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31 人に焦がれる吸血鬼
しおりを挟むピンクがかった茶髪を揺らして、一颯は戸惑ったように一言。
「えっ、と…?」
「その反応もわかる。 でも俺は本気なんだ。 だから正直に答えて欲しい…。
一颯は、吸血鬼ですか!?」
「ごめん言ってる意味が…、っていうか映画の影響受けすぎじゃない? そんな感受性豊かだったっけ?」
まあそういう反応になりますよね!!
映画を見終わった俺達は、少し遅めの昼食をとるため近くの飲食店を訪れていた。
危惧していたドタキャンは無く、今日は一颯の体調も問題なさそうだ。
何だか久々にゆっくり話せている気がして、以前と変わらないそれに少しだけほっと安堵していた俺だったが、食事を注文する際「食欲なくて」と言って飲み物しか頼まなかった一颯に、もしかして香水が!?と、一気に現実に引き戻された。
そうして出たのが、先程の馬鹿みたいに直接的な質問である。
若干こちらを気遣ったような一颯の目が、俺の羞恥心や居た堪れなさをガンガン刺激して心に深いダメージを負わせた。
い、いっそ馬鹿にして笑い飛ばしてくれ!!
「もしかして、最近ずっと俺が体調悪いから?
吸血鬼って病的な見た目のイメージあるもんね」
「いや、……まぁ、それも少し…いやかなり関係あるけど……」
俺の言葉の意図を察そうとしてくれている優しい一颯に更に精神を削られながら、「今日は大丈夫そう?」と搾りかすのような声で問うと、彼からは少し申し訳なさそうな肯定の言葉が返ってきた。
うん…、一颯が元気ならそれでいいよ俺は…。
だけど、最後に一回だけ確認させてくれ。
「……最近俺、香水つけてるって言ったじゃん。 これ、実はバイト先の上司の手作りでさ。
そんでこの前、一颯、この香水をいい匂いだって言ってたから、
──…1つ、要らないかなと思って。 …つけてみない?」
俺は、新しいスプレーボトルに入った香水を一颯に差し出しながらそう問いかけた。
今日一颯と会う前に思いついた方法だ。
…多分、なんだけど。もし一颯が吸血鬼なのだったとして、きっと俺が聞いただけじゃ、「自分が吸血鬼だ」とは打ち明けて貰えないだろうと漠然と考えていた。
だってそれは、近くに居た俺でさえ知らなかったそれは、一颯が幼い頃から今までずっと隠してきたことだ。一颯にとって知られたくないことだ。
…いや、もしかすると自分が吸血鬼だという認識が無い場合もあるけど、
とにかく、口では守りの言葉が出やすいんじゃないかと思った。
だから、どうしても反応を誤魔化しきれないであろう香水を使うと決めたのだ。
体調が優れない一颯に使うのは人としてどうかと思ったが、香水がその体調不良の原因になっているのだとしたら、今後の一颯の身体のためにも今試しておくべきだと思った。
差し出した香水に一颯がどんな反応をするのか、俺はどんな些細な変化だって見逃さないように、ジッと彼を見つめて、
だけど、
「──え? いいの? わざわざありがとう!
今吹きかけてもいい?」
「…っど、どうぞ!」
「……うん、やっぱりこれ良いよね。 何て香りなの?」
まさかの歓迎に、俺は呆気に取られて一瞬反応が遅れる。
一颯を吸血鬼だと決めつけてたわけじゃなかったが、何となくそうかもな、と思いかけていたところだったので多少動揺はあった。
一颯の問いに、「わ、わかんない、今度聞いてみる」と若干あたふたした返答をしながら、俺は自分の頭の中でえーっとつまり…?と彼の反応が導き出す答えを探す。
この香水は、吸血鬼であれば誰にでも不快な匂いとして感じとれるようになっている。
それは、自身の身体に吹きかけられでもしたなら当然、顔を歪めずにはいられない程の悪臭を放つはずなのだ。
──じゃあやっぱり、一颯は人間だったんだ。
自分が一颯を苦しめているのではないということが分かって、俺は思わず顔を明るく綻ばせる。
…ということは同時に、「一颯って吸血鬼?」なんて聞いた俺は本当に頭がヤバい奴だと確定されてしまったわけなんだけども。
「さっき変なこと聞いてごめんな…」
「え? あぁ、うん。 別に気にしてないけど…、出し切れてなかった厨二病の残り?」
「うわーー!!」
羞恥に顔を覆った俺を見て、貰った香水を自身の鞄へと仕舞っていた一颯は可笑しそうに笑う。
香水が理由じゃないなら一颯は何で俺を避けていたんだろう、とか。そんな疑問も頭の隅にはあったが、今はただ、随分久しぶりに思える一颯の陰のない笑顔に満たされてしまっていた。
そして、元々胸の内に一颯を疑ってしまったことへの罪悪感を抱いていた俺は、ずっとあった大きな不安が解消されたことで少しだけ舞い上がっていたのもあって、
一颯になら話してもいいか、と、自身の罪滅ぼしと誠実さを示すような気分で、ちょっと不思議なアルバイトの内容について話し始めた。
「あのさ、…一颯も知ってる通り、俺バイト先変えて、
…それがさ、その…きゅ、吸血鬼を顧客にした何でも屋みたいな仕事、なんだよね!」
勢いで言い切った俺を待っていたのは、目を見開いた一颯の呆然とした表情と、二人の間を走る沈黙だった。
あれ、これ話したの失敗??と一気に冷や汗をかいたのは俺だ。
「いや、ほんと! 何言ってるかわかんないと思うんだけど…!! この香水、吸血鬼にとっては嫌な匂いがするらしくてさ、つけ始めた頃から一颯ともあんまり話せてなかったから、…その、本当に辛いなら話して欲しくて!
け、結局それは俺の思い違いだったけど!!」
焦って言い訳みたいになる自分の言葉を自覚しながら、心の中で「言わなきゃ良かったーー!」と最大級に後悔を嘆いた。
だが今更発した言葉が消えるわけでもない。
ひとまず応急処置のような感覚で、冗談では無い事を示すように俺は出来るだけキリリと表情を引き締める。
……熱の引かない頬のせいで台無しだったかもしれないけど。
しかし、そんな俺のちっぽけな保身は、次に一颯を目に入れた途端全て吹き飛んだ。
一颯は、まるで幽霊でも見たかのようにその顔を蒼白に染めていた。
驚愕、不安、戸惑い、様々な感情が入り混じり強張った表情が、ただひたすらに俺を射貫く。
もしかして、体調が悪くなったのか…?
唯一想定できる理由を引っ張り出した俺はハッとして、
だけど、
「──何、やってんだよ」
喉のすぐそこまで出かけていた心配の言葉は、予想もしていなかった一颯の固い声に遮られたことで、二度と俺の口から出て来ることは無かった。
一颯は机に手を付き、こちらに詰め寄らんばかりに身を乗り出す。
「何で自分から吸血鬼っ、の、っ……!…、」
何かを言いたげに口が数度ハクハクと開閉を繰り返すが、結局音にはならないままギュッと引き結ばれてしまう。
しかし、焦燥を伝えてくる一颯の瞳が俺から逸らされることは無かった。
…信じて、くれてるんだよな?
この視線も、多分心配からくるそれだ。
予想より反応がオーバーだったから少し驚いてしまったけど、突拍子もない自分の話をなんだかすんなり受け入れてくれているらしい一颯。
それだけで嬉しくなった俺は、ついヘラリと表情を崩して、
「あ、でも全然! 吸血鬼って言っても普通の人間とほとんど同じで、もし危険があってもこの香水があるから安ぜ、」
「同じなわけっ、ないだろ…!」
差し込まれた厳しい声が、俺達の間の温度差を浮き彫りにする。
一颯は、俺の手ごと香水のスプレーボトルを性急に掴み、これを見よ、と言わんばかりに眼前へ突きつけた。
「こんな香水ぐらいで…っ、
──黄金律の血が出れば何の抑止にもならない!」
一瞬、耳を疑う。
あれ、俺って、
「── 一颯に、黄金律だって言ったことあったっけ…?」
勿論ない。
それは自分でも分かっていたが、混乱からか、思ったことがそのまま口を付いて出ていた。
質問後、僅かに訪れた空白の時間。
先程の、やや声量があった一颯の台詞に「何だ何だ」と視線を向けてきていた周囲の客たちが、1人また1人と自分の料理へ興味の対象を戻す。
一颯はといえば、どこか失態を悟った風にグッと顎を引いたかと思うと、その後、何かを言いあぐねているような仕草で要領の得ない単語を繰り返すばかりだ。
「…さっきのこと、来栖さんには言ってるの?」
少し待って出てきた言葉は、俺の問いへの返答ではなかった。
急に言及された己の従兄弟の名前と今の話に関連性が見えず、不思議に思いはしたが、俺は素直に首を振る。
従兄弟に「吸血鬼が~」なんて話をすれば、即座に頭の病気を疑われて病院コースに違いないので勿論言う気はない。
……というか、吸血鬼云々の前に未だにネックレスが壊れたってことすらも言えてないし…。
あれを首にかけなくなってからもう数か月が経過しようとしているのだ。今後いつ告白したところで、ボロクソに叱られるのは目に見えている。…だからこそ、それが憂鬱で「また時間のある時…」と裁定の日をどんどん先延ばしにしてしまっているのが今の俺の現状なのだが。
俺の反応を受けた一颯は、「そう…」と、期待外れとも安堵ともつかない曖昧な返事をして、
「…悪い事は言わないから、すぐにそのバイトは辞めた方が良いと思う」と、どこか既視感のある台詞を続けた。
「い、いや、一颯、信じてくれるのはありがたいけど、俺本当に大丈夫で、」
「大丈夫じゃないから言ってる」
一颯の顔は、焦燥と不安を混ぜたまま晴れない。
それは、俺に以前の陸の姿を思い出させた。
アルバイトを辞めろと、事務所まで単身で乗り込んできた時の事だ。
昔から感覚的に吸血鬼を見分けることが出来ていたらしい陸は、俺に危険が迫っていることを察知して、心配の気持ちからあのような行動に出たのだと言っていた。
──もしかしたら、一颯も陸と同じような才能を持っているんじゃないか?
だから俺に、陸と同じくバイトを辞めるように進言してきている?
その可能性に思い至って、
…だけど俺は、それを一颯自身の口から打ち明けて欲しくて、
「…一颯がそう思ってる理由を正直に話してくれるなら、俺も真剣に耳を傾けるよ」
少し、試すような事を言ってしまった。
陸という前例があったからか、一颯なら、「変に思われるかもしれないから」と少し渋りながらも、最終的には真実を語ってくれると無条件に信じて疑っていなかったのだ。
──だから、
「…俺、は、……、」
この世の全てに絶望したような顔をする一颯に、俺は、一瞬にして何と声をかけていいか分からなくなってしまった。
直後、
「──っ、ぐっ、」
「一颯…?」
一颯は急に首元を抑え、身体を前のめらせたかと思うと、はっ、はっ、と苦しそうに肩で息をし始める。少し見ただけで分かる明らかな体調不良に、「大丈夫か!?」と声をかけながら慌てて救急車を呼ぼうとして、
それは目の前で苦しむ一颯自身の手で止められる。
「だ、いじょうぶ…、…少し経てば、落ち着くっ、から…っ、はっ、」
「大丈夫って…っ、」
顔中に脂汗が滲み、スマホを持った俺を制止する手は小刻みに震えて力も殆ど入っていなかった。荒い息遣いと、苦しさに歪められた蒼白の表情はどこからどう見ても一颯の言う「大丈夫」とは程遠く、到底納得出来るはずもない。
「やっぱり救急車を呼ぼう」
俺はそう進言するが、一颯は「大丈夫だから」の一点張りで頑なに首を縦に振ろうとしない。
しかしそうこうしている間にも一颯の顔にはどんどん血の気が無くなっていき、症状は改善するどころか悪化しているように見えた。
異変を察知した店員さんが心配そうに駆け寄って来るのを視界の端に捉えて、救急車を呼びたくないにしても、このままこの場所に留まるのも良くないと考えた俺は、苦し紛れの提案をする。
「じゃ、じゃあ、知り合いの医者が居るからそこに行こう! 小さい診療所だけど、何処の病院にも行かないより絶対にいいから! な!?」
「…、いっ、」
「『いいよ』!? よし!!」
もしかすると一颯は、「嫌だ」と首を振ったのかもしれない。しかし、苦しさからまともに返事が出来ないのを良い事に、俺は一颯の意思をやや強引に決定した。
俺だって気が気じゃなかったのだ。
もしこのまま一颯が死んでしまったらと考えると、怖くて仕方がなかった。
店を出て、すぐ近くに停車していたタクシーを捕まえる。目的地は風磨君の依頼の際に一度だけ訪れたことのある、若月先生の診療所。確かあそこは人間が来ることもあると言っていたから、一颯の事も問題なく診てくれるはずだ。
隣で息苦しさに喘ぐ一颯に、改善の兆しは見られない。
せめて少しでも楽になってくれれば、との思いから、折れ曲がった背中を摩ろうと手を伸ばしたが、少し触れただけで俺のそれは一颯によってやんわり跳ね除けられた。どうやら余計なお世話になってしまうみたいだ。
喉のあたりが痛むのだろうか、必死にそこを抑えて苦悶する一颯の姿は、まるで自分で自分の首を絞めているように見えて酷く痛々しい。
もしかして、いつも俺と別れた後、こんなに苦しい思いをしていたんだろうか。一人で耐えていたんだろうか。
具合が悪いからと一足先に帰路についていた以前の一颯を思い出して、やっぱり無理矢理にでも付いて行っていれば良かった、と今更ながらに後悔した。
早く、早く着け!
俺は祈るように、車の進行方向を睨みつける。
心で思っただけでどうにかなるわけではないが、辛そうな一颯を横にして何かせずには居られなかった。
パキ、
突然プラスチックがぶつかったような、そんな軽い音がして、
次の瞬間、密閉された車内に嗅ぎ慣れた香水の匂いがブワリと充満した。
咄嗟に隣に視線を向けると、スプレーヘッドを取り外された状態の香水が、一颯の手の内でボタボタと滴り落ちているところで、
「い、一颯!! 零れてるっ!!」
慌ててもう殆ど中身のない香水のボトルを取りあげ、既に零れてしまっているそれは自身の服の袖口に染み込ませて対処する。
幸いにも、零れた香水は全て一颯の服と俺の服に吸収されたようで、タクシーの座席に零れたりはしなかったみたいだ。しかし原液のキツイ匂いが広まったためか、運転手は怪訝な顔をしてミラー越しにこちらを見やり、無言で全てのドアを全開にした。
き、気まずい…!!ありがたいけど!!
清涼な外の空気が流れ込んで、車内の濃い香りが一掃される。勿論俺達の服に殆どの液が染み込んでいるため完全に匂いがしなくなるわけではなかったが、それでも風があるだけで大分違う。
一颯は変わらず苦しそうだが、当初よりは幾分か呼吸が落ち着いて見える…気がした。
窓を開けた効果だろうか。そうだったら良いんだけど。
…それにしても、何で一颯は苦しんでいる最中の今、俺が渡した香水を取り出す必要があったんだろう。
確か一度、自分の鞄の中に仕舞っていたはずだったのに。
俺の手の内にある微かに余った香水のボトルに蓋をすると同時、そんなことを考えて…、
しかしそれを聞くのは今じゃない、と俺は一颯への励ましの声をかけを優先した。
応援ありがとうございます!
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