吸血鬼専門のガイド始めました

椿

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5 初仕事での吸血鬼

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『映画の公開から4日が経ちましたが、物凄い反響ですね! 出演者の皆さんはこの映画について──』

休日の朝、俺は寝間着のままソファーに座って、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた。
ローテーブルの上に無造作に置かれた、自分のスマホをチラリと見やる。
何の通知も知らせることのない静かなそれに、どこか落ち着かないような、しかし逆に安心したような、不思議な感情を抱いて、足の指先を少し擦り合わせた。



吸血鬼に襲われ、そして助けられたあの日から、もう4日が過ぎた。
椎名 故白と名乗った男に、出会った当日に半ば脅しのような感じで『助手』として雇われた俺だったが、件の男からは何の音沙汰も無いままだ。

…もしかして、忘れられてる?
……いや、それならむしろ好都合!!吸血鬼専門のガイドなんていう意味不明な仕事、やらなくていいのならそれに越したことは無い!!むしろ関わりたくない!!
…問題は、そうなった場合に、俺の命の保証がされない可能性があるということだが…。


──今でも信じられない。
吸血鬼は実在していて、しかも、この世界で人間に混じって生活をしているなんて。
そしてそんな彼らにとって、格別のご馳走になり得る『黄金律』という体質を、俺が有しているのだという事も。

どうか夢であって欲しいと何度も願ったが、毎朝目を覚ます度、脳にまだ新しく残るリアルな記憶と枕元に置かれた香水が、俺の現実逃避を決して許してはくれなかった。

「ねえ」

遠くを見る目をしながら長いため息を吐いている俺に向かって、不意に声がかけられる。
朝食を食べ終えたらしい弟の陸だ。

「どした?」
「……香水つけてんの?」
「え、ああ、うん。 最近貰って」

反抗期中の弟からの珍しい声かけに、何となく、ぐでっとだらしなくしていた姿勢を正してから答える。
あの日男が作った香水は、「毎日風呂上りにつけ直せ」という言葉と共に、アルコールスプレーの容器に入れられたまま譲り受けた。そのままではあまり使い勝手が良くなかったため、今は百均の小さなスプレーボトルに移しかえている。
原材料はよくわからないが、普通にいい香りだし、吸血鬼への効果は絶大なようだったので、俺は言われた通りに今日まで使用していた。

「誰に」
「え?」
「貰ったって、誰に」

何の香り?とか、どこのブランドのもの?とかいった質問ではなく、何故か譲ってくれた相手の事を尋ねられてしまった。
まさかそこが気になるとは思わず、俺は一瞬虚を突かれたように動きを止める。
答えは1つ、「椎名 故白」なのだが、勿論その男は陸にとって見ず知らずの他人だ。
何を知りたいのか分からないが、急に名前を言われても困るだろう。

俺は、どう答えるべきか迷ってから、

「……、…陸の知らない人?」

陸の顔全体が一気にギュッと顰められ、不機嫌さが前面に表れた。
あ、答え方間違えたっぽい。反抗期の扱いって難しいーー!

両者の間を流れる沈黙に俺が居心地悪く視線を動かしていると、陸は興味を失ったのか何なのか、小さく息を吐いてそのまま背を向ける。
その途中、視線だけでこちらを見下ろしたかと思うと、

「全然似合ってない」
「え」

吐き捨てるように言われた鋭い言葉が、俺の精神に多大なダメージを負わせた。歳の近い同性の兄弟からの、ファッションに関するマイナスな指摘は胸に来るものがある。
若干涙目になりながら、「…ダサいってこと…?」と、手首を鼻にくっつけてフガフガ言わせて香水の匂いを嗅ぐ俺だったが、同時にある考えが頭を過った。

──俺が黄金律なら、血の繋がった兄弟の陸も同じような体質を持つ可能性があるんじゃないか?

数日前自身に向けられた、理性を失った赤い瞳を思い出し、そしてそれが弟に向けられることを想像して、ゾッと背筋に冷たいものが走る。
俺は慌ててソファーの背から身を乗り出し、リビングから自室に戻ろうとしていた陸を引き留めた。

「りっ、陸も使えば? この香水! お、お兄ちゃんと一緒の匂いになれるぞー…、なんて」
「は? 死んでも嫌」
「……ですよね」

体質の有無はどうであれ、防犯にはなると思っての提案だったが、熟考の余地なく即座に切り捨てられてしまった。尊敬度の低さが如実に表れる対応である。いつものことだが。

部屋を出る陸の背中を見ながら、多分これが従兄弟の二久君だったなら真似してたんだろうな…、…今度こっそり洗濯済みの服に吹きかけとくか、とそんなことを考えて──。
ふと、連想ゲームのような流れで、従兄弟から貰ったネックレスのことについて思い至る。

そう言えば、ネックレスのチェーン壊れたってまだ連絡してなかった!ヤバい!「何故早く言わない」って絶対怒られる!

幼少期から根付いた恐怖に駆り立てられ、テーブルの上のスマホに慌てて手を伸ばしたその時、まるで狙ったかのように着信音が鳴りだす。
あまりに丁度いいタイミングに、まさか従兄弟が予知して!?とビクリと肩を揺らしてしまったが、画面に表示されたのは未登録の番号だ。


可能性のある人間は、1人しか思い浮かばなかった。




「くっさ!!!
ちょっともうっ、ホンット信じらんない! アンタ、ちゃんとシャワー浴びてる!? 日本人は綺麗好きって聞いてたのにー!!」
「酷い」

扉を開けて、かけられた第一声に心が折れかける。
事前に弟からの精神攻撃も受けていたため、尚の事だ。

「匂いキツいから離れてっ!」

そう言って、鼻を摘まみながら、もう一方の手で追い払うような仕草をするその人は、泣き黒子が特徴的な、どこか浮世離れした男性だった。
服装は、中世ヨーロッパを舞台にした映画なんかで見るような、あまり馴染みのない小綺麗なもの。
背は高く、体型はすらっとしており、20代後半程の整った容姿と相まってどこかのモデルと言われても簡単に納得できそうだ。

俺の匂い、つまり香水に不快感を覚えたということは、この人は──、

「遅え」

部屋の奥側から、聞きなじみのある声がして、咄嗟にそちらに視線を向ける。
声の主、椎名 故白は、1人室内のソファーに腰かけながら、横柄な態度でこちらを見やっていた。
…相変わらず、なんて不遜なんだ。

「こ、これでも急いで来たんですけど! ここ、場所が分かり難いんですよ…」

言い訳をするのも仕方がないだろう。
「今すぐ来い」と、端的に住所だけを教えられて辿り着いたのは、賑やかな通りからはやや距離がある、静かな住宅街のような場所。
人通りの少ない入り組んだ通路を抜けた先、看板も、目印も無く、その二階建ての簡素な事務所はあった。
一見普通の住居のようにも見えて、扉を開けるまで緊張感がすさまじかった。
せめて看板をつけてくれ。

「最ッ悪! 肝心のガイドがこんな無礼過ぎる適当人間と体臭ヤバ男しかいないなんて…。 ストレスで蕁麻疹出ちゃいそう…」
「……お前、後やっといて。 俺お馬さんと遊ぶ仕事あるから」
「競馬ですよねそれ!? 俺初仕事なんですよ!? 丸投げとか絶対やめてください!!」

憂いを帯びた顔で、あからさまにがっかりした雰囲気を漂わせる、…恐らくお客様吸血鬼
そして、そんな男性に対して面倒そうな顔と態度を隠そうともしない、この店(と言っていいのかわからないが)の主人。
二人を見て何となく状況が読めてしまった俺は、堂々と外出しようとする店主、もとい上司を急いで引き留めた。

というか、まだ二回しか会ってない相手に事務所も仕事もすべて任せようとするとか、正気かこの人!面倒臭がりの域を超えてないか!?俺がヤバい奴だったらどうするつもりなんだよ!

心底嫌そうな表情をする上司の腕を、俺はやや強引に掴んで固定する。

「逃がしませんからね…!」
「……、」

──本当は、少し怖いというのもあった。
見た目こそ人間と全く区別がつかないが、これから相対する客は吸血鬼。俺が黄金律だとわかれば、襲い掛かって来る可能性もある相手だ。
働くからにはしっかりと仕事をこなしたいが、数日前の(主に紅華さんによる)恐怖体験を意識しないというのは無理な話であった。

しかしそれと同じく、助けられた経験も忘れてはいない、ので──。

腕を握る力を強くした俺に、故白の茶色い瞳が少しだけ見開かれた気がした。




この場所事務所には、吸血鬼の世界と人間の世界を繋ぐ『扉』があるそうだ。
同じような扉は世界中にあって、その内の日本の扉を管理しているのが、俺の上司となる椎名 故白さんであるらしい。
日本支部といったところだろうか。
彼のような存在は、あちら吸血鬼側からはガイド案内人と呼ばれていて、とにかく、
移住、旅行、はたまたちょっと映画を見に、などの様々な理由でその扉を行き来する吸血鬼達。それを管理し、また、人間に馴染めるよう常識をレクチャーしたり、初期の生活をサポートしたりするのが主な仕事のようだ。それ以外にも、初めて会った初対面の時のように、人間界に疎い吸血鬼への付き添いや、その他各々による依頼によって業務は多岐にわたるらしい。
正しく、吸血鬼専門の便利屋・何でも屋である。

今回のお客は──、


「これはどう?」

黒のタートルネックシャツに、細身のパンツ。革靴とロング丈のトレンチコートを合わせた、現代風の服を着こなす男性が衣装部屋から出てきた。
その落ち着いた大人の服装は、男性のスタイルの良さを最大限引き出しており、なんというかつまり、すごく格好良い。

「凄くお似合いです! ではそれで──、」
「でもこっちも気になるのよねー…」
「……、では、そっちで…」
「んーー、やっぱりこれも捨てがたい…。 もう少し悩むわ!」
「えっ……。 …もう30分経つんですけど」

俺の称賛は完全無視しつつ、男性はもう一度衣装部屋へと戻っていく。
このやり取りを、もう後何回繰り返せばいいんだろう…。
既に片手では数え切れない回数「凄くお似合いです」と答えているのに、一向に着替えが済む気配を感じられないのは何故だ。

背後のソファーで、完全なくつろぎ体制で大きな欠伸をする上司を横目に見ながら、俺は先程聞いた大まかな仕事の流れを脳内で再度確認する。

まずは、客=依頼人の要望を聞く。この時、移住目的であれば俺の出番は無し。
その他の理由であれば、次のステップだ。
外に出る用があるようなら、日本に馴染むような服装に着替えて貰う。
事務所内にある衣装部屋は、あらゆる年齢層や性別、体格、季節に対応した服や靴が用意されているらしく、依頼人には好きなものを選んでもらうとのことだ。
チラッと中を見たが、大きな鏡が設置された広めの一室だった。服が膨大なせいで、床面積はとても狭く見えたが。

そして次は──、

「政宗とか素敵じゃない? 有名人なんでしょう?」

漸く着替えを終えた依頼人、政宗さん(仮)が、日本人の名前一覧表を見ながら弾むような声で言った。対面のソファーに腰かけた彼に同意を求められ、丁度お茶を出したところだった俺はぎこちなく頷く。
有名人は有名人だけど…。

そう、次に必要なのは仮の呼び名。これは日本名でもその他でも可なので、本人の好きな呼び名を決めてもらうこととなる。
というのも、吸血鬼の真名とはそれはそれは大事なものらしく、そう簡単に呼び合ったり、知られたりしてはいけないものなのだそう。
それこそ、一生の内で真名を知り得るのは、自身の両親と、一生を添い遂げると誓った相手にだけ。
理屈は良く分からないが、決して軽々しく扱ってはいけないのだと、それだけは理解できた。


「──そんで、依頼内容は?」

依頼内容聞けてなかったんかい!!

呼び名が案外あっさりと決まり(政宗で決定した)、一息ついた後に出た上司の言葉に衝撃を受ける。
早速前後したマニュアルに動揺したのもそうだが、なによりあの衣装決めの時間が無駄になる可能性に、俺は一抹どころではない不安を覚えた。
驚きと抗議の意味を込めた視線で隣の上司を見やるが、彼は何食わぬ顔でソファーに深く腰掛けている。態度が接客中のそれじゃない。

「ふう。 ……正直、アンタ達みたいな社会の最底辺をひた走る人間に話すのは気が引けるんだけど…」
「おい、一発入れていいぞ」
「……え、は? 俺!? 入れるわけないでしょう!?」

クイッと顎で政宗さんを指し示し、両拳を前後に小刻みに動かす上司の言葉を全力で否定する。
政宗さんはと言えば、そんな失礼過ぎる上司の発言に目もくれないまま、物憂げな表情で深く息を吐いたかと思うと、

「──ハニーのためのプレゼントを買いたいの」

「ハニー?」
「ハニーと呼んでいいのはアタシだけよクサ男」
「……はい」

対面して1時間も経っていないのに、酷い渾名をつけられてしまった。
しゅんと肩を縮ませる俺をよそに、政宗は続ける。

「ハニーは、日本のある物を凄く気に入ってるみたいなの。 あまり何かに執着するような子じゃないんだけど、友人から貰った日本のお土産の『それ』を絶賛していたのを覚えていて…。
だから、ハニーの喜ぶ『それ』をプレゼントして、
アタシは! ハニーに結婚を申し込もうと思っているのよ!!」
「プロポーズですか!」
「そうよ!」

ふふん!
政宗さんは、少し上を向いて鼻高々に微笑む。自信と溢れんばかりの幸福に満ちたその表情は、彼をより一層眩しく見せた。
特に意識しないまま拍手をしようと手を上げる俺だったが、隣の上司がそれを遮るように口をさす。

「で、その『ある物』って何」
「……、それが、名前が分からないのよね」

話を急かす上司に政宗さんは一瞬気分を害したように眉を顰めたが、すぐに切り替える。
彼にとっての本題も、ここからなのだ。

「食べ物だったわ。 アタシは食べてないから、どんな味かは分からないけど、ハニーが気に入るものだもの! 最高級の何かなのは間違いないわ…!」
「見た目の特徴とか、分かりますか?」

「そうね、……丸くて四角くて、全体的に白かったわ。 ……確か上から紐が出てきて、可食部はそれ」

俺からの質問に、口元に指をあてて記憶を辿るように目を瞑った政宗さんが、決して冗談とは思えない声色で答えた。
俺は「はい??」と、咄嗟にそれだけを返す。何故って、一回聞いただけでは到底理解が及ばなかったためだ。おっと聞き間違いかなと、今度はきちんと集中して、

「だから! 丸くて四角くて、色は白! 上の紐を食べるの! …湯気が出ていたから、温かいものだと思うわ」

なるほどわからん。

「言葉遊びに付き合ってやる程暇じゃねえんだが」
「し、仕方ないでしょ!! ハニーが食べてるところをチラッと見ただけだもの!!
…っ大体、アタシ達に口からの栄養摂取は不要だし、人間の食べ物なんてもっとわかるわけないじゃない!」

上司の言葉に少しだけ恥ずかしそうに顔を赤くした政宗さんは、次の瞬間、一転開き直ったようにこちらに身を乗り出す。
そして、キッと鋭い視線で俺達を睨みつけたかと思うと、

「日本人なんでしょ! さっさと探しなさいよ!」

──何とも無茶苦茶な要求をしてきた。


【本日の依頼:丸く、四角く、白く、そして紐な、ハニーの好物を持ち帰ること】

丸いんですか?それとも四角いんですか??
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