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椿

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36 人に焦がれる吸血鬼

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「──あー、クソ…ッ…。 何処にやった俺…」

事務所中のあらゆる棚や引き出しを開け放っても一向に姿を現さない目的の物に、故白は焦れたように後頭部を掻く。
既に二階の居住空間は隅から隅まで探し終えた後だ。結果がどうだったかは今の状況を見れば話す必要も無いだろう。ただ、今自宅はまるで空き巣にでも入られたのかという程足の踏み場が無いので、翌日の片づけを想像して少々、いやかなり憂鬱な気分になるくらいである。

事務所の窓から差し込む光が前見た時よりも弱まっているのを見て、時間の経過を正しく認識する。そして同時に、故白は過去の自分のいい加減さを呪って舌を打った。

多分、捨ててはいない…、と、思う。

それも随分曖昧だが、仕方がない。何せ薬を飲んでいたのはもう随分前の事だからだ。
確かに薬は余った。余って…それで、…それからどうしたか全く記憶に残っていない。
自宅に例の解毒薬が無いのは何となく理解できるような気もしていた。
なぜなら一度それが目に入れば、

──嫌でもの事を思い出すから。





ヒュー、ヒュー、と過呼吸寸前の荒い息を吐きながら、ヒヤリと冷たいタイルの上で獣のように這いつくばる自分。
そして、その様を愉快そうに見下ろす、1人の幼い少女の姿。

闇に溶ける黒檀の髪は酷く鬱陶しい長さで、そこに居ることで精一杯な俺の頬に気持ち悪く張り付いていた。おびただしい黒糸の隙間から覗くのは、化け物みたいにおぞましく光る血の深紅だ。

全身を襲う悪寒と、灰になってしまいそうな程の熱。言う事を聞かず痙攣する身体に、歯が砕ける音を聞きながら堪えること以外なすすべなどあるはずもない。
地面に立てる爪はもう無くなり、今はただ柔い肉だけが残る指先が無様に床に線を作る。普段なら卒倒するだろう痛みを軽く飛び越す別の感覚が、それ以外の何もかも全てをことごとく遮断していた。
気が狂うと理解できるほどのまともな思考回路はとうに焼き切れ、喉を震わせて出るのは醜いうめき声と泡立つ唾液だけ。
視界は膜の張った水でゆらゆらとぼやけて濁っていたが、

目の前の『元凶』の姿だけは驚くほどはっきりと知覚することが出来た。

『あらあら、さっきまでの威勢が嘘みたい。 でもそちらの方が可愛らしくて好きよ、私。
──ほら、もっと媚びてみなさいな』

鮮烈に輝く2つの赤が欠けた月のように弧を描いて、
俺は──、



「──ッックッソ!!!」

ガシャン!!!

何かを振り切るように衝動的に叩きつけた拳が、その先にあった戸棚の薄いガラスを突き破ってバラバラにする。
直後、その大きな音と自身の手に感じる鈍い痛みに、故白はハッと我に返った。
悪い夢を見た後のように、服が冷汗で少し湿っているのが分かる。同じく濡れた額を手で拭て、気分を落ち着けるため詰めていた息をゆっくり身体の中から吐き出した。

こんなことしてる場合じゃねえだろ。

モヤモヤと陰が後を引く頭を軽く振って、故白が薬探しを続けるために顔を上げたその時、
背後から、酷く弱い力でシャツの裾を引かれる感覚。

振り返るとそこには、今までずっと事務所のソファーで力なく横たわっていたはずの空が、どこか焦点の合わない目でこちらを見上げていた。
身体を蝕む強制的な熱が辛いのだろう。上気したその顔は苦しげに歪んで、呼吸も浅い。額には汗がいくつもの玉になって連なっていた。

「…辛いだろ。 座ってもう少し待ってろ、今違う場所も探して──、」
「…、すか」
「ん?」

小さな掠れ声が聞き取れず少しだけ耳を寄せると、空はシャツを摘まんでいた指で次は故白の片手を捕らえる。
それは先程故白が自分でガラス戸に打ち付け、今もまだジンジンと赤く熱を纏っている方の手だった。

「手、だいじょぶ、…ですか」
「──は、」

──どの口が、それを言う。

息継ぎを挟む労わりの言葉。
腫れる準備のために熱が集まる故白の手よりも、断然熱く震える指先。

『大丈夫』じゃないのは明らかにじぶんの方なのに、大きな音が聞こえた、ただそれだけの事で立つのもやっとな身体を動かして、真っ先に出るのが俺への心配?

胸からせり上がって来た何かに、故白は自身の歯を食いしばることで蓋をして、


「…お前は自分の事だけ考えとけばいい」 


その言葉を内心でも繰り返してから、故白は足元のガラス破片に気を配りながら、空を元居たソファーへと促す。
しかし返答はなく、空は故白の前から動こうとしなかった。

…いや、動かないんじゃなくて、動けねえのか。

遅れてその考えに至った自分の察しの悪さにうんざりした瞬間、吐息のような声で名を呼ばれる。

心臓を縛られるような、しかし嫌ではないその感覚に故白は一瞬だけたじろいで、

「…ん? 運ぶか?」
「こはく、さん……、」
「……どうした」
「身体、ヘンで、…苦しっ、」
「…ああ」
「あついです…。 燃えるみたいで、おれ、お、おれ、」
「…そうだな。 辛いな」
「…はい、つら、い、つらい。
力、入らなっ、……っは、ここが苦しっ、くて…、何でっ、おれ、」

わけが分からないだろう現状と、それに対する困惑を必死に言葉に変えて何とか平常を保とうとする空が痛々しい。
彼が手で隠すように押さえていたのは、彼自身の意志とは一切関係のない下半身の膨らみだ。

「ごめんなさい…、ごめっ、なさ…」

熱に浮かされ、瞳になみなみと蓄えられていた空の涙がボロッと堰を切って床を濡らす。
未知の現状への恐怖、これからどうなってしまうのかという不安、そして羞恥の感情に苛まれながらの謝罪に、故白は思わず顔を顰めた。

そしてそのまま、勃起を抑えるためにまっすぐ伸びた腕──既に包帯が巻かれて治療済みのそこを忌々し気に見やる。

「…お前のせいじゃねえよ」

ボタボタと頬を伝って落ちる大粒の涙を手で拭ってやると、空は「ひっ」と短い声を漏らしてピクリと震えた。
普段の声とは違い明らかに官能的だったそれに故白も少しばかり動揺して、すぐさま触れていた指を遠ざける。

…吸血から時間が経った今、既に牙からの催淫剤は身体中に回りきっている。もう空は限界だ。
一刻も早く、解毒薬を見つける必要があった。

「ソファーまで戻れるか?」

ひっ、ひっ、と既に苦しい呼吸を更に追い込むかの如くしゃくりあげる空に、故白は気持ち優しい声を心がけて問う。そして空が小さく首を振ったのを確認すると、出来るだけ刺激が少なくなるようにゆっくり抱き上げ、そのままソファーへと運んだ。

振動が無いように慎重に下ろした後、故白はすぐに離れて薬を探しに行こうとするが、それはまたも空によって服を掴まれたことで阻まれる。
肩で息をする俯き加減の彼から特に引き留める言葉があるわけではなかったが、正気が失われていく中で何かに縋りたくなる気持ちは故白にも痛い程理解できた。

「……薬を飲めば楽になる。それまでの辛抱だ」
「…くすり、」
「早めに探す。 もう少し待ってろ」

シャツを引く空の手に殆ど力は込められていない。
外そうと思えば簡単に外せる、……が、昔の自分と空の姿が重なるからか、故白はその弱々しく震える手をこちらから無下に突き放すことが何となく出来ないでいた。

「…こはくさん、おれっ、苦しいです、…嘘じゃなくて、嘘じゃ、ない」
「…ああ、わかってる。 だから、」

「──…これっ、ベルト、とってくださいぃ…」

「……っ、」

下衣の中心を窮屈そうに押し上げるそれは確かに苦しそうだ。懇願の通り解放して、楽になりたいのもわかる。
空は故白に添えていた手を外し、そのまま自身のベルトの金具へと近づけた。しかし震えて力が入らないのか、彼の指はカチャカチャともどかしく金属音を奏でさせるだけで、一向にそこが解かれる気配がない。
…だから、故白に頼んだのだろうが。

空は、顔を上げて焦れたように故白を見た。


「触って…、ください。 苦しい、も、やだ…、こはくさん…、

──助けて」

苦しいと縋るその目は、全身を巡る欲に浸食されて暗く濁り、理性など殆ど残っていないようにとれる。
経験したからこそ分かる。今の空の言葉や仕草は、危機を感じた空自身の身体が主導する、いわば本能的な防衛機構だ。
そこには己を楽にする以外の目的は無く、全ての言動に本人の意思は作用しない。

空にとっても、この状況は本意ではない。

吸血鬼の催淫成分は、放っておけば体内で自然に分解されて発情も治まる。しかし一見容易く聞こえるそれは、本人にとって正しく生き地獄だ。
確かに、欲を発散させれば幾分か気を紛らわせることも出来るが…。

いつ見つかるか分からない薬を探して、その間空に今の苦しみを持続させるか、
それとも──、


少し考えて、故白は覚悟を決めるように長い息を吐いた。

次いで、朦朧と視点が定まらない空を正面から見つめ、告げる。

「いいか、お前は今正気じゃない。
…だから今から俺がやるのは医療行為みたいなもんだ。 催淫の効果が切れても気に病むな。 …わかったか」

故白の強張った表情とその言葉が理解出来ているのかいないのか、空は急くように何度も何度もコクコクと首を縦に振った。

期待に頬を染め、口角を上げるその姿が、今はどうしようもなく歪に思えた。





夕陽に陰り出した部屋の中、つい先日まで二人揃えば下らないことを言い争う場でしかなかったこのソファーに、今は空の湿った吐息だけが響く。
あまり互いの顔が見えない方がいいだろうと思い、故白は空を後ろから囲うような姿勢で自身の足の間に座らせていた。
女のように華奢ではないが故白よりは体格の良くない空は、丁度いい感じに故白の腕の中に納まる。そのことに少しだけ心臓が動いた気がしたが、故白は気付かない振りをして薄く目を伏せた。

くたり、と故白の胸に背を預ける空は苦しげだ。
微かに肩にかかる吐息と触れ合った肌の酷い熱さに、眩暈を起こしそうになる。

「…嫌だと思ったらすぐ言え」

真っ赤な首が一度前に折れ曲がったのを確認して、故白は空のベルトに手をかけた。
全てを引き抜き、山になっているズボンのチャックをなるべく早く下ろしてやる。
そこから見えた黒色の下着は、先走りのせいでぐしゃぐしゃに濡れており、中の形が分かるくらいにピッタリと張り付いていた。
故白はあまりじっくり見ないようにと目を逸らし、次いで空に腰を上げさせて下穿きを一気に二つとも脱がす。ちまちま脱がせていたずらに刺激させるより、一思いにやった方が空のためだと思ったからだ。
想像通り、空は肌に布が擦れる一瞬の感覚にビクリと大きく身体を震わせて、

──自身の性器が外気に晒された途端、彼は耐え切れないというように前のめりに自分でそこを刺激しだした。

理性など掻き消え、はっはっ、と荒い息で一心不乱に快楽を追い求めるその姿に、故白はいつかの自身の姿を思い出して1人で勝手に胸糞悪い気分にさせられる。

しばらく好きなようにさせていたが、やはり空自身の力の入らない手では、たとえ発情状態であったとしても己を絶頂へ導くことは難しかったらしい。ぎこちない動作で何度も何度もその手を上下に動かし、しかし空はそれにももう限界を感じたようだ。

「…っあ、……ぅ、こ、こはくさん、」

肩越しに、こちらを振り返った虚ろな瞳が向けられる。
故白は、快楽だけを求める意思の無いそれを前から抱き込むように手で覆って、空の中心に手を添わせた。

同じ男なので、手っ取り早く快感を得られる場所は分かる。

「──はっ、あ、っ! ~~ッッ!!」

何度か軽く擦って、たったそれだけの刺激で空は盛大に絶頂した。
故白はローテーブルの上にあるティッシュ箱から中身を数枚引き抜き、自身の手の中に出された精液を淡々と拭う。
催淫成分の効果により一物はすぐさま硬度を取り戻しているようだったが、チラリと目をやった腕の中の空は一時の射精の余韻にはっ、はっ、と息を乱しながら浸っていた。

少し待つか、と新たなティッシュペーパーで汗でも拭いてやろうと思った、その時、

「ん、ん、…もっと、」
「は、」

空は故白の手を掴んで、先程と同じ場所に誘導してきた。
空の熱い両手で固定された故白の右手、その中には、まだ握っているだけなのにも関わらずビクビクと脈打ち、より大きく成長していく棒がある。
虚をつかれ、目を見開いたまますぐに動かなかった故白に焦れたのか、空はそのままヘコヘコと自身の腰を揺らして自分で彼の手に勃起を擦り付けだした。

「…っぁ、う、ぁ、あ、あっ、アッ!…イッ、…ッッ!!」

二回目の絶頂は全てを手で受け止める事が叶わず、ピュ、ピュ!とテーブルの上にいくつかの白い線をつくる。
故白がその行く末を見届けた瞬間、断続的に腰をひくつかせながら、はあ、はあ、と激しく肩を上下させていた空がくたりと胸に凭れかかってきた。

「…っこはく、さん、」

汗で張り付いた髪の隙間から、欲に溺れた目が見える。

救済を求めて呼ばれる名前に、不謹慎にも故白はゴクリと喉を鳴らして、

「…わかってる」


熱の籠る部屋に、小さな嬌声が響いた。

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