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嵐が去り、夕日が寂れた町を照らす中、その町で一番高い場所にある屋敷の屋根にねこが一匹座っていた。
隣の風見鶏から滴る水滴がキラリと光って落ちるのも気にせず、濡れた町を見下ろしている。
白い十字架の模様を背負っているそのねこは静かに口を開いた。
「なんの用だ?」
すると背後から夕日と似た色のねこが歩いて来て牧師の隣に座った。
「そうね。ちょっと嫌味を言いに」
アンは小さく溜息をついた。牧師はくだらないと目も合わさなかった。アンは聞いた。
「なんであの子にあんなことを言ったの?」
「意味はない。ただ事実を言ったまでだ。人は欲が深すぎるからな」
「……ねこは祈らない、ね。神を持つのが人だけだとしたら人が消えた世界に神はいないのかしら? いいえ。きっといるわ。またべつのなにかが祈るだけよ」
「だとしてもそれはねこではない。どのみちあの子が完全にこちらへ来ることはないだろう。そうするにはあまりにも持ちすぎている。だからお前は捨てさせたんだ」
アンはつまらなそうな笑みを浮かべた。
「希望に染まるために現実はあまりにも濃すぎるのよ。でも人は希望が大好きだわ。夢に向かって、目標を達成するため、理想の自分を目指して。そんな言葉が大好きだもの。そしてそのためならなんだってできる」
「それは現実が見えているからだ。だからどうにかして今よりマシになろうとしている。ただ空想を浮かべて逃避するのとは訳が違う」
「いいじゃない。べつに。空想だって」アンはお腹を屋根に付けて手を組むとそこに顎を乗せて夕日を眺めた。「お姫様になったり、綺麗になったり、気に入らない髪の色を変えたり、こことは違うどこかに旅をした気になったり、ステキな友人や恋人がいたり、豪華な家に住んだり、いじめたりいじめられたりしない環境だったり、おいしい物に囲まれたり、そして」
「会えない人と会えたり?」
牧師は一笑に付した。だがアンは動じない。
「そうよ。それはとてもステキじゃない?」
「だろうな」と牧師は言った。「だが現実にはそのどれもない。目が覚めれば終わりだ」
「そう。だったら目が覚めなければいい」
それを聞いて牧師は初めてアンの方を向いた。アンは立ちあがって肩をすくめる。
「そうはならなかったけど」
せっかく見えていた夕日も沈んでいき、辺りが段々暗くなってきた。二匹の目が白く光っていく。
風が髭を揺らし、風見鶏が回る中、牧師は尋ねた。
「……お前は一体なんだ?」
アンはフッと笑った。
「あの日、あの子の母親が灰になった日。あの子が暗闇の底から見上げたもの。あるいはその灰から生まれたもの、とでも言えばいいかしら」
アンはそう言うと屋根を下り、薄暗くなった庭に飛び降りた。牧師が下を見るがアンの姿はどこにもなかった。そんな中、声だけが聞こえる。
「あたしはいつでも求める者のそばにいるわ。人間はあなたのように希望を捨てることなんてできないのだから」
それだけ言うとアンは闇の中に消えていった。
一匹残された牧師は明かりが見える古ぼけた町を静かに見つめた。
そこには現実だけがあった。薄汚れ、飾りを捨てた疲れ切った世界だ。
牧師はその光景が好きだった。路地裏の現実にこそ本当の美しさを感じた。
しばらくすると牧師を呼ぶ声が聞こえた。牧師が声のする方を向くと車椅子に乗った老婆が屋根の上を見上げている。
「あら。そこにいたの。ごはんよ」
老婆は牧師にそう言った。だが牧師は答えない。いくら答えても人はねこの言葉を理解できないから。
ねこと人はいつまでも一緒にいることはできないし、愛を伝えることも不可能だ。
牧師はこれが現実だと改めて理解すると屋根の上から老婆に聞こえるよう一鳴きした。
隣の風見鶏から滴る水滴がキラリと光って落ちるのも気にせず、濡れた町を見下ろしている。
白い十字架の模様を背負っているそのねこは静かに口を開いた。
「なんの用だ?」
すると背後から夕日と似た色のねこが歩いて来て牧師の隣に座った。
「そうね。ちょっと嫌味を言いに」
アンは小さく溜息をついた。牧師はくだらないと目も合わさなかった。アンは聞いた。
「なんであの子にあんなことを言ったの?」
「意味はない。ただ事実を言ったまでだ。人は欲が深すぎるからな」
「……ねこは祈らない、ね。神を持つのが人だけだとしたら人が消えた世界に神はいないのかしら? いいえ。きっといるわ。またべつのなにかが祈るだけよ」
「だとしてもそれはねこではない。どのみちあの子が完全にこちらへ来ることはないだろう。そうするにはあまりにも持ちすぎている。だからお前は捨てさせたんだ」
アンはつまらなそうな笑みを浮かべた。
「希望に染まるために現実はあまりにも濃すぎるのよ。でも人は希望が大好きだわ。夢に向かって、目標を達成するため、理想の自分を目指して。そんな言葉が大好きだもの。そしてそのためならなんだってできる」
「それは現実が見えているからだ。だからどうにかして今よりマシになろうとしている。ただ空想を浮かべて逃避するのとは訳が違う」
「いいじゃない。べつに。空想だって」アンはお腹を屋根に付けて手を組むとそこに顎を乗せて夕日を眺めた。「お姫様になったり、綺麗になったり、気に入らない髪の色を変えたり、こことは違うどこかに旅をした気になったり、ステキな友人や恋人がいたり、豪華な家に住んだり、いじめたりいじめられたりしない環境だったり、おいしい物に囲まれたり、そして」
「会えない人と会えたり?」
牧師は一笑に付した。だがアンは動じない。
「そうよ。それはとてもステキじゃない?」
「だろうな」と牧師は言った。「だが現実にはそのどれもない。目が覚めれば終わりだ」
「そう。だったら目が覚めなければいい」
それを聞いて牧師は初めてアンの方を向いた。アンは立ちあがって肩をすくめる。
「そうはならなかったけど」
せっかく見えていた夕日も沈んでいき、辺りが段々暗くなってきた。二匹の目が白く光っていく。
風が髭を揺らし、風見鶏が回る中、牧師は尋ねた。
「……お前は一体なんだ?」
アンはフッと笑った。
「あの日、あの子の母親が灰になった日。あの子が暗闇の底から見上げたもの。あるいはその灰から生まれたもの、とでも言えばいいかしら」
アンはそう言うと屋根を下り、薄暗くなった庭に飛び降りた。牧師が下を見るがアンの姿はどこにもなかった。そんな中、声だけが聞こえる。
「あたしはいつでも求める者のそばにいるわ。人間はあなたのように希望を捨てることなんてできないのだから」
それだけ言うとアンは闇の中に消えていった。
一匹残された牧師は明かりが見える古ぼけた町を静かに見つめた。
そこには現実だけがあった。薄汚れ、飾りを捨てた疲れ切った世界だ。
牧師はその光景が好きだった。路地裏の現実にこそ本当の美しさを感じた。
しばらくすると牧師を呼ぶ声が聞こえた。牧師が声のする方を向くと車椅子に乗った老婆が屋根の上を見上げている。
「あら。そこにいたの。ごはんよ」
老婆は牧師にそう言った。だが牧師は答えない。いくら答えても人はねこの言葉を理解できないから。
ねこと人はいつまでも一緒にいることはできないし、愛を伝えることも不可能だ。
牧師はこれが現実だと改めて理解すると屋根の上から老婆に聞こえるよう一鳴きした。
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