姫君は幾度も死ぬ

雨咲まどか

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3.黒

呪い

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 サンザシがクローチア国王の暗殺を買って出たのは、何度も逃走を試みて失敗を重ねた末のことだった。
 その頃のサンザシはこれまでほとんど使ってこなかったのもあり魔術を上手く扱う事が出来なかった。せいぜいほんの短い間だけ時を止めたり、数刻ほどの時間だけ巻き戻す程度が限界だった。

 逃亡に失敗する度サンザシは時間を戻し続けた。しかし家族を連れての行動は何度やっても途中で失敗に終わった。魔力も底をつきかけ、最後に考えついたのがリコリスの代わりに暗殺をすることだった。国王暗殺さえ終えれば、解放して貰える。リコリスにさせる訳にはいかないから、自分がやるしかない。

 クローチア城への侵入は容易だった。時間を止めている間に城門を通り抜け、衛兵に見つかれば時間を戻して違う道を選べばいい。
 そうしてあっさりと国王の寝室まで辿り着いたサンザシは、無防備に眠る国王と王妃を見下ろして動きを止めた。

「――殺す?」

 サンザシは自分の両手のひらをみやった。殺す、のか。この人を。国王を暗殺する。言葉だけでは感じられていなかった重みが、直前になってサンザシの脳を支配していた。

 人を殺す。一体どうすればいいのだろう。サンザシは辺りを見回した。凶器がいる。調達しなくては。まるで別の人間が、頭の中で自分を操っている感覚がした。
 寝室から出て行こうと扉に手を掛ける。その瞬間、背後から低い声がした。

「何者だ」

 国王が起きてしまった。サンザシは振り返ることもせず、その場から逃げ出した。すぐに騒ぎが大きくなる。あちこちから衛兵の声が聞こえてきて、サンザシは逃げ場を失った。

 見つかる前に時間を戻そう。迷わずにそう思った。時間を戻し、またあの寝室へ。けれどどうしても、殺すことは出来なかった。時間を戻しては見つかるのを繰り返して、とうとうサンザシの魔力は尽きた。
 庭まで逃げた所で衛兵に捕らえられ、魔術を封じられた。数人がかりで押さえつけらて手を縛られてしまう。

「――デイジー様! お部屋にお戻り下さい」

 ふと、どこからか声が聞こえてきた。見上げるとバルコニーに少女が立っていた。長い髪が風に靡いている。ここからでは顔は見えなかった。
 そのままサンザシは地下牢へ閉じ込められた。自由になった腕で膝を抱える。また失敗してしまった。魔術なんて使えても、役に立たない。苦しんでいたリコリスの姿が脳裏へ浮かんだ。
 リコリスが上手くやって両親たちと城を抜け出せればいい。失敗してしまったサンザシが出来るのは祈ることだけだった。

「サンザシ」

 リコリスが自分を呼んでいる。幻聴だと思われた声は次第にこちらへ近付いて来た。

「姉さん!」

 サンザシは立ち上がり鉄格子に張り付いた。黒のローブを着たリコリスはやつれた顔をしていた。

「助けにきたよ、急いで逃げよう」

「――あれ?」

 僕のことはいいから、姉さんだけで逃げてくれ。言おうとした言葉は高い少女の声にかき消された。小柄な体躯に長い髪。先ほどバルコニーに立っていた少女だ。

 少女の登場に、リコリスは酷く動揺した。彼女が何を言っても聞き入れようとせず、小刻みに震えている。
 返事がない事に不思議がった少女がリコリスの顔を覗き込んだ時だった。リコリスの身体は眩く発光し、その光が少女を飲み込む。
 サンザシが目を開くと、リコリスと少女が共に倒れていた。

「姉さん!」

 叫んでも二人とも微動だにしなかった。しばらくすると衛兵が集まってきて、少女を運んでいった。リコリスはもう息をしていなかった。やがてその遺体もどこかへ運ばれた。
 一日が経っても、サンザシは目の前で起きた出来事を受け入れられないでいた。食事を運んでくる看守が言うことには、サンザシはよくて終身刑になるそうだった。

「国王暗殺の容疑がかかっているんだ。お前がいくら子どもだとしてもそれ以上の減刑はないだろう」

 サンザシは看守にぼんやりと頷いた。減刑されても、サンザシに行き場はない。リコリスは死んだ。両親達もどうなっているかわからない。ユバルへ帰ったところで、暗殺に失敗したサンザシがどのような扱いを受けるのか考えたくもなかった。

 牢に入って二日目のことだった。あの少女が再びサンザシの牢の前にやってきたのは。
 その日からサンザシは少女――デイジーの従者となった。この大幅な減刑のために、デイジーが丸一日かけて城中を説得して回ったのだと知ったのは暫くしてからだった。







「従者になってすぐのことでした。最初に姫様が目の前で死んだのは」

 あの時の光景は、今でも焼き付いて離れない。飛び散った血の赤さも、人形のように美しい彼女の死に顔も、折れ曲がった細い手足の形も。

「強風に煽られてバルコニーから落ちた姫様は、落ちた先の花壇に頭をぶつけて死にました。私はすぐに姫様が死ぬ前に時間をもどしてやり直しました。だけど何度時間を戻しても姫様はすぐ死んでしまう。その次は誤って毒を口にして、その次は鍛錬中の兵士が手を滑らせた剣が刺さって。あらゆる死因で姫様は命を落としました。私は姫様が死ぬ度に、時間を巻き戻した。幾度も幾度も」

 今度は絶対に失敗したくなかった。リコリスの呪いで死んでゆくデイジーを見る度に、心臓が締め付けられてまるで自分が死んだような感覚がした。
 サンザシは声が震えるのを必死で堪えた。デイジーは何も言わない。

「そのうちに、私は魔術の腕が上達し始めました。時間を操る魔術以外も扱えるようになりましたし、魔力が万全な時ならばおそらく半日近い時間を戻せるようにもなりました。けれどそれでもまだ、半日なんです。姫様が呪いを掛けられた二年前のあの日までは、私には戻せないんです」

 悔しくてたまらなかった。結局デイジーも守れなかった。こんな中途半端な魔術なんて、使えて何になったのだろう。デイジーを苦しめ続けていたのは、自分だ。

「アラン王子に言われました。僕が姫様の呪いを育てたのだと。姉さんの呪いはここまで強力なものではなかった筈なんです」

「……サンザシ」

 そっと口を開いたデイジーの声音は、どこまでも柔らかかった。まるで慈しむように、彼女は両手を伸ばしてサンザシの頭を撫でた。

「姫様」

「私、不思議と嬉しいの」

「……うれしい?」

「やっぱり、サンザシは生きて欲しいな。生きて、ずっと私のことを想い続けて。これは従者として最後の仕事だよ。誰と結婚しても、心のどこかに私を残して。それだけでいいの」

 言い終えて彼女は目を閉じた。ひどくゆったりと、腕が下りてゆく。力の抜けた手を握りしめると体温の高い彼女に似合わない冷たい指先だった。

 デイジーの瞼は固く閉ざされたまま開かない。

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