短編小説集

タイシ

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手紙

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大関の高島宗一郎たかしま そういちろうは、長年の相撲人生に疲れ果てていた。膝の痛み、身体の衰え、そして何よりも心の疲弊が、引退の決意を揺るがしていた。引退後の生活がどうなるか、誰も予測できない。それが恐怖でもあり、自由でもあり、彼の心をかき乱していた。

彼の決断は、もはや時間の問題だった。親方からも、引退を進められる日々が続いていた。しかし、高島はまだ踏ん切りがつかない。そんなある日、いつものように稽古を終え、部屋に戻った彼の元に一通の手紙が届いた。

封筒の表には、見覚えのある筆跡があった。母親の名前が書かれている。

「お前が悩んでいることを、私は知っている。どんなに苦しくても、もう少しだけ頑張りなさい。」

その手紙を手に取った瞬間、高島の心に不思議な安堵感が広がった。母親が、まるで今も生きているかのように、自分を励まし続けてくれている気がした。

「お前がやりたいことをやりなさい。私がいつも応援しているから、絶対に諦めてはいけないよ。」

目を閉じて、その言葉を反芻した。かつて、母親はいつもこうして彼を支えてくれた。だが、この手紙を見たとき、彼の心には一つの疑念が浮かんだ。

「これ、もしかして…」

その疑念はすぐに膨らみ、彼は親方にその手紙を見せることに決めた。親方は少し黙ってから、静かに言った。

「その手紙、宗一郎…実は、私が書いたんだ。」

彼は驚いた。母親は確かに何年も前に亡くなっていた。だが、親方の言葉がその疑念を確信に変えた。

「宗一郎がどんなに苦しんでいるか、私もよく知っている。だから、君に伝えるべきだと思ってね。君のお母さんがどんなに君を愛していたか、君がどんなに頑張っているか、私は見てきた。だから、君には諦めてほしくなかった。」

高島は言葉を失った。しばらく黙って親方を見つめ、そして深く息を吐いた。

「でも、親方…。僕、どうしても、母親の手紙が…」

「母親の手紙じゃない。君が必要とした言葉を、君に届けたかっただけだ。」

親方の目には、少しだけ涙が浮かんでいた。それは、母親の愛情と、長年にわたる親方としての愛情が交じり合った瞬間だった。

高島は、心の中で何かが解けるのを感じた。母親の励ましが、今も自分を支えていると信じていた。しかし、それ以上に、親方の存在が自分を引き止めてくれていた。引退という決断をするために、彼は一人ではなく、仲間と共に生きてきたのだ。

「ありがとう、親方。」高島は静かに言った。「僕は、もう一度だけ相撲を取ってみようと思う。」

親方は微笑んだ。「その決断が、君の本当の力になるさ。」

その日から、高島は再び土俵に立った。母親の手紙ではなく、親方の励ましが彼の背中を押した。しかし、心の中で彼は確かに感じていた。どこかで母親が、ずっと見守っていてくれるような気がしてならなかった。
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