落ちこぼれオオカミ、種族違いのため群れを抜けます

椿

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 それから、オレは彼の回復のために全力を費やした。モチベーションは常時上限満タンである。
 見張りと獲物の荷運びが終われば、脇目も振らずに家へと戻る。
 これまでであれば、週一である仕事終わりの訓練にも自分は役に立たないと分かっていながら真面目に参加していたりしたのだが、それに出るのもやめた。
 じいちゃんの遺していた蔵書を引っ張り出し、人間について書かれた本をありったけ漁る。
 野菜も口にする、とあれば図鑑片手に山へ入り、食べられる山菜を探した。
 栄養価が高い干し果実も、彼に食べさせるために頭を下げて分けてもらう。
 毎日身体を拭き、排泄の世話も全部やった。
 周囲がそんなオレを怪訝な目で見ていることは知っていた。
 オオカミは群れの連携を何より重んじる。そこから外れる行動がどれだけ異質か、そしてそれが原因でつまはじきにされることがどれだけ恐ろしいことか、オレも身をもって理解していた。
 だけど今はそれが全く怖くなかった。
 人間の彼にはオレが必要なんだと思ったら他のどんなことより優先できたし、そんな自分のことが誇らしいとすら思えていた。

 彼の名はルシウスといった。
 ルシウスの体力が戻るにつれて話す機会も増え、そこで彼の人となりを知ることになる。
 ルシウスは、この村では見かけないほど穏やかな性格をしていた。
 口調も柔らかくて、知識だって豊富で、彼の話すこと全部がオレにとって新鮮で面白かった。それなのに、オレなんかの拙い話にも興味深そうに耳を傾けてくれて、時折声を上げて笑ってくれる。
 それがたまらなく嬉しくて、ついつい話し込みすぎて彼の睡眠時間を削ってしまい、後悔するのが常だった。
 ごめんと謝ると、ルシウスはおかしそうに笑い、それでいてどこか嬉しそうに「僕も楽しかったからお相子だね、ごめんね?」と言ってくれる。
 その言葉を聞いて、同じ気持ちなのだと分かった瞬間、オレの胸はどうしようもなく高鳴った。
 こんな感覚は初めてだった。
 じいちゃんにも、グレンにも感じたことのない、この全身が熱く火照るような衝動に最初は戸惑って、……でも、不思議と全く嫌じゃなかった。
 そうして、日々は過ぎていき──、

「おかえり、リト。ご飯できてるよ」
「ルシウス!?た、ただいま……!もう動いていいの!?」

 ルシウスはみるみる内に元気を取り戻し、もう自分で立ち上がって動けるまでに回復していた。
「リトのおかげだよ」とはにかんだ彼は、オレの家にあった材料で作ったらしい、見たことがない色のタレがかかった肉を振舞ってくれた。
 これまで肉に塩を振ることしか知らなかったオレにとって、その料理は衝撃だった。
 あり得ない程柔らかい食感と、タレが絡んで旨味が増す極上の肉は、もう一生これ以外食べなくていいと思えるほどに美味で。
 言葉もなくがっつくオレに、ルシウスは目の前で嬉しそうに笑っていた。
 食卓に置いていたじいちゃんの写真は、今は近くの棚へと移動してある。
 寡黙なじいちゃんがいた時と雰囲気こそ違うが、この温かな空間は、昔感じていたそれと全く同じだった。
 あの頃の幸せな日々が戻ってきたような感動に、オレの胸はじんわりと熱さを増し、自然と口角が上がる。
 そんな幸せな食事も落ち着いた頃。ルシウスは、ふと静かに口を開いた。

「リト、僕は明日ここを発とうと思う」
「──え」

 一瞬、時間が止まったように感じた。
 咄嗟に硬直を解いたオレは、動揺に暴れる鼓動を隠すように告げる。

「きゅ、急すぎない?まだ安静にしてた方が良いよ。オレは全然迷惑とか思わないし、むしろ居てくれた方が……、その……」
「ありがとう。でも帰らなきゃ。きっと心配されてるだろうし」
「あ……」

 そうか。ルシウスには帰る場所があって、待っている誰かがいるんだ。
 それは当たり前のことなのに、何故か今、その事実がどうしようもなく堪えた。
 別に彼の不幸を願っているわけではない。
 それでも、今まで同じ気持ちで一緒の時間を過ごしてきたルシウスがそれを言ったからこそ、オレには何もない、という彼とは対照的なその事実だけが、やけに鮮明になった気がした。
 冷たい水の底に沈んでいくみたいに、一気に身体が重くなる。手先が冷えて、じんわりと感覚がなくなっていくのが分かった。
 オレ、また一人になるのか……。
 そう思った瞬間、不意に手を取られる。

「リトが良かったら、一緒に行かない?」
「──え?」

 咄嗟に顔を上げると、ルシウスがその温かい眼差しでまっすぐこちらを見ていた。

「折角仲良くなったのに、こんなに早く離れるなんて僕も寂しいし、助けてもらったお礼もまだだしね」

 どくん、と心臓が大きく脈打つ。
 村を、出る?そんなこと、今まで考えたこともなかった。
 でも確かに、ここにいても待っているのは冷たい視線と自己嫌悪の日々だけだ。
 急に提示された大きな選択肢に、動揺と興奮で呼吸が浅くなる。
 ルシウスと一緒に外の世界を見れる。それは想像だけでワクワク出来るほど、希望と幸福に彩られた理想的な未来だった。
 けれど、こんな時にも変わらず思考に影を落とし、オレを縛るのは、誰でもない、心に染み付いた自分への不信感だった。

「……で、でも、オレ、何もできなくて……、多分足手まといに……」
「何もできなくなんかないよ」

 即座の否定に、思わず面食らってしまう。
 そんなオレを見て、ルシウスは少しだけ目を細め、いっそう優しく微笑んだ。

「僕の命を救ってくれた。一生懸命看病してくれて、沢山話して笑ってくれた。一緒にいたい理由なんて、それだけで十分すぎるくらいだよ」
「……っ」

 言葉が、出てこなかった。
 一緒にいたいだなんて、今まで言われたことがない。
 この村では群れへの貢献が全てで、何をしても足りないオレはずっと役立たずの象徴だった。
 命を救ったなんて大げさだ。寝ている人にまずいスープを与えるのなんて誰でも出来る。
 肉はオレが狩ったものじゃないし、山菜だってただ生えていたのを摘み取っただけ。
 話して笑うって、……そんなのもっと、……そんな……その、程度で……。
 ──その程度のオレでも、ルシウスは、傍に置いてくれるんだ。
 一緒にいたいと思ってくれるんだ。
 いても、いいんだ。
 冷えていた熱を取り戻すように、鼓動が早く熱く跳ねる。
 オレは今この時、ルシウスにありのままの自分を認められて初めて、本当の意味でこの世界に受け入れられた気がした。
 誰かに「一緒にいたい」と願われることが、こんなにも嬉しいだなんて知らなかった。
 嬉しい。
 もっとルシウスと話したい。
 ルシウスの知らないところをもっと知りたい。
 ルシウスの傍にいたい。傍にいてほしい……!
 そう、オレが強く思った瞬間、目の前のルシウスが驚いた風に目を見開いた。

「──リト……君ってもしかして、オオカミの獣人じゃなかったの?」
「?え、な、何で?オオカミだよ?見ての通り耳と尻尾が、」

 頭と尻に触れようとした手が、空を切る。
 ──ない。耳と尻尾が。
 え?え!?
 慌てたオレは自分の顔周りをぺたぺたと触る。大まかな形は変わっていない。しかし、側頭部に触り慣れない柔らかな出っ張りがあるのを発見してしまった。
 何これ!?何!?いぼ!?何!?オレの身体どうなってるの!?

「お、落ち着いてリト……。それは、人の耳だよ。……君、今人間になってる」

 一足先に冷静さを取り戻したルシウスによって、鏡を手渡される。
 そこに映っていたのは、確かに自分だった。
 だが今までとは決定的に違う。
 大きな耳は消え、代わりに人間の肉の耳が生えていた。尾はなく、歯は丸みを帯び、爪は引っ込んだまま外に出せなくなっている。
 ルシウスが言った通り、オレは彼と同じ人間になっていた。

「へぇ……?」

 間の抜けた声が漏れる。
 全くもって理解が追いつかない。
 何が起こったんだ?オレ大丈夫?これ大丈夫な感じのやつ?
 思考が処理限界を超え、呆然とするオレ。
 そんなオレの手をぎゅっ!と握ったのは、今までに見たことがないほど目を輝かせたルシウスだった。

「リトはミミックだったんだ……!」
「ミミ……、えっ?な、何?」
「種族名だよ!他の生物や物に擬態する特性をもつ極めて珍しい種族で、……もう随分前に絶滅したって話だったのに、僻地で繁殖してたんだ……!うっわ…、今ナマで擬態が見れたってこと!?奇跡だ…!生きててよかった…!」

 興奮を隠しきれない様子でまくし立てるルシウスに、オレは戸惑う。

「で、でもオレ、最初からずっとオオカミだったよ?じいちゃんも、そう言ってたし……!毛が白いのは変だけど……」
「最初の擬態対象こそが君のお爺さんだったんだよ!お爺さんは白髪だったんでしょ?目の色は?」
「お、同じ色。紫の……」
「それはきっとお爺さんの色だね!リトは生まれて一番最初にお爺さんを仲間だと思って、その姿を真似たんだ。そしてお爺さんもそんな君に家族としての愛情を注いだ。素晴らしい絆だよ」
「──、」

 オレにオオカミの親なんていなくて、じいちゃんとも血は繋がっていなかったどころか、種族すら違っていた。
 情報の濁流にのまれる。頭の中が整理できない。
 でも、一つだけ、はっきりと分かっていた。
 じいちゃんとオレは、血のつながりなんて関係ない、心で繋がった、本物の家族だった。
 胸の奥に、もう幾度目かの温かいものが灯る。
 そして、目の前のルシウスがオレの事で喜んでくれていることも嬉しかった。
 ただ姿を変えるというだけなのに、なんだか自分が彼にとって特別な存在になれたように思えて、誇らしさすら感じる。

「擬態って、すごいの……?」
「すごいに決まってる!」

 その断言に、鼓動が跳ねた。

「ル、ルシウスの役に立てる?」
「勿論!例えば鳥に擬態できたら空を飛んで地形を把握できるでしょ?鼠なら狭いところに入り放題だし、ドラゴンに擬態しようものならこの村なんて一瞬で焼き払える!万能だよ!君は特別な人だ!僕には絶対に君が必要だよ、リト!」

 ルシウスと出会ってからの数週間で、じいちゃんがいなくなってからの孤独が瞬く間に埋められていく。
 彼の言葉はどれだけでも甘く、オレの心を満たしてくれていた。
 村を焼き払うというその発想の規模には驚いたし、勿論そんなことはしないが、ルシウスに必要だと思ってもらえているのが嬉しい。
 すごいって思ってもらえて嬉しい。
 オレ、自分のすごいところ、今初めて見つけられたよ。……価値があるって思えたよ。
 じわり、と視界が滲む。

「……へへ」

 うまく笑えているかも分からないまま、ひどく情けない歓喜の声が漏れた。
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