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第28話 崩れるアリバイ①
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やかんを火にかけながら、流し台で急須を洗う。
燃える火の音と流れる水の音を聞きながら、優奈は考えていた。
優奈を襲ったのは吸血鬼で間違いない。ただその吸血鬼が真垣だとすると、不完全ながらもアリバイがあって一連の事件の犯人だとは断定できない。任意同行を求めることも可能だが、証言の裏付けもない。更に物証もないとなると、嫌疑を否認されればそれまでだろう。
(何か……)
なんだか、引っかかるような気がした。
喉のところに何かが詰まって、飲み込めない感覚。まるで、小魚の骨でも引っかかった時のよう。
この違和感は、何だろう。
漠然とそう思った時、やかんの蓋がカタカタと激しく動き出した。お湯が沸いたのだ。このやかんは笛吹きがついていないため、うっかりすると吹きこぼれしてしまう。
優奈は慌てて火を止めた。
急須に茶葉を入れ、新しい湯飲みにお湯を注ぐ。それから湯飲みに入れたお茶を急須に移し替えて、蓋。茶葉を蒸らしていく。
紅茶や焙じ茶は熱湯で淹れた方が美味しいというが、緑茶の場合はあまり高い温度で淹れると苦味や渋みばかりが出て、甘みがあまり抽出されない。先に湯飲みにお湯を入れるのは、カップを温めるためと、お湯の温度を下げる目的がある。
ちなみに新のマグカップには適当量のインスタントコーヒーを入れて、やかんからダイレクトに熱湯を注いだ。
と、茶葉を蒸らしている間に優奈は思い出す。そういえば、昨日帆理に貰ったケーキがまだあったはずだ。緑茶にケーキというのも邪道かも知れないが、帆理は確か洋菓子が好きだったはず。昨日のでちょっと申し訳ないけど、折角だから食べてもらおう。
そう思って冷蔵庫を開け――
「あ……」
綺麗なケーキの隣の皿。不格好に崩れたケーキの載った皿を見つけ、優奈は固まった。
そうだ。ケーキは四つ。半分は優奈が持ち帰った。けれど、途中で落としてしまったのだ。
――真垣と遭って。
何故だか唐突に、にこりと微笑んだ真垣綾子の青白い顔が浮かんだ。
「? どうした、ユウ?」
冷蔵庫を開いたまま固まった優奈に、新が怪訝そうに声を掛ける。
「新さん……」
庫内を見たまま、優奈は震える唇を動かした。
「屍鬼は吸血鬼のなり損ない……眷属化の失敗だって言いましたよね」
「そうだが」
「眷属は……主である吸血鬼意のままに操れる下僕、なんですよね」
だとしたら――だとしたら。
「屍鬼も従属するんですか?」
その問いに新と、居間にいる帆理が眉を顰めた。
「実は、昨日……会ったんです。真垣さんと」
「会っただと?」
新の声が低まる。
「どうして今まで黙ってた」
それは責めているというよりは、苛立っているような声だった。
「忘れてたんです! 昨日は記憶が戻ってそれどころじゃなかったし……それに真垣さんとはほんの数分立ち話で挨拶をしたぐらいですし」
「なんともなかった?」
「は、はい……駅で、人目もありましたし……ただ、その時、一緒に居た奥さんが、なんだか前と雰囲気が違う気がしたんです。青白いほど色白で、静かににっこりと笑うだけで……そう――」
あれはなんだか――
「なんだか、死体が微笑んでるみたいだったんです」
ハッとしたように、新と帆理が顔を見合わせる。
「屍鬼……眷属、従属……」
新は口元に手を当てたと思うと、ぶつぶつと独り言と共に考え込み始めた。その表情は、今まで見たことがないほど怖い顔をしている。
立ち上がった帆理が、新に尋ねた。
「どうなんだ?」
「試したこともないし、試そうと思った事もない。だが……理論上は不可能じゃない。眷属への命令は、魔眼の暗示とは違う。科学的に言うなら、魔眼が光パターンによる催眠術なら、眷属を操ることは血を操作することに近い。こういう風に」
と言って新は、掲げた手の平の上にコウモリを作り出してみせる。数日前に見せてもらった、吸血鬼の能力の一つ――分身体だ。
「これは直接血を操って作ってる。眷属も同じだ。眷属の中に流し込んだ自分の血を操作してる感覚に近い」
「なら――」
「あぁそうだ。クソッ」
悪態と共に、新がぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「おおよそお前の想像通りだよ。真垣綾子はおそらく死んでる」
半ば予想していた、けれどあって欲しくなかった結論に、優奈は言葉を失った。
「おそらく、そもそもの始まりが、真垣綾子の殺害だった。死んで自分の眷属《人形》になるんだ。離婚する必要なんてなくなる。そこからどうして急に、人を襲い始めたかは分からないが――いや」
早口に語る。脳内ではいくつもの思考が並行に、高速で回り続けているのだろう。自身の言葉を否定して、新は続ける。
「真垣は、真垣綾子殺害の前後で、吸血鬼として目覚めた可能性が高い」
「目覚めた?」
その言い方に、優奈は引っかかりを覚える。
「前に言っただろ。俺や鬼藤の鬼娘みたいな存在は人間に近い。天狗も当てはまりはするが……一部の妖は人との間に子を成すことができるんだ。ただし、人と交われば交わるほど、世代を重ねるほどに、妖としての力や特徴は薄くなる傾向にある。おそらく真垣もそのタイプだ」
「吸血鬼の……末裔ってことですか?」
「多分な。今まではただの人間として生きていた。それがなんらかのきっかけで、吸血鬼としての特性が目覚めたんだ。だとしたら急に事件を起こした理由も合点がいく。おそらくやつは吸血衝動をコントロールできていない」
吸血鬼になりたての、優奈の時のように。
「――屍鬼事件の被害者の内、何人かはおそらく、綾子の餌だ。屍鬼も身体を維持するためには、人の血が必要になる。実行犯が真垣じゃないなら、アリバイが成立してて当然だ」
要は、複数犯による犯行だったということだ。
ただしその犯人たちは、たった一人の黒幕によって完全に操作された、ただの傀儡だ。
「――帆理」
新が帆理を見る。
「今すぐ真垣綾子の所在を確認しろ」
「言われなくても」
その視線に、帆理は力強く頷いた。
燃える火の音と流れる水の音を聞きながら、優奈は考えていた。
優奈を襲ったのは吸血鬼で間違いない。ただその吸血鬼が真垣だとすると、不完全ながらもアリバイがあって一連の事件の犯人だとは断定できない。任意同行を求めることも可能だが、証言の裏付けもない。更に物証もないとなると、嫌疑を否認されればそれまでだろう。
(何か……)
なんだか、引っかかるような気がした。
喉のところに何かが詰まって、飲み込めない感覚。まるで、小魚の骨でも引っかかった時のよう。
この違和感は、何だろう。
漠然とそう思った時、やかんの蓋がカタカタと激しく動き出した。お湯が沸いたのだ。このやかんは笛吹きがついていないため、うっかりすると吹きこぼれしてしまう。
優奈は慌てて火を止めた。
急須に茶葉を入れ、新しい湯飲みにお湯を注ぐ。それから湯飲みに入れたお茶を急須に移し替えて、蓋。茶葉を蒸らしていく。
紅茶や焙じ茶は熱湯で淹れた方が美味しいというが、緑茶の場合はあまり高い温度で淹れると苦味や渋みばかりが出て、甘みがあまり抽出されない。先に湯飲みにお湯を入れるのは、カップを温めるためと、お湯の温度を下げる目的がある。
ちなみに新のマグカップには適当量のインスタントコーヒーを入れて、やかんからダイレクトに熱湯を注いだ。
と、茶葉を蒸らしている間に優奈は思い出す。そういえば、昨日帆理に貰ったケーキがまだあったはずだ。緑茶にケーキというのも邪道かも知れないが、帆理は確か洋菓子が好きだったはず。昨日のでちょっと申し訳ないけど、折角だから食べてもらおう。
そう思って冷蔵庫を開け――
「あ……」
綺麗なケーキの隣の皿。不格好に崩れたケーキの載った皿を見つけ、優奈は固まった。
そうだ。ケーキは四つ。半分は優奈が持ち帰った。けれど、途中で落としてしまったのだ。
――真垣と遭って。
何故だか唐突に、にこりと微笑んだ真垣綾子の青白い顔が浮かんだ。
「? どうした、ユウ?」
冷蔵庫を開いたまま固まった優奈に、新が怪訝そうに声を掛ける。
「新さん……」
庫内を見たまま、優奈は震える唇を動かした。
「屍鬼は吸血鬼のなり損ない……眷属化の失敗だって言いましたよね」
「そうだが」
「眷属は……主である吸血鬼意のままに操れる下僕、なんですよね」
だとしたら――だとしたら。
「屍鬼も従属するんですか?」
その問いに新と、居間にいる帆理が眉を顰めた。
「実は、昨日……会ったんです。真垣さんと」
「会っただと?」
新の声が低まる。
「どうして今まで黙ってた」
それは責めているというよりは、苛立っているような声だった。
「忘れてたんです! 昨日は記憶が戻ってそれどころじゃなかったし……それに真垣さんとはほんの数分立ち話で挨拶をしたぐらいですし」
「なんともなかった?」
「は、はい……駅で、人目もありましたし……ただ、その時、一緒に居た奥さんが、なんだか前と雰囲気が違う気がしたんです。青白いほど色白で、静かににっこりと笑うだけで……そう――」
あれはなんだか――
「なんだか、死体が微笑んでるみたいだったんです」
ハッとしたように、新と帆理が顔を見合わせる。
「屍鬼……眷属、従属……」
新は口元に手を当てたと思うと、ぶつぶつと独り言と共に考え込み始めた。その表情は、今まで見たことがないほど怖い顔をしている。
立ち上がった帆理が、新に尋ねた。
「どうなんだ?」
「試したこともないし、試そうと思った事もない。だが……理論上は不可能じゃない。眷属への命令は、魔眼の暗示とは違う。科学的に言うなら、魔眼が光パターンによる催眠術なら、眷属を操ることは血を操作することに近い。こういう風に」
と言って新は、掲げた手の平の上にコウモリを作り出してみせる。数日前に見せてもらった、吸血鬼の能力の一つ――分身体だ。
「これは直接血を操って作ってる。眷属も同じだ。眷属の中に流し込んだ自分の血を操作してる感覚に近い」
「なら――」
「あぁそうだ。クソッ」
悪態と共に、新がぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「おおよそお前の想像通りだよ。真垣綾子はおそらく死んでる」
半ば予想していた、けれどあって欲しくなかった結論に、優奈は言葉を失った。
「おそらく、そもそもの始まりが、真垣綾子の殺害だった。死んで自分の眷属《人形》になるんだ。離婚する必要なんてなくなる。そこからどうして急に、人を襲い始めたかは分からないが――いや」
早口に語る。脳内ではいくつもの思考が並行に、高速で回り続けているのだろう。自身の言葉を否定して、新は続ける。
「真垣は、真垣綾子殺害の前後で、吸血鬼として目覚めた可能性が高い」
「目覚めた?」
その言い方に、優奈は引っかかりを覚える。
「前に言っただろ。俺や鬼藤の鬼娘みたいな存在は人間に近い。天狗も当てはまりはするが……一部の妖は人との間に子を成すことができるんだ。ただし、人と交われば交わるほど、世代を重ねるほどに、妖としての力や特徴は薄くなる傾向にある。おそらく真垣もそのタイプだ」
「吸血鬼の……末裔ってことですか?」
「多分な。今まではただの人間として生きていた。それがなんらかのきっかけで、吸血鬼としての特性が目覚めたんだ。だとしたら急に事件を起こした理由も合点がいく。おそらくやつは吸血衝動をコントロールできていない」
吸血鬼になりたての、優奈の時のように。
「――屍鬼事件の被害者の内、何人かはおそらく、綾子の餌だ。屍鬼も身体を維持するためには、人の血が必要になる。実行犯が真垣じゃないなら、アリバイが成立してて当然だ」
要は、複数犯による犯行だったということだ。
ただしその犯人たちは、たった一人の黒幕によって完全に操作された、ただの傀儡だ。
「――帆理」
新が帆理を見る。
「今すぐ真垣綾子の所在を確認しろ」
「言われなくても」
その視線に、帆理は力強く頷いた。
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