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伊織と潤を引き取ったのは、7年程前になる。

悠也の属していた家族というのは、最初から崩壊に向かって進むジェンガみたいなものだった。
元々デキ婚らしかった両親は、俺が物心つく頃から喧嘩ばかりで、笑い合っているところなんか一度だって見たことが無い。
癇癪をおこした母のヒステリックな泣き声と、俺に欠片も興味を持っていなさげな父の冷たい目だけを、良く覚えている。

彼らは俺が中学生の時に満を持して離婚。
その時既に、男(もう父ではないので)には此処とは別に家庭があったらしく、酷くあっさりと家を去っていった。
そしてその後、高校生に上がった頃に母親が蒸発。
母の両親は他界済みで、特に親しい親族も無し。また、新たな家庭で第二の人生を謳歌する男が自身の負の遺産を受け入れるはずもなく、
俺はこの世界で瞬く間に1人取り残されてしまった。

その後、高校卒業までの約2年間を施設で過ごした俺だったが、その間に何の冗談か、男によって俺名義の口座が開設され、定期的に金が振り込まれていることを知らされる。
俺にとってその男は自分を捨て去った存在であったため、そんな奴の世話になるもんかと意地を張り、施設を出た後も男からの金には一切手を付けなかった。
奨学金とバイトで得たお金で短期大学に入学し、卒業後は、無事とある部品メーカーの営業事務に就職が決まる。

これは、俺の中でのひとつのゴールだった。
男の力を借りずに、ごく一般人が自立するためのルートを一歩も違わずに歩いてこれたという、誰にも気づかれないくらいささやかで、何の意味も無い反抗だった。
そして完全に自立出来た今、もう男と関わることも、壊れた家族を意識することも無いだろうとそう思っていたのだ。

数年後、仕事にも随分と慣れてきた頃。
当時23歳だった俺の元に、男の訃報と、それに伴う遺書について話があるから葬儀に参加してくれと、彼の親族から連絡が届く。
正直血の繋がり以外は殆ど他人と同じような関係であるため、訃報を聞いても何か思うことは無かったし積極的に関わりたくもなかったが、それで何かもめ事に巻き込まれるのも嫌で、渋々葬儀場へ出向いた。

そしてそこで初めて、自分と同じ、あの男の血が半分混じった子供に出会うこととなる。

当時8歳だった弟の潤は、人目もはばからずに子供らしく大声で泣き叫び、4歳年上の兄、伊織は、そんな潤を守るようにして幼いながらも気丈に振る舞っていた。
彼らの母親、つまりあの男の奥方は既に数年前に亡くなってしまっていたようだったので、男の死はイコール子供ら二人の両親の喪失を意味していた。

可哀想に。
彼らの姿を見て、どこか自分の記憶と重なる部分もあったためか、純粋にそう思った。
だけどそれは、どこまでいっても所詮他人事でしかなかった。

あの男によって残された、遺書の中身を知るまでは。



葬式後、件の家族の親戚に、男がもしものために残していたものと思われる遺書の内容を知らされた。
そこには、酷く簡潔な悠也への謝罪と、ある一つの要望が記されていた。
それは、『残した子供2人を引き取り、兄弟3人で暮らして欲しい』ということ。
『多額の生命保険金は全て3人の生活費に充ててくれ』と。

正直、ここに自分一人だったのであれば、間違いなくその紙切れを粉々に破り捨てていた自信がある。

それほどに、腹が立った。

今更何だ。
兄弟かぞく?どの面を下げてそんなことを言っている。
俺のことを、金を渡せば何でもやる下僕だとでも思っているのか。

謝るくらいなら、最初から――

激しい苛立ちと、悔しさ、虚しさ、様々な感情が心臓を重く潰して、ぎりりと奥歯が削れてしまいそうな程に歯を食いしばる。
やっぱりこんな場所、来なければ良かった、と当たり前のことを改めて再認識していた俺を、周囲の親戚達がどう思ったのかは知らない。
しかししきりに「まだ若いから」「子育ては大変で」「縁の繋がりもないあなたには、良く知らない子供だろうし」などと、俺に気を遣っているようで、その実あからさまに俺にあの子供達を引き取らせる気がなさそうな空気を醸し出していたため、流れに任せて断った。
その回答はやはり彼らにとっての正解だったらしく、一瞬ほっとした顔を見せた後、もう俺の言葉は必要ないと言わんばかりに背を向け、ではどちらの子をどの家が迎え入れるかという話し合いに移り変わっていき――。

せっかく残った2人だけの家族きょうだいは、それぞれ別々に引き取られることになったらしかった。


――とまあこんな風に一度は引き取りを拒否していた俺だったが、
その数日後に、2人だけで以前の家で暮らそうとする伊織と潤を偶然発見してしまい、
…何というか色々思うところもあって、結果的に彼らと共に暮らすことを決めてしまった。
あの男の思い通りになったのは気に食わなかったが、子供に罪があるはずもないし、むしろあいつよりりっぱに子育てして見せる!と無理矢理己を鼓舞してみせる。

2人が自立したら、きっとまたこの家で、2人で…、それかどちらかが新たな家族を伴って暮らすんだろう。

それまで、俺が少しでも2人の居場所になりえたらと、そう思った。


そんなこんなで、同じ県内ではあるけれど、以前2人が生活していた地域からは大分距離がある悠也の生活圏に引っ越し、そこで3人での新生活がスタートする。
2人の養育費は、殆どあの男の保険金と、俺が今まで使っていなかった仕送り金によって賄えていたので、生活が特に困窮するといったことも無かった。
まだ新社会人に片足を突っ込んでいた俺の収入では、そこまで贅沢な暮らしが出来るわけでもなかったが。

引き取った兄弟の弟の方、潤は、明るく人懐っこい性格で、俺にも比較的すぐ懐いてくれた。高校生になって、付き合っている友達の影響か若干チャラくなった気がしなくもないけど、昔からの性質は変わらず、兄の贔屓目無しに根が明るい愛されキャラである。
手を焼いたのは兄、伊織の方だ。
伊織は引き取った時には既にある程度成長していて、周りの会話や空気を正確に察知していたからか、最初からずっと警戒した猫みたいにピリピリ気を張っていた。
一度、中学の時に家出したことなんかもあったが、何だかんだ今はリラックス出来ているようで一安心だ。

うん。自室で自慰が出来るくらいに。うん。いや、良い事だよね。うん。


昔の記憶に浸って感慨深さを覚えていると、そんな俺を、怪訝な顔をした伊織がじっと見ていた。

「…だから、さっきからなんだよそのだらしない顔。 たるみすぎだろ。 老化か?」

「チクチク言葉、いけないと思います」

「悠也くん何か良い事あった?」

「良い事っていうか、お前ら育ったなぁ~って改めて反芻してたっていうか…」

「ヤバい、悠也くんがおじさんみたいなこと言ってる!」

「30はおじさんだろ」

「……もう二度と言わねぇからな…」

30代はおじさんじゃない!!大人の男性だ!!
荒んだ顔で悔し気に睨む俺を見て、伊織と潤が可笑しそうに笑う。

いつも通りで、しかし俺たちにとっては必ずしも当然ではなかったはずの幸せな朝が、今日も今日とて軽やかに過ぎ去っていった。



「行ってきまーっす!」

「おー、気を付けてなー。 あと響君にちゃんとお礼言うんだぞ!」

「分かってるー!」

悠也は、仕事用のスーツのジャケットを羽織りながら、玄関から忙しなく出て行く潤を見送る。そしてそのまま、悠也自身も仕事へ向かうために革靴を履き始めた。

ふと背後に気配を感じて視線をやると、ゆったりとした部屋着に、相変わらず前髪にぴょんと寝癖をつけたままの伊織も、こちらへと近寄ってきている。
互いを見送る習慣は特にない我が家だが、みんなが出かけるとなると何となくつられて玄関に来ちゃうよな、わかる。
広くも無い廊下の壁に身体を凭れかからせ、黙って俺を見送ろうとしている伊織を視界の端に捕らえた悠也は、微笑ましい気持ちで頷いた。

普段生意気だけど、こういうふとした時の懐いた猫みたいな行動に、どうしようもない可愛さを感じるんだよな…!!
因みに潤は元気いっぱいのワンコで、伊織は素直じゃない猫ちゃんだと定期的に認識している悠也である。多少兄の贔屓目も入っているとは思うが、どちらも違うベクトルで可愛いのだ。
なぜか兄弟間で疑似アニマルセラピーが成立してしまっているが、これを言えば特に伊織からは絶対零度の眼差しを向けられることは明白なので、俺だけの秘密である。

靴を履き終わった俺は、少し離れた場所にいる伊織をちょいちょいと手招いた。
素直に近寄ってきた伊織の頭に、おもむろに手を伸ばす。
もしかしたら朝食時のように振り払われるか?と一瞬思ったが、伊織は静かに目を閉じて大人しくしていた。
その姿に、本当に猫みたいじゃないか、とつい息が漏れてしまうが、伊織にはバレていないようなのでこれはセーフである。

触れるのを許された手で、サラサラの直毛に反旗を翻した一房を撫でつけるが、手櫛で梳いた程度では件の寝癖は治まってくれそうにない。
「こいつは結構強敵かもだぞ、伊織」と手を引きながら笑うと、「水責めで一発だし」との無慈悲な答えが返ってきた。
伊織毛髪戦国時代、完。
まあ当然の対処法である。

「俺ももう出るけど、伊織は?」

「今日は午後からだからまだ寝る」

……こいつ、昨夜も恐らくスッキリ快眠しただろうに更に寝るつもりか……いいけどね…。
伊織の羨まけしからん言葉により、自身の不眠の元凶となった昨夜の出来事が再度悠也の脳裏をかすめた。

もう『ゆうや』=自分自身ではないということが分かったので、昨夜や今朝とはうって変わり、心底穏やかな気持ちだった悠也は、少しだけ興味をそそられてしまう。
今まで特に話したことも無かった、伊織の恋愛事情について。

「なあ、知り合いに『ゆうや』っているか? 男でも女でも」

「ん」

「指を指すんじゃありません。 俺以外」

「…アンタ以外居ないけど、なんで」

「え?」

「?」

伊織は向けていた人さし指を下げ、心底不思議そうに悠也を見た。

いや…大丈夫。
まだ大丈夫。
想定内だ。
そう、『ゆうや』が現実世界の人間だけとは限らない。

「……伊織好きな芸能人とかいたっけ。 雑誌のモデルとか」

「あんまそういうの詳しくねぇ」

「そ、だよな…」

秒で撃沈である。

そうでした。伊織はあまりドラマやバラエティを見る方ではないし、見たとしてもいちいち名前なんて覚えない。知ってた。

……ということは…?えっとつまり?

悠也の思考がどんどん早朝のものへと逆戻りしかけている最中、わけのわからない質問を重ねられた伊織がやや訝し気に問う。

「何。 質問の意図が見えねぇんだけど」

「…悠也って名前、珍しくないよな?」

「知らね。 そうなんじゃね」

「ほんっとうに!! 一人も!! 居ないか!? お前の周りに『ゆうや』は1人も居ないのか!!?? ちゃんと思い出せ!!」

「うわっ! 何でそんな必死!? …そんなに『ゆうや』見つけたいんなら、優に聞けば!?」

お前の返答に今後の俺の生活の安寧が委ねられているんだ!!という並々ならぬ思いを込め、両手で伊織の肩をガクガク揺らすと、露骨に鬱陶しそうな視線を向けてくる伊織からある人の名前が飛び出した。
若草 優わかくさ すぐる
彼は、俺が引き取る前からの伊織の親友で、特に示し合わせてはいないながらも今は同一の大学に通っている。
確かに、優君はどんな年代・性別の人間とでも短時間で仲良くなれてしまうコミュ力の権化みたいなヤツだけど!

「いや優君じゃ意味ないんだわ!!」

「今日の情緒大丈夫かよ…」

玄関で叫ぶ俺に正しく引いている伊織を認識しながらも、自身の脳内で主張してくる一つの事実に、悠也のあらゆる意識を集中させざるを得なかった。

伊織の周りに『ゆうや』がいないのなら、昨夜呼んでいた名前は、必然的に俺ということになって??
…えっと、だからそれは、…つまり、

「俺は『悠也』しか知らない」

伊織直々の最後通告が、悠也が立てる一つの仮説をギュンッ!!と後押しして天空まで飛ばしていく。
唖然としたままピクリとも動かなくなった悠也を面倒そうに見た伊織は、もう関わることも嫌になったのか「はよ会社行け」と慈悲の欠片も無い台詞を残し、自室へと戻っていった。

好奇心は猫をも殺す
今日程そのことわざの意味を、身をもって痛感した日は無い。
数分前の俺よ。頼むから調子に乗って欲しくなかった。
全てはもう、過ぎ去ったことであるが。


結局悩み解決してないじゃん!!?ふざけんな!!!

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