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しおりを挟む「あ~あ。本当だったら今日が私の番だったのにな~。旦那様のお風呂でゆっくりするの好きなのにぃ~」
「こら。そういうことをあまり大きな声で言わない。はしたないわよ」
「しかし心配だな。本日もお身体がすぐれず臥せっていらっしゃるのだろう?医者は手配したのか?」
「それが、旦那様が『大したことはないから呼ぶな』と……」
がやがやと会話をしながら入ってきたのは、5、6名ほどの使用人の女性たち。
ここはどうやら瑠璃宮様の風呂ではなく、使用人用の浴場だったらしい。
え、いいな。豪華だ…!って、そんなのんきにしていられる状況じゃない!
間一髪で浴室の方へと身を隠していた俺は、逃げ場のない状況への危機感に汗を滲ませていた。
幸い浴場内はまだ湯気が濃く、視界は悪い。この場を切り抜けるには、彼女らが入ってくる瞬間を狙ってすぐに脱衣所に戻る他なかった。
ごめんなさい、絶対に変なことはしないし、見ないので……!
その時はすぐに訪れた。
女たちは談笑しながらまとまって浴場の入口へ進むと、一気に扉を開け放つ。
瞬間、冷たい外気が流れ込み、反対に、浴室に溜まっていた濃密な湯気が一斉に逃げていった。
湯煙の中、彼女たちは前へ進む。すぐそばの壁に張り付き、息を殺す俺の存在には気づく様子もない。
そして、集団の最後尾が横を通り過ぎた。
今だ……!
幸い仕切りも開け放たれたまま。これなら開閉音で気づかれる心配もない。
そう判断した俺は、脱衣所へ向かって一気に駆け出した。
──次の瞬間。
どんっ
「っ!?」
予期せぬ衝撃が全身を襲う。
大きな何かにぶつかり体勢を崩した俺は、そのまま床へと倒れ込んだ。
……あれ、……痛く、ない?
床に全身を打ち付けたというのに、痛みはほとんどなかった。
いやそれどころか、顔や手に触れるのは、柔らかくて暖かい、衝撃を吸収するような感触の何かで……。
俺は、恐る恐る顔を上げる。
真っ先に視界に映ったのは、一面の肌色。そして、そこに一つだけ散らされた小さな黒点。
俺が押し倒していたのは、以前、御神木を清めるために水を撒いていて、なおかつ御蔭さんに胸元を覗かれていた、あの使用人の女の子だった。
「~~っ、殺ぉおおーーすッッッッ!!」
「うおわあああ!ごめんなさいーー!!」
反射的に彼女の上から飛び退いた俺は、その勢いのまま脱衣所を飛び出す。
違うんです!決してやましい気持ちがあったわけではなくてえ!ああもう何で出入り口が脱衣所なんだよ!何考えてんだ作成者!
通路を作った人にまで怒りの矛先が向かうが、後戻りができない状況に、逆に覚悟を決められた気分だった。
どうせやることは同じだ!
俺は喝を入れるように両頬を叩くと、瑠璃宮様の自室を探すためひたすら通路を駆ける。
いったいどこだ……!
御蔭さんの屋敷とは勿論配置も造りも違うため、全く見当がつかない。
部屋数も多く、闇雲に探しても時間が削られるだけだ。誰かに聞ければ早いんだけど……、
「みんなーー!いたわよ!性犯罪者!」
「!?」
一人の女性の声を皮切りに、わらわらと数人の使用人が集まってきた。
皆一様になぎなたを持っていて、明確かつ強固な殺意に背筋が震える。
捜索早いよーー!まだお風呂入っててくださいよ!あとなんか不名誉な罪着せられてる!濡れ衣……ではないところが辛い。でもあれは事故で……!
こんな状況で当主の部屋なんて聞けるわけがないし、聞いても馬鹿正直に教えてくれる人はいないだろう。
明確な命の危機を背中に感じながら、俺は必死に屋敷中を逃げ回った。
これじゃあまともに部屋探しもできない。い、一旦隠れてやり過ごさないと……!
逃げながらそう判断した俺は、ほんの一瞬、使用人たちの追跡を撒けたと感じたその瞬間に手近な部屋へ飛び込んだ。
すぐに襖を占め、そこに耳を押し当てつつ全力で息を潜める。
少し離れた場所でこちらを探す声と足音が聞こえていたが、数秒じっと耐えているとそれもなくなった。
ひとまずは追手を撒けたらしい。
はーー…と詰めていた息を吐いて、俺は襖にもたれかかるようしゃがみ込む。
すると、丁度手を付いた場所に、硬質な何かが触れる感覚があった。
それは、深い藍色に金の装飾が上品にあしらわれた美しい刀の鞘。
思わず手に取って、その美しさに見惚れる。それと同時、何でこんなところに刀の鞘が落ちてるんだ?と当然の疑問が頭をよぎった。
視線を上げる。
それは特に何の意図もありはしない、自然な動作だ。
明かりの灯っていない薄暗い部屋。窓際の障子から差し込む微かな夕焼けだけに輪郭を彩られるその奥まった場所には、抜身の刀を持ち、呆然とこちらを見やる、──全裸の美女が立っていた。
「!?」
色々何で!?
「すっ、すみません見てません見てません見てません……!」
何で部屋で全裸?とか、何で刀?とか、状況の不明さに困惑しきりだったが、このままここに居れば性犯罪者としての疑惑をより強いものにしてしまうという事実だけははっきりしていた。
俺はすぐさま目を伏せ、四つん這いのまま部屋を出ようとする。
しかし、襖に手をかけようとした、その寸前。
「旦那様」
「!!」
すぐ外で聞こえた女性の声に、びくっと肩が跳ね、伸ばしかけた手が止まる。
それはつい先ほど、不可抗力とはいえ俺がぶつかり、押し倒してしまった女性の声だった。
まずい……!見つかる!
ぶわり、と嫌な汗が全身から噴き出す。
そんな俺と扉一枚を隔てた至近距離で、彼女は淡々と用件を告げた。
「お休みのところ大変申し訳ございません。現在、屋敷内へ侵入した不届き者の排除のため騒がしくしておりますが、旦那様のお手を煩わせるほどのことではございません。事態が収拾するまでしばしお待ちください」
俺の心配をよそに、彼女はそれだけ言うと、「失礼いたします」とすぐに立ち去って行った。
しかし「これで逃げられる!」なんて安堵するほど今の俺の頭は楽天的ではない。
彼女の用件は、当主に屋敷の現状を報告するためのものだった。
それを向けられるのは当然当主本人であり、報告する場所は当主の部屋の前であるはずだ。
俺はまだ手に持っていた刀の鞘を見る。立派な鞘だ。
──まるでこれが、瑠璃宮様が使う退魔の刀と聞いても遜色ないほどに。
混乱する思考のまま、俺はひどくぎこちない動きで振り返り、未だ全裸でそこに立つ人を不躾な程まじまじと見た。
腰まで下ろされた美しい長髪が、身体を滑らかに這っている。
女性らしい愛らしさに満ちた顔と、惜しげなく晒される雪のように白い肌、そして柔らかい丸みを帯びた身体は、直視するのを憚られるほどの美麗さでそこにあった。
瑠璃宮様は男だ。それは身をもって知っている。実際に俺は、あの低い声で罵倒を浴びせられたし、武人にふさわしい力強い肉体で切りかかられ、踏みつけにされた。
しかし、同時に俺は虎徹さんの一件も知り得ていた。
だからこそわかる。
この不可解な現状を一気に説明可能な状況にする、たった一つの原因が。
「る、瑠璃み──」
確認のためにその名を口にしようとした瞬間、眼前に刃が迫っていた。
あ、死んだ。
目を閉じるのも間に合わぬうちに視界が真っ白に染まる。
ああ、頭を刀で貫かれた時ってこうなるんだ……、なんてそんな間の抜けた感想が浮かんだものだが、数秒経っても変わらないその現状と、明らかに正常に動く身体に、流石の俺も違和感を覚えた。
……あ、あれ?
目自体が機能していないと思っていたその視界の白さだが、実際には、目の前に大きく広がっていた白い何かが映っているだけだった。
それはしゅるしゅると音を立てて縮むと、虎徹さんのところでも見かけたあの式神の形に変わり、目の前でふよふよ浮かぶ。
俺は情けなくしりもちをついた姿で呆然とそれを見ていた。
何が起こったかまるでわからない。しかし、どうやらその紙が刀を弾いて俺を守ってくれたらしい、という事実だけは遅れて理解できていた。
瞬間、心臓が命の実感を主張するかのように激しく暴れ出す。
よ、よかったーー!生きてたーー!!
どばっと安堵の汗で身体をぐしょ濡れにしながら、本能的な生の実感に歓喜する俺。
しかしそれとは対照的に、対面の瑠璃宮様(仮)は怒りに震えていた。
「……何故貴様が、宗主様の式神を連れている……!」
「!?」
再び刃が振るわれるが、そのたびに俺の眼前に浮いた一つの紙切れ……もとい式神が、謎の金属音を立てて瑠璃宮様からの攻撃を防ぐ。どうなってんだよ何もかも!向かってくる刀への恐怖と、隠すつもりもない裸の女体への視線のやり場のなさの両方から、俺はその場で頭を抱え込み、小さくなることしかできないでいた。
「ま、待ってください!話を……っ」
「貴様が死ねばすべてがなかったことになる!」
殺される!!
突き刺さる殺意に肝を冷やした瞬間、またもムクムクと大きくなった式神は、瑠璃宮様の身体を強引に押しやり、べたっ、と壁面へ貼り付けた。
紙切れとはいえど、先程まで金属も弾いていたものだ。瑠璃宮様も当然激しく身を捩るが、容易には抜け出せない様子。
直近の命の危機がなくなったことと、あとは式神が瑠璃宮様の大事な部分ごと覆い隠してくれたおかげで、目のやり場にも困らなくなった俺は、ひとまずほっと息を吐いた。
唯一、憎悪をふつふつと募らせていくその凶悪な眼光だけが心底恐ろしかったが……。
「狐神の呪いで、そんな身体になってしまったんですね。……瑠璃宮様」
確証を込めて言うと、その女性は額にいくつも青筋を浮かべながら、剥き出しの殺意が混じる目で俺を睨みつける。
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