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一言で言えば人に使われた人生だった。
木下一蔵は高校を卒業後、地元で林業に従事した。
頼まれた断れない責任感の強い性格は経営者からすれば扱いやすかった。
長時間労働や危険な現場も進んで引き受ける。
晩酌の時に愚痴は言っても直接文句は言わずに働き続けた。
お見合いで結婚した女房はそんな木下を静かに支え、息子は父親のようにはなりたくないと名古屋の大学へ進学し、そのままカーディラーとして働いている。
今のは木下は少ない年金でなんとか生活していた。
女房は亡くなり、あとは朽ちていくだけの人生だと悟っていた。だが人一倍頑丈にできた体は中々壊れず、歯痒ささえ覚えた。
そんな木下が町長に立候補したのはある種の復讐でもあった。
常に使われてきた自分。そんな自分に人を使う側になれるチャンスが訪れた。
町をどうにかしたいという責任感は当然あったが、その裏にはこの町の住人を見返してやりたいという反発心も隠れていた。
だがそれらは誰にも支持されないという現実によって自信の喪失によって薄れ、それでも最後までやりきるという気概によって上塗りされ、今はどこか晴れ晴れとした気持ちに変わっていた。
そんな木下には誰にも言えない秘密があった。
午後八時。法律に基づいて選挙演説が禁止された時間に身支度を終えて家に帰る。
その途中、木下は猫神神社にお参りをしていた。
神社は町外れにある為、夜になれば周囲には誰もいない。その時間を狙って赴いた。
猫神ルールに反対している木下だが、猫神自体を嫌っているわけではない。
孤軍奮闘する中、神にもすがりたくなるのは自然な流れだった。
しかしあれだけ反対している自分が猫神神社に必勝祈願をしに来ているとバレれば表立っては支持できない人々が離れていってしまうかもしれない。
なので誰にも誰にも知られないよう木下は神社に来ていた。
疲れた足で長い階段をゆっくりと上がり、五円だけ賽銭箱に入れて必勝を祈願する。十五分もすれば終わるルーティンだ。
現在町では祭りの用意をしている最中だが、みんな日が暮れると帰るため、木下の秘密がバレることはない。
そのはずだった。
神社にやって来た木下はいつもなにもない駐車場の一番奥に車が一台停まっているのを見つけた。
見たことのない車だ。町長の車なら警察が持っていったはずだが、はて、誰のだろうか。
人が乗っていると困る。まずは確認して、誰も乗っていなければ神社に向かおう。こんな時間だ。誰もお参りには来ていないだろう。
そう考えて木下は車に近づいていった。
駐車場の奥には街灯が一つあるだけで進めば進むほど薄暗かった。そのせいで木下は車のすぐ側に来るまで中にいる人物が誰だか分からない。
それが分かったのは木下が車から三メートルほどまで近づいた時だった。
運転席のドアが開き、中から人影が出てくる。
木下は男に見覚えがあった。だが誰なのか思い出せない。
「あんた。どこかで――――」
木下が話しかけようとした時だった。その人物が手になにかを持っていることに気付く。
その人物が近づくと街灯の光が微かに反射し、それが刃物であることが分かった。
しかしその時にはあと二歩の距離まで近づかれていた。
「ひっ!」
木下はその場で尻餅をついた。逃げようとするが突然のことで声も上げられない。
山を歩いていてヒグマと鉢合わせたようなものだ。目の前の状況を脳が現実と判断するまで人は動けない。年老いた木下も例外ではなかった。
一方で車から降りてきた人物は落ち着いていた。
まるで散歩でもするようにすたすたと近づき、手に持ったナイフを僅かに引く。
狙いは喉の近くにある頸動脈。喉を潰して声を出せなくしつつ、大量出血による出血死が狙える人体の急所だ。
人間は襲われると反射的に両腕を上げて身を守る。この時できる傷を防御創と言う。
防御創ができると一撃では人を殺せない。
それを知っていた彼は刺し殺すのではなく、両腕の横からナイフを入れて斬り殺そうと瞬時に判断した。
時間にして僅か0,5秒。
だがその微かな時間が木下を救った。
「そこまでだ」
その人物がナイフを振るう前に神社の入り口から男の声が聞こえた。
彼が手を止めて顔を上げると有馬が汗を流し、息を切らして立っていた。
有馬は彼に持っていた懐中電灯を向けた。
すると彼の顔が明らかになる。だが有馬は驚かない。
「やっぱりあんただったのか」
ナイフを持っていたのは銀行員の大槻だった。
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