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「こっちです」
里香は廊下に戻ると左に曲がった。すぐにドアがあり、そこを抜けると五メートルほどの渡り廊下が現れる。その先にさきほどの屋敷と同じ煉瓦造りの小さな離れがあった。
離れからは庭が一望でき、そこだけ世界と隔離されたような静けさを持っていた。
中に入ると明かりが付いていないにもかかわらず外からの光だけで明るかった。
レースのカーテンが揺れる掃き出し窓から外に出ると広いベランダに車椅子が置かれ、そこに白髪の老婆がワンピースを着てストールを巻いて座っていた。
「おばあちゃん。見学に来た人が話したいって」
里香がそう言うと老婆は電動車椅子を操作してゆっくりと振り向いた。
真理恵は立ち居振る舞いに気品を感じた。昔は相当の美人だったのだろうとも思いながら会釈する。
「その、子供が友達に連れられて来たものですから。挨拶でもと思って」
老婆は真理恵をじっと見て、低くはっきりした声で告げた。
「あなたの子供じゃないんだね」
真理恵は目を丸くする。
「ええ……。まあ……。その、変わった子で……」
「誰だってそう」老婆は再び庭の方を向いた。「変わってない子なんて、それこそ変わってる。無個性や普通さは管理しやすいだけで一種の病気よ。馬鹿な親は子供を機械にしたがる。能力が低くても管理できるように」
その物言いに里香は苦笑しながら真理恵に囁いた。
「こういう人なんです。あんまり気にしないでください」
真理恵も苦笑すると老婆は庭を見つめた。庭の向こうにある小さな物置に向かって小白と蒼真が走っていた。
「好きにさせたらいい。人は誰しもそれを望んでいるのに他者に対してはそれを許さない」
老婆はポケットから煙草を取り出し、それを一本咥えるとジッポで火を付け、ふかした。
「管理して管理されることへの安心感から抜け出せないまま大人になるとろくな人間にならない。どこかで強度不足が露呈する。そしてそれに気付かないまま壊れる。その子みたいに」
里香は口をぎゅっとつぐんで俯いた。老婆はまた煙草を吸って煙を吐いた。
「親は子供により良い生活を送ってほしいと願いながら、心のどこかで自分を越えることを恐れている。いつまでも自分が世話を焼く側にいたいのは管理者が管理されないように立ち回っているだけだとしたら、それはひどく滑稽でタチが悪い。その管理者は子供より早くこの世から消えるのだから、無責任にもほどがある。残された子供は管理されることしか知らないのだからね」
「えっと……」
真理恵は老婆の会話に戸惑っていた。
老婆は微笑し、再び真理恵の方を向いた。
「要は誰もが誰かを縛り続けることはできないということ。どれだけ願っても人が死ぬ限りそれは叶わない。なら最初から手放してしまえばいい。試されているのは常に親の度量であって、それは子供が大人になるまで変わらない」
「わたしはその、親というわけでは……」
「結局のところ人間関係は信用するかしないかでしかない。重要なのはそれのみであって、間柄の名前はどうだっていい。親も兄弟も友人も夫婦も恋人もただの記号にすぎないし、そこに信用がなければ形骸化する」
「……なにが言いたいんですか?」
怪訝な顔をする真理恵に老婆は微笑して告げた。
「まずはあなたが強くなるべきであって、足りないところをあの子に押しつけるべきではない。なぜなら子供は大人が思っているよりずっと強いから。ただ、脆いだけ。子供は大人が捨てた野生をまだ手放していない。大人は自らが管理されやすいよう野生を捨て、規律を身に付ける。だけど同時に愚かにも自らが管理者になりたいとも願ってしまう。その度量を持ち合わせていなくても。未熟で不完全な管理者に管理されるより個としての強度が高い子供に任せた方が長期的に見れば強く育つ。そう思わない?」
真理恵は「さあ……」と肯定も否定もしなかった。
老婆は隣のテーブルに置いてあった灰皿に煙草を押しつけ、言った。
「これからも来たければ来ればいいし、来たくなければ来ないでいい。それはあの子が決めることだから。あなたもいずれ分かる。自分が管理者でないことが」
老婆はそう言うと電動車椅子を動かし、ベランダからスロープを通って庭に出ていった。
里香は廊下に戻ると左に曲がった。すぐにドアがあり、そこを抜けると五メートルほどの渡り廊下が現れる。その先にさきほどの屋敷と同じ煉瓦造りの小さな離れがあった。
離れからは庭が一望でき、そこだけ世界と隔離されたような静けさを持っていた。
中に入ると明かりが付いていないにもかかわらず外からの光だけで明るかった。
レースのカーテンが揺れる掃き出し窓から外に出ると広いベランダに車椅子が置かれ、そこに白髪の老婆がワンピースを着てストールを巻いて座っていた。
「おばあちゃん。見学に来た人が話したいって」
里香がそう言うと老婆は電動車椅子を操作してゆっくりと振り向いた。
真理恵は立ち居振る舞いに気品を感じた。昔は相当の美人だったのだろうとも思いながら会釈する。
「その、子供が友達に連れられて来たものですから。挨拶でもと思って」
老婆は真理恵をじっと見て、低くはっきりした声で告げた。
「あなたの子供じゃないんだね」
真理恵は目を丸くする。
「ええ……。まあ……。その、変わった子で……」
「誰だってそう」老婆は再び庭の方を向いた。「変わってない子なんて、それこそ変わってる。無個性や普通さは管理しやすいだけで一種の病気よ。馬鹿な親は子供を機械にしたがる。能力が低くても管理できるように」
その物言いに里香は苦笑しながら真理恵に囁いた。
「こういう人なんです。あんまり気にしないでください」
真理恵も苦笑すると老婆は庭を見つめた。庭の向こうにある小さな物置に向かって小白と蒼真が走っていた。
「好きにさせたらいい。人は誰しもそれを望んでいるのに他者に対してはそれを許さない」
老婆はポケットから煙草を取り出し、それを一本咥えるとジッポで火を付け、ふかした。
「管理して管理されることへの安心感から抜け出せないまま大人になるとろくな人間にならない。どこかで強度不足が露呈する。そしてそれに気付かないまま壊れる。その子みたいに」
里香は口をぎゅっとつぐんで俯いた。老婆はまた煙草を吸って煙を吐いた。
「親は子供により良い生活を送ってほしいと願いながら、心のどこかで自分を越えることを恐れている。いつまでも自分が世話を焼く側にいたいのは管理者が管理されないように立ち回っているだけだとしたら、それはひどく滑稽でタチが悪い。その管理者は子供より早くこの世から消えるのだから、無責任にもほどがある。残された子供は管理されることしか知らないのだからね」
「えっと……」
真理恵は老婆の会話に戸惑っていた。
老婆は微笑し、再び真理恵の方を向いた。
「要は誰もが誰かを縛り続けることはできないということ。どれだけ願っても人が死ぬ限りそれは叶わない。なら最初から手放してしまえばいい。試されているのは常に親の度量であって、それは子供が大人になるまで変わらない」
「わたしはその、親というわけでは……」
「結局のところ人間関係は信用するかしないかでしかない。重要なのはそれのみであって、間柄の名前はどうだっていい。親も兄弟も友人も夫婦も恋人もただの記号にすぎないし、そこに信用がなければ形骸化する」
「……なにが言いたいんですか?」
怪訝な顔をする真理恵に老婆は微笑して告げた。
「まずはあなたが強くなるべきであって、足りないところをあの子に押しつけるべきではない。なぜなら子供は大人が思っているよりずっと強いから。ただ、脆いだけ。子供は大人が捨てた野生をまだ手放していない。大人は自らが管理されやすいよう野生を捨て、規律を身に付ける。だけど同時に愚かにも自らが管理者になりたいとも願ってしまう。その度量を持ち合わせていなくても。未熟で不完全な管理者に管理されるより個としての強度が高い子供に任せた方が長期的に見れば強く育つ。そう思わない?」
真理恵は「さあ……」と肯定も否定もしなかった。
老婆は隣のテーブルに置いてあった灰皿に煙草を押しつけ、言った。
「これからも来たければ来ればいいし、来たくなければ来ないでいい。それはあの子が決めることだから。あなたもいずれ分かる。自分が管理者でないことが」
老婆はそう言うと電動車椅子を動かし、ベランダからスロープを通って庭に出ていった。
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