BL禁止学園

椿

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 その日は珍しく寝坊してしまった。よりによってBL粛清委員会の朝礼を、開始時間ごとまるっとすっぽかすという大失態だ。
 茨さんからの着信は途切れる気配もなく、スマホは俺の身体と連動して延々と震えていたが、あの人の怒声を受信する未来が確定している以上、それに出る勇気などあるはずもない。
 一旦茨さんのことは忘れて、とにかく授業には遅れないようにしよう。そんな現実逃避と共に校舎へ全力ダッシュしているのが今の俺の状況だった。

 そんな折だ。登校時間がとうに過ぎて人気のない校門、という名のバカ高い柵を、外側からよじ登るサルが視界に入ったのは。
 ……いや、よく見れば人間だった。アフロのかつらに瓶底メガネという、もはや情報量の暴力みたいな出で立ちで、しかもうちの制服を着ている。
 サーカスの一団とかか?学園内でそんなイベントあったっけ……ってそんなこと考えてる場合じゃない!遅刻する!
 寮暮らしである俺はすでに門の内側にいたため、サルが校門で何をしていようがどうということはないのである。そのままスルーさせてもらおう。
 急いで駆け抜けようとしていたその時、校舎側から生徒会副会長がこちらへと向かってくるのが見えた。
 その瞬間、俺はまるで条件反射のような素早さで近くの物陰に身を隠す。
 別に彼と仲が悪いとか、顔を合わせるのが気まずいとか、そういう特殊な関係ではない。ただ、俺の長年の経験で培われた腐センサーが「まあ待ってみろ、確実に何か起こる」と敏感に反応したのである。
 息を潜めて耳を澄ますと、どうやらあの猿もどきは転入生らしい。生徒会としては校内案内やら入学手続きやら、諸々の説明をしなければならないのだろう。ご苦労なことである。
 副会長のほうも面倒なのか、相変わらず張り付けた笑みと事務的な口調で淡々と説明を続けていた。
 そして、一通り話が終わったタイミングで、その転入生が口を開く。

「あの」

 高くも低くもない。ただ、よく通る、澄み切った声をしていると思った。
 副会長が「はい?」と数分前から微動だにしない笑みで返事をする。
 すると、彼は続けて、

「無理に笑ってもらわなくて大丈夫ですよ。僕、後輩ですし。気を遣われないでください。──それより、本当の貴方ともっと仲良くなりたいです」

「はい落ちた」

 なんか思わず物陰で麻酔科医みたいなことを言ってしまった。
 待ってくれ。落ち着かせてほしい。俺はもしや今、とてつもなく貴重な場面を見てしまったんじゃないか?
 生徒会副会長の腹黒さは学内でも有名だ。知的な和風美人、という感じの顔だけを推している生徒は一定数いるみたいだが、生徒会のメンバーからはあまり好かれてはいないらしい。
 それが嘘か本当かはわからない。しかし、本当の自分をその無防備な包容力で受け止め、純粋に慕ってくれようとする存在は、副会長にとってどれほど新鮮で、魅力的に映るだろう。
 外見関係なく好きになっちゃうよそんなの。
 そしてそれは真実の愛だ。純愛だ。純愛BLだ。
 ほらもう見て何あの副会長の表情。一気に変わったんだけど。愛想笑いから親戚の子どもを甘やかす伯父枠に秒で転生したんだけど。デレデレすぎんだろ。
 いいね……もっとだ。もっと見せろ。そこから始まる2人の恋模様もっと見せろ!
 恋をした瞬間から追うCPは初めてだ。身体が震える。武者震いか……。と思っていたら、スマホのバイブレーションで一緒に震えているだけだった。茨さんからの着信である。電源を切っておいた。

 そのまま二人を尾行した俺は、その行く先々で、もじゃもじゃ転入生の手練手管を見せつけられることとなる。
 副会長の仮面スマイルを見破るだけにとどまらず、教室では同級生の双子を初見で判別。休み時間にはチャラい会計の抱える闇を秒速で癒し、無口系わんこ書記の意図を相違なく汲み取る。極めつけに、昼の食堂では俺様生徒会長から「おもしれー男」認定。
 BL台風、暴風域突入です。
 モテモテイケメン集団の生徒会一同。そこに突如彗星のごとく現れた奇抜な外見の転入生。
生徒会のメンバーは彼と関わるうちに本当の恋というものを知り、普段はクールなあの人の赤面が見れたり、チャラついたあの人の真剣な表情が見れたりするんだ。いやむしろもう見た。目を閉じれば鮮明に浮かんでくる。
 どうしよう。あまりに理想の展開すぎて四肢がもげそうだ…っ!
 耐えられるのか、現場の林堂誠一!耐えられるのか、こんな純愛BL供給過多に!はっ、はっ、酸素ボンベ…!酸素ボンベ頂戴!!
 一人、食堂の隅の席で身をひそめながら鼻息を荒くしていると、急に背後からがしっと頭を鷲掴まれた。

「こんなところで何をしているサボり野郎」
「ギャーーッ!」

 振り向かなくても、怒りを湛えた声と遠慮のないアイアンクローで誰が後ろにいるのかわかる。
 恐る恐る見上げると、予想通り、青筋を浮かべてこちらを見下ろす鬼、もとい茨委員長の姿があった。
 やばい。めっちゃ怒ってる。

「朝礼をサボるわ連絡はつかないわ……。教室にも来ていないというし、それなのに寮はバタバタ出たと。どこにいるんだと思ったら授業も受けずいち早く昼食か?良いご身分だなお前ぇ…!」
「すみません!本ッ当すみません!!」

 すごい調べ上げられてる!朝礼遅刻しただけでそこまでされるんだ!

「あの、充電…っ、そうスマホの充電が切れててぇ」
「嘘をつけ。電子書籍禁書を一秒たりとも見逃さないためにお前がスマホの充電を絶対に切らさないようにしているのを知っているんだぞ俺は」

 何で知ってるんですか!?
 余計な言い訳をしたせいで、俺の頭はさらに強く締め付けられることとなった。
 これ絶対頭へこんでる!絶対指の形にへこんでる!

 しばらくして茨さんの満足ゲージが満たされたのか、あるいは単に手が疲れたのか、俺の頭はようやく解放される。
 安堵と痛みで目尻を潤ませながら、すぐに頭がへこんでいないか触って確認した。ちょっとぽつぽつへこんでいる気がした。

「今朝は急遽転入生が来るとの知らせがあってな。そいつが中々厄介な……、」

 朝礼時の情報共有をしようとしたのか、茨さんが話し出すが、その言葉は不自然なタイミングで途切れる。
 何ごとかと、遠くに向けられていた彼の視線を追うと、その先には転入生の姿があった。
 一拍遅れて、茨さんは何かに気づいたようにほんの少し眉を動かす。次いで、ゆっくりと俺の方へ視線を戻した。
 彼が何を言いたいのか、俺は完全に察していた。
 目を合わせ、静かに頷く。そしてその後、出来るだけキリッと凛々しい表情を作って、

「安心してください。事前に見張ってました☆」
「己の欲求に従っただけのくせに誇ったように言うなボケがーーッッ!!」
「いっっったーー!!へこんだ!絶対頭へこんだ今!」
「安心しろ。他の委員にはそう説明しておいてやる。副委員長ともあろうものが、人の恋路を盗み見して興奮する変態だと知られれば委員会内の秩序が崩れかねんからな。汚点の自覚はあるか、なあ汚点」
「その汚点を委員会に入れたのはアンタなんだよな。俺がウンコとしたら便器なんだよなアンタ」
「誰が便器だ!どちらかと言うと俺はブルーレッ〇だ。最も上に存在しあらゆる汚れの付着を防ぎ清める、見た目も綺麗でいい匂いがするそんな」
「何でトイレの話してるんですか?」
「お前が始めたんだろ!」

 またも頭を変形させられそうになり、それに抵抗し、……という悶着をもう一度やって、流石にはしゃぐのにも疲れたのか、茨さんは俺の隣席へと腰を下ろした。
 先程まで俺が飲んでいた水を勝手に奪って一息ついている。
 冷水で多少は頭も冷えてくれただろうか。まったく恐ろしい暴力装置だ。

「で、どうなんだ転入生は」
「もう最高ですね。会う人みんな彼の虜で、俺の好きな純愛BLの始まりを体現してくれている神のような存在です。これからもっと最高になるのは確定なんですが、俺の今までの読書数経験をもってしても予測がつきません。さしずめここは恋情渦巻く恋のラビリンスといったところでしょうか。ね、ブルーレッ〇さん」
「処分対象だな」
「待ってください!まだ決定的なことは何もないんです!まだ友情です!摘み取らないで!芽を摘み取らないで!」
「処分対象はお前だ便器にこびりついて乾いたクソがッッ!誰がブルーレッ〇だ死ね!」
「いだだだだ!」

 机に額がめり込む勢いで押さえつけられる俺を、通りすがりの生徒が引いた目で見ていた。
 先程から一応小声で話してはいるものの、やはり動きが目立つのか、少し見渡しただけでもそれなりに視線が向けられているのがわかる。
 茨さんのせいだ。俺一人だったらこんなに見られてない。恨みがましい目を向けていると、追加で頬をつねられた。

 再度一息ついた後、椅子に深く腰掛けた茨さんがため息混じりに告げる。

「転入生の心情がどうあれ、一日で明らかに目立ちすぎている。保護対象として監視する必要があるだろうな」
「はい!俺やります!」
「お前は楽しんでるだけだろ」
「楽しめる仕事ってそれはもう天職だと思うんですよ。俺ストレスフリーでいけます。24時間働けます。経験生かせます。俺にやらせてください。俺にしましょう!俺しかいない!」
「こんな時ばかりやる気出すのやめろ本当腹立つ。……規定違反があれば誤魔化さずすぐに報告しろよ。即時の接触禁止命令と相応の処分を下さなければいけないからな」
「っし!」

 合法的に転入生まわりのBLを観察できる許可を得た俺は、全力のガッツポーズをキメた。
 勿論、報告はいい塩梅で誤魔化すつもりだ。接触禁止命令なんて出されて、良質な純愛BLの供給を絶たれるのだけはごめんだからな。

「ありがとうございます茨さん!俺頑張ります!」
「……ん」

 内からにじみ出る歓喜を乗せた満面の笑みで礼を言うと、茨さんはそっけなく顔を逸らして水を飲んだ。
 気づけば(元)俺のコップは空になっていたが、そんなことはもうどうでもいい。輝かしい未来が保証されている俺の精神的余裕の前では、どんな理不尽もそよ風であった。

 監視役が俺一人ならレ〇プ以外の軽度違反は見逃し放題だし、そもそも生徒会は常に人目を浴びる立場。一般生徒より危機意識も備わっているから、大胆な越境行為なんてそうそう起こるはずもない。
 他人の目がある前で誰がどう見てもアウトな行為さえしなければ、俺の胸の内だけに秘めておけるしな。大丈夫、俺は仲間だ。卒業までお世話になりまーーーす!!
 固い決意を胸に、俺は今一度信仰対象への感謝を強くするため、その視線を彼らへと向ける。
 そこで、

 生徒会長が、転入生にキスをしようとしていた。

ア、アウトーーー!!

 バカやめろ!曖昧な今の状況だからこそ黙認されてるのに、キスしたら一発アウトで永遠に接触禁止だぞ!そしたら俺の夢の純愛BL観察はいったいどうなるんだ!
 椅子が悲鳴を上げる勢いで立ち上がった俺は、そのまま生徒会長めがけて駆け出した。
 身体が思考より早く動く。
 俺は、途中にいた下級生の手から水入りのコップを奪い取り、そのままの勢いで会長へとぶちまけた。
 バシャッ!
整った顔面に水が直撃し、周囲が文字どおり水を打ったように静まり返る。
生徒会長の顎の先からは、断続的な滴が床へと落ちていた。

 まだ唇は触れていなかったようだ。よかった。
 この場で安堵の息を漏らしていたのは、もしかしなくても俺だけである。

「テメェ…、何しやがる……」

 目の前から聞こえる、地を這うようなドスのきいた声に、自然と身体が強張る。
 鮮やかな赤髪をしっとりへたらせながら、殺意すら帯びた鋭い眼光でこちらに凄んできていたのは、三年の生徒会長様だ。
 ヤ〇ザだ。怖い。
 率直にそう思ったが、茨さんのおかげで俺の恐怖耐性はそこそこ鍛えられているらしい。少なくとも、膝を笑わせずに虚勢を張ることだけには成功した。

「すみません。なんかオムライスに呼ばれた気がして。生徒会長もそうですよね。月みたいな色してるからかな、潮の満ち引きみたいな地球の理レベルで引き寄せられちゃって、ひよこの魂の輪廻もスプーンの裏で回るんですよ。宇宙鍋ってそういう原理なんで」
「頭おかしいんじゃねぇのかテメェ」
「ああこいつの頭は大体いつもおかしい」

 成功してなかった。気が動転して変なこと言っちゃった。
 生徒会長の引いた顔が俺の胸を抉る。でもそもそも誰のせいでこんなことになってると思ってんだ。誰が混乱話術でこの場をうやむやにしてやったと思ってんだ。
 それといつの間にか近くに来てた茨さん。アンタも便乗するな。違反を未然に防いだんだから褒めてくれ。褒めたたえてくれ。

 その後、会長は「テメェが拭いとけ」とちゃっかり俺に拭き掃除を押し付けてから食堂を去っていった。
 何とも言えない不服感が残ったものの、無事目的は達成され、純愛BL観察の危機も脱した。これでまだイチャイチャは見放題だ。
 頼むぜまったく。俺の目と心の栄養源である自覚を持てよブルーベリーどもめ。

 安堵の息を吐き、床を拭くための雑巾を求めて前へ進もうとしていたところで、クンッ、とまるでこちらを引き留めるように袖がひかれる。
 咄嗟に振り向くと、そこには──

「守ってくれたんですね、先輩。かっこいいです♡」
「……はい?」

 そこには、アフロをずらし、眼鏡まで外した、猿もどきとはまるで別人のような美少年が立っていた。
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