躾の出来た良い子です?

椿

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 ──俺の使用人は、躾がなっていない。


 校門の前。吹き荒ぶ真冬の風を全身に浴びながら、垂れて来た鼻水をズッ…、と静かに啜る哀れな男子高校生が1人。
 そこへ、

「坊ちゃーん!」
「…犬居……」

 前方から手を振って駆け寄ってきたのは、黒いスーツをスタイルよく着こなした若い男だった。カッチリとした衣服とは少しギャップのある緩めのパーマがかかった髪をふわふわと揺らしながら、男──俺の使用人である犬居いぬいじんはその整った甘めの顔をにこやかに崩す。
 そんな彼が目の前までやって来るのを、俺こと巌主いわぬしみつるはまるでこの世の全てを恨むかのような目つきをして待っていた。

「……犬居見てみろ。もうここ俺しかいないんだけど。皆すぐ迎えが来て帰っちゃったんだけど」
「二人っきりですね……♡」
「『二人っきりですね……♡』じゃないんだよ!!迎えに来るのが遅いっつってんの!!この寒空の下で主人を待たせる使用人って何!?せめて遅れるなら遅れるで連絡してくれたら俺教室で待ってたけど!?校門て!!主人校門で待たすて!!通行人の憐れんだ目に晒される俺の気持ちも考えて!?」
「坊ちゃんが震えながら俺のこと待ってるの、忠犬っぽくて可愛いなって。あと俺は美人なお姉さんに誘われてさっきまで温かい室内でお茶してました」
「お前マジでふざけんなよ!!」

 美人なお姉さん!?羨ましい!!てか迎え途中に何堂々とサボってんのコイツ!?

 怒りの言葉をぶつけるが、犬居が堪える様子はない。それどころか1人で感情的になる俺を見て面白がっている。
 暖簾に腕押しなこのやり取りは毎回だ。響かない叱責を続けるのも疲れた俺は、はあ~~っ、と深いため息をついてから、

「……というかまあ、遅刻は百歩譲って良いとして、」
「良いんですか。坊ちゃん寛大~!ヒュ~ヒュ~!」
「百歩譲ってんだよ!!反省しろ!!次があったら減給だからなお前!!……って、そこじゃなくて…っ!
 ──何っっで徒歩!?」

 力の限り叫んだ俺に、身一つで前に立つ犬居は「?」とわざとらしく首を傾げる。
 とぼけるつもりか!?いちいち癪に障る奴だな!

「ここ最近何で毎回徒歩で迎えに来んのお前!?俺寒いって言ってるよね!?前までみたいに暖房の効いた車で迎えに来るのが礼儀じゃない!?……徒歩って…っ!!嫌がらせか!?スピードすら無い!!せめて自転車だったらまだ早く家に辿り着けて温まれるのに!!」
「坊ちゃん~、自転車の2人乗りは法律で禁止されてるんですよ?知りませんでした?」
「はーーッッムカつくーー!!!」

 強い苛立ちから地団駄を踏んでいると、犬居はふいに俺の強く握りしめられた拳を手に取った。俺とは違う温かな体温が強張りを解くように優しく拳をなぞったかと思うと、微かな綻びを縫って指同士を絡めて来る。
 そうして深く合わさった手の平のすぐ隣で、犬居は悪戯っぽく微笑んだ。

「車より沢山一緒に居られますね?」

 俺の使用人は、躾がなっていない。
 ……それでもこの、主人を敬うどころか揶揄って遊ぶのが三度の飯よりも好きな失礼過ぎる男の微笑みに、俺は毎回絆されてしまっているのであった。




 犬居との出会いは道端だ。…いやホント道端。
 傷だらけで倒れていた所を、当時任侠物のドラマにドハマりしていた小学生の俺は大興奮のまま連れ帰り、まるで犬猫でも飼うみたいに「俺がちゃんとお世話するから!」とか何とか父さんに言って無理矢理使用人として雇わせたのだ。
 あれ今考えたら正気の沙汰じゃないけど、うちの親変なとこ雑だからな…。あっさりOK出たんだよな…。でも今クビにしたりしたら、「あ、やっぱり面倒見きれなかったんだ…」とか言われて人でなしのレッテルを張られる!それは嫌だっ!
 ていうか本当の犬なら飼えたし!でもこいつは犬居っていう、俺の事完全に舐めて揶揄って来るばっかりで全然言う事聞かない人間だし、しまいにはその生まれ持ったお綺麗な顔面で何でもかんでもうやむやに誤魔化そうとしてくる卑怯なヤツなのだ。……まあ、勝手に誤魔化されてるのは俺ですが…。

 下校中も繋がれたままの手の熱を少しばかり意識していると、俺の思考を埋め尽くしてばかりのそいつと目があってニコッと笑いかけられる。

「どうしました?今から俺がわざと腕引っ張って坊ちゃんを川に突き落とすんじゃないかとか想像しました?」
「してないしもし仮に突き落としたらマジで絶交だからなお前」

 害のなさそうな顔でとんでもないこと言うんじゃない。
 一瞬だけ寒中水泳を余儀なくされた自分を想像してしまってブルリと身体を震わせていると、その原因を作った犬居は「冗談ですって。やる訳無いじゃないですか」と声を上げて笑って、

「だって俺、躾の出来た良い子ですもん♡」
「……」

 そうは思わないけど、………まあ、可愛いからいっかあ。

 女子が自撮り時にしそうな、片手を頬に当てたきゅるんと効果音が付きそうなポーズで分かりやすく可愛子ぶる犬居。それをジッと真顔で見上げながら、俺は自分より背が高くて、イケメンで、身体も引き締まっている年上の成人男性相手に向けるには到底似合わない表現で彼を評していた。
 ……何というか、俺を揶揄って楽しそうにしているところが、まるで構って欲しくて一生懸命尻尾を振っている犬のように見えるのだ。今のところそれは俺の妄想でしかないけど。
 俺は結構、動物は好きな方である。

「てか美人なお姉さんって何」
「道中で荷物持ちを申し出たら、『孫に似ているから』とお宅でもてなしてくださいました」
「良い事してんのかい。そして孫がいるタイプの美人なお姉さんかい」



 俺の事を舐め腐っていて、かろうじて残っている丁寧語以外は礼儀も遠慮もない不敬な使用人だけど、昔から何となく憎めなくて。
 こいつはずっと俺の傍に居るんだろうなと、何の根拠も無くそう信じて疑っていなかった。

 しかし、その犬居は最近俺の居ないところで随分忙しくしているらしい。


「犬居ー?おーい、犬居~!」
「──坊ちゃま?」
「! 鶴間つるま、戻ったんだな!お帰り!」

 帰宅後、家の中で歩き回る俺の声に返事をしたのは、うちの使用人兼父親専属の秘書でもある壮年の男性──鶴間つるまだった。俺の生まれる前からこの家で働いてくれている彼は、いつもの落ち着きのある柔らかい雰囲気で問う。

「刃君なら先程旦那様のお部屋に。いかがなさいました?代わりに鶴間が聞きますよ?」
「あー…いや、大した話じゃなくて。ドラマの、『任侠伝説』のグッズが届いてたから、犬居に自慢、しよっ、かな、って……」

 よくよく言葉にすると何だか小学生のような行動目的だな…、と客観視出来た俺の言葉は段々尻すぼみになっていった。
 フィギュアが収められた小箱を抱きしめながら少しずつ熱の集まる頬を自覚しているところで、クスリと上品に微笑んだ鶴間は感慨にふけるように俺を見て、

「坊ちゃまは昔から、刃君が大好きですねぇ」
「えっ!?」
「小さい頃は『じん~じん~』と雛鳥みたいに刃君の後ろを付いて回っていましたし」
「そ、そんなだったっけ?」
「ええ、大層微笑ましかったです。今も何かあれば刃君刃君で…、ふふ。使用人冥利に尽きますね」

 は、恥ずかしい。マジか、俺そんな犬居ばっかだった??……いや、『だった』というか、現在進行形でそうだって言われちゃってる!

 つい先程までの自分の言動を思い返して「小学生の頃から成長してないって事!?!?」と悶えていると、背後から聞き慣れた声。

「鶴間さん、…と、坊ちゃん?何かありました?」

 犬居だ。
 振り向きざま、俺は持っていたフィギュアを咄嗟に背に隠して、鶴間とアイコンタクトを交わす。
 頼む。何でもないと言ってくれ。
 さっきまではグッズが届いた喜びで浮かれてて何も考えていなかったが、これを見せるためだけに犬居を探してただなんて知られたら絶対に馬鹿にされる…っ!

 鶴間はお任せ下さいとばかりに頼りがいのある頷きを見せてから、

「坊ちゃまが見せたいものがあるそうで、刃君を探していましたよ」

 秒で裏切られたーー!というか伝わらなかったーーー!!スマートに「では仕事がありますので」とか言っていつもより心なしか満ち足りたような表情で立ち去って行くしぃ!!完全に善意なのが分かるから何も言えねえ!!

「見せたいものって?鶴間さんに言う程なんて急ぎです?」
「あ、…えーっと……、」

 目を泳がせて渋るのなんて無駄な足掻きだった。目敏く背後に隠されたフィギュアを見つけた犬居は、直後全てを察したようにはは~んとニヤついた笑みで俺を見やる。

「え~?コレのためだけにわざわざ俺の事探してたんです~?『犬居見て見て~届いたよ~』って?」
「ぐっ…!!」

 案の定馬鹿にした言い方。
 歯を食いしばって屈辱に耐えていた俺だったが、犬居が次に発した一言で一気に思考を塗り替えられる。

「お、今回坊ちゃんの好きなヤツじゃないですか」
「! そう!!そうなんだよ!!」
「!?」
「抽選だったんだけど奇跡的に俺の好きな『大井』のフィギュアが当たってさ!!基本的に大井のグッズ人気だから今回も倍率ヤバくて絶対無理だと思ってたのに凄くない!?」
「ちょ、坊ちゃ、」
「すっっげえ嬉しいんだよ!!絶対何かちゃんとしたケースに入れて部屋に飾るからっ、犬居俺の部屋掃除する時これだけは丁重に──、」

 興奮のまま勢いよく顔を上げると、鼻と鼻の先がぶつかりそうな程の至近距離に、少しだけ驚いた風に目を見開いた犬居の顔があった。
 少しだけ焦点をずらすと、彼のすぐ後ろには壁が。ゆっくり足元へ視線を落とせば、胸に掲げたフィギュアの更に下方、犬居の足の隙間を割るようにして俺の片足がさしこまれ、しかも彼の踵はベッタリと壁にくっついてしまっている。

 あ、これやらかした。

 興奮で上がっていた体温がザッ、と一瞬で冷めるのを感じた。どうやら勢いのままに犬居を壁に追い詰めてしまっていたようだ。「話聞いてもらいたい興奮で逃げ道塞ぐとか、坊ちゃん野蛮~!」とか言われて馬鹿にされる未来がありありと想像できる。
 身を引くなんてことも思い浮かばないまま、恐る恐る下げていた視線を戻すと、
 てっきりニヤケ顔で待ち構えていると思っていた俺の想像とは違い、犬居は何かを我慢しているような顔で唇を引き結び、悩まし気に眉を寄せながら俺の事を睨んでいた。
 あ、れ?何か怒ってる…??
 彼の頬に差す赤みがその身体の熱によるものなのか、それとも窓から差し込む夕日が反射してそう見えているだけなのか。それを判断しきる前に、正面からの強めのアイアンクロ―によって俺は犬居から引き離される。

「スーツに唾飛ぶんで、あんまり近くで喋らないでもらっていいです??」
「いでででで!!お前色々と失礼過ぎるぞ!!」

 頭部の痛みから解放された後に見やった犬居の表情は、俺が少し前に想像していたものと寸分違わないニヤケ顔だった。

「興奮してハアハア言っちゃうくらい嬉ちかったんでちゅね~。よかったでちゅねぇ~~」
「ハアハアとかしてないけど!?」
「で、話はそれで終わりですか?俺坊ちゃんと違って優秀で人気者で多忙なので、用が無いなら部屋に戻って大人しくしていてくださいね。途中で躓いてコケないように。変なもの拾って食べないでくださいよ。あと知らない人に『大井』のグッズあげるからってホイホイ付いて行っちゃ駄目ですからね。あ、ハンカチとティッシュ持ちました?」
「俺は幼児か!ていうかここ既に家の中!知らない人とか居ないから!!」

 わははっ、と愉快そうに笑って去っていこうとする犬居を睨みつけていたところで、俺はふと思い出す。
 そういえば、グッズ自慢程じゃないけど犬居に伝えとかなきゃいけないことがあったんだった。


「犬居、俺今日から猫田と付き合うことになったんだけど、もし迎えで待ってる時学内の誰かに聞かれたらそう言っといて。……まあお前いつも遅刻するから、そんな機会無いとは思うけど…」
「………は????」
「じゃあ仕事頑張ってなー」
「いやっ、……え??……坊ちゃ、」

 既に俺に背を向けていた犬居が物凄い勢いで振り返り、何故かまたこちらに近寄ってこようとしているのを不思議に思っていると、

「──すみません、少し遅れました。弟がグズって、中々保育園抜け出せなくて、」

 急いた風に駆け寄ってきたのは、俺と同じ学校の制服を着た、直毛の黒髪が眩しい美少年──猫田ねこた賢章けんしょう。この家の使用人アルバイトだ。
 上司である犬居に対してすぐさま遅刻を謝罪した猫田だったが、目をかっぴらいて自身を凝視してくる犬居に何かしらの違和感を抱いたのか、少しだけ首を傾げて、

「……?何この雰囲、」
「……おい猫田お前ちょっとこっち来い」
「えっ?犬居さっ、何っ、」

 バタン!!とすぐ近くの部屋に犬居が猫田を引きずり込んだかと思うと、数秒程中から言い争うような声が聞こえて、そこまで時間も経たない内にまた勢いよく扉が開かれた。

「付き合う『フリ』なら最初からそう言ってくれますぅうう!?」
「えっ、ご、ごめん。言わなくても分かるかなって」

 圧のある感じで迫られて思わずたじろぎながらそう答えると、犬居は心底呆れたと言わんばかりの深いため息を吐く。

「はー…、無駄に焦った……。……俺忙しいんで、余計なことで悩ませないでください」
「いでっ!え、これ俺が悪いの??」

 不敬にも主人の頭を叩いて今度こそ本当に去っていく犬居の背中を見ながら、俺は隣に立つ猫田に向けて呟いた。

「何か最近バタバタしてるよな、犬居」
「本格的に旦那様の業務を手伝い出したとか言ってたよ」
「父さんの仕事……、それでか」

 そういえばさっきも鶴間が犬居は父さんの部屋に~とか言ってたもんな。何だろ、うちの会社人手が足りてないのかな?犬居の手も借りたい的な?
 そんなことをぼんやり考えていると、突如横から伸びた手にギュ、と肩頬を強く引っ張られる。

「っていうか、僕への謝罪ナシ??お前のせいで犬居さんから殺されそうになったんだけど」
「あいだだだごめんなさいー!!……でもそれって100%犬居のせ…、あ、嘘です俺のせいですごめんなさいーー!!」

 使用人なのに態度デカくない!?薄給だから!?薄給だから!?


 猫田は同じ学校に通う同級生で、高校に入ってから出来た数少ない俺の友人だ。何故彼が俺の家で使用人のアルバイトをしているのかというと、それは主に彼の家庭環境が関係していた。
 猫田は兄弟が5人居る大家族の長男で、家はそこまで裕福じゃない。猫田曰く、日々を生き抜くのが精いっぱいの貧乏家庭とのこと。そんな家計を助けるために、元々高校生になってからアルバイトをする気はあったようなのだが、まだ小さい弟妹の面倒を見ることが出来るのが両親以外には猫田しか居ないらしく、諸々融通が利く働き場所を探していたらしい。
 紹介したところ、うちの使用人業は猫田の条件に合っていたみたいで。そこから平日はほぼ毎日、学校終わりにまだ小さい弟妹を保育園に迎えに行ってから夜までここで働いてくれている。清掃や夕食作りの手伝いなんかが主な業務らしいけど、前に色々心配で付きまとっていたら「邪魔ッッ!!!」と本気で鬱陶しがられてブチギレられたので、それからは仕事中の猫田にはあんまり近寄らないようにしていた。触らぬ猫に祟りなし。優等生然とした大人しそうな見た目をしているくせに、案外好戦的な性格の持ち主なのがこの猫田賢章という男だった。

 今回の恋人のフリは猫田から頼まれてやっていることだが、彼にしては随分穏便なやり方だな等と思ったのは内緒である。
 そもそも何故恋人を偽装するに至ったのかというと、……まあ、これにも海より浅く山より低いちょっとした訳があった。
 俺達の学校は、どちらかというと結構お金に余裕のある裕福な家庭の子供らが通うようなところで、所謂お坊ちゃん学校というやつである。中高一貫の男子校であるここは中々に特殊な校風をしていて、学校が生徒の親の寄付で成り立っているからか、教師よりも生徒の方が実権を握っており、特に生徒のまとめ役でもある生徒会やあらゆる委員会の長などは『役付』と呼ばれて校内でも強い発言力を持っていた。役付の彼らにはそれぞれ『親衛隊』というファンクラブというか信者のような集団が組織されたりもしていて、…まあ伝統のようなものらしいが、親衛隊の彼らはそれだけが理由だとは思えない程に熱狂的にそれぞれの担当?役付を色んな意味でサポートしているらしかった。それこそパシリのような雑用から夜の性欲処理に至るまで様々な……、皆男だらけの空間に居過ぎたせいで色々疲れてんのかな。俺はそう思うことにしてこの二年間をやり過ごしてきていますが。

 そんな特殊な学校に入って来た外部生がこの猫田。

 基本高校での一般入試を実施していない我が校で、外部生というのは非常に珍しい存在だ。因みに猫田の入学理由は「家に一番近いかつ特待生になれば学費免除他様々な特典がある」だった。その望み通り、かろうじて募集をしていたらしい推薦入試の特待生枠を見事勝ち取って外部入学を果たした、頭のよすぎる一般人、しかもその誰もが思わずほうっ、とため息を吐きたくなるような中性的に整った美貌は文字通り全校生徒の視線を釘付けにし……目立った。それはもう目立った。
 そして目立ちついでになんとこの猫田、入学してから一ヶ月も経たない内に学内の役付やら権力者を軒並み虜にしていったのである。そこから親衛隊やら何やらとのバトルがあったり、それが落ち着いたら役付の人達からの熱狂的なアピールが続いたり、……と、色々スリリングなスクールライフを送っていたらしい。
 因みに俺が猫田と友達になったのは、入学から半年ぐらいが経った、親衛隊からの嫉妬も佳境に差し掛かったぐらいのころである。出会いはゴミ捨て場だったのだが、……まあそれは今はどうでもいいか。

 ずっと耐えて来たようだが、二年生もそろそろ終わりが近づいた頃、卒業の迫った先輩達のアピールが度を越してきたようでついに我慢の限界が来たらしい。猫田は恋人を偽装して降りかかる火の粉を払おうと画策し、……そしてその生贄お相手として選ばれたのが、何となく付き合いの長いこの俺というわけである。





「鶴間さんがもうお歳だから、多分後継的な感じなんでしょ。……巌主もさ、そろそろ犬居さん離れした方がいいんじゃないの」

 回想が長くなってしまって一瞬何のことを言っているのか分からなかったが、ああそうだ。犬居が忙しいって話だった。「聞いてる?」と不満げな顔で眉を寄せられたので慌てて頷いて見せる。

 犬居離れ、か。……何か親離れみたいに言われたけど…、え?俺そんな犬居にべったりしてるように見えてる??嘘だろ??
 先程鶴間に言われたことも重なって、俺は羞恥心に少し頬を赤らめた。


「……じゃあ次から猫田に『任侠伝説』のグッズ到着の喜びを、」
「興味ない話止めてもらってもいい?」
「辛辣!!!」





 *


「………えぇ…」

 登校一番。俺の机は花瓶に入った一輪の菊の花と、油性のインクによる落書きで飾り立てられておりました。

「……これってさ、」

 自分の机を指で差しながら隣席のクラスメイトに話しかけるが、あからさまに目を逸らされる。

「あのぉ……、」

 昨日まで俺と笑ってくだらない話をしてくれていた数少ない友人らに近寄ろうとすると、ザッ!!と俺の周りに妙な空間が出来た。俺を避けた人達で作られた、半径1メートルの円である。
 しんっ
 教室の空気が、真冬の深夜ぐらいに冷たく張り詰めた気がした。

 何となく上げていた行き場の無い手を誤魔化すように、俺は痒くも無い後頭部をポリポリと二、三回爪で擦る。
 今一度自身の机の落書きを見てみると、「シネ」やら「別れろ」やら…まあその他にも様々な罵声の言葉が所狭しと敷き詰められてあった。椅子を引くと、ご丁寧にチョークの粉まで塗してある。

 一瞬そこを見つめてから、鞄に入っているハンカチで椅子を拭き始めた俺に、周囲は徐々に今まで通りの朝の会話を再開させる。
 俺の席だけが普段とは異質で、まるでこの教室から切り離されたかのように静かだった。



 *


「巌主、お昼一緒に食べよ」
「……おー」

 昼休みが始まってすぐ、俺の教室に来たのは別クラスの猫田だった。いつもは一緒に飯なんて食わないが、今日はどうせ一緒に食べる相手も居ないし丁度良かったのかもしれない。

 教室内のほぼ全員から一斉に向けられる視線にはもう慣れっこなのか、室内に足を踏み入れようとする猫田を止めるかのように、俺は落書きの消えていない席を立った。駆け寄る途中、横を通り抜けたクラスメイトからチッ、と忌々しく舌を打つ音が聞こえたが振り返るのは止めておいた。



 *

「はあ~~、久しぶりに落ち着いて昼飯食べれてる気がする」

 自分で作った弁当を噛み締めながら、猫田は何かから解放された風にそう漏らす。
 場所は食堂だ。俺に弁当はないので、頼んだグラタンをスプーンの上で冷ましながら、温泉に入った中年オヤジのようなため息を吐く猫田に少し笑って頷いた。

「入学してからずっと生徒会メンバーと一緒だったもんな」
「あいつら僕の弁当見て『粗末』とか言うくせに、二言目には上から目線の『作ってこい』だからね。貧乏一家の一食のありがたみ舐めてんのか。これだから金持ちは嫌いなんだよ。あの無駄に高い鼻っ柱、想像で何百回粉々にしたことか……」

 俺も一応金持ちなんですけど……成金だけど。しかしそれを言ったところで「うん、だから金持ち嫌いだって言ってるよね」と真っ直ぐな目で返されそうだから口には出さないでおく。自衛大事。

 チラリ、と食堂の中でも一部の生徒しか入れない階上の席を見やると、新旧生徒会(二、三年)の面々が呪いでもかけてんじゃないだろうかと思うような雰囲気でこちらを凝視していた。誰かと目が合うか合わないかの狭間で、俺は瞬発的に顔ごと反対側へ逸らす。
 ……次から俺も弁当持って来よう。食堂は危険だ。

「よ、よく許可してもらえたな。昼別々に食べること。前まで上で食べてただろ」
「『超絶ラブラブな彼氏と二人っきりで食べたい』って言ったらすぐ黙ったよ」
「それ俺明日どっかの川に浮いてたりするやつじゃない??フラグじゃない??」
「んなわけないじゃん。妄想逞しすぎかよ」

 猫田は「ばーか」と言いながらどこか楽しそうに破顔した。いや、これ冗談でも何でもないんですが……、とは思ったものの、基本的にクールな表情で居ることの多い猫田が高校生らしく無邪気に笑うのを真正面から見てしまうと、その美麗な顔面偏差値も相まって何も言えなくなる。
 この態度だけど、一応は頼ってくれてるんだよなあ…。

 ぼおっとしている俺の口に猫田は自分の卵焼きを無理矢理突っ込んで、代わりに俺のグラタンの1/3をかっさらっていった。質量差……。卵焼き美味いから許すけどさあ。



 食後、移動教室のために階段を下っていると、ドンッ、と背中に弱くない衝撃があって、一瞬の浮遊感と共に身体が前のめりになる。偶々手すりを掴んでいたおかげでそのまま落ちてしまうことは無かったが、そうでなければどうなっていたか分からない。
 ドッ、と一気に鼓動が早まり、熱いんだか寒いんだかよくわからない汗がじっとりと背中を湿らせた。
 不意に潜めた笑い声が聞こえて弾かれたように後ろを振り返ったが、多くの人が行き交うこの場所では誰が背中を押したかなんてわからない。

 汗が渇くせいか、ゾクリ、と背筋を走った冷たい感覚を掻き消そうとして、俺は手すりを握る力を少しだけ強くした。



 *


「センセー、資料回収してきましたー」

 放課後になって、集めるように言われた進路希望のプリントを職員室に持って行くと、俺をパシリに指名したホストのような見た目の担任がジロリとこちらを睨みつけて来た。
 は?睨みたいのはこっちだが??絶賛ハブられ中の俺がクラス中のプリントを集めるなんて至難の業である事をご存じない??……まあ声をかけるまでも無く皆教卓の上に無言で置いていってくれたけど。

「巌主ィ…お前猫田と付き合ってんの?ガチ?」
「……はあ、まあ」
「嘘すぎだろ。何っでよりにもよって警戒すらしてなかったこんなちんちくりんと?猫田ってまさかのB専??」
「失礼な教師だな」
「お前今日の課題2倍な」
「は!?何で!?」
「嫌がらせですぅ~~」
「隠しもしないよこのクズ教師……」

 入学当初からあからさまに猫田に好意を抱き贔屓を隠そうともしない、教師の風上にも置けないこのそこそこ顔の良い担任は、俺に追加の課題を押し付けてくる。まあ存在無視されるよかは良いけど…とその理不尽を受け入れようとしているところで、彼の意識は進路希望の紙に移った。
 一番上に乗っている俺の希望大学を見て、

「進学希望先猫田と別かよ、こりゃ遠距離破局確定だな。やっぱお前どうでもいいわ。猫田は後でいくらでも落とせそうだから」
「……アンタみたいなオッサンじゃ相手にされねーっつの…」
「あ゛あ゛ん??大人の魅力あふれるダンディーなイケメンがなんだって??」
「ダンディーなイケメンが羨ましくて嫉妬しちゃうーー!!ギブギブ!!」
「わかればよろしい」

 何で別クラスの猫田の進路希望先を既に知ってるんだよ気持ち悪いな、なんて思いながらボソッと悪態をつくと即座にヘッドロックをされた。
 生徒にプロレス技かけて来る教師とか何???

「てっきり使用人だから~とか言って猫田に一緒の大学入らせて身の回りの世話させんのかと思ってたが、まだ一応人の心は持ってたみてえだな」
「そんな外道なことですか今の???…まあ猫田はバイトだから高校卒業したら使用人ではなくなりますし、俺の大学に付いてくるのはもう一人の犬居だと思、」
「え、マジで世話係同伴?お前の世話させられんの?…可哀想に。俺だったら絶望で食事も喉を通らねえ」
「そこまで!?俺前世でアンタの村とか焼きました!?」
「どうせならそいつも猫田の世話をしたかったろうに……。つーかそいつ顔良い?猫田とデキてねえよな??」

 本当によく解雇されないなこの教師……。

 でもそうか。前まで大学にも当然犬居が付いて来るものと思ってたけど、これから父さんの仕事手伝うんだろうし難しいのかな。

『そろそろ犬居さん離れした方がいいんじゃないの』

 先日の猫田の言葉を思い出しながら、胸に隙間風が吹くような不思議な感覚に俺は少しだけ肩を竦めた。



 *

 そんなこんなで怒涛の一日を終え、極寒の中またも遅刻中の犬居を待っていた時、不意に「あの…、」と控えめな声がかかる。

「巌主、満君、だよね…?ちょっとお話したいんだけど……、今時間いいかな?」
「喜んで」

 可愛い子だった。ああいや、男だ。正真正銘男だが、俺より少し背が低く、こちらを見上げて来る目はきゅるんと大きくて、唇は女の子みたいにぷっくり手入れされた綺麗なピンク、少しだけ頬を染めてもじもじしている姿が何となく庇護欲を誘ってくる感じの可愛い男の子だ。

 脳直で了承してしまった。
 え、どうしよ、告白??女子じゃないのは残念だけど、可愛い子なら性別問わず大歓迎な懐の大きい男が俺である。え~どうしようかな~。一応猫田と付き合ってる設定だけど、この子にだけはそれバラして付き合っちゃおうかな~~?
 などと浮かれ心地で居たら、連れられた先にはガタイの良い男が3人。
 ……わーお。全くもってそんな雰囲気じゃねえ。

「あの、ねっ!ボク、す、好きなんだ!!」
「えっ!!!」

 あれやっぱ告白だった!?恋はいつでも台風!?

「き、きき気持ちは嬉しいんだけど俺達まだ初対面っていうかまだそのお互いの事を、」
「猫田君の事が!!」
「……ウン、続けて??」

 ハイハイ分かってましたよ。気を持たせるような言い方しやがって。こっちだって男は願い下げだぜ。
 早々に手の平を返し、ペッ、と脳内で地面に唾を吐いていると、目の前で何とも可愛…憎たらしい赤面を晒す彼は続ける。

「猫田君に告白したいんだけど、中々捕まらなくて…、今ここに呼び出せないかな?巌主君、猫田君と仲良いんだよね?」
「仲良いって言うか一応彼氏なんですがそこんとこ大丈夫っすかね?」
「何が???」
「アッ、何でもないです」

 お前に負けるはずないが??と言外に示さんばかりの純粋な目で見つめられて、即座に委縮する弱い俺。まあ普通に考えたらそうでしょうけども!君の顔面偏差値も高いねッッ!!

「でも猫田もう帰っちゃったと思うんで、今日は、」
「じゃあ電話して、戻ってくるように言って?」
「いやあ、俺の言う事聞くような奴じゃないんで…、はは」

 あくまで使用人なのはバイト中だけだし、学校内ではそういうの無しで普通に友達をやっている。使用人中であっても俺の言う事なんか一つも聞いてくれた試しないけど。……ん?それは何で!?

「……本気で言ってるの?どうしても無理なの?どうにかしたら出来るんじゃないの?早く呼び出してよ」
「いや、…本当に、」

 最初のもじもじしていた控えめな感じはどこへやら。段々と苛立ちを露わにするその…恐らく同学年であろう男子。そして彼の後ろには、心なしか最初よりこちらに寄ってきているように見えるラグビー部所属?と言いたくなるくらいの屈強な男子三人。
 ……いや圧強っ。

「すみません用事思いだしたんでこれでーーっっ!!!」
「あ…っ、待てっ!!」

 よく分からない謎の重苦しい空気感に堪えられず、クルリと彼らに背を向け、俺は一目散に駆けだした。

「……ひょえ~熱烈ぅ…。生徒会だけに好かれてるわけじゃなかったのか猫田。羨ましいようなそうでもないような…」

 後ろを振り向かないままに校門まで全力疾走していると、そこには犬居が立っていてきょろきょろと周囲を見回しているところだった。お、珍しい、既に俺を待って……っていやそもそも遅刻してるし、先に待ってるのが当たり前だからっっ!!

「犬居っ!!」
「あ、坊ちゃん!…もう、2分の遅刻ですよ」
「その概念は迎えのお前にあっても俺には無いからな!?しかも2分て!そのくらい大目に見ろ!」
「一人で歩いて帰ったのかと思って、俺タクシー呼ぶところでしたよ」
「何主人より贅沢な手段で帰ろうとしてんだお前!え、これから呼ぶの?今日もしかしてタクシーで帰れんの?」
「んなわけないじゃないですか。坊ちゃんがいるとなれば徒歩です」
「逆じゃねーのかなそれ…。……俺今日色々あって疲れ、」

「俺も暇じゃないんで、今日みたいにかくれんぼの相手とか出来ませんからね」
「──、」

 少しだけ疲れの残る顔で呆れた風にため息を吐かれて、吐き出しかけた言葉が止まる。
 きゅ、と口を閉じた俺に、「ほら帰りますよ」と子供相手にするように差し出された手。今日は何となくそれを取ることが出来ず少しの間じっと眺めていると、犬居は不思議そうに首を傾げてから、力なく横でぶら下がっていた俺の手を自分から掴んで歩き出した。
 ……ていうか何で毎回手を繋ぐんだこいつは。温かいからいいけど。

「さっき何か言いかけてました?」
「いや、ちょっと課題いっぱい出されてさー」
「どうせ何か馬鹿なことしたペナルティとかでしょう?図星です?」

 ニヤリと悪戯っぽく細められた目が向く。
 俺はそれに笑い返して、

「バレたか!あ、あとハンカチも無くした」
「もー、坊ちゃんはそそっかしいんですから。そそっちゃんなんですから」
「そそっちゃん!?」





 *


「じゃあ俺、ちょっと出てきますね」

 俺を(徒歩で)家に送り届けた後、犬居は靴も脱がないまま再び外出しようとしていた。父からの呼び出しがあったようだ。今度はしっかり車のキーを持って玄関扉に手をかける犬居の背中に、俺は問いかける。

「最近忙しそうだけどさ、働きすぎじゃない?あんまコキ使わないよう俺から父さんに言っとこうか?」

 顔だけで振り返った犬居は、一瞬きょとんと目を瞬かせた後、柔らかく微笑んだ。

「いいえ、俺がやりたいと言ってやらせてもらっているんです。旦那様には感謝してもし足りません」
「……ふーん」
「あれあれ?もしかして寂しいんです??俺と一緒に居たくて堪らない的な??」
「いや全然??これっぽっちも??早く行けば???」

 余計な事を言ってしまったと後悔していると、犬居は一度開けかけた扉から手を離してこちらへ近づいてきた。どんだけ人を揶揄いたいんだコイツ!!
 またすぐに不敬極まりない言葉を吐かれると警戒していたが、前に立った犬居は余り見慣れない真剣な表情をしていて。
 ドキ、と変なふうに心臓が揺れ動く音がしたと同時、彼の手が俺の頬にそっ、と触れるか触れないかわからないくらいの柔らかさで添えられる。反射的にビクリと身を強張らせると、まるでそれをなだめるように節だった親指で頬を、長い人差し指と中指で挟むように耳を、残りの綺麗な二本指で首を、すり、すり、と何度か優しく撫でられた。ぽかぽかと体温の高い手が触れて確かに身体の強張りは解けたが、今度は逆に何だかこそばゆいような、息がし辛くなるような変な感覚が襲ってくる。

 待って、何か、犬居の手の熱が俺にも移って、

「少しくらい自惚れさせてくださいよ」
「……は、」

 直後、犬居の顔が目の前に迫るのが見えて、俺は何も考えられないままにギュッと目を瞑った。
 え、何だコレなんだコレ。急にどうした犬居??疲れで頭が??手付きが俺の想像するエロいお姉さんのソレだが??あ、待って、何かいい匂いする……っていや何でお前からいい匂いするんだよ!そのせいでちょっとドキッとしちゃっただろうが!やめろっ!!………ん?

 数秒何も無い時間が過ぎて、違和感に俺がゆっくりと薄目を開けると、
 そこにはにんまりと目に弧を描いて今にも吹き出しそうに笑いを堪える犬居の姿があった。

「ぶ、くっ…、何想像したんですか坊ちゃ~ん?」
「うるせーー!!早くどっか行けっっ!!!」

 羞恥による赤面で憤慨する俺に対して、犬居は扉を閉めるその時まで大口を開けて爆笑していた。

 この野郎…っ!完全なる善意で話しかけた俺に何たる仕打ち…!


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