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7-2.スイとネコ
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「怪我は?」
空中にネコを浮かべたまま、スイ・キーラルはそっけなく尋ねた。
案じるというよりただの確認のような、事務的な口調で。
「ない、です。……すみません」
応じるのは浮かべられたまま移動させられているネコ、言わずと知れたスノウである。
エルからの外出許可が下りて3日。
魔物ばかりの城をすぐさま探索する勇気のないスノウは、つい昨日まで相変わらずの生活を送っていた。
外に出たい、あわよくば逃げたい。そんな気持ちは山々だったのだが「ネコなんぞ八つ裂き」という当初のエルの脅しがしっかり利いていて、どうしても恐怖が先に立つ。
だが、いつものようにスノウに小魚(煮物)を持ってきたアイシャが窓辺で悶々としているスノウを見て、言ったのだ。
『お前、そのまんまじゃ太るんじゃねぇ?』
『……っ!!』
食事が低カロリーとはいえ、確かに上げ膳据え膳。
しかも本来人間であるスノウには縄張りを散歩する、なんて習性もない。
外出禁止も手伝って現在運動不足な自覚はあった。
このままじゃいけない、そう思い勇気を振り絞って運動、もとい探索に出た結果、こうしてスイの世話になっている。
スノウはそっと溜息をついて、スイの表情をうかがった。
スイは相変わらずの落ち着いた無表情で、その胸中はさっぱりわからない。
だがスノウにはスイが不機嫌である確信があった。
理由は簡単。
エルがネコを己のベッドに連れ込んだことである。
ばれるや否や、アイシャは予想通り火を噴かんばかりに怒り、その矛先はこれまた予想通りスノウだった。
ベッドにネコの毛が散れる、とまるで姑のような小言から始まり、ネコの与える悪影響(偏見)を延々と"スノウ"に言い続けた。
「そんなこと言われても」というのがスノウのもっともな言い分だったが、発言したところで火に油を注ぐだけなので黙ってやり過ごした。
一方のスイは、不穏なオーラを全身から放ちながらも何事もなかったかのように普段どおりにエルと会話していた。
それはそれで――むしろアイシャより怖い、とスノウは思った。
もう二度とゴメンだと、スノウは固く誓ったのだが。
スノウが誓ったところでどうにもならないのが現実である。
気づけば寝てる間にエルに拉致されている毎日が続いている。
こうまでされて目覚めもしない呑気な自分が情けないが、そこはエルが何かしらの魔法を使っているのだと無理に納得していた。
「あの……あのひと達、その、えらくびくびくしてたけど」
「そうですね。それが何か」
「スイは」
呼びかけてふと口ごもる。
呼び捨てて大丈夫だろうか? アイシャの烈火の如き怒りっぷりが思い出され、躊躇う。
チラリとスイを伺って目立った反応がないことに少し安堵して、言を継いだ。
「スイは、その、偉いの?」
言ってから「この聞き方はまずい」と気づいたが、口から出た言葉は戻らない。
尋ねたいのはこの城におけるスイの立場なのだが、どう尋ねればいいのか、また尋ねてもいいものなのかわからず、結局微妙な言い回しになってしまった。
更に機嫌を損ねやしないかと内心冷や汗をかきながら、スイの反応を待つ。
「……ええ、そうなるでしょうね。少なくとも彼らよりは”偉い”立場にあります」
ややあって、あっさりとスイが頷いた。
「私はエル様の兵を指揮する立場にありますから」
「指揮……スイは軍人なの?」
「それを言うなら、すべての魔物は軍人になりますよ。私たちはすべてがすべて、戦うために生きる種族ですから」
感情をめったに表さないスイの瞳が、このときばかりは誇らしげに煌いた。
スノウは少し意外な面持ちでスイを見つめた。
見たところ、武人というより文人といった風情のスイである。
長くずるずるした衣服をとってみても、およそ戦闘向きではない。勿論、そういう状況になれば衣服などいくらでも替えるだろうが。
「アイシャも私と同じ指揮官です。アイシャ・ヴォルグ、と聞けば城の外であっても知らぬ者はいませんよ」
「え、そうなの?」
確かにスイが武人というよりはしっくりくるものがある。
その口ぶりから相当な有名人であるようだ――指揮官なのだから当然と言えば当然なのだが。
だがあのアイシャにそんな役職が勤まるとは、と当人が耳にすれば怒り狂うこと間違いなしの感想を抱く。
それに、とスノウはアイシャを思い浮かべた。
アイシャの性格はひどく戦闘向きだ。好戦的で短気。
けれど外見はスイ同様、決して筋骨逞しいわけではない。雰囲気こそ粗暴だが、それらしく装えば文人といっても差し支えのない容姿をしている。
そんな、一見すると他の魔物より脆弱に見える彼らが、あれだけの魔物を従え統率しているという事実はスノウに小さな衝撃を与えた。
考えてみれば「長」たるエルですらあの外見なのだ。
魔物の強さが外見に左右されないのなら、やはりこれまで『人間』の世界で得た情報はその殆どが誤解に満ちているものということになる。
「二人とも強いんだね」
口調だけは呑気なスノウの相槌に、スイは緩く首を振った。
「私たちなど雑魚と変わりありません。魔王に侍るものたちに比べれば、私たちのそれなど児戯に等しい」
謙遜、ととるにはあまりにもその声が真剣だった。
「魔王……」
「そうです、あなた方が倒そうとしている存在。我らの王です」
スノウは記憶のページを手繰る。
メリルやフレイに散々教えられた情報だ。
すべての魔物を従えるという、強大な力を誇る魔王。不毛の地に屹立する巨大な岩山、その頂に聳える漆黒の城が、虚空城と呼ばれる魔王の居城と言われている。
果たしてそんな場所など存在するのか。
存在するとしても城など――或いは「王」など存在するのか。
限りなく伝承に近い、それでもその王さえ倒せば勝利できるという僅かな望みに縋って、多くの勇者が目指したもの。
そうか、『魔王』は実在するのか。
安堵半分、不安半分でスノウは思う。
「魔王の元に集うのは、貴族の中でも選ばれたごく一部。兵士は100万とも1000万とも」
「貴族って?」
「私たちにも階級があります。そうですね、人のそれと同じように考えてもらっても構いません。人の世界に王や貴族、兵士がいる――同じようなものです。人と違う点といえば、ここでは力がすべてであるということ」
スノウの体が下降を始め、思わずきょろきょろと辺りを見回す。
「この先なら大丈夫でしょう」
言って、スイはスノウを床に下ろした。ひんやりとした感触に、訳もなくほっとする。
「スイも貴族なの?」
ここで立ち去られてはたまらない、とスノウは勢い込んで尋ねる。
折角の機会だ。情報は得ておくに越したことはない。次の機会はいつ巡ってくるとも知れないのだ。
「ええ、そうです。私やアイシャは下級貴族……エル様のような上級貴族にお仕えしているものが殆どです」
「エルは上級貴族……」
なにやらよくわからないが、何となく階級的には上のようだ。
無意識に呼び捨てたことに、スイは大した反応も見せず、淡々と続けた。
「私たち下級貴族は数千、上級貴族は数百存在します。その更に上に六将軍が存在します」
「六将軍って?」
「魔王の軍勢を指揮する、王に次ぐ実力者です。彼らはそれぞれ己の軍団を持っています。そしてその軍勢に加わるのが上級貴族――つまりは下級貴族や魔族、魔人、魔獣を従えた軍勢です」
「……ええっと」
聞きなれない言葉が次々に飛び込んできて、うまく整理ができない。
上級貴族はエルのような魔物、下級貴族はスイやアイシャ、その下に先ほど危うい目にあわされた魔族……魔人だか魔獣だかは分からないが、そういった類の魔物が連なっているのだろう。
その上級貴族だというエルの更に上に、六将軍と呼ばれる存在がいる。上級魔族はエルだけではない筈だから、彼らの軍勢は芋づる式に増えていくことになる。
そういった存在が、恐らく6つもあるとなると――魔王の軍勢や如何に。
「……わぁ、すごい」
たかだか一介の「勇者」が対処しきれるものではない。
世界中の国が兵を出し合って、それでも尚勝利は難しい。
何せ相手は雑兵からして「魔物」と人々が恐れる存在なのだ。
「あなたが見ているのは氷山のごく一部。わかりますか、勇者。
これが人間が戦いを挑んでいる相手です」
ふと顔を上げると、スイの金色の目とぶつかった。
アイシャが燃え盛る炎の色なら、スイは年月を重ねた芳醇な林檎酒を思わせる、透明な色。
「私たちの半分も生きない身で、倒せますか?」
スノウはぱちぱちと瞬きをして考える。
スイはこう言いたいのだろう。
自分たちにすら勝てない人間が、そんな大軍を相手に勝てるはずがないと。だから戦いは無駄なことだと。
確かにそうだと思う。
漠然とした情報に翻弄されて、ただ『魔王』を倒すのだと言われ続けてきた。
がむしゃらに、それこそ犬死とも呼べる犠牲を払ってきた人間。
けれどここにきて初めて、「魔王を倒す」ことが現実感を帯びてきた。
魔王を倒すことはすべての魔物を敵に回すこと。
「そうだね。そう、思うよ」
スイが静かな瞳で見返した。その言葉を予想していたかのように。
「俺だって死にたくないし……今の話を聞いたら、尚更勝ち目ないって思うし」
犬死にしか思えない。
それはスノウの紛れもない本音でもあった。
次々と送られる勇者は一人も戻らず、仲間たちは命を落とす。
人を救うため。救世主となるため。魔王を倒すため。
その大儀のために、儚く死んでいく。
魔王を倒せばどうにかなる、などと本気で信じているはずはない。
魔王の存在すら怪しかった状況で、「勇者」は何のために命を捨てる必要があるのか。
それは記憶を失い、旅をしていく中で常々スノウが思っていたことだった。
小さな街を救い、少しずつ魔王に近づいていく。
そう誰もが言っていたけれど、そんな確証はないことも誰もが知っていた。
いつ終わるとも知れない、先の見えない戦い。
そんな日々を当然のように選んでいるメリルやフレイが不思議で、できることならスノウは選びたくないと思っていた。この身が勇者でなければ、と。
「だけど、引き返すことはできないよ」
首を振って言うスノウに、スイが僅かに目を見開いた。
「何故です」
「選んだんだ、この道を。その想いを俺が無駄にするわけにはいかないんだ」
きっと「スノウ」には勇者の道を選んだ理由があった。
選ばざるをえない事情か理由か、強い想いがあったに違いない。
でなければごく普通の青年が、あえて血なまぐさい戦いに身を投じる必要などないはずだ。
騎士や兵士、並いる強豪を押しのけてまで「勇者」になる必要など、ただの一介の庶民だった「スノウ」にはなかったはずなのだ。
「スノウ」が抱えていた強い想い。
それを知らない今のスノウが勇者をやめてしまうわけには行かない。
「スノウ」が必死で得た「勇者」を簡単に捨てるなんてことは。
「意外ですね」
ぽつりと落ちた呟きに、スノウは我に返った。
「え?」
「正直、あなたにそれだけの覚悟があるとは思いませんでした」
「へっ? 覚悟?」
覚悟なんてない。
それがあったのは記憶を失う前のスノウである。
「その姿のあなたからは想像もつきませんが……それなりに誇りと自覚がおありのよう」
スイは急に興味をなくしたように、視線を外す。
褒められているのか貶されているのか判断つきかねて、スノウは瞬きを繰り返す。
スイの誤解を解くべきかもしれない、と思い直して口を開いた。
「それでしたら私が口を挟む必要もありませんね。どうぞ今の話は忘れてください」
立ち去りそうな気配を感じて、スノウは慌てて呼び止めた。
「すっ、スイ!」
「……なんでしょう」
渋々といった様子でスイが振り向く。
「その、どうして俺にそんなこと……」
いくら軽んじられていても、スノウは「勇者」。
人間であり敵であることに変わりはない。
「単なる気まぐれです」
放り投げるように言って、スイは少し首を傾げて言葉を継ぐ。
「あえて理由をつけるなら――安穏と敵地で過ごしている勇者に少々苛立った、というところでしょうか」
さらりと言ってあるかなしかの笑みを口元に履く。
珍しい表情の変化だったが、台詞が台詞なだけに素直に感動もできない。
「……っそ、そうですか」
尻尾をぴんとたてて、スノウは思わずあとじさる。
「もしかしてまだ、その、怒ってるよね?」
「どれですか?」
何がではなく、どれが、ときた。
そう問われても思い当たる節はそれほど多くはないのだが。スイはどれに怒っているのだろう。或いはスノウの気づかぬどれかに怒っているのだろうか。
「あー……ええと、悪気はないんだよ。ただ目が覚めたらいつもエルのところにいるっていうだけで」
とりあえず、最も可能性が高そうな案件について弁解する。
何せ、毎回スノウには弁解の余地が与えられていないのだ。こんな状況でもとりあえず自発的行動ではないことを説明しておきたかった。
「ええ、わかっています。あなたにそんな度胸があるとは思っていません」
「そう、よかった」
胸を撫で下したあと、ちょっと切なくなる。
「あれほど妙な行動は控えてくださるよう申し上げているのですが。時期が時期ですし」
「時期?」
「……忙しい時期なのです」
少し躊躇う素振りを見せて、スイが言葉を濁した。
あまり聞かれたくないことらしい。
スノウはやたら忙しそうなエルを思い出す。そういえば最近忙しいのだと本人も口にしていた。
大方「仕事」とやらが忙しいのだろう。エルも大変だなあと呑気に考える。
「では私はこれで。私も制圧に加わらねばなりませんので」
「あ、うん。ありがとうスイ……」
ふとスイの言葉に引っかかりを覚える。
踵を返して足早に去っていく水色の後姿を眺めながら、スノウはぼんやりと考えた。
スイは「制圧」と口にした。それはつまり戦いを――恐らくは人間との戦いを指すのだろう。
人間と魔物との戦い。
ついこの間までスノウはそこにいた。人間側の希望として、魔物を倒すために。
勿論、実際に倒していたのはメリルやフレイ、そして多くの仲間と兵士たちであったけれど。
それがまるで遠い日のことのようで。
自分が何者なのか、何をしているのかわからなくなる。
倒すべき魔物たちの城に、こうして存在する自分は一体「何」なのか。
自分の感情の中にぽかりとした空洞があることに、スノウは気づいた。
己の情けなさや不甲斐なさを痛感し、悔い、罪悪感に苦しめられる。
それが普通の「勇者」の心理なのだろう。スノウにもその感情が全くないわけではない。
だが、希薄なのだ。
頭ではそれらを理解しているのに、強烈な感情が伴わない。
まるでガラス一枚隔てた向こう側にあるような、近くて遠い感情。
こうしている間にも、メリルやフレイは戦っているのに。
そう思っても、心は揺れない。
『お前は俺じゃないだろう?』
いつかの悪夢が胸の内で蘇る。
勇者を志した若者。正義感溢れる、勇者。
果たしてそれは本当に「自分」だったのか。
この現実こそが悪い夢なのではないだろうか。
「――本当に、俺なのかな……」
ひとり取り残された薄暗い回廊で、スノウは虚空をみつめて呟いた。
空中にネコを浮かべたまま、スイ・キーラルはそっけなく尋ねた。
案じるというよりただの確認のような、事務的な口調で。
「ない、です。……すみません」
応じるのは浮かべられたまま移動させられているネコ、言わずと知れたスノウである。
エルからの外出許可が下りて3日。
魔物ばかりの城をすぐさま探索する勇気のないスノウは、つい昨日まで相変わらずの生活を送っていた。
外に出たい、あわよくば逃げたい。そんな気持ちは山々だったのだが「ネコなんぞ八つ裂き」という当初のエルの脅しがしっかり利いていて、どうしても恐怖が先に立つ。
だが、いつものようにスノウに小魚(煮物)を持ってきたアイシャが窓辺で悶々としているスノウを見て、言ったのだ。
『お前、そのまんまじゃ太るんじゃねぇ?』
『……っ!!』
食事が低カロリーとはいえ、確かに上げ膳据え膳。
しかも本来人間であるスノウには縄張りを散歩する、なんて習性もない。
外出禁止も手伝って現在運動不足な自覚はあった。
このままじゃいけない、そう思い勇気を振り絞って運動、もとい探索に出た結果、こうしてスイの世話になっている。
スノウはそっと溜息をついて、スイの表情をうかがった。
スイは相変わらずの落ち着いた無表情で、その胸中はさっぱりわからない。
だがスノウにはスイが不機嫌である確信があった。
理由は簡単。
エルがネコを己のベッドに連れ込んだことである。
ばれるや否や、アイシャは予想通り火を噴かんばかりに怒り、その矛先はこれまた予想通りスノウだった。
ベッドにネコの毛が散れる、とまるで姑のような小言から始まり、ネコの与える悪影響(偏見)を延々と"スノウ"に言い続けた。
「そんなこと言われても」というのがスノウのもっともな言い分だったが、発言したところで火に油を注ぐだけなので黙ってやり過ごした。
一方のスイは、不穏なオーラを全身から放ちながらも何事もなかったかのように普段どおりにエルと会話していた。
それはそれで――むしろアイシャより怖い、とスノウは思った。
もう二度とゴメンだと、スノウは固く誓ったのだが。
スノウが誓ったところでどうにもならないのが現実である。
気づけば寝てる間にエルに拉致されている毎日が続いている。
こうまでされて目覚めもしない呑気な自分が情けないが、そこはエルが何かしらの魔法を使っているのだと無理に納得していた。
「あの……あのひと達、その、えらくびくびくしてたけど」
「そうですね。それが何か」
「スイは」
呼びかけてふと口ごもる。
呼び捨てて大丈夫だろうか? アイシャの烈火の如き怒りっぷりが思い出され、躊躇う。
チラリとスイを伺って目立った反応がないことに少し安堵して、言を継いだ。
「スイは、その、偉いの?」
言ってから「この聞き方はまずい」と気づいたが、口から出た言葉は戻らない。
尋ねたいのはこの城におけるスイの立場なのだが、どう尋ねればいいのか、また尋ねてもいいものなのかわからず、結局微妙な言い回しになってしまった。
更に機嫌を損ねやしないかと内心冷や汗をかきながら、スイの反応を待つ。
「……ええ、そうなるでしょうね。少なくとも彼らよりは”偉い”立場にあります」
ややあって、あっさりとスイが頷いた。
「私はエル様の兵を指揮する立場にありますから」
「指揮……スイは軍人なの?」
「それを言うなら、すべての魔物は軍人になりますよ。私たちはすべてがすべて、戦うために生きる種族ですから」
感情をめったに表さないスイの瞳が、このときばかりは誇らしげに煌いた。
スノウは少し意外な面持ちでスイを見つめた。
見たところ、武人というより文人といった風情のスイである。
長くずるずるした衣服をとってみても、およそ戦闘向きではない。勿論、そういう状況になれば衣服などいくらでも替えるだろうが。
「アイシャも私と同じ指揮官です。アイシャ・ヴォルグ、と聞けば城の外であっても知らぬ者はいませんよ」
「え、そうなの?」
確かにスイが武人というよりはしっくりくるものがある。
その口ぶりから相当な有名人であるようだ――指揮官なのだから当然と言えば当然なのだが。
だがあのアイシャにそんな役職が勤まるとは、と当人が耳にすれば怒り狂うこと間違いなしの感想を抱く。
それに、とスノウはアイシャを思い浮かべた。
アイシャの性格はひどく戦闘向きだ。好戦的で短気。
けれど外見はスイ同様、決して筋骨逞しいわけではない。雰囲気こそ粗暴だが、それらしく装えば文人といっても差し支えのない容姿をしている。
そんな、一見すると他の魔物より脆弱に見える彼らが、あれだけの魔物を従え統率しているという事実はスノウに小さな衝撃を与えた。
考えてみれば「長」たるエルですらあの外見なのだ。
魔物の強さが外見に左右されないのなら、やはりこれまで『人間』の世界で得た情報はその殆どが誤解に満ちているものということになる。
「二人とも強いんだね」
口調だけは呑気なスノウの相槌に、スイは緩く首を振った。
「私たちなど雑魚と変わりありません。魔王に侍るものたちに比べれば、私たちのそれなど児戯に等しい」
謙遜、ととるにはあまりにもその声が真剣だった。
「魔王……」
「そうです、あなた方が倒そうとしている存在。我らの王です」
スノウは記憶のページを手繰る。
メリルやフレイに散々教えられた情報だ。
すべての魔物を従えるという、強大な力を誇る魔王。不毛の地に屹立する巨大な岩山、その頂に聳える漆黒の城が、虚空城と呼ばれる魔王の居城と言われている。
果たしてそんな場所など存在するのか。
存在するとしても城など――或いは「王」など存在するのか。
限りなく伝承に近い、それでもその王さえ倒せば勝利できるという僅かな望みに縋って、多くの勇者が目指したもの。
そうか、『魔王』は実在するのか。
安堵半分、不安半分でスノウは思う。
「魔王の元に集うのは、貴族の中でも選ばれたごく一部。兵士は100万とも1000万とも」
「貴族って?」
「私たちにも階級があります。そうですね、人のそれと同じように考えてもらっても構いません。人の世界に王や貴族、兵士がいる――同じようなものです。人と違う点といえば、ここでは力がすべてであるということ」
スノウの体が下降を始め、思わずきょろきょろと辺りを見回す。
「この先なら大丈夫でしょう」
言って、スイはスノウを床に下ろした。ひんやりとした感触に、訳もなくほっとする。
「スイも貴族なの?」
ここで立ち去られてはたまらない、とスノウは勢い込んで尋ねる。
折角の機会だ。情報は得ておくに越したことはない。次の機会はいつ巡ってくるとも知れないのだ。
「ええ、そうです。私やアイシャは下級貴族……エル様のような上級貴族にお仕えしているものが殆どです」
「エルは上級貴族……」
なにやらよくわからないが、何となく階級的には上のようだ。
無意識に呼び捨てたことに、スイは大した反応も見せず、淡々と続けた。
「私たち下級貴族は数千、上級貴族は数百存在します。その更に上に六将軍が存在します」
「六将軍って?」
「魔王の軍勢を指揮する、王に次ぐ実力者です。彼らはそれぞれ己の軍団を持っています。そしてその軍勢に加わるのが上級貴族――つまりは下級貴族や魔族、魔人、魔獣を従えた軍勢です」
「……ええっと」
聞きなれない言葉が次々に飛び込んできて、うまく整理ができない。
上級貴族はエルのような魔物、下級貴族はスイやアイシャ、その下に先ほど危うい目にあわされた魔族……魔人だか魔獣だかは分からないが、そういった類の魔物が連なっているのだろう。
その上級貴族だというエルの更に上に、六将軍と呼ばれる存在がいる。上級魔族はエルだけではない筈だから、彼らの軍勢は芋づる式に増えていくことになる。
そういった存在が、恐らく6つもあるとなると――魔王の軍勢や如何に。
「……わぁ、すごい」
たかだか一介の「勇者」が対処しきれるものではない。
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アイシャが燃え盛る炎の色なら、スイは年月を重ねた芳醇な林檎酒を思わせる、透明な色。
「私たちの半分も生きない身で、倒せますか?」
スノウはぱちぱちと瞬きをして考える。
スイはこう言いたいのだろう。
自分たちにすら勝てない人間が、そんな大軍を相手に勝てるはずがないと。だから戦いは無駄なことだと。
確かにそうだと思う。
漠然とした情報に翻弄されて、ただ『魔王』を倒すのだと言われ続けてきた。
がむしゃらに、それこそ犬死とも呼べる犠牲を払ってきた人間。
けれどここにきて初めて、「魔王を倒す」ことが現実感を帯びてきた。
魔王を倒すことはすべての魔物を敵に回すこと。
「そうだね。そう、思うよ」
スイが静かな瞳で見返した。その言葉を予想していたかのように。
「俺だって死にたくないし……今の話を聞いたら、尚更勝ち目ないって思うし」
犬死にしか思えない。
それはスノウの紛れもない本音でもあった。
次々と送られる勇者は一人も戻らず、仲間たちは命を落とす。
人を救うため。救世主となるため。魔王を倒すため。
その大儀のために、儚く死んでいく。
魔王を倒せばどうにかなる、などと本気で信じているはずはない。
魔王の存在すら怪しかった状況で、「勇者」は何のために命を捨てる必要があるのか。
それは記憶を失い、旅をしていく中で常々スノウが思っていたことだった。
小さな街を救い、少しずつ魔王に近づいていく。
そう誰もが言っていたけれど、そんな確証はないことも誰もが知っていた。
いつ終わるとも知れない、先の見えない戦い。
そんな日々を当然のように選んでいるメリルやフレイが不思議で、できることならスノウは選びたくないと思っていた。この身が勇者でなければ、と。
「だけど、引き返すことはできないよ」
首を振って言うスノウに、スイが僅かに目を見開いた。
「何故です」
「選んだんだ、この道を。その想いを俺が無駄にするわけにはいかないんだ」
きっと「スノウ」には勇者の道を選んだ理由があった。
選ばざるをえない事情か理由か、強い想いがあったに違いない。
でなければごく普通の青年が、あえて血なまぐさい戦いに身を投じる必要などないはずだ。
騎士や兵士、並いる強豪を押しのけてまで「勇者」になる必要など、ただの一介の庶民だった「スノウ」にはなかったはずなのだ。
「スノウ」が抱えていた強い想い。
それを知らない今のスノウが勇者をやめてしまうわけには行かない。
「スノウ」が必死で得た「勇者」を簡単に捨てるなんてことは。
「意外ですね」
ぽつりと落ちた呟きに、スノウは我に返った。
「え?」
「正直、あなたにそれだけの覚悟があるとは思いませんでした」
「へっ? 覚悟?」
覚悟なんてない。
それがあったのは記憶を失う前のスノウである。
「その姿のあなたからは想像もつきませんが……それなりに誇りと自覚がおありのよう」
スイは急に興味をなくしたように、視線を外す。
褒められているのか貶されているのか判断つきかねて、スノウは瞬きを繰り返す。
スイの誤解を解くべきかもしれない、と思い直して口を開いた。
「それでしたら私が口を挟む必要もありませんね。どうぞ今の話は忘れてください」
立ち去りそうな気配を感じて、スノウは慌てて呼び止めた。
「すっ、スイ!」
「……なんでしょう」
渋々といった様子でスイが振り向く。
「その、どうして俺にそんなこと……」
いくら軽んじられていても、スノウは「勇者」。
人間であり敵であることに変わりはない。
「単なる気まぐれです」
放り投げるように言って、スイは少し首を傾げて言葉を継ぐ。
「あえて理由をつけるなら――安穏と敵地で過ごしている勇者に少々苛立った、というところでしょうか」
さらりと言ってあるかなしかの笑みを口元に履く。
珍しい表情の変化だったが、台詞が台詞なだけに素直に感動もできない。
「……っそ、そうですか」
尻尾をぴんとたてて、スノウは思わずあとじさる。
「もしかしてまだ、その、怒ってるよね?」
「どれですか?」
何がではなく、どれが、ときた。
そう問われても思い当たる節はそれほど多くはないのだが。スイはどれに怒っているのだろう。或いはスノウの気づかぬどれかに怒っているのだろうか。
「あー……ええと、悪気はないんだよ。ただ目が覚めたらいつもエルのところにいるっていうだけで」
とりあえず、最も可能性が高そうな案件について弁解する。
何せ、毎回スノウには弁解の余地が与えられていないのだ。こんな状況でもとりあえず自発的行動ではないことを説明しておきたかった。
「ええ、わかっています。あなたにそんな度胸があるとは思っていません」
「そう、よかった」
胸を撫で下したあと、ちょっと切なくなる。
「あれほど妙な行動は控えてくださるよう申し上げているのですが。時期が時期ですし」
「時期?」
「……忙しい時期なのです」
少し躊躇う素振りを見せて、スイが言葉を濁した。
あまり聞かれたくないことらしい。
スノウはやたら忙しそうなエルを思い出す。そういえば最近忙しいのだと本人も口にしていた。
大方「仕事」とやらが忙しいのだろう。エルも大変だなあと呑気に考える。
「では私はこれで。私も制圧に加わらねばなりませんので」
「あ、うん。ありがとうスイ……」
ふとスイの言葉に引っかかりを覚える。
踵を返して足早に去っていく水色の後姿を眺めながら、スノウはぼんやりと考えた。
スイは「制圧」と口にした。それはつまり戦いを――恐らくは人間との戦いを指すのだろう。
人間と魔物との戦い。
ついこの間までスノウはそこにいた。人間側の希望として、魔物を倒すために。
勿論、実際に倒していたのはメリルやフレイ、そして多くの仲間と兵士たちであったけれど。
それがまるで遠い日のことのようで。
自分が何者なのか、何をしているのかわからなくなる。
倒すべき魔物たちの城に、こうして存在する自分は一体「何」なのか。
自分の感情の中にぽかりとした空洞があることに、スノウは気づいた。
己の情けなさや不甲斐なさを痛感し、悔い、罪悪感に苦しめられる。
それが普通の「勇者」の心理なのだろう。スノウにもその感情が全くないわけではない。
だが、希薄なのだ。
頭ではそれらを理解しているのに、強烈な感情が伴わない。
まるでガラス一枚隔てた向こう側にあるような、近くて遠い感情。
こうしている間にも、メリルやフレイは戦っているのに。
そう思っても、心は揺れない。
『お前は俺じゃないだろう?』
いつかの悪夢が胸の内で蘇る。
勇者を志した若者。正義感溢れる、勇者。
果たしてそれは本当に「自分」だったのか。
この現実こそが悪い夢なのではないだろうか。
「――本当に、俺なのかな……」
ひとり取り残された薄暗い回廊で、スノウは虚空をみつめて呟いた。
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