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3.黒
姫君は幾度も
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クローチア城の庭に馬車は止った。太陽は姿を消して、丸い月が昇り始めていた。
サンザシはデイジーを抱いて馬車を降りる。突然の事態に集まってきた使用人と衛兵たちをアランとカトレアが鎮めた。
大勢に囲まれながらデイジーの部屋まで行き、ベッドへ寝かせる。微かな呼吸だけが彼女の生を証明していた。
「――デイジー!」
扉が勢いよく開かれ、国王と王妃が揃って姿を現した。その後ろには第一王子であるルークが立っている。まだ十に満たない幼い世継ぎは、不安そうに王妃のドレスを掴んでいた。
青白い顔でベッドへ横たわるデイジーの姿を見て、国王は目に角を立ててサンザシに詰め寄った。
「貴様、なんてことをしてくれたんだ」
全身を戦慄かせる国王にサンザシは唇を引き結んだ。大きな拳が頬にめり込む。吹き飛んだサンザシは棚にぶつかり、花瓶が割れる音に女中たちから悲鳴が上がった。
怒りの収まらない国王がまたサンザシに近付こうとすると、カトレアが立ちふさがった。
「お父様そこまでにしてください。まだ意識がある時にデイジーから頼まれたの。お父様にサンザシを責めさせないでって。……最後のお願いだって」
カトレアは泣き出していた。アランがその肩を抱き、部屋が静まりかえる。
気が付くと城中の使用人達がデイジーの部屋に集まっていた。下働きの者たちも扉の外から様子を窺っている。
細い声でハリィが鳴く声が響き渡る。純白の龍は動かないデイジーの枕元に下り立って鳴き続けた。
「……心臓が、止ったわ」
手を握っていた王妃が小さく溢した。サンザシは立ち上がり、使用人達をかき分けてデイジーの側で膝をついた。
ころころと変わっていた彼女の表情がもう動かない。星屑を散りばめたように輝いていた瞳はもうサンザシを映さない。よく動く唇が高い声で名を呼ぶことは、もうない。もうないのだ。時間を戻しても、この結末は変わらない。幾度も死んだ彼女を蘇らせてきたのに、もうサンザシではなんの力も及ばない。
「僕も死なせてよ」
デイジーは、最後の最後までサンザシに呪いをかけ続けた。命じられたりしなくても、忘れることなど出来る訳がなかったのに。
白龍の赤い瞳から涙の粒が流れた。小さな雫はデイジーの目尻に落ちて、まるで彼女が泣いているようだった。
瞬間、ぽろぽろとこぼれ落ちてゆくハリィの涙が輝きを放ち始めた。デイジーの頬で淡く光っては消える。
バルコニーの扉にかかっているレースのカーテンが翻る。強風が部屋の中を駆け抜けた。
訝しがったアランがカーテンを開くと、そこには大きな龍の顔があった。
巨大な白龍が、バルコニーに前足を掛けて翼をはためかせている。
大きな口が開く。部屋中の調度品が揺れる。その刹那、一面が白い霧で覆われた。
サンザシは霧の中でデイジーの手を取った。月光を反射してきらきらと輝く白いもやの向こうで、大きな龍の肢体が傾くのが見えた。
沈黙が支配する空間の中でサンザシは目を瞠る。掴んだ手を、冷えた指先が握り返してくるのを確かに感じた。
色を無くした唇が薄く開かれる。濃い睫毛が緩やかに持ち上がり隙間から深い緑色が覗く。
世界で一番好きな瞳が、サンザシを映した。
純白の場所にデイジーはいた。ふかふかと雲のようなものが敷き詰められていて、一歩足を進める毎に心ごと跳ねるようで心地いい。
初めて来る筈なのに、もう何度も何度もここへ来たことがあるような気がする。それこそ、数え切れないほどに。
歩き続けるとハリィの鳴き声が聞こえてきた。声のする方へ駆け出す。どこもかしこも白いこの場所では、どれほど歩いても進めている感覚がない。
不意に、何かにぶつかってデイジーは尻餅をついた。目を擦るとティリトルフの山で会ったハリィの親龍がこちらを見下ろしていた。
「わ、ごめんなさい。真っ白だから、見えなくて」
慌てて立ち上がり、礼をする。親龍は目を細めてデイジーに会釈を返した。
「ずいぶん、私の子が悲しんでいるようだ」
中性的な響きを持つ声がしてデイジーは瞬きをした。どうやら親龍が話しているらしい。龍って人間と話も出来るんだなあ。それは素晴らしく感動的なことだと思った。
ハリィの鳴き声がずっと聞こえている。
「もっと一緒にいたかったけれど、私にはもう出来ないみたいなんです。きちんとお別れを言えなくて申し訳なかったなあ」
「私の代わりに、あの子と一緒にいてやってくれないか」
「白龍様の代わりに?」
「私はもう何百年も生きた。残りの命を君にあげたい」
「そんな、私には身に余ります」
「この命はあの時失うはずだった。それが少し伸びただけだ。お陰で子どもの顔を見られたよ」
大きな龍の身体が粒子のようになって、純白に溶けてゆく。白い世界が崩れて黒に染まる。デイジーは固く目を閉じた。
誰かに手を引かれている。握り返すと瞼の向こうが明るくなった。
ゆっくりと目を開ける。すぐそこにサンザシの顔があった。見開かれた蜂蜜色の瞳から涙が次々と溢れてきてデイジーの手を濡らす。泣きすぎだよ。初めて見る彼の子どもっぽい泣き顔に、胸の奥があたたかくなる。ああ、愛しいなあ。
サンザシはデイジーを抱いて馬車を降りる。突然の事態に集まってきた使用人と衛兵たちをアランとカトレアが鎮めた。
大勢に囲まれながらデイジーの部屋まで行き、ベッドへ寝かせる。微かな呼吸だけが彼女の生を証明していた。
「――デイジー!」
扉が勢いよく開かれ、国王と王妃が揃って姿を現した。その後ろには第一王子であるルークが立っている。まだ十に満たない幼い世継ぎは、不安そうに王妃のドレスを掴んでいた。
青白い顔でベッドへ横たわるデイジーの姿を見て、国王は目に角を立ててサンザシに詰め寄った。
「貴様、なんてことをしてくれたんだ」
全身を戦慄かせる国王にサンザシは唇を引き結んだ。大きな拳が頬にめり込む。吹き飛んだサンザシは棚にぶつかり、花瓶が割れる音に女中たちから悲鳴が上がった。
怒りの収まらない国王がまたサンザシに近付こうとすると、カトレアが立ちふさがった。
「お父様そこまでにしてください。まだ意識がある時にデイジーから頼まれたの。お父様にサンザシを責めさせないでって。……最後のお願いだって」
カトレアは泣き出していた。アランがその肩を抱き、部屋が静まりかえる。
気が付くと城中の使用人達がデイジーの部屋に集まっていた。下働きの者たちも扉の外から様子を窺っている。
細い声でハリィが鳴く声が響き渡る。純白の龍は動かないデイジーの枕元に下り立って鳴き続けた。
「……心臓が、止ったわ」
手を握っていた王妃が小さく溢した。サンザシは立ち上がり、使用人達をかき分けてデイジーの側で膝をついた。
ころころと変わっていた彼女の表情がもう動かない。星屑を散りばめたように輝いていた瞳はもうサンザシを映さない。よく動く唇が高い声で名を呼ぶことは、もうない。もうないのだ。時間を戻しても、この結末は変わらない。幾度も死んだ彼女を蘇らせてきたのに、もうサンザシではなんの力も及ばない。
「僕も死なせてよ」
デイジーは、最後の最後までサンザシに呪いをかけ続けた。命じられたりしなくても、忘れることなど出来る訳がなかったのに。
白龍の赤い瞳から涙の粒が流れた。小さな雫はデイジーの目尻に落ちて、まるで彼女が泣いているようだった。
瞬間、ぽろぽろとこぼれ落ちてゆくハリィの涙が輝きを放ち始めた。デイジーの頬で淡く光っては消える。
バルコニーの扉にかかっているレースのカーテンが翻る。強風が部屋の中を駆け抜けた。
訝しがったアランがカーテンを開くと、そこには大きな龍の顔があった。
巨大な白龍が、バルコニーに前足を掛けて翼をはためかせている。
大きな口が開く。部屋中の調度品が揺れる。その刹那、一面が白い霧で覆われた。
サンザシは霧の中でデイジーの手を取った。月光を反射してきらきらと輝く白いもやの向こうで、大きな龍の肢体が傾くのが見えた。
沈黙が支配する空間の中でサンザシは目を瞠る。掴んだ手を、冷えた指先が握り返してくるのを確かに感じた。
色を無くした唇が薄く開かれる。濃い睫毛が緩やかに持ち上がり隙間から深い緑色が覗く。
世界で一番好きな瞳が、サンザシを映した。
純白の場所にデイジーはいた。ふかふかと雲のようなものが敷き詰められていて、一歩足を進める毎に心ごと跳ねるようで心地いい。
初めて来る筈なのに、もう何度も何度もここへ来たことがあるような気がする。それこそ、数え切れないほどに。
歩き続けるとハリィの鳴き声が聞こえてきた。声のする方へ駆け出す。どこもかしこも白いこの場所では、どれほど歩いても進めている感覚がない。
不意に、何かにぶつかってデイジーは尻餅をついた。目を擦るとティリトルフの山で会ったハリィの親龍がこちらを見下ろしていた。
「わ、ごめんなさい。真っ白だから、見えなくて」
慌てて立ち上がり、礼をする。親龍は目を細めてデイジーに会釈を返した。
「ずいぶん、私の子が悲しんでいるようだ」
中性的な響きを持つ声がしてデイジーは瞬きをした。どうやら親龍が話しているらしい。龍って人間と話も出来るんだなあ。それは素晴らしく感動的なことだと思った。
ハリィの鳴き声がずっと聞こえている。
「もっと一緒にいたかったけれど、私にはもう出来ないみたいなんです。きちんとお別れを言えなくて申し訳なかったなあ」
「私の代わりに、あの子と一緒にいてやってくれないか」
「白龍様の代わりに?」
「私はもう何百年も生きた。残りの命を君にあげたい」
「そんな、私には身に余ります」
「この命はあの時失うはずだった。それが少し伸びただけだ。お陰で子どもの顔を見られたよ」
大きな龍の身体が粒子のようになって、純白に溶けてゆく。白い世界が崩れて黒に染まる。デイジーは固く目を閉じた。
誰かに手を引かれている。握り返すと瞼の向こうが明るくなった。
ゆっくりと目を開ける。すぐそこにサンザシの顔があった。見開かれた蜂蜜色の瞳から涙が次々と溢れてきてデイジーの手を濡らす。泣きすぎだよ。初めて見る彼の子どもっぽい泣き顔に、胸の奥があたたかくなる。ああ、愛しいなあ。
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