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しおりを挟む試合の準備が進む中、晴君は1人観客席を抜け、屋内の通路を歩いていた。
千晴に神力を渡すため、彼が居るであろう控え室へと向かっているところだ。
来る時にはあれだけ人で溢れていた通路も、今は皆観客席の方に移動しきったからか、まるで別の場所であるかのようにひっそりとしていた。
先程までやや激しめな喧騒の中にいたこともあり、その静寂はやけに鮮明だ。
晴君が自身の足音を意識しながら進んでいると、ふと視線の先に、1人の少年の姿を見つけた。
白い睫毛と共に伏せられていた太陽色の目が、カチ、とまるで何かの照準を合わせるようにこちらへ向けられる。
それは、会場で光帝陛下と並んで歩いていたのが記憶に新しい、白髪の天子だった。
そして今日の千晴の対戦相手でもある、今大会唯一の光の天子だ。
彼は通路の端で、壁に背中を向けるように立っていた。
誰かを待っているのだろうか。
目は合ったものの、特に話す用もなかった晴君は、小さく会釈だけしてそのまま彼の前を通り過ぎる。
しかし、
「晴れの君」
不意に背後から声を掛けられた。
思わず足を止めて振り返ると、身体ごとこちらを向いた天子が、ニコ、と愛想よく微笑む。
「はじめまして。光の天子の聖といいます。あなたの天子の今日の対戦相手です」
「あ、うん。よろしくね」
挨拶を返す晴君だったが、その後、妙な間が空いた。
……あれ、これもう行っていいやつ…?でもわざわざ呼び止めたってことは、何か僕に用があったんじゃ…?
目の前でニコニコと微笑むだけの少年──聖に若干戸惑っていた晴君だったが、彼の姿を見てあることに気がついた。
試験者である筈の彼の衣服は、晴君が会場で見た時のそれと変わっていない。
和装とは生地感の異なる、パリッとした白い服。両肩からまるで紐につるされるようにして履かれた、丈の短い黒の下衣。
非常に清潔感のある装いではあるが、それを試験の衣装とするにはやや簡素な気がした。
晴君はそこでひらめく。
もしかしてこの子、衣装に着替えるための控え室の場所が分からないんじゃないか?
周りに聞けば簡単に教えてもらえることではあるものの、幼い彼にとってそれは難しいことだったのかもしれない。
なんだ迷子かー!
一気に腑に落ちた晴君は、助け船を出すつもりで意気揚々と告げた。
「一緒に控え室行く?」
「迷子じゃありません」
迷子じゃなかったらしい。
ピシャリと返された否定の言葉と同時、聖の顔からは完全に笑みが消え失せる。
二人の間を満たす沈黙が、一気に重苦しく気まずいものに変わった。
ややあって、聖は「はあ……」とわざとらしい溜息をついたかと思うと、まるでこちらを品定めするような不躾な視線を向けてくる。
そこに、最初のような慎ましさは欠片も残っていなかった。
「これはただの事実確認なんですが、一体どんな不正をしたんですか?」
「え?」
「とぼけないでください。あなたの天子、やけに大口を叩くから調べてみれば、筆記試験で一度不合格になっているじゃないですか」
「千晴と話したことがあるんだ。あ、もしかして千晴の友達?仲良くしてくれてありがとう!」
急に親近感が湧いて表情を明るくした晴君とは対照的に、聖はその顔を盛大に歪める。
「冗談だとしてもやめてください。不愉快です。下層の天子と友人?あり得ない。ボクは寄生虫を友と呼ぶ趣味はありません」
吐き捨てるように言った彼は、そのままの調子で続けた。
「これは失望したという話です。『張り合いがあるかも』、とほんの僅かでも下層の天子に期待したのが間違いでした。いくら他のレベルが低かったのだとしても、不合格から数日そこらでボクに並ぶ成績を出すのは不自然だ。試験監督の買収ですか?カンニングでもさせました?」
「君が思っているような不正はないよ」
「含みのある言い方ですね。ボクが想像もしないような不正はしていると?」
「そうじゃない。深読みし過ぎだよ」
「躱すのがお上手だ。 ああ、これは嫌味です」
聖の背丈は千晴と同じ程で、勿論その顔は晴君よりも低い位置にある。しかし、やや顎を上向かせたその姿勢のせいで、まるで彼に見下されているかのような感じがあった。
攻撃性を隠さない強い眼光が、瞬きもなく晴君を射抜き続ける。
まるで、晴君の存在全てを余すことなく陽の元に晒すようなそれに、ほんの微か、ざらりとした感触が心の表面を撫でたような居心地の悪さがあった。
「あなた、何者なんですか?」
「え……晴君です」
「……さっきからボクのこと馬鹿にしてます?」
「そ、そんなつもりはないけど」
苛立ったように睨まれてしまって、非常に申し訳ない気持ちになる。
答え方が悪かったとも思ったが、きっとこの敵意剥き出しの彼には、どんな受け答えをしたところで悪い方にとられてしまうことだろう。
若い子難しい……。
そう思いながら晴君が身を竦めていると、聖は真剣な顔で真っ直ぐこちらを見て告げた。
「光帝陛下が、明らかにあなたのことを意識している」
その言葉は人気のない通路に反響して、やけに大きく響いた気がした。
「あの陛下が、下層のいち君主でしかないあなたなんかのことを、です」
「そんな鋭く言い直さなくても……」
「100歩譲ってそれはいいとして。──ある世代以下から、あなたに関する厳格な情報統制が敷かれているのは何故ですか?」
晴君の反応を注視しつつ、聖は続ける。
「晴君になる前の、あなたの過去についての情報が一切出てこない。そんな人、天界中を探してもあなたしかいません。一体何をしたらそんな事になるんですか?」
「あはは、何でだろうね。それについては僕も分からないや」
「……あなたがボクとまともに会話する気がないということはわかりました」
「ごめんね。本当にそんなつもりはないんだけど」
「構いません。この試験で、ボクは誰もにとって無視できない存在になる」
落ち着いた、というより一旦追及を先延ばしにした風な聖は、おもむろに自身の胸元を探ると、そこからあるものを取り出した。
「これを見てください」
ちりん
可愛らしい音を立てて聖の手元で揺れたのは、やや年季が入ったように見える、小ぶりな銀色の鈴。
聖はその場で胸を張ると、見るからに誇らしげな様子で語りだす。
「光帝陛下から直々に賜った鈴です。これは陛下が後継者に相応しいと認めたものにしか与えられない、天界で最も優れていることを示す証です」
「へえ。すごいんだね」
「当然です。殿下と呼んでくれてもいいですよ?」
「殿下」
「すぐに呼べとは言ってないんですけど!!心の準備とか必要なのわからないんですか!?これだから下層の天人は…っ!想像力というものが足りない!」
「ごっ、ごめん」
「……すー、はー……どうぞ」
「……で、殿下?」
「ふはっ、…ふははは!悪くない気分だ!」
仰け反って高笑いをする聖。
晴君はその様子にやや呆気にとられつつも、愉快な子だな…、と彼の行動の一部始終を眺めていた。
少し経って満足したのか、若干照れ臭そうにゴホン、と咳払いをした聖は、意識的に真面目な顔を作り、さも先程の事などなかったといわんばかりの態度で話を続ける。
「ともかく、先程の質問はただの興味本位ではありません。ボクはいずれ天界の統治に関わる者として、その全てを知り得ておく必要がある。陛下に選ばれなかった神力の少ない天人の無価値さや、下層で横行する不正、そして、あなたのことも」
彼はもう一度鈴を晴君の目の高さまで掲げると、その存在を誇示するかのように見せつけた。
「この試験を一位で通過すれば、鈴を完全に預けていただけると陛下に約束していただけました。つまり、この試験が終わる頃にはボクは正式に光帝殿下となり、あなたよりも上の立場になる。あなたの過去や天子の不正については、その時命令して全部吐かせます。せいぜい覚悟しておくことです」
「いいよ。分かった。……でも、そんな言葉だけの情報より、もっと大事なことをこの試験で知れたらいいね」
晴君のその言葉を、説教じみた忠告と受け取ったのか。聖は眉をひそめ、明らかに不快そうに鼻を鳴らして、くるりと踵を返した。
そして、そのまま晴君が進もうとしていた方向とは逆向きに歩き出す。
どんどん遠ざかっていく聖。その途中で、ハッ!と一足先に大事なことに気づいた晴君が、彼の背中に向かって叫んだ。
「控え室こっちだよ!」
「ボクは専用の控え室を用意してもらってますのでッッ!!」
最後まで怒らせてしまった……。
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