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しおりを挟む人里離れた山の中、神に捧げるため飾り立てられた厳かな木台の上で、その幼子は力なく横たわっていた。
鮮血が絶えず木目を滑り、地面へ染み込む。
骨と皮で出来ているような細い手足は、麻縄でキツく束ねられていた。そのため動くことも叶わなかったのだろう。無抵抗のまま獣にでも襲われたか、ところどころ肉が千切られた身体は酷い有様だった。
しかしまだ息がある。
ひゅうひゅう、とどこかから風が漏れ出ているようなおかしな音を立てながらも、その胸は懸命に上下し、生きようと足掻いていた。
とは言えど、どう見ても死にかけの身体。このまま放っておけばものの数分で息絶えることは明白だ。
そんな満身創痍の中で、
「かみさ、ま……、ぁ、りが、…と」
目の前に立つ僕へ向かって、その幼子は、消え入りそうな声で感謝を告げたのだった。
*
右、左、右。
振られる顔の動きから一拍遅れて、後ろで簡易に束ねられた夕焼け色の髪が揺れる。
建物の陰に潜み、入念に人影がないのを確認したその男は、和服の裾を軽く翻す程度の駆け足で進みだした。
その背に、やけに大きく重そうな白い布袋を抱えて。
舗装された石造りの通路。両側にはそれぞれ形の異なる木造建築が引き詰められ並んでいるが、高さがないからか窮屈さは感じない。
普段なら好感が持てるそれは、今のような忍んでいる時とは相性が悪いようだ。
落ち着かず鼓動と足を早めていると、その警戒に満ちた鼓膜が前方からの足音を敏感に察知した。
直後、男は反射にも思える俊敏な動作で家屋と家屋の隙間に滑り込む。
壁と気持ちを同化させ、じっと待機すること数分。人物が通り過ぎたのを確認した男は、詰めていた息をふう、と吐き出した。
自宅までもう少し。気を緩めず行こう。
気持ち新たに、再び建物の影から辺りを伺おうとしていると、
「晴君!!」
「!!」
通路中を駆け抜けたハリのある大声、いや、怒鳴り声に、全身が激しくビクつく。
それは男──晴君にとって酷く聞き馴染みのある声。そして、叶うなら今だけは出会いたくなかった、そう思わずにはいられない男の声であった。
ブワリ。全身から一気に噴き出してきたのは冷や汗だ。
晴君は通路に突き出していた間抜けな頭を、ぎぎぎ、と声の方向へ動かした。
足音が聞こえるかどうかすらも怪しい遠くから、体格の良い男がズンズンと地面を揺らして近づいてきている。
待って。その位置から頭だけ出した僕を的確に見つけたのか?目、良すぎだろ。
現実逃避にも近いことを考えているうちに、遂にその男が目の前へと立ち塞がった。
筋肉質な分厚い身体と、高い位置からこちらを見下ろす鋭い眼には凄まじい圧迫感がある。生真面目な気質を体現するよう釣り上がった黒い太眉が、その精悍な顔つきを一気に怒りの表情へと傾けていた。
晴君は引き攣った顔をぎこちない笑顔で心ばかり隠しつつ告げる。
「う、雨君。何か用…?」
「何か用か、だと…?よくもまあそんな口がきけたものだな。来季の天候予定、提出期限は今日だった筈だが?」
「えっ……。あ、あー…!ごめん、す、すぐ作るから」
「そう言って実際すぐ完成した試しがないだろう貴様は。……どうせ今回も下界ばかり見て呆けていたんだろう」
雨君、と呼ばれるその男は、苛立ちの中にどこか疲れを滲ませた様子でため息を吐いた。呆れの感情も含まれていそうなそれに肩身の狭い思いをしながら、しかし唱える異論もない晴君ができるのは、ただその場で居心地悪く縮こまることだけである。
「俺は別にそれをやめろとは言わん。だが趣味を楽しむのであれば、やるべき事をしっかりやり終えてから楽しめと至極当たり前のことを言っているだけだ。貴様の遅れのせいで他に皺寄せがくるからな。主に俺とか俺とか俺とかになあ!!」
「ごめんごめんほんとごめんいつもありがとうね!!」
大きな声と怖い顔で詰められ、悲鳴のような謝罪をする晴君。雨君はその情けない姿を眼下に、更にはぁっ、とため息を吐くと、今度は諭すように告げた。
「貴様はこの世界を運営する天人の1人で、かつ天候区の長──晴れを管理する立場なんだぞ。よりその自覚を持ち……おいこら何を逃げようとしている!」
「バレた…っ」
「貴様…!そのいい加減な性根はどうやったら、」
その時、くしゅんっ、と小さな音がして、同時に晴君が背負っていた白い布袋が揺れた。
喋っている最中ではありながらも、無視できない音量はあったそれに、雨君は「ん?」と怪訝に口を噤む。
詰問が止んだにもかかわらず、晴君の体からはだばっ、と先刻以上の冷や汗が噴き出した。
「あ、あーー!!あの!本当にあの、早く出すから!天候の予定!えっと…、ふ,2日後!2日後でいい!?」
「いいわけがないだろ!締切は今日だぞ!今日出せ!…ではなくて、おい、その荷物は何だ」
「ニモツ?」
「荷物の存在の有無から誤魔化せるわけないだろ!くしゃみの音がしたぞ、貴様一体何を運んでいる!」
不信感を露わにした顔で、雨君がその布袋に手を伸ばそうとする。
まずい…!
晴君は慌てて一歩後退ると、できる限り大きく息を吸った。そして、
「えーーー!?あのいつも多忙な雨の君が、その門外不出の敏腕っぷりを伝授してくれる特別講習が開講されるだってえーーー!?先着3名!?これは急がないとだあーーー!!」
「は?」
つい先刻まで人影がなかった通路だが、晴君と雨君の口論の影響か、野次馬らしき天人がちらほら集まってきていた。そして彼らは晴君の大声を聞いた直後、一気に目の色を変えて迫り来る。
「今の話は本当でしょうか!?私参加します!」
「私も是非!」
「僕も!」
「ずるいぞ!!雨君、私が!!」
「!?待て!俺はやるなどと一言も、…あ!?おい!逃げるな晴君!!」
「ごめん!書類は後でちゃんと出すからーー!」
「っ、覚えてろよ駄君があぁあ!!」
背中に浴びせられる恨み言に怯えつつ、しかしもう後に引けない状況の晴君は、その場からの迅速な逃亡をはかった。
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