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第三章 灰色の対極
3-10 それで誰だっけ?
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「いやあ、久しぶりに会えて僕は嬉しいよ。まさか不登校になるだなんてそんなこと想像すらしていなかったからさぁ。
それで誰だっけ?」
「……相変わらず元気そうですね立花先生」
魔法教室に来て早々、そんな言葉を吐かれるけれども、彼は悪びれることもなく、にやにやした表情で僕と葵を見つめる。
「……ヤったの?」
「そんな不健全な言葉を教師が使わないでください」
葵は呆れながら返す。
なんというかいつも通りの光景、という感じだ。
「流石にここ最近来ていなかったから、もう魔法なんて使わない、ってそう選択を決めたのかな、って思ったけれど、ようやくやる気になったみたいだね」
「──いや、そういうわけではないんですが」
ここに来たのは魔法を使うためではない。その気持ちについては吹っ切ることができているような気がする。気がするだけだけれど。
「それならなぜここに?くろ──じゃなくて、魔法について知りたいんじゃないのかい?」
「ええと、ここに来たのは天音に会いに来て……」
「──……アマネ?」
立花先生は、そうつぶやく。
「環がなんか天音さんと話したいみたいなんですよ。ムカつくけど……」
「おお、なんか葵ちゃん嫉妬心がマックスだね。いよいよ婚姻というところまで来ているのかな、それはそれはいいことだけれども──」
それはそれとして、と立花先生は付け加えながら。
「──アマネって誰?」
──質の悪い冗談を、呟いたのだ。
◇
「──は?」
僕は流石に質の悪い冗談に悪態をついた。
「当人がいる状況で言うならまだしも、当人がいない状況で言うなら、流石にそれは悪口だと思いますけど」
「いやいや、悪口も何も、ねぇ?」
何を言っているのかわからない、というように立花先生は呟く。
「ま、待ってください。あの子ですよ?白い髪で赤い目の、すごくファンタジー的な女の子ですよ?」
葵がそう付け足すけれど、立花先生はやはりわからない、というような表情で僕たちを見つめる。
「……そんな子がいたら、流石に僕も忘れないと思うけどなぁ」
「……ええと、あれですよ。ほら。前、僕が魔法使えないときに反発の練習に付き合ってくれた子。炎を炎で相殺した天音ですよ。立花先生も、素養が化け物だって言っていたじゃないですか」
「……何を言ってるんだい。炎に炎を合わせたら大きく燃え上がるだけだろうに。寝言は寝て言いなよ」
「……でも、でも」
なんとか言葉を紡ごうと、彼女の情報を思い出すけれど、──それ以上に思い出せない。
記憶が無くなったわけではない。彼女についての情報を、もともと僕は少ない材料でしかもっていなかったのだ。
「環、もうやめよ?」
「……でも、葵」
「立花先生が覚えていないって言うのなら、それは本当に覚えていないんだよ」
「僕に信頼があるのは嬉しいなぁ!教師冥利に尽きるってね! でも、本当にアマネなんていう子はここにはいなかったと──」
──聞きたくない。
──聞けば、足元が崩れそうな感覚がする。
──自分の記憶を疑うべき、というそんな感覚が、どうしようもなく不安に感じる。
「……他の人たちは覚えているのかもしれないから聞いてみよ。明楽くんとか、雪冬くんとかに聞けば、何か教えてくれるかも」
「……そう、だね」
葵の言葉にどこか縋るように返事をする。
どこか、夢であってほしい、という感覚が心を包んだ。
◇
「……誰?それ?」
明楽に聞いても覚えていない。
「……誰のことですか」
雪冬に聞いても、やはり覚えていない。
これ以上に聞く相手もいない。
──誰も、天王寺 天音のことを覚えていない。
僕と、葵以外、誰も彼女のことを覚えていない。
◇
「……どうしたもんかねぇ」
老人のような口調で葵は呟いた。
「……さあ」
──どうすればいいのかわからない。
どこか、僕が魔法教室に行けば、なんだかんだ会えるような気がしていたから、それ以上にどうすればいいのかよくわからない。
──僕は彼女のことについて知らなすぎる。
葵が言っていたように、彼女のことについては何も知らない。そして、その例外に漏れることなく、ほかの人間も彼女のことを知らない。
どうすればいい。この異常な事態をどうすればいい。
自分の正体を知るにも、その先の末路を決めるにしても、何も始まらない予感がどうしようもなく心を占有して仕方がない。
──僕は、誰だ?
不安が、すべてを覆っていく。すべてを覆って──。
『仕方ないわよ。だって、記憶消されてるし』
そうして過る母の言葉。
『それで確かにあんたのお父さんと朱音の記憶を消しているんだから、神父ってすごいわねぇ』
そんな神父がいるわけがない。そんな神父がいるわけがないだろう。
……でも、合致するところがある。
天使がどうとか、神父がどうとか。正直よくわかっていない。
でも、彼女は僕のことを知っていると、すべてを知っていると、そう話してくれた。
それなら、もしかしたら僕の過去にかかわる部分に彼女はいるのかもしれない。
「──葵」
「なんでございましょ」
思い当たることがあって、僕は彼女に言葉をつぶやく。
「明日、保育園に行こう」
「……ちょっと流石に気が早くない?」
……この女は今の言葉で何をとらえたんだよ。
それで誰だっけ?」
「……相変わらず元気そうですね立花先生」
魔法教室に来て早々、そんな言葉を吐かれるけれども、彼は悪びれることもなく、にやにやした表情で僕と葵を見つめる。
「……ヤったの?」
「そんな不健全な言葉を教師が使わないでください」
葵は呆れながら返す。
なんというかいつも通りの光景、という感じだ。
「流石にここ最近来ていなかったから、もう魔法なんて使わない、ってそう選択を決めたのかな、って思ったけれど、ようやくやる気になったみたいだね」
「──いや、そういうわけではないんですが」
ここに来たのは魔法を使うためではない。その気持ちについては吹っ切ることができているような気がする。気がするだけだけれど。
「それならなぜここに?くろ──じゃなくて、魔法について知りたいんじゃないのかい?」
「ええと、ここに来たのは天音に会いに来て……」
「──……アマネ?」
立花先生は、そうつぶやく。
「環がなんか天音さんと話したいみたいなんですよ。ムカつくけど……」
「おお、なんか葵ちゃん嫉妬心がマックスだね。いよいよ婚姻というところまで来ているのかな、それはそれはいいことだけれども──」
それはそれとして、と立花先生は付け加えながら。
「──アマネって誰?」
──質の悪い冗談を、呟いたのだ。
◇
「──は?」
僕は流石に質の悪い冗談に悪態をついた。
「当人がいる状況で言うならまだしも、当人がいない状況で言うなら、流石にそれは悪口だと思いますけど」
「いやいや、悪口も何も、ねぇ?」
何を言っているのかわからない、というように立花先生は呟く。
「ま、待ってください。あの子ですよ?白い髪で赤い目の、すごくファンタジー的な女の子ですよ?」
葵がそう付け足すけれど、立花先生はやはりわからない、というような表情で僕たちを見つめる。
「……そんな子がいたら、流石に僕も忘れないと思うけどなぁ」
「……ええと、あれですよ。ほら。前、僕が魔法使えないときに反発の練習に付き合ってくれた子。炎を炎で相殺した天音ですよ。立花先生も、素養が化け物だって言っていたじゃないですか」
「……何を言ってるんだい。炎に炎を合わせたら大きく燃え上がるだけだろうに。寝言は寝て言いなよ」
「……でも、でも」
なんとか言葉を紡ごうと、彼女の情報を思い出すけれど、──それ以上に思い出せない。
記憶が無くなったわけではない。彼女についての情報を、もともと僕は少ない材料でしかもっていなかったのだ。
「環、もうやめよ?」
「……でも、葵」
「立花先生が覚えていないって言うのなら、それは本当に覚えていないんだよ」
「僕に信頼があるのは嬉しいなぁ!教師冥利に尽きるってね! でも、本当にアマネなんていう子はここにはいなかったと──」
──聞きたくない。
──聞けば、足元が崩れそうな感覚がする。
──自分の記憶を疑うべき、というそんな感覚が、どうしようもなく不安に感じる。
「……他の人たちは覚えているのかもしれないから聞いてみよ。明楽くんとか、雪冬くんとかに聞けば、何か教えてくれるかも」
「……そう、だね」
葵の言葉にどこか縋るように返事をする。
どこか、夢であってほしい、という感覚が心を包んだ。
◇
「……誰?それ?」
明楽に聞いても覚えていない。
「……誰のことですか」
雪冬に聞いても、やはり覚えていない。
これ以上に聞く相手もいない。
──誰も、天王寺 天音のことを覚えていない。
僕と、葵以外、誰も彼女のことを覚えていない。
◇
「……どうしたもんかねぇ」
老人のような口調で葵は呟いた。
「……さあ」
──どうすればいいのかわからない。
どこか、僕が魔法教室に行けば、なんだかんだ会えるような気がしていたから、それ以上にどうすればいいのかよくわからない。
──僕は彼女のことについて知らなすぎる。
葵が言っていたように、彼女のことについては何も知らない。そして、その例外に漏れることなく、ほかの人間も彼女のことを知らない。
どうすればいい。この異常な事態をどうすればいい。
自分の正体を知るにも、その先の末路を決めるにしても、何も始まらない予感がどうしようもなく心を占有して仕方がない。
──僕は、誰だ?
不安が、すべてを覆っていく。すべてを覆って──。
『仕方ないわよ。だって、記憶消されてるし』
そうして過る母の言葉。
『それで確かにあんたのお父さんと朱音の記憶を消しているんだから、神父ってすごいわねぇ』
そんな神父がいるわけがない。そんな神父がいるわけがないだろう。
……でも、合致するところがある。
天使がどうとか、神父がどうとか。正直よくわかっていない。
でも、彼女は僕のことを知っていると、すべてを知っていると、そう話してくれた。
それなら、もしかしたら僕の過去にかかわる部分に彼女はいるのかもしれない。
「──葵」
「なんでございましょ」
思い当たることがあって、僕は彼女に言葉をつぶやく。
「明日、保育園に行こう」
「……ちょっと流石に気が早くない?」
……この女は今の言葉で何をとらえたんだよ。
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