路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 真理恵は前を歩く子供達について行くのが精一杯なことに気付き、自分はもう若くないことに気付いた。
 だがまだおばさんという年齢とも思わない。だとしても五才くらいの子供からすれば三十五歳などよっぽど大人に見えるんだろう。
 結婚に出産。そういった普通の経験をするには今から大慌てで動き出さないと到底間に合わないが、真理恵にそんな気力はなかった。
 そうしたことを求めるには真理恵の環境は普通とは違いすぎたし、母親から解放されるのが遅すぎた。
 三十を超えた時、真理恵はずっと母とそれを介護する兄をサポートをする覚悟を決めていた。そもそもしわが濃くなった派遣の女をどこの誰が嫁にもらおうと思うのか。
 真理恵はそう考えていたし、今さら綺麗になったり男に媚びたりする気がなかった。
 本当は一度諦めた人生にもう一度手を伸ばす気力が湧かないだけだったが、どちらにせよなにをしても今更感が拭えない。
 ああ。だから自分はおばさんなのか。
 坂を登っている途中、真理恵は額の汗を拭いながら先ほど胸に刺さったおばさんという言葉をそっとその胸にしまった。
 先生が住むその屋敷は公園から十分ほど歩いた町外れにあった。散らかった古い町を横切り、坂を登った先に待っていたのは煉瓦の塀に囲まれた洋風の家だ。
 手入れされている広い庭にオリーブやローズマリー、ラベンダーなど色とりどりの花が植えられ、真ん中にある小さな池には煉瓦の橋も架かっていた。
 三階建ての古い洋屋敷はオレンジの煉瓦に薄い水色の窓がよく映え、まるで異国に迷い込んだように思わせる。建物の一番上では風見鶏が青空を背景に添えられていた。
 町からも車通りの多い道路からも離れたここは風と鳥や虫の鳴き声だけが聞こえる静かな場所だった。
 ずっとこの町に住んでいる真理恵も屋敷を見上げ、そう言えばこんなところもあった気がするくらいの認識しかなかった。
「ちょっと先生を呼んできます」
 蒼真はそう言って中に入っていった。少しすると言っていた通り三十代くらいの女が出てきた。エプロンを着け、短い髪の女は真理恵に明るく笑いかける。
「見学の方ですか?」
「見学? えっと、ええ、まあ」
 真理恵は話について行けず、とりあえず頷いた。女はよく通った声で告げる。
「では中にどうぞ」
 開けられた門から庭に入ると石畳が曲がりながらも屋敷の玄関に案内してくれる。石畳の両側には草花が植えられ、そこを歩くだけで少し楽しくなった。
 玄関に入ると小さな靴が脱ぎ捨てられていた。それを見て女は苦笑する。
「すいません。ちゃんと並べるように言ってるんですけど」
 真理恵は玄関から廊下に上がりながら尋ねた。
「はあ……。その、子供を預かっているんですか?」
「あれ? ご存じないんですか?」
 女はキョトンとした。
「わたしてっきり。そう言えば自己紹介もまだでしたね。わたし、花村里香って言います。みんなからは先生って呼ばれてますけど」
 里香はぺこりと頭を下げた。その横で蒼真が小白を誘う。
「ねこならあっちにいるよ」
「うん」
 蒼真と小白は廊下を走ってどこかに行ってしまった。真理恵は「こら」と叱るがもう姿は見えない。真理恵は里香について行きながら尋ねた。
「先生というと……保育園かなにかですか?」
「えっと、なんて説明していいか分からないですけど保育園ではないです」
 里香は奥の部屋に真理恵を案内した。その部屋はかなり広く、机や椅子、テーブルなどが置いてあり、本や玩具もあった。
「ここは子供達が自由に過ごす場所なんです。勉強してもいいし、遊んでもいい。ゲームを持ってきてやってる子もいます」
「児童館みたいな感じですか?」
「あー。そうですね。だけど厳密に言えばただうちの広いリビングを開放してるだけなんです。わたし子供食堂でボランティアしてるんですけど、両親が忙しい家庭だと子供が一人ぼっちなんですよね。幼稚園とか保育園とかはお金かかるし」
「そうですね」
「はい。だからその、そこにいる子に暇だったらうちに遊びにおいでよって言ったのが始まりなんです。そしたらいつの間にか集まってきちゃって。一応保護者の許可はもらってるし、連絡先も知ってるんですけど、特に施設とかって感じでもないんですよね」
「じゃあ、趣味で?」
「そんな感じです。あ。一応時間は決まってます。朝の九時から夜の八時まで。大体は暗くなる前に帰してますね。ここは祖母の家なんですけど、よく言ってるんです。昔は地域で子供を見てたのに、今はそんなことしない。親が全部やろうとしてしんどくなってるんだって」里香は苦笑した。「まあ、仕方ないですけどね。近所の人とも話さない時代ですから。さっきのは息子さんですか?」
「帽子の? いえ、娘です。いや、厳密には娘でもないんですけど……。その、預かってる子で……」
「はあ……」
 歯切れの悪い真理恵に対し、里香は首を傾げた。
「まあうちは誰でも歓迎ですよ。ちっちゃい子から中学生くらいまでいますね。大きい子だと学校の宿題しに来たり、ちっちゃい子に教えてあげたりしてます。基本は自由なんですけど、ルールが一つだけあるんです」
「ルール?」
「はい。全ての問題は子供達で解決すること。これだけです。大人は介入しません」
「一切?」
「話くらいは聞きますけどね。でもなにもしません。こんなこと言うと怒られるんですけど、そんなに責任を取るつもりはないんです。うちはただリビングを開放してるだけですから。心配ならきちんとしたところに預けてくださいと言っています。幼稚園でも保育園でもベビーシッターでも祖父でも祖母でもそちらにどうぞ」里香はまた苦笑した。「まあ、それができるならうちに遊び来る子なんていないですけどね。一応大人の目があるけど、それだけです。この前だって追いかけっこしてた子が頭を打って三針縫いました。だけど報告はしても謝りはしません。幼稚園だったら先生が謝るんでしょうけど、うちの場合は勝手に来た子が勝手に怪我をしただけですから」
 里香が当たり前のようにそう言うので真理恵は眉根を寄せた。里香は苦笑いする。
「心配になりました? それが普通だと思います。わたしも親だったらこんなところに来るなって言います。だけど家で一人ぼっちなのよりはマシですよね。ここはそういう場所です」
「……なるほど」真理恵は一応納得した。「あの、どうして先生と呼ばれてるんですか?」
 そう聞かれ、里香は初めて照れた。
「元々先生だったんですよ。小学校の。でも仕事が大変で辞めちゃって。親とも仲が悪くなるし。それで祖母の家に転がりこんだんですけど、だったら子供達の面倒見ろって言われたんです。責任は取れないよって言ったら、そんなの誰にも取れないって。それならまあいいかと思って無駄に広いリビングを開放したんです」
「お婆様は?」
「離れに住んでいます。たまにこっちにも来るんですけど、足が悪いんで車椅子なんですよね。わたしはその介護もしないといけないんで、四六時中子供を見てるってわけにもいかないんです。会っていきますか?」
「えっと……」
 真理恵は少し考えてから、頷いた。
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