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しおりを挟む「うわあ…凄い、人が沢山…!」
試験当日。試験会場には多くの天人が溢れ、圧倒される程のざわめきに包まれていた。
ここは下層の中心地にある巨大な施設。天井はなく、観客席が周りを取り囲むような構造が特徴の、観戦に適した場所である。
大規模な催しはたいていここで行われるらしい。
……らしい、というのは、晴君が今まであまりこういった場所に足を運んだ経験がないからで、つまり、こんな人混みも初めてで……。
「わっ、すみませ…、」
「邪魔だよ!」
「ごめんなさいっ!」
気付けば人の波に流されていた。慣れない混雑に足元がおぼつかず、ぶつかるたびにひたすら謝ることしか出来ない晴君。
そんな時、ぐいっ、と誰かに腕を掴まれた。
「先生、こっち!」
「千晴!」
見慣れた顔と声に安堵する。
千晴に手を引かれるがまま、晴君はやっとの思いで人混みを抜けた。
身体のどこかに常に人が触れるような感覚がなくなって、解放感にほっとする。
振り返った千晴は、呆れたように息を吐いて言った。
「もう、フラフラしないでくださいよ」
「助かったよ。試験前なのにごめんね」
「……別に、神力、どこかで貰わなきゃですし…」
そう、今日は朝から試験の事でバタついていて、まだ千晴に神力を渡せていないのだ。
実践試験はおそらく神力の操作が評価される試験。神力がなければ話にならない。
千晴は会場についてからずっとそわそわと落ち着かない様子だ。試験への緊張は勿論あるだろうが、大部分を占めているのは焦りだろう。もし神力を渡せないなんてことになれば、合格は絶望的といっていいのだから。
早く渡して安心させてあげたいんだけど……。
「こうやって裾で隠して、ちゅってしちゃおっか」
「は、はあ!?嫌に決まってるでしょ!」
「でも隠すから周りには見えないよ?」
「み、えないって、何してるか大体分かるだろ…っ!…と、というか、こんな大衆の面前でやる神経が理解不能です。あり得ません」
勢いよくそっぽを向いた千晴は、ズンズン速足で先に進みだした。晴君は慌ててそれを追いかける。
「待ってよ千晴~!」
「とりあえず、先に席の確保しますよ。ほっといたらアンタ、立ち見とかになってそうだから」
「別にそれでもいいけど」
「よくない。足疲れたから帰りたい、とかなられたら困ります」
「最後まで帰らないから大丈夫だよ」
「信用できません」
「なんで!?」
*
「うわ、もう結構埋まってる」
観客席を見渡しながら、開いている場所はないか探す。
どこに座ろうか。見やすい場所が開いていればいいけど…。
「先生」
「ん?」
千晴に示された方に視線を向けると、その先で雨君が手を上げているのが見えた。
「どうせ来るだろうと思っていたからな。席を取っておいたぞ」
「ありがとうございます、雨さん」
「流石雨君!」
どうやら晴君と千晴、二人分の席を確保してくれていたようだ。
相変わらず真面目というか用意周到というか、気が利く男である。
ありがたく座らせてもらおうといそいそ席まで移動すると、雨君を挟んだ向こう側に雷君の姿もあった。
彼は眼だけをこちらに向けると、一瞬で顔を歪めてチッ!と不快さを示す舌打ちを響かせる。歓迎はされていないようだ。出来るだけ大人しくしていよう…。
「お、お邪魔しまーす…」
「あ、千晴くんっ、晴れの君も」
「! その声は桜鈴ちゃ──、」
雷君の陰に隠れて見えなかったが、彼の奥には桜鈴も居たらしい。
晴君は、ひょこっと顔を出した彼に挨拶をしようとして、しかし、その疲れ切った顔に一瞬声を失う。
桜鈴の目元には、寝不足からくる濃い隈が出来ていた。全体的に血の気が引いていて顔色も良くない。明らかに満身創痍状態の彼に、晴君と千晴は揃って驚愕する。
「だだだ大丈夫!?」
「どうしたんだその隈…!」
「努力の勲章だよぉ…」
くたりと雷君に寄り掛かった桜鈴は、彼に頭を撫でられつつ続けた。
「出来上がった衣装を合わせて欲しいんだけど、千晴くん、これからすぐ試験者の控え室に来てもらっていい…?」
実は桜鈴には、千晴の試験用の衣装作りをお願いしていたのだ。
というのも、訓練ばかりにかまけていた晴君らは、試験に特別な衣装が必要だということも、またその作成を事前に依頼しておくものだというのも全く知り得ていなかった。
毎度の如く、桜鈴からの問いかけでギリギリになって発覚したそれ。
もう間に合わなさそうだというのもあって、晴君らは着慣れた普段着でいいんじゃないか、動きやすそうだし、などと話を進めていたのだが。
その際二人の向かい側に座っていた桜鈴は、バンッ!!と勢いよく机を叩いて、
『ありえません!衣装も試験結果に影響するんです!!……千晴くんという素材を最大限引き立てる衣装を作れるのはもうぼくしかいない…!ぼくに任せてくれませんか!?』
そんな桜鈴からの熱烈な申し出もあって、ありがたいことに、考案から縫製まで衣装作成を一手に担ってもらっていた。
衣装作りがどのように行われるか晴君も詳細には分からないが、一朝一夕で出来るようなものでないということぐらいは知っている。
元々話し合いの日から試験までの期間は短かった。
そんな中、まさかここまで身を削って頑張ってくれていたなんて…。
「本当に頭が上がらないよ…。自分の試験もあるのに……ありがとう桜鈴ちゃん」
「気にしないでください、晴れの君…。ぼくは舞の基礎さえしっかり学べていたらいいので……」
「桜鈴、本当にありがとう」
「推しからの感謝の言葉元気5千億倍…っ。もうちょっと待ってね千晴くん……もうちょっとで、つやつやにぃ…」
萎れた野菜のようにくたびれる桜鈴を、雷君が撫で続ける。その手には薄っすらだが、神力が纏われていた。
時間の経過と共に桜鈴の顔には血色感が増していき、ハリと艶も出てきて、数分後には……
「つやっつやです!」
「激励だよ。桜鈴らしくやりきって」
「ありがとうございます雷君!じゃあ行こっ千晴くん!」
「あ…っ」
元気になった桜鈴に腕を引かれる千晴が戸惑ったように晴君を見やる。神力を渡すのがまだ済んでいないからだ。
晴君は笑って手を振り、
「千晴の着替えが終わったら見に行くよ。その時にね」
ほのかに頬を赤くした千晴が、こくんと頷いて桜鈴と共に去っていった。
そうして二人の天子の姿が見えなくなった後、
「桜鈴をこき使うな」
言ったのは雨君だった。
「……え、雨君、桜鈴ちゃんの何??」
「と、こいつが」
雨君が親指をくいっと向けた先には、こちらに視線も向けず、明らかに不機嫌な様子で椅子に埋まる雷君。
……怒るのも当然だ。大事な天子に酷い扱いをしてしまった。
桜鈴が自分の試験のために使うはずだった時間を大部分奪ってしまったのだ。これは取り返しのつかない失態である。
せめて途中経過を聞いたりしてあげていれば良かった。そしたら無理をする前に止められたかもしれないのに…。
それに、千晴の服作りに関わったのはきっと桜鈴だけじゃない。雷の天徒や天子、それこそ雷君も、桜鈴が苦しんでいたら必ず手を貸す筈だ。つまり今回、彼ら全体に迷惑をかけてしまったことになる。
責任は、情報収集を怠り、その結果衣装を桜鈴一人に任せきりにしてしまった晴君にあった。
「本当にごめんなさい。……謝って済む話じゃないよね。僕に出来ることなら何でもするよ。君達に是非お礼をさせて欲しい」
「…………」
長い沈黙があって、雷君は雨君にぼそぼそと何かを耳打ちした。
「俺を伝言係に使うな」
「……」
雨君にぴしゃりと断られて、無言のまま不貞腐れたように再び椅子へと沈んでいったが。
お礼の方法はまた改めて桜鈴ちゃんに相談させてもらおう。
晴君が漸く席に座ると、隣の雨君が目を細めた。
「貴様、あの天子に衣装の面倒をみてもらったのか」
「は、はい…、その、本当に悲しい程無知で…。天子二人には迷惑かけっぱなしで申し訳ない…」
「常日頃からこういう場に参加しておくのも大事だと学んだわけだな」
「身に沁みました」
晴君達があれこれやっていた間に、会場にはどんどん人が集まってきていた。
雨君の確保してくれていたこの席が試合を見やすい良い席だからか、周囲を軽く見渡す限り開いている座席はほぼ見当たらなかった。
これはもう、天界のほとんどの天人が集結しているといっても過言じゃないのでは…?
物珍しそうにきょろきょろと首を動かす晴君を見て、雨君が問う。
「試験は今まで一度も見たことがないのか」
「うん。単純に興味がなくて。前は人間を見る方が良かったし」
「今もだがな」
「ま、まあ、そうですけどぉ…。違うじゃん、また、それは……」
晴君がもごもご言い淀んでいると、急に周囲がざわっと色めき立った。
誰かが近くで囁き、それが連鎖して一つの大きな喧噪を生み出す。
「光帝陛下だ!」
「今回はご自身の天子が出場するから観戦にいらしたんだ」
「ああ…っ、相変わらず光り輝く美しさ…!」
直後、晴君もその姿を目に映すことが出来た。
サラリと靡く、光に透けた金色の髪。
和服とは違う、上層の天人特有の身体にぴたりと沿うような衣服。それを纏う彼は、夕方の影のように細長く伸びた二本足を優雅に前へと進めていた。ただ歩いているだけなのに、彼の通り道に美しい光の残滓が舞っているような、思わず目が惹き付けられる存在感がある。
隣に付き従っているのは白髪の天子。きっと今日の試験者だ。
周囲に穏やかな笑みを振りまき、時折手を振る陛下。
──そんな彼の蒼い目が、僅かな一瞬、晴君と合わさった。
しかしそれはすぐに逸らされ、彼らは揃って専用の席へと案内されていく。きっとこの会場内で一番いい席に案内されるんだろう。
……一番いい席ってどこだ…?
「一瞬こっちを見たな」
「たまたまじゃない?」
あっさり応答した晴君に、雨君は重ねて告げる。
「話しかけに行かないのか」
「いやあ、そんな立場じゃないよ」
晴君は、釈然としない様子でじっ、とこちらを見つめてくる雨君に気付かないふりをした。
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