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しおりを挟む「よくも白々しく……!貴様が…っ、花ヶ崎の人間が全て計画したことだろう!」
「えっ」
「いち早く鞘を奪ったのもその証拠だ…!自作自演で狐神を逃がし、俺が刀を抜いたら強制的に女に代わる弱体化の呪いをかけられたということも全て知った上で貴様は今ここにいる!」
「!? 違います!俺は何も、」
「女の身体になった俺なら、貴様のような凡愚一人でもどうにかできると思ったか?ハッ、情けない面の下でそんな夢想をしていたとはな。流石は御蔭の僕なだけある。下衆め!恥を知れ…!」
何か勘違いでボロクソ言われてる!
だが、勝手に色々喋ってくれたおかげで瑠璃宮様の状況は分かった。そして、脱衣所で聞いた使用人たちの会話から、おそらく彼女たちがその瑠璃宮様の現状を知らないことも。
さっきここで報告していった彼女だってそうだ。瑠璃宮様の体調は気遣っても、俺がこの部屋に入って瑠璃宮様に危害を加えるかもしれないなんて心配は一切していなかった。
当たり前だ。討伐の家系である瑠璃宮家、その当主という地位は、最強の武人の称号。通常であれば、他家の使用人風情が脅威になるはずもない。
そして、瑠璃宮様も彼女らの意識を訂正せず、事情を黙ったままでいる。
バレたくないんだ。
虎徹さんも同じだった。使用人に弱みを見せず、当主としての威厳を保ちたい。心配をかけたくない。不安に、させたくないんだ。
呪いの発動条件は刀を抜くこと。
そして今、俺の手には鞘があり、……それはつまり、俺が鞘を戻して刀を納めない限り、瑠璃宮様は元の姿に戻れないことを示していた。
そこではじめて気づく。俺、今、この人の弱みを握っているんだ。
瞬間、感じたのは高揚や優越感などというそれではない。彼の人生全てを背負わされたかのような重圧と、背中をじとりと気持ち悪く濡らす極度の緊張だった。
何故なら、俺はこれから自分が何をしなければならないかをはっきり理解してしまっていたからだ。
俺はその場で立ち上がり、震えそうになる足を拳で叩いて誤魔化した。
そして、依然こちらに向けて殺意をあらわにする瑠璃宮様を、まっすぐ見据える。
「今見たこと、聞いたこと、誰にも言いません!その代わり、一日だけ刀を貸してくれませんか!?」
「戯言を……ッ!下手な交渉の真似事はやめろ。死体は綺麗な方が家族も喜ぶぞ?」
「おっ、お願いします!今御蔭さんの身体に狐神が入りこんでしまっていて、それを追い出すために瑠璃宮様の刀が必要なんです!」
「知ったことか!最初からそうするのが貴様らの狙いだろうが!おぞましい…ッ、早くそのまま封印してしまえ!そうすればこの呪いも解け──」
ピタリ。
不自然に瑠璃宮様の言葉が途切れる。
俺がそれを不思議に思っていると、静まった状況で聞こえたのは、外からの足音だった。
「旦那様、夕餉をお持ちいたしました」
「!」
使用人だ。てっきり俺が捕まるまで戻ってこないと思っていたが、そんなことで当主への配慮を欠くわけにはいかないのだろう。
どくん、と耳鳴りがするほど大きく心臓が鳴っていた。
声を聴き分けることもできず、それが誰かも分からない。ただ、彼女は扉の外で、静かに主の返事を待っていた。
今、刀は納められない。
声も女性のものになっている瑠璃宮様では、使用人に言葉を返すことはできず、身体は式神に拘束されたまま、意思を伝えることも、扉が開くのを止めることもできなかった。
圧倒的な無力。
このままでは、確実に瑠璃宮様の呪いは使用人に露見する。
そして、それを防ぐ手段はたった一つ、瑠璃宮様が俺に刀を渡すことだけ。
その事実は、瑠璃宮様も理解していることだろう。
呼吸も、言葉もない。ただ互いの視線だけが、真正面からぶつかった。
ごくり、と喉が鳴る。
俺はそろりと襖に手をかけ、そのまま動きを止めた。
──貸してください。
声には出さない。ただ、視線で、姿勢で、必死に訴える。
そんな俺の行動に、瑠璃宮様は顔面にビキビキと青筋を増やした。
目に見えてわかる怒りの増幅が恐ろしくてたまらない。
「旦那様……?眠っておいでですか?」
返事のない室内に、使用人が控えめに呼び掛けた。
このまま眠っていると思われて立ち去られてしまったら、脅迫が意味をなさなくなる。こんなにも彼を追い詰められる状況は二度とないかもしれないのに!
焦った俺は、扉を少し蹴ることで、中に誰かが居るということを簡易に示した。
どんっ、と突如目の前から鳴った人為的な衝撃に、使用人は更に戸惑ったように呼び掛ける。
「旦那様?どうかなさいましたか?……扉を開けますよ。よろしいですか?」
俺が手をかけていた襖に、外からも手をかけられた振動を微かに感じた。
いよいよだ。もう逃げられない。使用人にその姿を見られたくないのなら、刀を投げ渡して、俺に助けを請うしかない……!
早く折れてくれ!じゃないと俺も見つかって大変なことになる!
危機感に焦る身体を持て余して、俺も瑠璃宮様の使用人と共に彼の回答をひたすら待つ。
瑠璃宮様は確かに焦っていた。
だがそれ以上に、彼は俺に屈することを心から拒んでいた。
もはやそれは意地にも近い、凝り固まった矜持。
俺を射抜く、鮮やかな熱を滾らせた強い瞳に、限界まで煮詰めた殺意と迸る憎悪をぶつけられて圧倒される。
刀は離れた場所にあるのに、その強い目が、まるで俺の喉元に刀を突き付けてきているかのような新鮮な恐怖があった。
この人、こんな状況でまだ折れないつもりか!?
「失礼します」
沈黙に待ち切れなった使用人が声をかけ、そして扉に力がかかる。
時間切れだ。
襖が開く動きが異様なほどゆっくりに感じられていた。
細く生じた隙間から、すうっと通った光の道が瑠璃宮様の顔の中心を照らす。
ほんの一瞬。
一瞬だけ、くしゃ……、と彼の表情が弱く歪むのが見えた。
次の瞬間、俺は開きかけていた襖をぱんっ!と勢いよく閉じる。
両方の取っ手を掴んで力を込めて、容易には空かないようにした。
使用人の戸惑った気配がして、俺は反射的に口を開く。
「そ、そこに盆は置いておけ……。喉を痛めている。誰も、部屋には入るな……っ」
無理やり声を低くして、続けざまにゲホゲホと咳き込んだ。
沈黙。
……く、苦しかったか!?
声は全然似てなかったけど、喉痛めてる設定で誤魔化せたりしない!?それとも口調とか演技の問題!?なんか瑠璃宮様が言いそうにないこと言ってた!?
ハラハラドキドキしながら扉の前で汗をかいていると、ややあって、使用人は「大変失礼いたしました。それではこちらに置かせていただきます」と引き下がった。
立ち去っていく彼女の足音を聞きながら息を殺す俺。
そしてようやく耳が何も拾わなくなった頃、はーー…と襖に額をつける。
……やっぱり俺には無理だった。御蔭さんのような、外道な脅迫を最後まで突き通すのは……。
本当にこれでよかったのか。不安と後悔はあったが、それよりも俺の心を満たしていたのは、彼をこれ以上苦しめなくて済むという確かな安堵だった。
しかし、そんな気分でゆっくり振り返った俺とは対照的に、視線の先には、安堵どころか、先程よりも更に怒りを募らせている様子の瑠璃宮様の顔が目に入る。
こっっっっわ……。
「情けをかけたつもりか……?本当に……どこまで俺を愚弄すれば気が済む……っ。このような屈辱を味合わされたのは生まれて初めてだ……!」
「はい!情けをかけたので、その代わりにこの鞘を貸してもらいます!すぐ戻しますので!失礼しますっっ!」
多くを求めるのはもうやめだ。
虎徹さんは鞘があればいいとも言っていた。それならこれだけ借りて戻った方が早い。
それに、瑠璃宮様を傷つけて刀を得たとしても、それと反対にもっと大事なものを失うような気がして。俺はそんな自分の選択を信じることにした。
襖をゆっくり開けると、俺は顔だけ外に出して周囲を確認する。
幸いにも使用人の姿は見えなかった。今が好機だ。
俺は強引に借りることにした鞘を腰の帯に挟み、部屋の外へ出る。
扉を締めようと振り返って、そこで、式神によってずっと壁へ張り付けられたままの瑠璃宮様が見えた。
こちらを焼き殺しそうな目で睨んできているのは当然のこととして……あの式神って、どうやって剥がしてあげればいいんだろう。ずっとあのままなのは流石に可哀想だし……。
戸惑っていると、その俺の意識に反応したのか、それとも偶然か、瑠璃宮様を拘束していた大きな式神が端からどんどん綻び始める。
「……っ!」
まずい、と思った瞬間、俺は反射的に襖を閉めた。
その直後、
──ガツン!
正面から頭に強烈な衝撃。
わけも分からぬままよろけた俺は、そのまま後ろへ倒れ込む。その拍子に、頭に被っていた金属製の鍋が、派手な音を立てて床に転がり落ちた。
すっかり忘れていたが、被っていて良かった。
何故なら、先程それが防いでくれたのは、扉から貫通して飛び出た、鋭利な刃先だったのだから。
え、これ俺、鍋被ってなかったら頭貫かれて即死してたってこと?
尻もちをついたまま呆然と凶器を見上げる俺の内側で、心臓が破裂しそうな勢いで跳ね回っていた。
刀は投げられたものだったらしい。
瑠璃宮様は回収のため襖に近づき、そこから刃を引き抜く。
しかし彼が襖の外に出てくることはなかった。使用人に姿を見られないためだろう。
その代わり。
刀身が抜けた穴から、瑠璃宮様の目がぎょろりとこちらを見下ろしていた。
「……狐神の呪いが解けたら、首を洗って待っておけ。絶対に 殺 し て や る か ら な」
「ひい…っ!」
濃密な怨嗟を孕んだ声に、俺はビクついたその勢いで駆け出した。
こ、怖ああーーーーっ!
耳の奥にこびりつきそうな声に、背骨の芯から震えが走る。
それでも、腰に差した鞘の重みが今回の目的の達成を知らせてくれていて、ほんの少し恐怖が和らいだ。
俺はそのまま屋敷の正門を飛び出し、鳳条家の敷地へ戻ろうと足を速める。
だが途中、焼け落ちた御神木の残る共有地で、思いがけない人物の姿を見つけた。
高価そうな鎧に身を包み、うろうろと忙しなくその場を行ったり来たりしていたのは──、
「虎徹さん!」
「! 浅……っあああああ蜘蛛ーーーッッ!!」
毎度の絶叫。
もう慣れてしまったそれを半ば聞き流しながら駆け寄り、彼の手を掴むと、鎧越しでもわかるほどびくっと震えた後、その少し潤んだ丸い目が俺を映した。
「どうしたんですか?こんなところで」
「い、いや、お前が死にかけてたら、寝覚め悪いなって……」
瑠璃宮様の屋敷へ行けと突き放しておきながら、それでも心配して加勢しようとしてくれていたらしい。
がちゃがちゃと鎧をうるさく鳴らしながら、もじもじ身体を揺らすその様子に、先ほどまで恐怖で働き詰めだった胸がじーーんと温かく緩む。
なんだろう……、この、御蔭さんからも瑠璃宮様からも決して摂取できない種類のいじらしさは……。年下だから?年下だからか?
思わず「頑張ったね……!」と頭を撫でそうになる不敬極まりない衝動を必死で抑えていると、俺の腰に差された鞘を見つけた虎徹さんが、ぱっ!と表情を明るくさせる。
「鞘借りれてるじゃねぇか!よく無傷で持ってこれたな!絶対無理だと思ってたのに……!瑠璃宮さん丁度出てたのか?」
「い、いやあ……はは……」
女風呂への侵入に始まり、全裸の瑠璃宮様(女性)の拘束、脅迫、刀傷沙汰未遂。
最初から最後まで、どれ一つとして説明に適した要素がない事実に、俺は乾いた笑いで質問を誤魔化すことしかできなかった。
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