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Case.04 心情
東都 東地区α 四月八日 午後三時二十六分
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見舞いと称して病室を訪ね、疾風と佐多の立ち合いの下で眠る対象の夢を共有していた疾斗は、握っていた美南の手を離して時間を確認すれば、長針はほんの僅かに動いている。
光の眩しさに目が眩み、極彩色の現実へ突如投げ出されたような感覚を払おうと頭を数度振れば、見慣れぬ黒髪姿の実兄に冷えたタオルを頬に付けられる。
労い代わりのそれを受け取り顔を拭えば、佐多が此方へと顔を向けてゆるりと笑みを見せながら首を傾げた。
「弟さん、何か分かったんです?」
「残念ながらめぼしい情報源は視えませんでした。判ったのは貴方の主人である美南龍弥さんが誰かと話していた事ぐらいです」
「誰かって?」
「そこまでは。会話の様子からして、それなりに懇意の間柄とは思いますが」
機械仕掛けの依頼者へ歯切れの悪い回答を述べることしか出来ぬ自分に苛立ちを覚え、一度呼吸を整える。
共有などと言えば聞こえは良いが、平たく言えば勝手に覗き見をしているだけに過ぎず、夢の中では相手と話すことはおろか此方が認識されることがない。
まして長期的に眠っている人間の夢を覗くのは初めてで、視覚情報が一切取れなかったことなど未経験だ。予測不能の事態に頭は混乱するだけで明確な答えが出せる状態ではない。
「…夢としての映像は見えなくても、お前が入り込めた上に声が聞こえたっつー事は、少なくとも脳は生きてるな。となると」
「待ってくれ請負人先生。弟さんがその[夢]ってやつに入れる事と主の思考機能の有無ってのは一体どういう関係なんです?」
「どういう関係ってそりゃ……あ」
あまりにも普通に話し答え、何が出来るのかを考えて行動を取るために、彼が人型機体だという事が抜けていたらしい。
失念に気付いた疾風の口が一度止まり、バツが悪そうに溜息を洩らし頭を掻くと、眉間に皺を刻んだ。
「あー……人間の[睡眠]ってのは、簡単に言えばお前さんで言う[充電]みたいなモンだ。睡眠を取ることで[脳]がその日の情報整理をして身体を休ませる。その情報整理中に映像のような物をここで見る事がある。それが【夢】だ」
「俺が壁に映像を出したりするのとは違うんですね…。でも請負人先生、今の話だとその日の情報処理の一部が睡眠なんでしょう?眠りについてから九九三日間・約二年半以上起きていない主の脳はずっと情報整理し続けている事になりません?」
「人間は脳がでかい上に妙に発達している。その上、感情を音に変えて相手に話す[言語]ってのまで持っているだけに、動物よりも複雑で面倒くせェ生き物でな。異様に印象に残る事があったりすると、繰り返し思い出したり考えたりして夢に見ちまう事があるんだよ」
自分がいる事で気が弛んでいる部分もあるのだろう、佐多へ使う実兄の言葉は依頼人と話すそれではなく、普段の言動となんら変わらない。
顔が険しいのは久々の医療業務に従事しているからだけではなさそうだが、聞いたところで適当にはぐらかされるのも疾斗は解っている。
親子の押し問答のようなやり取りを聞き流しながら、美南の言葉をメモへと書きつけて疾風の額に叩きつければ、意を汲んだ医師は落ち着きを取り戻す様に息を吐いた。
──────────
「………厄日か…」
吐露と共に机上へ突っ伏せば、院長宛と称して届けられた自分宛の書類達が雪崩れる。
人型機体を帰した後、再度連絡を入れた渡辺医師からは、朝と変わらぬ傲慢さと甲高い声で話された。
再度湧いた苛立ちを抑えつけ続けていた事で精神的疲労困憊の今はもう食欲すらなく、もはや言葉にならない音だけが口から漏れていく。
病室を出て行く疾斗へ声を掛ける暇もなく、面会時間一杯まで佐多の質問に答えていたためか、頭と口がいやに怠い。
(本当に声しか聞こえてなかったみてえだな…)
大抵は第三者の目線でその場を見つめて居る状態が多いらしく、目覚めてから書き付けてくれるのは状況詳細と出てきた人物の特徴書きが多い。しかし今回渡されたのは一方的な会話文以外に何も書かれておらず、視てきた本人が言っていた通りめぼしい物とは言えない。
とは言え、自分よりも能力代償リスクが高い疾斗が唯一掴んでくれた情報を無碍に扱う気はなく、崩れたままの紙束を左眼で眺めて美南について纏めた書面を探り取る。
(佐多が人型機体って割に、持ってる情報量少ねえんだよなぁ……物忘れ激しいっつーか)
佐多の機体は三年程前に生産停止となったモデルだ。
当時は安価でありながら性能が高い事で人気のある機体だったらしく、現在は中古機体は高値で取引され、記憶容量拡張チップとバッテリーは今だに販売されているという。
機械人形が事務所前に倒れていた際、彼の緊急充電を行なった姫築がそう話しながら製造日を確認し「過充電による劣化だが一般的な物よりも相当酷い」と首を傾げていたのを憶えている。
充電が記憶容量を破損するという話は聞いた事がないわけではないが、仮にそれだとすれば過去情報の検索遅延くらいはまだ判る。しかし、名前や顔の認識が甘くなるほど劣化する可能性などあるのだろうか。
「…人間よりも人間くせえっていうかなんつーか……ん?」
纏められた紙を一通り読み直し捲っていると、次頁に差し込まれている美南の個人別在住証明登録票の備考欄に見慣れた几帳面な文字が透けて見える。
左眼を閉じて通常の視界へと戻し、登録票のコピーを晒そうと書面の端を摘むと同時、扉から少々荒いノック音が響く。
疾風は慌てて紙束を引き出しへ投げ入れて開錠スイッチを入れた。
光の眩しさに目が眩み、極彩色の現実へ突如投げ出されたような感覚を払おうと頭を数度振れば、見慣れぬ黒髪姿の実兄に冷えたタオルを頬に付けられる。
労い代わりのそれを受け取り顔を拭えば、佐多が此方へと顔を向けてゆるりと笑みを見せながら首を傾げた。
「弟さん、何か分かったんです?」
「残念ながらめぼしい情報源は視えませんでした。判ったのは貴方の主人である美南龍弥さんが誰かと話していた事ぐらいです」
「誰かって?」
「そこまでは。会話の様子からして、それなりに懇意の間柄とは思いますが」
機械仕掛けの依頼者へ歯切れの悪い回答を述べることしか出来ぬ自分に苛立ちを覚え、一度呼吸を整える。
共有などと言えば聞こえは良いが、平たく言えば勝手に覗き見をしているだけに過ぎず、夢の中では相手と話すことはおろか此方が認識されることがない。
まして長期的に眠っている人間の夢を覗くのは初めてで、視覚情報が一切取れなかったことなど未経験だ。予測不能の事態に頭は混乱するだけで明確な答えが出せる状態ではない。
「…夢としての映像は見えなくても、お前が入り込めた上に声が聞こえたっつー事は、少なくとも脳は生きてるな。となると」
「待ってくれ請負人先生。弟さんがその[夢]ってやつに入れる事と主の思考機能の有無ってのは一体どういう関係なんです?」
「どういう関係ってそりゃ……あ」
あまりにも普通に話し答え、何が出来るのかを考えて行動を取るために、彼が人型機体だという事が抜けていたらしい。
失念に気付いた疾風の口が一度止まり、バツが悪そうに溜息を洩らし頭を掻くと、眉間に皺を刻んだ。
「あー……人間の[睡眠]ってのは、簡単に言えばお前さんで言う[充電]みたいなモンだ。睡眠を取ることで[脳]がその日の情報整理をして身体を休ませる。その情報整理中に映像のような物をここで見る事がある。それが【夢】だ」
「俺が壁に映像を出したりするのとは違うんですね…。でも請負人先生、今の話だとその日の情報処理の一部が睡眠なんでしょう?眠りについてから九九三日間・約二年半以上起きていない主の脳はずっと情報整理し続けている事になりません?」
「人間は脳がでかい上に妙に発達している。その上、感情を音に変えて相手に話す[言語]ってのまで持っているだけに、動物よりも複雑で面倒くせェ生き物でな。異様に印象に残る事があったりすると、繰り返し思い出したり考えたりして夢に見ちまう事があるんだよ」
自分がいる事で気が弛んでいる部分もあるのだろう、佐多へ使う実兄の言葉は依頼人と話すそれではなく、普段の言動となんら変わらない。
顔が険しいのは久々の医療業務に従事しているからだけではなさそうだが、聞いたところで適当にはぐらかされるのも疾斗は解っている。
親子の押し問答のようなやり取りを聞き流しながら、美南の言葉をメモへと書きつけて疾風の額に叩きつければ、意を汲んだ医師は落ち着きを取り戻す様に息を吐いた。
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「………厄日か…」
吐露と共に机上へ突っ伏せば、院長宛と称して届けられた自分宛の書類達が雪崩れる。
人型機体を帰した後、再度連絡を入れた渡辺医師からは、朝と変わらぬ傲慢さと甲高い声で話された。
再度湧いた苛立ちを抑えつけ続けていた事で精神的疲労困憊の今はもう食欲すらなく、もはや言葉にならない音だけが口から漏れていく。
病室を出て行く疾斗へ声を掛ける暇もなく、面会時間一杯まで佐多の質問に答えていたためか、頭と口がいやに怠い。
(本当に声しか聞こえてなかったみてえだな…)
大抵は第三者の目線でその場を見つめて居る状態が多いらしく、目覚めてから書き付けてくれるのは状況詳細と出てきた人物の特徴書きが多い。しかし今回渡されたのは一方的な会話文以外に何も書かれておらず、視てきた本人が言っていた通りめぼしい物とは言えない。
とは言え、自分よりも能力代償リスクが高い疾斗が唯一掴んでくれた情報を無碍に扱う気はなく、崩れたままの紙束を左眼で眺めて美南について纏めた書面を探り取る。
(佐多が人型機体って割に、持ってる情報量少ねえんだよなぁ……物忘れ激しいっつーか)
佐多の機体は三年程前に生産停止となったモデルだ。
当時は安価でありながら性能が高い事で人気のある機体だったらしく、現在は中古機体は高値で取引され、記憶容量拡張チップとバッテリーは今だに販売されているという。
機械人形が事務所前に倒れていた際、彼の緊急充電を行なった姫築がそう話しながら製造日を確認し「過充電による劣化だが一般的な物よりも相当酷い」と首を傾げていたのを憶えている。
充電が記憶容量を破損するという話は聞いた事がないわけではないが、仮にそれだとすれば過去情報の検索遅延くらいはまだ判る。しかし、名前や顔の認識が甘くなるほど劣化する可能性などあるのだろうか。
「…人間よりも人間くせえっていうかなんつーか……ん?」
纏められた紙を一通り読み直し捲っていると、次頁に差し込まれている美南の個人別在住証明登録票の備考欄に見慣れた几帳面な文字が透けて見える。
左眼を閉じて通常の視界へと戻し、登録票のコピーを晒そうと書面の端を摘むと同時、扉から少々荒いノック音が響く。
疾風は慌てて紙束を引き出しへ投げ入れて開錠スイッチを入れた。
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