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ただひたすら剣を振る、お嬢様な受験生と仲良くなる。

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「終わった……いろんな意味で」


 時刻は正午過ぎ。筆記試験を終えた俺は机に突っ伏している。
 今は昼休みの時間。午後におこなわれる実技試験と面接試験、そして魔力量や身体能力などを数値化する能力測定に万全の状態で臨むため、受験生たちは英気を養っていた。


「みんな楽しそうだな」


 俺は顔を上げて、賑やかな教室を見渡す。
 まずは筆記試験という大きな山場を乗り切り、皆ひとときの安息を味わっている。


「さて、俺もそろそろ昼飯にするか」


 学生鞄を開けて弁当を取り出し、長机の上に置いた。これは母さんが用意してくれたものだ。


「――ねえ、貴方もおひとり?」


 トントン、と。後ろから控えめに肩を叩かれる。


「ん?」


 振り向いた先にいたのは、見るからにお嬢様な受験生だった。
 金色の縦巻き髪と、燃えるような紅い瞳、楚々と整った細面ほそおもてに長い睫毛。
 そのどれもが圧倒的な存在感を放っていた。簡単に言うとめっちゃ美しい。


「…………ねえ、貴方もおひとりなの?」


 縦巻き髪の少女は不安そうな顔で姿勢を正す。彼女の豊かな胸がより強調され、白いブラウスを押し上げた。


「ねえってば、聞いているの?」
「あ、ああ。悪い。聞こえているよ」


 俺がそう返すと、縦巻き髪の少女はパァッと表情を明るくさせる。
 が、彼女はすぐに表情を引き締め直し、「こほん」と咳払いした。


「じゃあどうしてすぐに返事してくれなかったの?」
「まさか試験会場で誰かに声をかけられるとは思っていなかったからな。驚いたんだよ」
「ふーん。そういうことだったの」
「で、どうした? 俺に何か用か?」
「見たところ貴方もお連れの方がいないみたいだし、一緒に昼食でもどうかと思って声をかけたのよ」
「なるほど。それはありがたいお誘いだ」


 第二大教室内に視線を巡らせると、受験生たちはいくつかのグループをつくっていた。
 お揃いの制服から察するに同じ学校の者同士で固まっているらしい。


「ひとり寂しく食べるつもりだったから助かった。知り合いもいないし」
「それはわたくしも同じですわ――じゃなかった。それはアタシも同じよ」
「?」


 頬を赤くしている彼女を見て、俺は疑問に思う。今どうして言い直したのだろうか。お嬢様みたいな口調を直そうとしている?
 まあ、それを本人に訊くのは野暮だな。今はスルーしておこう。


「あっ、それよりまずは自己紹介よね」


 縦巻き髪の少女は軽やかな足取りで俺の隣の席まで移動してきて、


「アタシの名前はリリアン・ローズブラッド。以後お見知りおきを」


 威風堂々と名乗り、最後に「リリアンって呼んでもいいわよ」と付け加える。
 彼女の所作ひとつひとつに品があって、隠しきれない育ちの良さを感じた。
 いや待てよ。その前にローズブラッドって――


「えっと、リリアンさん? 一つ訊いていいか」
「どうかした?」
「もしかしてリリアンさんの家ってさ、剣で有名な家だったりする?」


 俺の問いかけに、リリアンさんは紅玉の瞳を輝かせる。


「ええ、そうよ! アタシの生家は剣の名門ローズブラッド。古くよりこのコールブランド王国を支え、伯爵の爵位も賜わっているの。……剣聖だって輩出したことがあるんだから。だいぶ昔の話だけど」


 リリアンさんの声は尻すぼみになって消えた。


「あの有名なローズブラッド家の剣士に出会えるなんて感激だ。都会はやっぱすごいな。来てよかった」


 言いながら俺は、リリアンさんの剣に視線を向ける。
 無骨な片手半剣バスタードソードだった。一見すると、彼女の華奢な身体には不釣り合いに思えるが、剣の名門出身のリリアンさんが自分に合っていない武器を使うわけがない。
 ローズブラッドの剣技か――いずれ手合わせ願いたいな。


「ちょ、ちょっと急にどうしたの? アタシの剣を物凄い目で見てるけど……」


 いけないいけない。一人で盛り上がってしまった。
 俺は深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


「悪い。俺も一人の剣士として、気持ちが昂ってしまったんだ」
「そうだったのね。うふふ、でもその気持ちはわかるわ」


 俺とリリアンさんはどちらともなく笑い合う。剣を愛する者同士、なんとなく心が通じ合った気がした。


「ねえ、そろそろ貴方のお名前も教えてくれない?」


 そういやこっちの自己紹介がまだだったな。
 俺は「んん」と喉の調子を整えて、


「俺はギルバート・アーサー。ローズブラッド家と比較されたらきついけど、俺の実家も剣の家系でね。片田舎で剣術道場やってるんだ」
「まあ、それは素敵ね!」


 ようやく自己紹介し終えた俺たちは、持参した昼飯を食べ始める。
 喋りながら食事するのは貴族にとってマナー違反だったらどうしようとビクビクしていたが、リリアンさんはそこらへん柔軟な考え方で助かった。


「なるほど。それは興味深い話だわ!」
「ああ、剣の素振りは俺を裏切らないからな」


 俺たちはこれまで自分が歩んできた人生を語り合った。リリアンさんの話はどれも刺激的で楽しかった。


「実はアタシね、次の剣聖を目指しているのよ。だからこの学院に入学して、剣聖ハウゼン様の弟子にしてもらいたいの」
「ほう、そうなのか」


 俺たちは剣の家系に生まれたわけだが、《名門ローズブラッド家のご令嬢》と《片田舎の剣術道場の跡継ぎ》では環境がまるで違う。

 でも、一つだけ共通していることがあった。それは幼い頃より剣の美しさに魅了され、剣と共に今日まで歩んできたこと。


「貴方の愛、なかなかね。まあアタシの方が上だけど」
「いやいや、俺の方が愛しているぞ。リリアンさんの愛も立派だけど」


 俺と同じくらい剣を愛する人に出会えたのは初めてだった。本当に嬉しい。リリアンさんは同志だ。


「あら、もうこんな時間。そろそろお片付けをしないといけないわね」


 第二大教室の時計を仰ぎ見て、リリアンさんが呟いた。
 俺は彼女から淹れてもらった紅茶を一気に飲み干す。柑橘系の爽やかな香りが鼻に抜けた。


「手伝うよ」
「気が利くのね。ありがとう」
「いいっていいって。紅茶のお礼だからな。美味しかったよ」


 二人でティーポッドやらの紅茶道具を片付ける。まさか入学試験を受けに来てこんな本格的な紅茶を楽しめるとは思わなかった。
 気になる紅茶の値段だが……さすがに怖くて聞けなかった。


「お互い、午後の試験も頑張りましょうね」
「ああ。まずは実技試験だな」
「ええ」


 これから始まる実技試験の準備を終えたところで、学院のチャイムが鳴り響く。


「みなさん頭はリフレッシュできたかしら? 早速、実技試験に参りますわよ」


 再び時間通りに第二大教室に颯爽と現れたのは、青髪の貴婦人クローディア先生だった。


「実技試験会場まであたくしが先導します。準備ができた紳士淑女の方から廊下に出てお並びになって。みなさん忘れ物のないようにお気をつけてね」


 クローディア先生の指示に従い、受験生たちは荷物を持って立ち上がる。
 俺も例にもれず、忘れ物がないか確認して移動を始めたのだが――


「Mr.アーサー! Mr.アーサーはいらっしゃる?」


 何故かその途中でクローディア先生に呼び止められた。


「はい、先生」


 俺は足を止めて手を上げる。
 クローディア先生はすぐに俺を見つけて、


「Mr.アーサー。貴方は少しここで待機していてください。いいですね」
「は、はい」


 戸惑いながらそう返すと、クローディア先生は「よろしい」と微笑んだ。
 リリアンさんが去り際に「貴方、何をやらかしたの?」と小声で訊いてきたが、俺にも心当たりがなかった。

 一瞬、壊滅的な手応えだった筆記試験が頭をよぎる。点数が悪すぎてふざけていると思われたか? いや、さすがに採点もまだだろうから違うはずだ。


「…………」


 誰もいなくなった第二大教室。
 一人ドキドキしながら座っていると――


「ほほう。君がギルバート少年か」


 人のさそうなお爺さんが入ってきた。
 ノーラ先生やクローディア先生と同じ服装なので、このお爺さんも学院の先生だというのがわかった。


「ふーむ、なるほどのう……」


 お爺さんは近くまで歩み寄って来て、俺のことを観察するように眺めている。


「こ、こんにちは」


 どうしていいかわからず、俺は座ったまま挨拶してみた。


「ハッ! そうじゃ、時間ないんじゃった。面接と測定もやらねばならんし、急がねばのう」


 言うや否や、お爺さんは残像を残し、消えた。
 姿を見失った俺は辺りに視線を巡らせる。


「ギルバート君。この老いぼれについてきてくれるかな?」


 お爺さんは第二大教室の入口に立っていた。
 いや待て。今どうなった? あの人、一瞬でこの距離を移動したのか?


「どうした? はよ行くぞー」


 白い顎ひげを撫でながらこちらを見るその姿に、俺は戦慄を覚えていた。
 ジェシカさんやノーラ先生、クローディア先生にリリアンさん、そしてこのお爺さん先生。
 どうやら俺は、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったらしい。
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