと笑った。
 風に髪が揺れて、頬に光が反射していた。
 その笑顔は、あの頃と同じ——でも、もう涙じゃなくて、希望の色だった。
 「……ありがとう」
 「俺の方こそ。君がいてくれたから、戻ってこられた」
 少しの沈黙。
 その静けさが、心地よかった。
***
 夕方、スタジオを出ると、街は淡いオレンジ色に染まっていた。
 車の音、人の声、春のざわめき。
 どれも新しい季節の音だ。
 「ねぇ悠真、次の現場も、一緒にやれるといいね」
 「きっとやれるさ。だって、俺たちは——」
 少し照れながら、言葉を続けた。
 「声で繋がってるから」
 葵が笑う。
 「それ、ちょっとくさい」
 「だよな」
 でも、二人とも笑いが止まらなかった。
 春の風が吹き抜ける。
 過去の痛みも、雪の日の涙も、少しずつ遠ざかっていく。
 もう、後ろは見なくていい。
 これからは——声で、未来を紡げばいい。
***
 夜。
 アパートの机の上に、葵からのメッセージが届いていた。
 > 『今日はありがとう。
  一緒にマイクの前に立てて、幸せでした。
  あの日の約束、やっと叶いましたね。』
 俺は返信を打った。
 > 『まだ途中だよ。
  これからも一緒に叶えていこう。
  君の声が、俺の隣にある限り。』
 送信ボタンを押して、スマホを置く。
 窓の外では、桜の花びらがひとつ舞った。
 夜の静けさの中で、俺は小さく呟いた。
 「……ありがとう、葵」
 そして思う。
 ——この声が、未来へ続いていく限り、もう迷わない。
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