~幽世ノ華~ 江戸天竜堂検死秘帖

横溝周一郎

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序章

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 先程までの抜ける様な青空は、薄暗い暗雲に包み込まれていた。まだ夕方、青天なれば夕焼けの一つでも見える頃。だがこの薄曇りは、夜中と錯覚させた。
 その事件は、江戸の郊外たる目黒の御狩場で発生した。
 徳川12代将軍、徳川家慶の治世。長きに渡り徳川幕府は泰平の世を謳歌していたが、今将軍家は未曽有の危機を迎えていた。世継の徳川家定とくがわいえさだ、後の十三代将軍であるもこの頃にはまだ二十歳にならぬ若年。家定は従来病弱な上に言語不明瞭、その上極度の人嫌いで人前に出る事を極端に嫌っていた。だが、今回は父の顔を立てる為に数名の近習を連れて鷹狩に興じていた。家慶は家定の華奢な体を治すべく、今でいうリハビリに熱心であった。今回の鷹狩もまた、心身及び社交性を鍛える為の行事と言う訳だ。
 ケンッと言う音がこだました。近くで雉でも鳴いているかと思った。何かが飛び出した。しかしそれは雉でも野兎でも無く、弓矢だった。
 「ひえっ!」
 それまで将軍の子として威厳を保っていたが、突然の弓矢に情けない声を上げ落馬した。その直後、「ぐぁっ」と言う近習の鈍い悲鳴が聞こえたかと思うと次々とその場に倒れた。そして目の前に飛び出て来たのは、黒ずくめの忍び装束に身を包んだ集団。
生き残った近習の一人が、身震いをしながら刀を構える。
 「貴様っ、何者じゃ!?」
 「御世継家定様、貴殿は余の為にならず。御首頂戴いたす。」
 近習が守りを固めるも、それを圧倒するのは容易かった。残るは的である家定のみ。腰が抜けて刀が抜けぬ家定。刺客の首領と思わしき者が刀を振り上げる。
 もうダメだ・・・。誰もがそう思った所を、ズダーンと言う銃声が打ち消した。刺客の一人が銃弾に倒れた。
 「な、何奴!」
 「生憎、其の方らの思惑通りにはならんぞ?」
 目の雨に現れたのは、白装束に身を包んだ謎の男が片手に回転式の連発銃を構えていた。刺客の首領は、ある部分を見て驚愕した。白装束の紋所は三つ葉葵、徳川宗家の家紋。誰もが平伏す、絶対的権力の象徴である。
 「何者じゃ貴様?」
 「葵幻之介・・・こちらにおわす御方の、守り本尊とでも言っておこうか?」
 「ふざけた事を、死ねっ!」
 黒ずくめの頭と思われる者の号令を聞き、配下たちは一斉に幻之介に斬りかかった、
 「ヤアー!」
 「トオー!」
 掛け声と共に繰り出される剣撃を右に避け左にいなし、刀を合わせる事無くすれ違いざまに剣撃を見舞う幻之介。一人、また一人と黒ずくめの刺客たちは切り倒されていく。気が付けば、頭を入れて二人になっていた。
 「くっ・・・、引けっ!」
 その場に切り倒された配下達を見捨て、身を翻す様にその場から立ち去って行った。暫く面を食らっていた侍大将は、地面に突っ伏す刺客たちに目をやる。驚いた事に、刺客たちは全て重症ではあるも命まで取られていなかったのだ。
 「一命は残しておいた、何者か素性を聞くが良かろう。」
 「助太刀、感謝致す。」
 「御免。」
 「待たれい」と言う生き残った近習の止める声も利かず、幻之介は白馬に跨り足早に立ち去った。
 新番頭は刀を収めながら、立ち去る幻之介を見送った。
 この一件は、江戸城内で騒動の原因となった。
                 ◆◇◆
 老中首座、水野越前守忠邦みずのえちぜんのかみただくには畳に正座をし、両手を付いて頭を下げる。目の前には家祥が乳母の歌橋うたはしの膝枕で横になっている。襲撃事件を聞きつけ、顔色を伺いに来た次第だ。
 「御世継、家定様・・・。」
 忠邦は家定に声を掛けるが、一切返事はない。
まるで赤子を宥める様に家定を見守る歌橋が忠邦をまるで汚らわしい者でも見る様な、怪訝な面持ちで見ている。
「御世継様、御加減は如何でござりまするか?」
 「で・・・、出ていけ・・・・。」
 「な、何と?」
 「誰にも・・・、逢わぬ・・・、去れ・・・。」
 拙い言葉を発する家定、構わず忠邦は声を掛け続ける。
 「皆心配しておりまする、せめて一目ご尊顔を・・・。」
 「去れっ!」
 家定は突然癇癪を起こし、使っていた箱枕を投げつける。それは忠邦の右肩にぶつかった。鈍い痛みに顔を顰めたが、黙って平伏する忠邦。
 「水野殿、御控なされ。」
 「御控えなされとは随分な物言い・・・・。」
 「黙らっしゃい!御世継様は御心を痛めておる御様子、これ以上の尋問は無礼に御座ろう。姉(あね)小路(こうじ)様の申す通り、水野殿は血も涙もない政で知られる御方。まさか水野殿は、政の為には徳川家御世継の身も危うくする御つもりか?」
 無礼呼ばわりをされ、此処まで誹りを受ける筋合いはない。
 だが忠邦は反論一つしようとしない。対する歌橋は将軍家の御世継たる家定の乳母であり、大奥の中で幕政や幕府人事をも左右するほどの権力を持つ年寄の一人。大奥の歴々の中には、幕臣を汚らわしい物と見下す者も多かった。時には老中の首でさえ、簡単に挿げ替える事が出来るいわば女帝である。
 「これはしたり・・・。」
 江戸城の女帝の言葉にぐうの音も出ず、忠邦は二の丸を後にした。その最中、あからさまに呆れた顔で深い溜め息を付いた。家祥は自身の持病や幕臣連中の本心を察してか猜疑心に取り憑かれ、歌橋にしか心を開かず正にマザコンの引き籠り状態だった。
 幕臣達はこれを重大事として、日々頭を悩ませている。
 「水野様、御世継様のご様子は如何で御座ろうか?」
 「由々しき事態・・・。」
 幕臣の一人に聞かれるが、忠邦は多くは答えない。
 江戸城本丸、御用部屋に集められた幕府閣僚達は深刻な面持ちだ。
 外では激しい雨音、時々雷鳴がこだまする。まだ夕暮れにもならないと言うのに、まるで夜中を思わせる程の曇り空。それと同様に、江戸城には暗雲が立ち込めていた。奧から五番方と言われる将軍家の親衛部隊、目付、南北町奉行、若年寄、老中と言った幕府閣僚が鎮座している。その真ん中に大老の井伊掃部頭直亮いいかもんのかみなおあき、筆頭老中たるが並んでいる。双方ともに、徳川将軍に成り代わって幕府を取り仕切る閣僚だ。
 「将軍家御世継様を狙うとは、まさに天下の大罪・・・。」
 「遠山殿、鳥居殿、賊の目星は付いたのか?」
 「御世継様が賊に命を狙われたのは、其の方らに手抜かりがあったのではないのか?」
 北町奉行の遠山金四郎とおやまきんしろう、南町奉行の鳥居耀蔵とりいようぞうは老中方より投げかけられる言葉に首を垂れる。賊が横行しているのは、自身の役目たる町の治安維持が成されていない。つまり、職務怠慢を追及しているのだ。自身らの職務に自信があると言うなら、反論の一つでも出来よう物だが、今回はそうはいかない様だ。
 「この一件は、某の落ち度と恥じ入るばかり。」
 「恥じ入るばかりでは事は解決せぬ、今後町方はどういたすつもりか?」
 「一層取り締まりを厳しく致します。」
 一足早く返答したのは、厳しい市中取り締まりで知られる鳥居耀蔵の方だった。
 「今は南町の月番、だがこの際月番だ縄張りだと拘っている時ではない。南北力を合わせ、家定様のお命を狙ったものを突き止められい。」
 「はっ。」と返事をする二人を、火付け盗賊改の長谷川兵庫が鋭い眼光でギロリと見て付け加えるように言う。
 「御老中、町方の御役目は賊の捕縛だけにあらず。御用繫多、手が足りぬとあらば不詳、この長谷川兵庫が任に当たりまする。」
 ハッキリと言っている訳では無いが、あからさまに町方をけん制する物言いである。
 管轄範囲を指定され、生け捕りを原則とする町方と違って必要とあらば管轄、領土を越え罪人の斬殺権「斬り捨て御免」を認可されている火付け盗賊改と町奉行所の関係はすこぶる悪い。盗賊改配下の与力同心の中には、奉行所の与力同心を「町方風情」と蔑み、大して町方が「手柄泥棒」と揶揄するぐらいだ。
 「お気遣い痛み入りまする。しかし、任せきりにするつもりは御座らぬ。」
 兵庫のけん制を、金四郎がきっぱりと跳ね返した。すると暫く、御用部屋は重苦しい静寂に包まれた。
 「にしても曲者を相手に、番士共が手も足も出ぬとはな・・・。」
 「お恥ずかしい限り。」
 番頭が老中から議論の場を利用して叱りを受けていた。正に公開処刑だ。
 「以前も五番方に属する番士が、刀が重くて敵わぬと不平不満を言っていたとか。」
 「何と情けない、それでも武士か。」
 「上様も危惧されておった。」
 配下の情けない有様に、ただただ番頭は頭を下げるしかなかった。
 「しかも、事もあろうに葵の御紋を無断使用する不届き者に窮地を救われるとは・・・。」
幕閣は三つ葉葵を謎の剣士が使用していた事を問題視していた。徳川一族の家紋たる三つ葉葵は無断使用も悪用も厳禁とされ、一言誹ろうものなら一族郎党が厳罰に処される絶対的権力の象徴だ。八代将軍御落胤を自称した詐欺師の天一坊改行てんいちぼうかいぎょう、三つ葉葵を盾に婦女暴行を重ねた葵小僧芳之助あおいよしのすけと言った葵の御紋を騙る犯罪者が存在し、幕臣達は白装束の剣士を葵の御紋を悪用する不届きものとして警戒の対象とした。
 「本郷殿、上様はなんと申されておった?」
 本郷丹後守泰道ほんごうたんごのかみやすみち—彦左衛門の通称で知られる幕閣の長老だ。
 「窮地に備え、今まで以上に鍛錬の場を増やすべしとの事だった。」
 「三つ葉葵の不届きものに関しては?」
 「探索に及ばず、捨て置けと・・・。」
 「何と無関心な・・・。」
 「であれば我々だけで、事態を収束させるしかありますまい。まずはもし謀反人が現れた場合に備え、鍛錬を重ねるべきかと。」
「指南役に書院番頭の男谷精一郎おたにせいいちろう殿を迎え、番士を徹底的に鍛える。如何かな?」
 「結構でござる。」
 堕落した番士の対応は直ぐに終わり、議題は本題である御世継に関する話になった。この議題は長時間行われるも、突破口は開けなかった様だった。
 暫くすると、代表して西の丸へ家祥のご機嫌伺いに行っていた忠邦が戻って来た。
 「水野様、御世継は如何で御座ったか?」
 「御一同お察しの通り。」
 「やはり歌橋様の傍を離れませぬか。」
 「二の丸に籠り、対面を申し出ても出て行けとけんもほろろ。婚礼が内定した御簾中様も例外ではなく。」
 「左様か。このままでは、とても将軍位は継承出来ませぬな。」
 暫く沈黙が続く、すると他の老中の一人が口を開いた。それに関して、他の老中が食って掛かる。
 「廃嫡しかないだろうのう・・・。」
 「それは、時期尚早かと・・・。」
 「もしもの時の話、直ぐにそう致すべしとは言っておらぬ。」
 「もし御世継様の継承が叶わぬ時は、如何されましょうや?」
 「やはり御三家、御三卿の親藩より迎えるのが肝要かと・・・。」
 「他にも加賀前田家が、もしもの時にはと申し出ておられる。犬千代いぬちよ君、喬心丸きょうしんまる君は上様の甥御様、身分としては悪くない。」
 「肥後守ひごのかみ殿、まるでそうなって欲しいと望まれているような口ぶり。」
 相手の言葉に難癖を付ける様に反論する他の老中。
 「何と言う申し様、無礼千万にござろう!」
 「両名とも、落ち着かれい。」
 忠邦の強い言葉に、双方とも押し黙る。此処で会議の議論は、一旦御世継の話題からそれて賊の取り締まりに関する事になった。
 「先ずは町方及び火盗力を合わせ賊の捕縛に尽力すべし。御世継様襲撃の下手人も、葵の御紋を悪用する者もな。よろしゅうございますか、御大老。」
 殆ど忠邦が議論の場を仕切り、中央に座る大老の井伊掃部頭は返答を振られ「うむ。」とだけ答えた。会議と言うよりも、相手の落ち度を探る罵り合い。会議の場で老中等の閣僚が意見をぶつけ合い、時として激しく対立するのは今も昔も変わらない。この様な状況では名案が出るわけもなく、ただ不毛な議論が続くのみであった。
 
 「彦左、景元、世が指さす先には何が見える。」
 「はい。」
 江戸幕府十二代将軍、徳川家慶は側近たる彦左衛門に向かって言う。彦左衛門は主君が指さす先を見る。江戸所天守閣に立ち将軍が指差す先は江戸の街並みだ。彦左衛門の後ろには、呼びつけられた金四郎が控えている。
 「この指が差す先には、どれ程の命が生きているのだろうな。」
 「神君家康公の代より十二代、今や江戸にはあふれんばかりの民が暮らしている物と。」
 将軍に成り代わって町の治安を預かる金四郎が答える。
 それに家慶が返答する。
 「江戸だけではない。この日ノ本六十四州だ。老若男女、数え切れぬ程の人々がそれぞれの暮らしを送っておる。徳川家の肩にはその数え切れぬ程の、生きとし生ける者の人生がかかっているのだ。」
 「流石は上様・・・、天晴なるお考えで御座ります。」
 「世辞は良い。だが着物と同じく、長い年月で随分綻びが出来た様だ。」
 「綻びとな?」
 「家定の事よ・・・。あ奴は今、様子はどうじゃ?」
 将軍の言葉に笑みを浮かべていた彦左衛門は、家定の名を聞き表情を暗くした。
 「自身に刺客を差し向けたのは幕閣にあると考えられ、閉じ籠ったままとか。様子を見舞いに参った御簾中様に対しても、出て行けと正にけんもほろろとか・・・。」
 「それで、乳母の傍を離れぬ有様か・・・。」
 「左様・・・。」
 一向に改まらぬ息子の行状に、家慶は深いため息を付く。息子の落ち度は、親が治すべきなのだが、将軍は一般人とは訳が違う。江戸幕府将軍たる自分が、直接息子を諭す事は出来ない。自ずと乳母に任せるしかない。自分の子に親らしい事が出来ない。家慶にとっては、最大の悩みであると言える。
そして、何かを覚悟したかの様に神妙な面持ちになった。
 「彦左、諦めるしかないか・・・。」
 「上様・・・、早まってはなりませぬ。」
 「余とて次期将軍の座には我が子をと思っておるが、肝心の家定があの有り様では幕府の屋台骨は音を立てて崩れ去る。事は徳川家だけの問題ではない・・・。」
 息子を廃嫡になんて、本心で言えばしたくない。家定がどのような状況でも、親として見捨てるような真似は避けたい。
 日ノ本の国を治める徳川家に何かあれば、事は日本全土に及びかねない。その事は将軍たる自分自身がよく解っていた。
 「もし御世継様の継承が叶わぬとなった場合は・・・。」
 「御三家か御三卿、親藩より迎えるべきだろうな。」
 彦左衛門の頭にあったのは、御世継が途絶えた後の事。徳川家に限らず、現当主の実子が途絶えた場合、兄弟従弟ないし親族を養子とし継承させるのが通例だ。徳川家には尾張、紀州、水戸の御三家、田安家、一橋家、清水家の御三卿を筆頭に継承権を持つ近親者がいる。もし家定が駄目になった場合は、これらの御家から養子を迎える事になる。
 暫く控えていた彦左衛門だったが、妙案が浮かんだらしく立ち上がった。
「上様、源七郎君にこの旨伝えるべきかと。」
「源七郎にか。」
「御腹違いとは言え、上様の実の御兄弟。万が一、御世継様に何かがあった場合は源七郎様だけが頼りでございます。」
「源七郎であれば、余もやぶさかではない。しかしあ奴は我が父、すなわち先代の将軍が附け女中に手を付け産ませ、その出生を知られぬ様母子共に市井に出された云わば隠し子。騒動を機にその所在が発覚した。その様な曰く付きの者を、尾張や紀州等の御三家や御一門、幕閣連中が納得するだろうか?」
「我が子の望めぬ御台様を気遣い、止む無く宿下がりをなされただけの事。御母上にも源七郎様にも、何の落ち度も有りませぬ。」
源七郎—艶福家と言われた先代将軍の庶子、将軍にとっては腹違いの弟だ。血統はどうであれ、順当に言えば最も継承者に近い。
彦左衛門の提案を聞き、家慶は黙って考え込んだ。将軍位御控すなわち第二継承者である弟を養子に迎える。家祥が使い物にならない場合、それが一番の得策である。
 しかし、金四郎の答えは意外なものだった。
 「お恐れながらそれは時期尚早、些か危う御座います。駿河卿の一件もござりまする。下手に御世継様を差し置いて他者を頼っては、騒動の火種になりまする。」
 「無礼な、源七郎君を騒動の火種とは・・・。」
 「止めい二人共。」
 今にも言い合いを繰り広げようとする金四郎と彦左衛門を、家慶が窘める。
 「景元は徳川家の、源七郎の事を考えて言うてるのだろう。そう攻めるな。しかし、父上も罪な事をしたものよ・・・。騒動を褒めたくはないが、あの一件で源七郎の素性が明るみに出た。そうで無ければ、今頃どうなっていたか・・・。」
 「左様でございます。蟠竜様は常々、次期当主は御世継たる家祥様が相応しいとお考えでございます。蟠竜様の御考えを、無になされてはなりませぬ。」
 金四郎の考えを黙って聞いていた家慶は、うんと頷いた。
 「余とて我が子を見捨てたい訳では無い、源七郎の想いも汲み、家定を信じてみようか。」
 「そうなされませ上様、彦左衛門殿も異論はありますまいな?」
 信頼する中心の言葉に、将軍は黙って応じた。
 「異論などあろうはずはない。ならば遠山殿、一刻も早く賊を捕らえねばなりませぬぞ。」
 「解っており申す、二度と同じような失態は犯しませぬ。」
 「其の方らに苦労を掛けるのぅ、任せきりで済まぬ。」
 「勿体なき御言葉、身に余る光栄に御座りまする。天地神明に誓い、江戸の治安を守る為に働きまする。」
 「この彦左も、命尽きぬ限り上様を尾支え致しまする。」
 「余こそ、其の方らの様な忠臣を持って幸せに思うぞ。」
 父より将軍の地盤を引き継ぎ、その治世は順風満帆と言う訳にはいかなかった。正直言って、自分の能力は微力。こうして天下泰平の世を保つ事が出来たのはこうした頼もしい忠臣あればこそ、誰よりもそれは、自分自身が一番理解している。
 「上様、そろそろ昼餉の刻限でございます。」
 「食欲が無いのぅ、近頃味付けが薄くなったように思えるが・・・。」
 「贅沢はならぬと言う水野様の改革の波は、上様の御膳にまで及んでいるようですな。」
 「余の御膳だけなら良いが、民の暮らしが危ぶばれねば良いがのう。」
 溜め息を付きながら家慶は、彦左衛門に着いて江戸城の中へ戻って行った。 世を騒がせる盗賊の捕縛、家定の態度が正される事。それを心から願いつつ、家慶は普段の生活へと戻って行った。
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