愛犬はブルーアイズ

雨夜美月

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14.夏風邪は

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 俺は馬鹿だ。昨日あのまま玄関先の床でうっかりふて寝してしまったせいで風邪をひいてしまった。

 身体がだるくて、頭もぼーっとする。今日はオーダーミスや食器の破損を連発している。
 それでも何とか仕事をしていたのも夕方までで、寒い、めちゃくちゃ寒い、さっきから身体がガクガク震えている。

「なぁ、お前今日どうした大丈夫か?」

 厨房に避難してきた俺がうずくまって震えていると、大場がやってきて肩をさすってくれる。

「熱があるんじゃないか? そろそろ午後シフトのやつらも来るし、車で送ってやるから今日はもう帰って休め」

 クリスもそろそろ出勤してくる時間だ。
 昨日見たことは知らん顔するとしても、顔を合わせるのはちょっと複雑な心境だな。

「――モリナガさん?」

 そう思っていたら、事務所からクリスが出てきた。

「どうしたんですかッ?」

 駆け寄る気配を静止するように、大場がクリスに答える。

「いいからお前はさっさとホールに出ろ、森永は俺が見てるから心配ない」

「でも、モリナガさん……?」

 俺は顔を伏せたまま返事をしなかった。
 ちょっとした反抗心というか、他に本命がいるなら俺に構うなみたいな気持ちが、熱のせいで理性が効かないのか態度に出してしまった。

「いいから行け」

「…………はい」

 俺がそう言うと、クリスは名残惜しそうにホールに出ていった。

「車回してくるから着替えて待ってろ、送ってってやる」

 自分で帰れると言いかけて、俺はおとなしくうなずく。この体調は流石に送ってもらったほうがいいだろう。



 大場に肩を借りながら、重い身体を引きずってアパートの階段を一歩ずつ上る。

「お前、あいつと何かあったのか?」

 ギクと身体が強張る。俺は何も答えなかったが、筋肉の緊張で肯定が伝わってしまったかもしれない。

「まあ言いたくないなら別にいいが話したくなったら俺に話せ、力になってやる」

 ふらつく身体を支えてもらいながら部屋のカギを開けると、大場は部屋の中まで入って布団を敷いてくれた。

さっきからスマホの着信が鳴り止まない、たぶんクリスだろうけど、身体がだるくて確認する気にもなれない。

「ほら、横になれ」

 俺は今にも倒れ込みそうな身体を支えてもらいながら布団に横になる。

「……ありがとうございました」

「まったく、可哀そうにな」

「いや、昨日雨にぬれてそのままにしたけ俺が悪いんで……」

「いや、俺が言ったのは、お前があの金髪野郎に弄ばれて可愛そうってことだよ」

「……はっ?! 別に弄ばれてませんし、いや、付き合ってるとかじゃないし、っていうかクリスのことそんな風に言うのやめて下さい」

「はは、隠すことないって。お前は気づかれてないと思ってるかもしれないけど、あいつの方は俺を警戒して牽制しまくりだぞ?」

 まさか、大場に知られてたなんて。っていうかクリスが大場を牽制ってなんのために?

「でもあいつには他に相手がいたんだろ? 可哀想だなお前」

「別にそんなことっ」

 俺が気の毒なクリスの世話をしてやってるだけで、あいつの方が俺に懐いてきただけだ。だから俺は別に可哀想なんかじゃない。
 いや、そんなのは初めだけで、俺だってクリスのことが好きだ。

「慰めてやろうか、今ここで」

 熱で泥のように重い体を押さえつけるように、大場は肩を布団に押し付けてきた。逃げるに逃げられない状況で不穏な囁きを落とされ、俺はびくりと身を震わせる。

「いりません」

 大場が俺を狙っていると言ったクリスの忠告を今更思い出す。いくら言葉で気丈を装っても、大場がその気になったら今は敵わないだろう。

「いいね、そうやって強がる所がそそられる」

 大場の顔が近づいてくる気配に、俺はギュッと目を閉じる。

 そのとき、玄関チャイムの音と共にけたたましいノックの音が響く。

「モリナガさん! クリスです、開けて下さい!」

 俺の顔のすぐ近くで、ちっと大場が舌打ちをする。アパートの前に大場の車が止めてあるから、クリスには二人が中にいることは分かっているはずだ。

「いるんでしょう? 開けて下さい!」

 激しいノックの音が続き、大場は耐え兼ねた様子で俺の上から退くと玄関に向かった。

「るせぇな、近所メーワクだろうが」

「モリナガさんはっ? 入りますよ!」

 ここからは見えない玄関で二人の声がして、クリスが慌てた様子で靴を脱ぐ気配がする。
 助かったと思うのと同時に、こんな状況をクリスに見られたくない。クリスは大場に注意するよう言ってくれていたのに、俺はいったい何をしてるんだ。
 俺はいたたまれなくて握り締めた毛布の端を持ち上げ頭まで覆い被せる。

「おい、誰が入っていいって言った」

「いいから入れて下さい」

 玄関で二人がもみ合っている、誰かの身体が壁にぶつかる音がした。

「おい、待てっ!」

 下の部屋まで響いてしまいそうな足音を立て、どちらかが部屋まで入ってくる。たぶんクリスの方だ。

「モリナガさん、あの……?」

「……ちょっと熱っぽいだけだ」

 俺は何でもないように返事をしたが、やっぱり気まずくて毛布をギュッとつかんで顔を隠す。

「おら、お前帰れ。俺たちはお楽しみの最中だったんだよ、途中で中断されて森永だって迷惑してる」

 鈍い音がして、二人の気配が大きく揺らぐ。どちらかがよろけて床に倒れた。

「――痛ッてえな!」

「俺のモリナガさんに触れるな!」

 鬼気迫る怒鳴り声にびくりと肩が跳ねる。次の瞬間、掴んでいた毛布が強い力で身体の上から引きはがされる。驚いてその顔を見ると、怒りに満ちたクリスの表情が一瞬安堵の色を浮かべる。
 クリスに抱き起こされ、力の入らない身体を支えられて無理やり立たされる。

「クリス離してくれ、横になりたい……」

 急に立たされて頭がくらくらする。何なんだこの修羅場は。いいから二人とも出ていって俺を寝かせてくれ。

「クソガキ、何してやがる」

 部屋の隅に倒れ込んだ大場が、切れた口元から流れる血を手で拭っている。

「あなたには渡しません、この人は僕のものです!」

「おい!」

 立ち上がりかけた大場の制止を無視して、クリスは俺をほとんど担ぐようにして部屋を飛び出す。階段を下りる振動が頭に響いてめまいがする。

「おい、どこ連れてくつもりだ。下ろせっ。頼むから家で寝かせてくれ」

 クリスは俺の質問には答えず、階段下に泊まっていた車に俺を背中から押し込む。

「出して」

 運転手は他にいるらしい、後部座席の隣にクリスも乗り込んでくる。大場から逃れられたものの、もっとよくわからない状況に陥っている。
 倒れ込んだ身体をよじってシートに顔を押し付けると、目の前の景色が大きく回転する。
 どうして俺は連れ出されてこんなことになっているのか。やっと布団に入れたと思ったのに、寒くて体が震える。もう抵抗する力も残っていない。

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