吸血鬼専門のガイド始めました

椿

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21 兄弟仲良く吸血鬼

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数分間タクシーに揺られて辿り着いたのは、目立たない場所にひっそりと立つ小さな診療所だった。周囲の建物の影になっているそこは昼間でも薄暗く、陰鬱とした雰囲気を感じさせる。

病院ってただでさえ身体が悪い時に行く場所なのに、何かより気分が落ち込みそうなとこに建ってるな…。でも吸血鬼にとっては、日光が差さないこういう場所は快適なのかもしれない。そんなことを思いながら、故白さんの腕に抱かれている風磨君を見るが、彼の顔は変わらず病的に蒼白だ。

迷いなく診療所内へと足を進める故白さんに置いて行かれないよう、俺も駆け足で背中を追った。



「おい、居るか!」 

「はいはい~……って、椎名?」

故白さんの呼びかけに奥の診察室から顔を出したのは、白衣を着た医師。明るい銅色の癖毛と、知的な黒縁の眼鏡が印象に残る、見た目30代程の男性だった。
こちらへと近寄る彼は、故白さんを見て一瞬驚いた風に目を見開いたが、すぐさま明らかに具合の悪そうな風磨君へと視線を移す。

「急患だ。 おそらく、幼弱陽弱個体。 数時間日光を浴びてる」
「…了~解っ。 ショーちゃん、点滴の準備!
大丈夫だから、座って待っていてくれ」

風磨君を受け取り、奥に居るのだろう助手に指示を出した彼は、立ち尽くす俺達を安心させるため笑いかけた。程よい隙と親しみのあるそれに、いい人そうだ、と俺は密かに胸を撫で下ろす。



複数配置されているロビーベンチに故白さんが座るのを目で追った後、俺は周囲を見渡した。
待合室の様子は、本当によくある診療所だ。静かで、清潔で、全体的に消毒液の匂いがする。強いて違和感をあげるとするなら、周囲のガラス窓から日光が差し込まないことと、この場に一人も患者の姿が見えないことを珍しいなと思うくらいだろうか。


「普通の病院、みたいですね」
「人間の患者も診てはいるからな。 ただ、人間に向けて大っぴらに宣伝してはいねえから、来るのは9割吸血鬼」
「へえ」

風磨君を前にして疑うわけじゃないけど、不老で不死なのに、吸血鬼も医者にかかることがあるんだな。
そう言えば前に、故白さんが言ってたっけ。
『こっちに居る吸血鬼専門の医者だ』
もしかしてあの人が、…いや、人間じゃなくて吸血鬼か?

疑問ついでにもう一つ。
先程故白さんが口にした、気になる言葉について。


「…『ヨウジャクコタイ』って何ですか?」

故白さんが、目だけでこちらを見た。

「…吸血鬼は最盛期で肉体年齢が止まる。 何をもって最盛期と判断されるのかは知らねえが、幼い身体で成長が止まる吸血鬼は基本的に能力値が高いと言われてる。 純粋に力が強かったり、異能を容易に使いこなせたりな。
だがごく稀に、その高い能力に身体が付いて行かない奴も存在する。そういう奴は、所謂吸血鬼の弱点ってのに敏感で、特に日光を嫌う傾向にあるんだよ。

だから幼弱個体、または同じ読みで陽弱個体、あっちではそんな風に呼ばれてる」

「…… 風磨君しきりに眩しがってましたもんね」

「曇ってんのにおかしいとは思ったが、それがイコール幼弱個体の症状だとは思い至らなかった。 そもそも幼弱個体で自発的に人間界に来ようとする奴自体居ねえし、居たとしてもそんな自殺行為、容易に入界の申請が下りるはずもねえ。
風磨はどっかの金持ちのコネで無理矢理入り込んだか、自分で虚偽の申告をしたか、……どっちにしても向こうの入界審査官の怠慢だな」

入界審査とかあるんだ。ほんとに海外に行くみたいな感覚だな。

額に青筋を浮かべながら、「クレーム入れてやる」と苛立つ故白さんを横目に、得られた沢山の情報を整理する。

見た目が幼い=吸血鬼として優れていると言うのなら、紅華さんも能力が高い吸血鬼だったんだろうか。確かに、最初に見せられたような周囲の記憶の書き換えを吸血鬼全員が出来るのなら、わざわざ正体を隠して暮らす必要なんてないよな。
…その紅華さんよりもほんの少しだが幼く見える風磨君は、一体どれほどの力を身体の中で燻らせているんだろう。

太陽が眩しい、とぐったりしていた風磨君を思い返して、俺は反射的に眉を寄せる。ただ突き放すばかりに聞こえた弟さんの言葉も、風磨君への強い心配からくる警告だったと思えば納得がいった。



診察室のスライドドアが音を立てて開く。





「もう処置は終わったから、入って来ていいよ」という医師の言葉で、俺達は診察室内へと足を進める。備え付けのベッドには、風磨君がここにくる前よりも随分と穏やかな表情で眠っていた。

それを見て、俺は咄嗟に安堵の息を吐く。

「人間でいうところの熱中症だね。 今は寝ているだけ。 特に命に別条はないよ」


医師はそう言って、安心させるように微笑んで、


──瞬きの間に俺との距離を詰めた。


「──それで、君が噂の黄金律?」


吐息がかかるくらいの至近距離で、品定めするようにこちらを覗き込む赤褐色。その口から出た黄金律という言葉に、反射的に俺の身体が硬直する。そんな、蛇に睨まれた蛙状態の俺を、眼前の彼はこれ幸いとばっかりにマジマジと眺め、次いでスン、と首元で鼻を鳴らした。

ビクリ、
肩が盛大に揺れ、喉から変な音を立てて空気が移動する。

何で。
俺、今日は怪我なんてしてない筈で、香水だって、ちゃんと、


「やめろ」


低くはっきり響いた声と、目の前を塞いだ大きな背中に、自然、詰めていた息がほっと解けた。

──ああ、何だか俺、いつも故白さんに庇われてるな。

無意識に緊張を解く自分の身体がちょっと恨めしくて。安堵でじわりと熱を増す瞳を誤魔化すように、俺は黙って顔を俯かせた。

医師は、俺達の間に割って入った故白さんを見て、少し愉快そうに目を見開く。

「黄金律のことは俺が話した。 信用は出来ねえが、吸血鬼のことに関して役には立つ奴だからな。 何かあった時、知られていた方が色々と都合が良い」
「え~! 僕まだ椎名の信用勝ち取れてなかったのかい? 初耳なんだけど」
「これからもねえよ」
「酷いなあ」

あははー、と軽薄に笑う医師とは逆に、俺は動揺していた。

『俺が話した』って……、え?いやでもこの人は吸血鬼なわけで、黄金律ってことを知られていたら俺の命も危ういのでは…??

情けなくも故白さんに縋りつきながら冷汗ダラダラで片目を覗かせる俺に、医師が堪らず吹き出す。

「ふはは! 安心してくれ。 僕、人間も含めた動物の血が吸えないんだ。 あ、精神的な話だよ? ほら、人間も牡蠣に当たって牡蠣を生理的に受け付けなくなるとかあるじゃない? 大きく言うとあんな感じかな」
「は、はぁ…」

「思い出したら…、うっ、」

気持ち悪そうに口を押さえる彼を見て、よく医者やれてるな…、なんて俺が思っていると、故白さんから補足が入る。
彼は以前、何かの実験で偶々黄金律のマウスを解剖した際に、吸血欲よりも嫌悪感の方が勝り盛大に嘔吐したという伝説(?)を持つ本物の吸血嫌いなんだそうで。

…不安は残るけど、故白さんがそう判断したなら大丈夫……なのか…?


「挨拶がまだだったね。 僕は若月 涼介わかつき りょうすけ。 ちゃんと医師免許を持った正真正銘のお医者さんだから、何かあったら気軽に相談しに来てね。 呼び方はー…、若月先生でいいよ」
「……、黄金井、空ですっ。 よろしくお願いします、若月先生」
「ん~、素直で邪気の無い感じ! 椎名に爪の垢を煎じて飲ませてあげてくれ」
「その言葉、そっくりそのままお前に返す」

「それにしても椎名、どういう心境の変化? 『前任みたいに助手を雇えば?』って僕の助言を散々無視しといてさあ」
「言われてねえ」
「言ったよ~!」

医師──若月先生と故白さんは、多分、親しい間柄なのだろう。
一見すると、ヘラリと気軽に話しかける若月先生が故白さんに面倒そうにあしらわれているだけのようだが、客を相手にする普段のそれよりもほんの少しだけ、故白さんの雰囲気が良い意味で異なっている気がした。気の置けない友人という言葉がしっくりくるような…。

二人は長い付き合いなんだろうか。


「──でも驚いたな。 椎名がの助手を連れて来るなんて」
「……」

人間で、かつ黄金律だから驚いたんじゃなくて?

黙って眉を顰めたまま、訂正しようとしない故白さんを不思議に思っていると、若月先生が俺に向けてその黒縁眼鏡の奥の瞳を柔らかく細めた。


「椎名のこと、よろしく頼んだよ。 空君」


謎に含みのありそうな発言に俺が頷く前に、ガラガラッ、と大きな音が室内に響く。
俺達の意識は、そろってそちらに引っ張られた。

「っ、兄貴!!」

切羽詰まった顔で、飛び込むようにして中へと入って来たのは、先程別れた風磨君の弟さん。
彼は急ぎ、風磨君が横たわるベッドへと駆け寄る。そして気が気じゃない様子で、小さな全身にその視線を何往復も行き来させた。

「おっとご家族の方だね? 安心して。 彼は無事だよ。 今は眠っているだけだ」
「…そ、ですか…、」

報告を受けた瞬間、彼は力が抜けたようにへたり込み、ベッドの淵へと額を押し付ける。
その微かな振動が引き金になったのか、ほぼ同時に、風磨君の瞼がフルリと震えて、中の青がゆっくりと姿を表した。


「……、ユノ…?」
「兄貴っ!」

極小さな掠れ声で呼ばれた名前。しかし、彼がそれに気づかない筈が無い。弟さんは勢いよく顔を上げて、ベッドの上側へと身を乗り出した。
風磨君は少しの間、ぼんやりとした目で見慣れない周囲を観察しているみたいだったが、ようやく現状を理解できたのか。その後に申し訳なさそうに視線を下向かせる。

「…ごめん、ね。 メイワク…かけちゃった…」
「……、」

そんな風に眉を力なく下げる風磨君を、弟さんはしばらく無言で見つめて、

次の瞬間、勢いよく背筋を伸ばした。


「かけたのは迷惑じゃなくて! 心配だ!!
……っ、死んだら、どうすんだよ…っ!」


風磨君は、元々大きな目を限界まで丸くして、大声を出した弟さんを凝視する。泣く寸前のように顰められた弟さんの表情は、きっと風磨君に彼の感情を言葉通り伝えさせた。

「……、心配、してくれたの、」
「当たり前だろ!! まさか、実家に帰らないだけでこんな事になるなんて思ってなかった…! ……まぁ、久々に顔を見れたのは嬉しかったけどさ。 具合悪くして無ければの話だけどな!」
「……、 ふ、んふふっ、ごめんね」
「ちゃんと反省してるんだろうな…?」

やっとわかった怒りの正体に、風磨君はくすぐったそうに肩を揺らしていた。それをしかめっ面で諌める弟さんの声も、やはりどこか安心感が滲んだ優しいもので。
明らかに和らいだ二人の雰囲気が、診察室の空気を明るく落ち着いたものにする。



「あっ、それ、」

ふと、風磨君が弟さんの持っている黒のキャップに気付いた。
弟さんはそれに少し気まずそうに視線を彷徨わせて、言葉を選ぶように何度も口を開閉した後、

「…プレゼント、ありがとう。 …大切に使うよ」

斜め下を見やり唇を尖らせながらのそれは、お礼を言うにしては少々なっていないが、風磨君にとっては充分すぎたようだ。


「……ユノッッ!!」

「おいっ、倒れたばっかりのくせして動くなって!」
「大丈夫、もうげんきだから! げんき、出たから!」

感情を抑えきれなかったのだろう。
点滴の針が刺さったまま起き上がり、弟さんに抱きつく風磨君は、ここにきて一番の笑顔を見せていて。

子供らしく興奮に身体を揺らす風磨君と、彼の暴走を止めようと焦る弟さん。一般人が見れば、10人が10人とも彼らの関係を見た目年齢通りに捉えるだろう。

そんな仲睦まじげな兄弟の様子に、俺は勝手に自分の家族の姿を重ねて、自然と頬を緩ませていた。





「兄が大変お世話になりました」

「あれ、…えっと、ユノ、さん?もそちら異界に行かれるんですか?」
「はい。 一応倒れた後なんで、兄を実家まで送ります」

診療所でゆっくり休んだ後、日が暮れた頃に事務所に戻った俺達は、例の如くあのチョコレート色の扉の前にいた。
事務所に到着後、そして見送る時になっても背負った風磨君を降ろす様子が無かったユノさん。それを不思議に思って尋ね、返ってきたのが先程の言葉だ。因みに『ユノ』というのは愛称で、普通に呼んでいいそう。日本名は風雅さんというらしい。

今回はそもそも、風磨君がユノさんに会いに来たのだ。兄弟同士一緒にいる時間が長く取れるということで、風磨君は真っ先に喜ぶだろうと思っていたけれど…、予想に反して彼は頬を膨らませた不満顔だった。
その理由は、

「ねえ、ソラからも言ってやってよ。 ぼくはひとりでもあるけるんだって」
「病み上がりだろ。 いいから抱えられとけ」
「……ぼくのほうがお兄ちゃんなのに…」

どうやら兄である自分が、弟に背負われているのが気に食わなかったらしい。しかし、密着できるのは素直に嬉しいようだ。しっかりとクビに腕を回しているその行動と先程の言い分がややチグハグに感じたが、俺は空気を読んで黙っておいた。


「ふたりとも、今日はいろいろありがとう。 ソラも、弟に心配かけちゃだめだよ?」


手を振った風磨君は最後にそう言い残してから、弟さんと共に黒い膜に吸い込まれていく。
流石経験者とでも言おうか、彼の言葉にはいやに説得力があった。

案外今朝の陸の言葉も、俺を心配していたからだったり……、いやそれは考えすぎか。普通に言葉通り受け取った方が矛盾はない。俺の頭を心配してるっていうのはあるかもしれないけど。
そこまで考えて自嘲する。

今日主に行動したのは昼だったし、流石に高校生は居なかったよな?…事務所までの帰りがどうだったかは、……ちょっと怪しいか?

外での動きについて反芻する俺は、確認の意味も込めて、異界の扉を施錠していた故白さんへ問う。

「故白さん、今日高校生とか見かけましたか?」
「は? 高校生狙うのは流石にリアルで引くわ」
「違うっっ!!!」
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