路地裏のアン

ねこしゃけ日和

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 真広は俯きながら家路についていた。
 さっきから何度目か分からない溜息をつきながら弱々しい足取りで自転車を押し、坂を登っていく。
 人の人生というのはいつだって良い時と悪い時がある。最近の真広は間違いなく良い時を過ごしていた。
 だがそれも今日の夕方に本社からかかってきた電話で一気に下向く。
 電話を取った安達の表情が少しずつ硬くなっていくのを隣で見ていた真広は悪い予感がした。そしてその予感は的中する。
 電話を切った安達は大きく溜息をつき、寂しそうに真広の方を向いた。
「……鈴原さん。その、言いにくいんですけど……」
 安達はそこで区切った。真広は早く言ってくれと思いながらも聞きたくなかった。
「あのですね……。今連絡があったんですけど、試験の対象が変わったみたいなんです」
「対象が変わった? えっと、それは、その……」
 真広はいまいちよく分からなかったが、良くないことなのは安達の表情から悟った。
 安達は申し訳なさそうに続ける。
「前までは勤務年数で対象を区切っていたんですけど、それだと募集人数が多すぎたみたいで……。だから長期間フルタイムで週五以上働いている人に限定されたみたいなんです……。その、鈴原さんがフルタイムで働き始めたのは最近なんで、期間が短いと判断されたみたいです……」
 真広は唖然とした。
「短い……。こ、高校から今まで働いてきてですか? ぼ、僕より長い間働いている人なんてこの店にいないのに……」
 安達は悔しそうに頭を下げた。
「すいません……。本当に……なんて言ったらいいか…………。でも、決定したって……。労働組合も同意したみたいです……」
 ただの社員である安達に本社の決定を変える力はない。安達はそれを悔しがった。
 真広はまだ情報が整理できていない。
 試験を受けて落ちるならまだしも、受けることすらできないなんて思いも寄らなかった。
 ショックと同時に家族の顔が浮かんだ。それは今までならあり得ないことだった。今更高いレコーダーを買ったことを後悔する。もう少し安いのにしておけばよかった。
 いや、そんなことよりも今後の人生をどう生きるか。本当にここの正社員になっていいのかとすら考える。
 真広は一度に色々なことを考えすぎて、逆になにも考えられなくなった。だから言いたいことはたくさんあったが、ただ「……分かりました」とだけ答えた。
 それから仕事が終わるまでの間、真広にはほとんど記憶はなかった。とにかく体が覚えている通り動き、仕事を片付けていく。
 見かねた安達が「今日はもう帰っても大丈夫です」と言ってくれたが、それはそれで真広の存在価値がないみたいな気がして寂しかった。
 店から出ると風が冷たくて真広は少し泣きそうになりながらも歩き出した。
 真広は初めて自分の人生を呪った。
 母親がいなければ大学に行って、そしたら新卒として就職できたのに。そうすればこんな惨めな思いをしなくてすんだかもしれない。
 今更そんなことを思っても仕方がないが、それでもつい考えてしまう。それは真広がずっと意識しないようにしてきたことだった。
 しかしそれでもこれが真広の選んだ道だった。結局は自分が選択した人生だ。全ての結果は自分に責任がある。他人を、それも死人を恨んでもなにかが変わることはない。
 真広は店から家までの間、自分をそう納得させた。
 納得すると今度は別の問題が出てくる。家族に伝えないといけない。妹と小白に。
 小白を養子に迎えたいと思ってた矢先、正社員の道が絶たれてしまった。収入が低ければ認められないかもしれないし、認められても育てていくのは大変だろう。
 真広の心配は自分から小白へと移っていく。そうするとなんだか力が湧いてきた。
 変わらないといけない。
 真広はそう思いながら「ただいま」と言って玄関のドアを開いた。
 奥から「おかえりなさい」と答える真理恵の声を聞きながら靴を脱ぎ、玄関を上がる。
 その時だった。
 夜だと言うのに家の電話が鳴り出した。
 真広はなんだか悪い予感がしながら居間に向かう。真理恵はキッチンで夕飯を作っている。真広は出たくなかったが、出るしかなかった。
「……もしもし?」
「鈴原さんのお宅ですか?」
 電話の主は若い女性だった。女性は淡々と続けた。
「こちら県立総合病院です」
「病院?」
 真広の声を聞いて真理恵が振り返る。小白は母親の部屋にいるのかいなかった。
 女性は慣れた口調で告げた。
「はい。先ほど高野哲也さんがこちらに救急搬送されました」
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