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35.デート?
ルートヴィヒ様に誘われた魔獣祭りの日がやってきた。
『各自目立たない服装、レーンクヴィスト家の正面玄関前、九つの鐘に集合』
……色気も何もない伝言。
私は手持ちのワンピースの中でも一番地味なものを選んだ。っていうか、普段から出勤時はこんな服装だからあまり変化はないのだけど。
待ち合わせ場所に向かうとすでにルートヴィヒ様の姿が。シャツにトラウザーズ姿というシンプルな装いなのに、どこからどう見ても貴族。……顔が整い過ぎているからだろうか。
そして使用人たちも毎朝ルートヴィヒ様を見送る時のように並んでいた。……私にまで頭を下げるのなんて、内心嫌で仕方がないでしょうね。
いろいろ思うところはあるけど、とりあえず今日は楽しもう、うん。
「……それじゃあ、行こうか」
「はい」
なぜか私の前に立ちはだかったまま動かないルートヴィヒ様。
……いや、行けよ。
困ったな、と無言のまま自分の靴を眺めていたら、彼が背中に回していた手を差し出してきた。そこには赤やピンクのガーベラの花束。
「これ……君に」
……これから出かけるのに? 微妙に気が利かない気もするけど、まあ、うれしくないことはない。「はぁ、ありがとうございます?」と受け取ると、すぐにマルセロが受け取りに来て、メイドに渡していた。何、この無駄なやり取り。
ルートヴィヒ様はそんな周囲を気にするそぶりもなく、ぽつりとつぶやいた。
「そのワンピース、かわいい」
言うや否や、回れ右をしてすたすたと歩いて行く。
……マルセロあたりに、たまには妻を褒めておけとでも言われたんだろうか。褒め慣れてないから、何の変哲もないワンピースを褒めていたけど……。まあ、いっか。
スレイプニルが引く魔獣車での移動中は、当然無言。こんな調子で本当に魔獣祭りを楽しめるのか不安に思ったものの、賑やかな音が聞こえてくると外の様子へ一気に意識が集中した。
離れた場所で降ろしてもらい、期待に胸を膨らませ街のメインストリートへ!
足を踏み入れると、目の前に広がるのは色とりどりの屋台! 響き渡る楽団の軽快な調べ、そこかしこで飛び交う笑い声。楽し気な雰囲気に思わず目を奪われる。
「うわぁ……!」
「クラリス、あっち側から見て行こう」
「は、はい」
魔獣たちをモチーフにした衣装屋、魔獣の羽根を使った工芸品に、魔獣を模したお菓子。とにかく魔獣づくしのお祭りだ。
その時、ふと真っ赤な炎のカタチをしたお菓子が目についた。
「店主さん、これは炎を模したお菓子ですか? 面白いですね」
「ひとつもらおうか」
屋台の男性に尋ねた私の横から、ルートヴィヒ様が話しかける。彼が店主に銅貨を払い、ルートヴィヒ様経由でお菓子を受け取った。
わあ、前世の綿菓子に似ているような気もするけど、炎のカタチだ。
手渡されたお菓子にさっそくかぶりついてみると、甘酸っぱいいちご味がしゅわっと口の中に広がっていく。
「んっ、おいしい……」
「……よかった。あぁ、もうすぐヒッポグリフたちのダンスが始まるから見に行こう」
祭りの熱気に包まれながら、人混みをかきわけ広場へと向かう。ちらちらと私を振り返りながら、ルートヴィヒ様が遠慮がちに口を開いた。
「その……人が多いからはぐれないように、手をつないでもいいだろうか」
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからず、足を止めてしまう。
私と手をつなぐ? そ、そんなことして、王女様はいいのかしら。
だけど、そうしている間にもお祭りで浮かれるテンション高めの人と肩がぶつかりそうに。「危ない!」と言うや否や、ルートヴィヒ様は強い力で私を引き寄せた。
「あっ……」
思いがけずその胸板に顔を寄せる格好になり、心臓が跳ねる。
白シャツ越しにも伝わる高い体温。グリーン系の爽やかな香りが鼻孔をついた。
どくん、どくん、と聞こえる心臓の音は、私のもの? それとも……。
どのくらいそうしていたのか、時間にしたら一瞬のことだったかもしれない。頭上から焦ったような声がした。
「怪我はないか? どこもぶつかってない?」
「は、はい……」
そのうち、ルートヴィヒ様が「行こう」と小さくつぶやき、私の手を握った。その背中を見上げると、黒髪からのぞく耳が真っ赤だ。
「っ……」
胸の鼓動が収まらない。
……え? なにこの状況。これじゃあまるで、初々しい恋人同士のデートみたいじゃない。
意識してしまうと余計に緊張して手がしっとりと汗ばんでくる。申し訳なくて手を離したいのに、ごつごつした男らしい大きな手が強く握って離そうとしない。
片手はルートヴィヒ様に、片手は炎のお菓子に塞がれ、私は人混みの中を俯きながら歩いた。……絶対、お菓子と同じくらい顔が赤くなっていると思う。
ようやく到着した広場も人、人、人。
人でごった返す様子は引きこもりだったクラリスには恐怖に感じるほど。
……まあ、前世の記憶が戻った今なら、ラッシュアワーの満員電車よりはマシかと思えるんだから、経験値ってすごい。それにしてもこの国の魔獣崇拝の根強さを垣間見た気がするわね。
魔獣祭りのために設置された簡易ステージでは、ヒッポグリフたちがお尻をふりふりしながら愛らしいダンスを披露していた。
いつもの威厳のある姿とは違う様子に、思わず二度見してしまったのは仕方がないと思う。
「ヒッポグリフのダンスって……なんだか今日はかわいらしいですね」
「ああ。今日は親しみやすさを演出したかったそうだ。普段の巡回で怖がられることがないようにしたいから」
「なるほど……」
そういう目的があるのかと知ると、ダンスを見る目もまた違ったものになってくる。魔獣騎士や三大魔獣がいるからこそ、王都で安心して暮らせるんだなぁなんて。
ふと隣に並ぶルートヴィヒ様にちらっと視線を送ると、その目はダンスではなく辺りを警戒するようにせわしなく動いていた。
無意識についつい警戒しちゃうのかな。きっと職業病みたいなものなんだろう。
離縁しようとしている私が言うのもなんだけど……、なんとなく、ルートヴィヒ・レーンクヴィストの妻であることが誇らしい。
ふふっ。なんだか結婚して初めてデートらしいデートをしたんじゃないかしら。そう思ったら、じんわりと胸が温かくなる。
無口で気が利かなくて、妻に冷酷な人だけど、魔獣騎士としては素晴らし――……
「あっ! ルートヴィヒ~! こっち、こっち!」
その声に後頭部をがつんと殴られたような気がした。
よく通る甲高い女性の声がする方へ顔を向けると、モーセが海を割ったように人垣が引いていく。その間から美しい金髪の美女が大きく手を振り、こちらへ向かってきた。
「ソフィア……?」
隣にいるルートヴィヒ様が呟いた名前に、頭の中が真っ白になった。
『各自目立たない服装、レーンクヴィスト家の正面玄関前、九つの鐘に集合』
……色気も何もない伝言。
私は手持ちのワンピースの中でも一番地味なものを選んだ。っていうか、普段から出勤時はこんな服装だからあまり変化はないのだけど。
待ち合わせ場所に向かうとすでにルートヴィヒ様の姿が。シャツにトラウザーズ姿というシンプルな装いなのに、どこからどう見ても貴族。……顔が整い過ぎているからだろうか。
そして使用人たちも毎朝ルートヴィヒ様を見送る時のように並んでいた。……私にまで頭を下げるのなんて、内心嫌で仕方がないでしょうね。
いろいろ思うところはあるけど、とりあえず今日は楽しもう、うん。
「……それじゃあ、行こうか」
「はい」
なぜか私の前に立ちはだかったまま動かないルートヴィヒ様。
……いや、行けよ。
困ったな、と無言のまま自分の靴を眺めていたら、彼が背中に回していた手を差し出してきた。そこには赤やピンクのガーベラの花束。
「これ……君に」
……これから出かけるのに? 微妙に気が利かない気もするけど、まあ、うれしくないことはない。「はぁ、ありがとうございます?」と受け取ると、すぐにマルセロが受け取りに来て、メイドに渡していた。何、この無駄なやり取り。
ルートヴィヒ様はそんな周囲を気にするそぶりもなく、ぽつりとつぶやいた。
「そのワンピース、かわいい」
言うや否や、回れ右をしてすたすたと歩いて行く。
……マルセロあたりに、たまには妻を褒めておけとでも言われたんだろうか。褒め慣れてないから、何の変哲もないワンピースを褒めていたけど……。まあ、いっか。
スレイプニルが引く魔獣車での移動中は、当然無言。こんな調子で本当に魔獣祭りを楽しめるのか不安に思ったものの、賑やかな音が聞こえてくると外の様子へ一気に意識が集中した。
離れた場所で降ろしてもらい、期待に胸を膨らませ街のメインストリートへ!
足を踏み入れると、目の前に広がるのは色とりどりの屋台! 響き渡る楽団の軽快な調べ、そこかしこで飛び交う笑い声。楽し気な雰囲気に思わず目を奪われる。
「うわぁ……!」
「クラリス、あっち側から見て行こう」
「は、はい」
魔獣たちをモチーフにした衣装屋、魔獣の羽根を使った工芸品に、魔獣を模したお菓子。とにかく魔獣づくしのお祭りだ。
その時、ふと真っ赤な炎のカタチをしたお菓子が目についた。
「店主さん、これは炎を模したお菓子ですか? 面白いですね」
「ひとつもらおうか」
屋台の男性に尋ねた私の横から、ルートヴィヒ様が話しかける。彼が店主に銅貨を払い、ルートヴィヒ様経由でお菓子を受け取った。
わあ、前世の綿菓子に似ているような気もするけど、炎のカタチだ。
手渡されたお菓子にさっそくかぶりついてみると、甘酸っぱいいちご味がしゅわっと口の中に広がっていく。
「んっ、おいしい……」
「……よかった。あぁ、もうすぐヒッポグリフたちのダンスが始まるから見に行こう」
祭りの熱気に包まれながら、人混みをかきわけ広場へと向かう。ちらちらと私を振り返りながら、ルートヴィヒ様が遠慮がちに口を開いた。
「その……人が多いからはぐれないように、手をつないでもいいだろうか」
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからず、足を止めてしまう。
私と手をつなぐ? そ、そんなことして、王女様はいいのかしら。
だけど、そうしている間にもお祭りで浮かれるテンション高めの人と肩がぶつかりそうに。「危ない!」と言うや否や、ルートヴィヒ様は強い力で私を引き寄せた。
「あっ……」
思いがけずその胸板に顔を寄せる格好になり、心臓が跳ねる。
白シャツ越しにも伝わる高い体温。グリーン系の爽やかな香りが鼻孔をついた。
どくん、どくん、と聞こえる心臓の音は、私のもの? それとも……。
どのくらいそうしていたのか、時間にしたら一瞬のことだったかもしれない。頭上から焦ったような声がした。
「怪我はないか? どこもぶつかってない?」
「は、はい……」
そのうち、ルートヴィヒ様が「行こう」と小さくつぶやき、私の手を握った。その背中を見上げると、黒髪からのぞく耳が真っ赤だ。
「っ……」
胸の鼓動が収まらない。
……え? なにこの状況。これじゃあまるで、初々しい恋人同士のデートみたいじゃない。
意識してしまうと余計に緊張して手がしっとりと汗ばんでくる。申し訳なくて手を離したいのに、ごつごつした男らしい大きな手が強く握って離そうとしない。
片手はルートヴィヒ様に、片手は炎のお菓子に塞がれ、私は人混みの中を俯きながら歩いた。……絶対、お菓子と同じくらい顔が赤くなっていると思う。
ようやく到着した広場も人、人、人。
人でごった返す様子は引きこもりだったクラリスには恐怖に感じるほど。
……まあ、前世の記憶が戻った今なら、ラッシュアワーの満員電車よりはマシかと思えるんだから、経験値ってすごい。それにしてもこの国の魔獣崇拝の根強さを垣間見た気がするわね。
魔獣祭りのために設置された簡易ステージでは、ヒッポグリフたちがお尻をふりふりしながら愛らしいダンスを披露していた。
いつもの威厳のある姿とは違う様子に、思わず二度見してしまったのは仕方がないと思う。
「ヒッポグリフのダンスって……なんだか今日はかわいらしいですね」
「ああ。今日は親しみやすさを演出したかったそうだ。普段の巡回で怖がられることがないようにしたいから」
「なるほど……」
そういう目的があるのかと知ると、ダンスを見る目もまた違ったものになってくる。魔獣騎士や三大魔獣がいるからこそ、王都で安心して暮らせるんだなぁなんて。
ふと隣に並ぶルートヴィヒ様にちらっと視線を送ると、その目はダンスではなく辺りを警戒するようにせわしなく動いていた。
無意識についつい警戒しちゃうのかな。きっと職業病みたいなものなんだろう。
離縁しようとしている私が言うのもなんだけど……、なんとなく、ルートヴィヒ・レーンクヴィストの妻であることが誇らしい。
ふふっ。なんだか結婚して初めてデートらしいデートをしたんじゃないかしら。そう思ったら、じんわりと胸が温かくなる。
無口で気が利かなくて、妻に冷酷な人だけど、魔獣騎士としては素晴らし――……
「あっ! ルートヴィヒ~! こっち、こっち!」
その声に後頭部をがつんと殴られたような気がした。
よく通る甲高い女性の声がする方へ顔を向けると、モーセが海を割ったように人垣が引いていく。その間から美しい金髪の美女が大きく手を振り、こちらへ向かってきた。
「ソフィア……?」
隣にいるルートヴィヒ様が呟いた名前に、頭の中が真っ白になった。
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