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一章 天竜堂のおろく医者
三
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南町の難癖を交わし、検死の御役目を終えて帰宅できたのは辰の刻(午前八時)を若干過ぎた頃であった。「不帰之蔵」の冷気に漂う死臭と、どこぞの女でも引っ掛ける為なのか、伝助が気障ったらしく身に付けた鼻に付く御香の香り。それらを八丁堀の潮風で洗い流すようにして、凌雲は天竜堂の暖簾をくぐった。ようやく日常に戻った気がした。
「そう言えば聞いたかぇ?山王様で三島屋の娘が首を括ったってよ?」
「聞いたよ、相手がいながら番頭と乳繰り合った挙句に心中したってさ。」
「俺は番頭が一方的に手籠めにしたって聞いたぜ?」
「娘さんは身重だって話じゃねえか?」
「孕んだ挙句に神社で相対死か?いやらしい話じゃねえか?」
「罰当たりだなぁ。」
診察を待ちながら、患者たちが口々に噂話に花を咲かせている。山王権現堂での事件に関し、尾鰭が付いて噂が出回っている様だ。
事件が事件名だけあり、噂の種になっている様だ。の大きな出来事、「誰かが殺された」、「家が焼けた」等特に事件となればこうした憶測と言うか根も葉も無い噂が飛び交う。
人の口に戸は立てられぬと言うが、江戸っ子達は正に口さがが無い。何時も通りの光景ながら、その噂のせいで騒動にもなりはしまいかと冷や冷やさせられる。
「何時まで喋ってるんです?早くお入りなさい。」
噂話に花が咲く患者へ、美沙が強めに言う。すると患者が入って来る。殆どが本道医である美沙だけで事が足りる患者で、外科治療を必要とする患者はあまりいなかった。
「痛ってぇーーー!」
凌雲がいる間から、若い男の悲鳴が聞こえてくる。今、金創治療の真っ最中だった。患者は丸に勝の半纏を鯔背に着こなす、魚屋の銀平だった。
「暴れるな、お前が悪いんだろうが。」
「だからって痛えものは痛えや、手加減して下せぇよぉ。」
バタバタと暴れる銀平の手を抑え、バックリと斬られた傷を縫合する。外科には麻酔薬を使うのが当たり前だが、この時代に部分麻薬は無く、医者は極力痛みを抑え治療を行うのだが、大抵の金創治療には激痛が伴う。
「全く、毎度ギャアギャア騒ぎやがって。またつまらぬ喧嘩でもしたんだろう?」
「つまらねえ事じゃねえです、地回りに絡まれた幼気な娘を助けたんでさぁ。まあ、あっしだからかすり傷で済んだわけで。」
「調子に乗るな。人助けの行いは結構だが、お前が死んだらどうなるのだ。お前を贔屓にしている家は、たちまち三度の飯に困るのだぞ?」
「そうは言いますが、こればっかりは性分と言う奴で・・・。馬鹿に付ける薬はないって言いますから。」
「自分で言うな、自覚しているならば少しは治す努力をしろ。」
「へーい、精々精進致しやす。」
照れ笑いをして誤魔化す銀平に、呆れ顔を向ける凌雲。
「本当だな、無茶をして悪化しても診てやらんからな。」
「かしこまりやした。そうだ先生、良い鰹が入りやしたので持って参りやした。そろそろ初鰹の終わりですからね、味わってもらおうと思いやして。」
「良いのか?こんな高価な商売物。」
「そりゃあもう。先生は口が肥えてなさるからねえ。」
「そいつは褒めてるのか?」
「勿論でさあ。」
そう言うと銀平は薬袋を受け取り、帰って行った。
懐から懐中時計を出し時を見ると、時は朝五つ半(9時半)になろうとしていた。これから朝餉を取ろうとした所で仁吉と勇五郎に捕まり、今の今まで凄惨な死骸を診ていたのだ。今何時か知った途端に、大人しくしていた腹の虫が鳴き始めた。
患者がまばらになった所で、台所仕事をしていたお喜代が声を掛けて来た。
「味噌汁、温め直しました。頂きましょうか?」
「おぅ、二人はもう食ったのか?」
「いいえ、これからです。」
「忙しかったみたいだな。」
「先生がいなかった分、沢山押し寄せてきましたわ。」
「そうかい、そいつは済まなかったな。」
話も早々に、飯にしようと作務衣を脱ぐ。手桶で手を洗い終えた凌雲は、上座に胡坐をかく。直ぐにお喜代が、猫足の御膳に朝餉を乗せて運んでくる。朝餉が並べられた盆を引き寄せ、まず凌雲は味噌汁に口を付けた。味噌汁の味を感じ、ようやく人心地付いた気がした。
「それで先生、此度の死骸は如何でしたか?」
「患者たちの噂では、相対死とか?」
事件の概要を、美沙が何気なく聞く。普段は検死の事等鼻にも掛けない様子だが、気にはなる様だ。
白米に納豆を掛けながら、凌雲は美沙に事件について語る。
「ああ、一筋縄ではいかぬ死骸だったよ。」
「一筋縄ではいかぬ?ただの相対死では無かったのですか?」
凌雲は飯を食いながら、当たり障り事から語り始める。他者の手に掛かり、相対死に見せかけられた可能性があると聞いたお喜代も美沙も、俄かには信じられぬ様子だった。
「では先生の調べでは、相対死ではないと?。」
「うん、十中八九間違いない。ところでお喜代さん、あんたの早耳を見込んで効くのだが、三島屋のおはつには良い人がいたのか?」
「良い人ねえ・・・、三島屋伊兵衛は躾が厳しくてね、何処へ行くにも息の掛かった物が行状を監督していたほどなんです。ですから、浮いた噂は聞きませんねぇ。」
「行状を見張るだなんて、やり過ぎですね。」
「美沙先生の御父上は、そんな御方じゃなくて良かったですねえ。」
「私の父は、当たり前の礼儀作法は厳しかったですが、それ以外の趣味嗜好はほったらかしでしたからね。」
「親は木に立って見ると書く、いちいち濡れ落ち葉の様に引っ付くのは間違っている。」
子を躾けるのは愛情と世間では言うが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。薬も過ぎれば毒になる。
「先生、厳しい躾と言えば親御さんだけに限った事ではありませんよね。今のご時世、改革高何だか知らないけどさ、何でも駄目だ駄目だと五月蠅い世の中になりましたねぇ。」
「左様、人の心は紙風船と同じだ。入れ過ぎた息の如く、何れ溜まり過ぎて破裂するぞ。御上の連中は、その点の事が解らぬ様だな。」
「そうですね。」
暫くおかみのせいさくについての不満を口々に言っていたが、お喜代の言葉で内容は相対死に関する話になった。
「何があったのか知らないが、酷い事を擦る奴がいた物ですねえ。相対死に見せかけるだなんて。殺しの可能性があるんでしょ?」
「悪い奴がのさばるだなんて・・・、嫌な渡世だねぇ・・・。」
「敵うならば、天誅を加えてやりたい。俺は医者だ、命を粗末にするやつは許せぬ。」
二杯目の白飯をよそいながら、お喜代は険しい顔を浮かべる。凌雲も表立って怒りを露わにはしていないが、胸の内は腸の煮え繰り返る思いだった。
「先生、悪を懲らしめるのは役人の領分。先生の仕事ではありませんよ。」
顔色一つ変えず、目の前の朝餉を淡々と食べながらも暴走しそうな凌雲を嗜める。如何に凄惨な話を聞こうと、理不尽な目にあった者の噂を耳にしようと表情一つ変えようとはしない。喜怒哀楽が欠如した朴念仁と言う訳では無い。検使を終えたらもう医者の出番は終り、その後の事は町方の仕事であると理解しているからだ。何かと暴走しがちで、目の前が見えなくなりがちな凌雲をこうしていつも律してくれる。世話女房のような存在だ。
美沙は親の反対を押し切って、女医者となった。何れは何処かの医者か、武家の養女を経て何処かの御家人か旗本の家に嫁ぐか、それが女である美沙の人生だと信じて疑わなかった。しかし当の本人が、それを良しとはしなかったのだ。「女は家に残るだけが能じゃない」、「内儀として押し込められるのは嫌だ」と豪語して、小石川養生所に押し掛けた。肝煎医師である森岡泰然は難色を示したが、医者の最高位である奥法印医師の立場にある大物の令嬢の申し出に、否やは言えなかった。美沙はなりたいと言い出しただけあり、成程本道医としての技量は中々の物で、様々な疾病の治療に貢献した。
だが、順風満帆と言う訳では無かった。元来美沙は男勝りと称される程に気が強く、博識さも相まって名の隙のない患者を言い負かしたり、小言を言って参らせる事も一度や二度じゃなかった。優秀な医者でありながら、損得勘定しか見えていない泰然にとって美沙の存在は目の上のたん瘤であった。
しかし唯一美沙を前にしても物怖じしなかったのが、凌雲である。ある日、大けがを負った無頼漢を治療した際、悪行を重ねた無頼漢など怪我を負って死んでも自業自得と美沙は言い放った。しかしそれを、凌雲は厳しく叱咤した。
「かの天下の極悪人刀われる吉良上野介治療した栗崎道有しかし、本当の医者ならば善悪の区別無く治療してこそ。それが出来ぬのならば医者の看板を下ろせ」
恩師の娘を前にしても断固として考えを曲げぬ凌雲に、美沙は反骨心と言うか、今までとは違う感情を抱き、今度は天竜堂へ押しかけた次第だ。
男所帯に若い女が入る、当然のことながら凌雲は難色を示した。しかし、恩師の娘をたたき出すわけにもいかない。そこで通いを条件に、天竜堂の出入りを許し今に至るのだ。
「いかようにも取り扱って構わぬ」
そう師匠の玄瑞からは言われている。豪快と言うか、どこか俗っぽい泰然に至っては—
「何れは手が付くに違いない」
そう恥ずかしい事を言われ、赤面させられたものだ。玄瑞自身、玄信と言うれっきとした嫡男がいながら、愛弟子と美沙が結ばれる事を密かに望んだものだった。だが凌雲自身は、男と女の色恋沙汰は苦手としており、二人の間柄が進展する兆しは今のところない。
一足早く飯を食べ終え下げやすい様に皿を重ねた美沙は、凌雲の卓上に置かれた箱を見つけて近づいた。受診した患者がお足を入れるのだ。其れなりに患者が来た、あれだけの患者がいればそれなりの額が入っていても良いと美沙は思った。おもむろに箱を持ち上げ、箱を揺さぶる。ジャラジャラと音がする。中には金の小粒も混ざっているが、殆どが文銭のようだ。天竜堂の治療代が十六文と言うのは、もはや有名な話で凌雲は「二八医者」と呼ばれる理由の一つだ。中には凌雲の人間性に漬け込み、しめしめと治療代を払わず立ち去る患者もいるぐらいだ。
ジャラジャラとなる箱の中を、お喜代も覗き見て溜め息をつく。
「患者の割には、儲かってませんねぇ。」
「相手は貧乏なのだ、致し方あるまいよ。」
「先生が甘やかすからですよぉ、見料薬礼何れも十六文だなんて。隣近所の医者はもっと取ってますよ?」
「向こうには向こうの、俺には俺のやり方があるのさ。」
「全く。それに先生、この間も百間長屋の店子の店賃を肩代わりしたそうですねえ。私たちとしては有難いですがね、甘やかすとキリがありませんよ?」
「せいぜい気を付ける様にしよう。」
穏やかな面持ちで凌雲は返答する。その様子にお喜代は呆れながら、二杯目の飯をよそう。
その最中も、お喜代の小言は止まらない。亭主が滑稽噺よろしく小言幸兵衛と呼ばれるように、お喜代も小言っぽい。似た者夫婦とは、まさにこの夫婦の事だ。
「しかし、町方も残酷ですねえ。どんな事情があるか知らないけどさ、先生にあんな血生臭い御役目を押し付けて。家の人に先生を連れてこさせたのも、先生を監視下に置いてこき使う為だったんでしょうねえ・・・。」
「おいおい、自分の亭主まで悪く言う物じゃない。それに俺は、済む場所を世話してもらって感謝しこそすれ恨みに何て思っちゃいないよ。」
「でも先生、世間で先生を何と申しているか知っています?鳴滝崩れのおろく者、行けば自分もおろくにされる。まるで気違いの、人殺しの様な言われようですよ?このままじゃ、先生の立身出世は一生叶いませんよ?」
「はっはっは、口さがの無い連中だ。言いたい奴には言わせておけば良い。それに俺は出世なんて臨まぬ、俺一人の糊口が凌げればそれで良い。」
凌雲の言葉に、お喜代は益々呆れた。この欲の無さが、凌雲の長所であり短所である。
箱の中の稼ぎを見て溜め息を付いた美沙は、上部で風見鶏が右に左に回る南蛮渡来の置時計をちらりと見た。巳の刻(朝四つ)になろうとしていた。
「さあ先生、お話はその位にして早く支度をしませぬと。往診の御用があるのでは?」
「そう言えば、今日は水谷家の往診だったな。」
「ああ、あの無用斎様のねえ・・・。」
無用斎の名前が挙がると、お喜代が怪訝な面持ちを浮かべる、凌雲の顔も、どこか気怠そうだった。
それはこの無用斎が、嫌な患者だからだ。医者を生業にしていれば、嫌な患者の一人や二人いよう物だが、この無用斎は群を抜く。
「また嫌な野郎から往診の依頼が来たものですねえ。」
「お喜代さん、患者にその様な物言いはいかん。」
「でもあんな文句しか言わない患者じゃねえ、あんな人使いの荒い因業な野郎の相手は化け物じゃなきゃ務まらないでしょうねえ・・・。」
「患者を誹るのは良くない。治して欲しいと願うならば、治すのが医者の務めだ。」
「真面目ですねえ、先生の様な医者が増えりゃ少しは世の中良くなるでしょうねえ。」
「いちいち大袈裟なこと言いなさんな、俺は当然の事をしているだけだ。」
無用斎とは、元勘定奉行の水谷豊後守の事だ。勘定奉行は年貢や知行割などを扱う勝手方と公事や訴訟などを扱う公事方に分かれ、無用斎は公事方の立場にあった。関八州の悪党たちからも「鬼豊後」と呼ばれて恐れられ、切れ者と誉高かった。今は職を辞し、家督を信一郎に譲り、隠居の身なのだ。今その後釜には、老中首座の異母弟である跡部能登守良弼が就いている。
大人しく隠居をしていれば良いのだが、その後がいけない。信一郎は今や蔵人と名を改め、大名を観察する大目付の立場にある。順風満帆だ。しかし、無用斎はそうでは無かった。置いた自分はもはや無用だと、陰気臭い雅号を名乗り隠宅に籠った。
ただでさえ無用斎は如何なる不正も職務怠慢も許さぬ頑固な人物で、隠居してからは輪を掛けて気難しい人間になった。女中や用人を雇いはしても、その気難しさと人使いの荒さから直ぐに辞めてしまう。こんな調子だから、口入れ屋の間では要注意人物として広まっており、「あれでは妖怪でも雇うしかない」と噂になる程なのだ。
人使いの荒さは、雇った用人に限った事ではない。通いの商人や往診に来た医者も例外では無く、医者の間でも悪名が知れ渡っている。
「大抵の医者では捌ききれぬから、俺に回って来たと言う事だ。」
無用斎は近隣に住まう岡田林斎から紹介された、と言うより押し付けられた患者なのだ。
「都合よく先生が利用されているとしか思えませんよぉ。」
「そう言いなさんな、頼ってくれるならば何でも良い。」
「先生の様なお医者様が増えれば、苦しむ患者もいなくなるでしょうねえ・・・。」
「大袈裟だよお喜代さん。」
無駄話を言っているうちに飯を食い終え、凌雲は支度をすべく次の間へと入って行った。
厄介な患者を押し付けられるのは、今に始まった事では無い。しかし凌雲は、余程の理由でもない限りは断らない。いや、断るわけには行かぬ事情がある。恩師の教えがあるからだ。
凌雲は二親を知らず、「親父様」と呼ぶ養父・高柳道庵に男で一つで育てられた。道庵はこの江戸の地で、医者の看板を上げていた。医は仁術を絵に書いたような人情医者で、ある時払いの催促なしが当たり前。凌雲は何時も、道庵の背中を見ていた。道庵を「親父(おや)っさん」と呼び、敬愛していた。そんな道庵にはもう一つの顔があった。町方や代官所と言った役人の要請を受け、変死体の検死を請け負う検使役としてつとに有名だった。
「死人に口なしと言うが、伝える術がない訳では無い。物言わぬ死骸の声なき声に耳を傾けるのが検死、生ける者も死した者も見る事が出来てこそ一人前だ」道庵の口癖だった。
役人からは御上の御用を陰ながら支える縁の下の力持ちとして重宝していた。しかし、ある騒動が勃発した。嘗て各地でコロリ(コレラ)が流行。その風邪は人体だけではなく、心まで蝕んだ。高柳家は医者として、人と接触せず、手を洗い此処に対策を取る事を唱え続けた。しかしコロリの感染者数は増え続け、その不安と怒りの矛先は高柳家に向けられ、道庵は石を投げられた挙句、「医者は薬や金を貯め込んでいる」と邪推され、打ち壊しよろしく家を襲撃され道庵家族は死亡。凌雲は齢僅か十歳で身寄りが無くなった。
その後凌雲は、道庵の盟友だったと言う奥法印医師の藤川玄瑞に身柄を預けられ、医者としての技術を徹底的に叩き込まれて育てられた。持って生まれた天性の才なのか、凌雲は医者としてメキメキと腕を上げ、十五の頃には逆子で苦しむ野良猫を帝王切開で子猫を取り上げると言う技を見せ、既に「若き医聖」の名を恣にしていた。玄瑞にもその腕を見込まれ、既に一子の玄信がいたが、養子になる事を望まれた。だが凌雲は、養父の道庵が守っていた俗に言う地域医療を受け継ぐと言う目標があった。
凌雲は更なる修行の為、鳴滝塾入門を玄瑞に懇願した。鳴滝塾では最新鋭の開腹手術を学ぶ事が出来ると、医学を志す者の間では有名な話で凌雲も入門を強く望んだ。凌雲がこの最新医学を学ぶ事を熱望した理由には、道庵の検使役と言う稼業に活かせると考えての事だ。
検死は法医学の領域、法医学の本分は解剖だ。江戸時代の検死の中にも、司法解剖が存在した。古方派の五大家の一人である山脇東洋は、恩師の後藤艮山から臨床重視の古医方を学び、後の『蔵志』の刊行に先立ち、人体と構造が類似すると言われていたカワウソを何匹も解剖するなど、人体の内景に長年疑問を持っていた。
一七五四年(宝暦四年)閏二月、京都所司代の酒井(さかい)忠用(ただもち)の許可を得て、弟子の小杉玄適や原松庵を派遣し、斬首刑に処せられた屈嘉という名の刑死人を幕府御用として解剖、観察を行った。それが切っ掛けで『蔵志』の出版につながり、この刑死人の解剖以降、日本中で人体解剖が行われるようになった。
その玄適に触発されたのは、小浜藩の同僚であった杉田玄白だ。一七年後、千住小塚原にて仕置に処された罪人の腑分けを行った。その際に玄白は、仕置場を管理する老人の協力を得てドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスが書いた『ターヘル・アナトミア』と照らし合わせ、五臓六腑の位置を記憶していった。後に玄白は、前野良沢、中川淳庵、桂川甫周ら著名な蘭学者と図り『ターヘル・アナトミア』の翻訳を行い、生まれたのが解体新書で手術の技法発展に大いに貢献、検死・司法解剖の技術も向上し、御上の要請を受けて死骸を調べる事を業とする役人や医者が存在する様になった。この様に検死の役目に解剖学は必要不可欠で、凌雲はそれを学びたかったのだ。
凌雲は入門し、シーボルトの元でメキメキと頭角を見せ、誰もが凌雲の立身出世を信じて疑わなかった。だが、ここで問題が発生した。
シーボルト事件—帰国する際に日本地図などの禁制品を国外に持ち出そうとした事が発覚し、シーボルト本人が国外追放の厳罰に処され、シーボルトに地図を贈った幕府の書物奉行兼天文方筆頭の高橋景保を初め、鳴滝塾に関わる大勢の関係者が断罪された一件だ。更に十一年後、高野長英や渡辺崋山などが、モリソン号事件と江戸幕府の鎖国政策を批判したため、捕らえられて獄に繋がれるなど処罰された俗に言う「蛮社の獄」。これらの蘭学者弾圧事件により、蘭学を修めた者は世間の片隅に隠れ、細々と暮らす事を強いられた。
シーボルトの門下だった凌雲も例外ではなく、江戸に帰郷して直ぐに宗源寺と言うちっぽけな寺の納屋に居候を決め込み、そこで患者を診察し日銭を稼いでいた。しかし、ある筋より要請を受けたと言う町方に八丁堀の地へ招かれた次第だ。恐らく第二第三の渡辺崋山の様な不心得者を産まぬ為の監視であると考えたが、凌雲は住家が得られるのならとこの地を訪れた。
凌雲は他の年配の医者に比べれば若年の部類に入り、鳴滝塾出身という噂も相まって近隣の住人は疑問視した。しかし、道庵の考え方と「医者は商いで会って商いで無し」と言う恩師・玄瑞を重んじ分け隔てなく患者を診察しているうちにその懸念は消え去り、今では「八丁堀の二八先生」と評判の医者となった。二八先生の名前の由来は、凌雲が提示する治療費の最低請求額が十六文で有る事に由来している。「具合が悪いなら、二八先生に相談しな」と江戸庶民は口を揃えているが、検死の声がかかればすぐに駆り出されてしまう事には難色を示し「先生の片手業には困ったものだ」と呆れられている。
しかし凌雲はこの地に腰を落ち着け、養父や恩師の考えを重んじ医者としての道を邁進しているのだった。
「そう言えば聞いたかぇ?山王様で三島屋の娘が首を括ったってよ?」
「聞いたよ、相手がいながら番頭と乳繰り合った挙句に心中したってさ。」
「俺は番頭が一方的に手籠めにしたって聞いたぜ?」
「娘さんは身重だって話じゃねえか?」
「孕んだ挙句に神社で相対死か?いやらしい話じゃねえか?」
「罰当たりだなぁ。」
診察を待ちながら、患者たちが口々に噂話に花を咲かせている。山王権現堂での事件に関し、尾鰭が付いて噂が出回っている様だ。
事件が事件名だけあり、噂の種になっている様だ。の大きな出来事、「誰かが殺された」、「家が焼けた」等特に事件となればこうした憶測と言うか根も葉も無い噂が飛び交う。
人の口に戸は立てられぬと言うが、江戸っ子達は正に口さがが無い。何時も通りの光景ながら、その噂のせいで騒動にもなりはしまいかと冷や冷やさせられる。
「何時まで喋ってるんです?早くお入りなさい。」
噂話に花が咲く患者へ、美沙が強めに言う。すると患者が入って来る。殆どが本道医である美沙だけで事が足りる患者で、外科治療を必要とする患者はあまりいなかった。
「痛ってぇーーー!」
凌雲がいる間から、若い男の悲鳴が聞こえてくる。今、金創治療の真っ最中だった。患者は丸に勝の半纏を鯔背に着こなす、魚屋の銀平だった。
「暴れるな、お前が悪いんだろうが。」
「だからって痛えものは痛えや、手加減して下せぇよぉ。」
バタバタと暴れる銀平の手を抑え、バックリと斬られた傷を縫合する。外科には麻酔薬を使うのが当たり前だが、この時代に部分麻薬は無く、医者は極力痛みを抑え治療を行うのだが、大抵の金創治療には激痛が伴う。
「全く、毎度ギャアギャア騒ぎやがって。またつまらぬ喧嘩でもしたんだろう?」
「つまらねえ事じゃねえです、地回りに絡まれた幼気な娘を助けたんでさぁ。まあ、あっしだからかすり傷で済んだわけで。」
「調子に乗るな。人助けの行いは結構だが、お前が死んだらどうなるのだ。お前を贔屓にしている家は、たちまち三度の飯に困るのだぞ?」
「そうは言いますが、こればっかりは性分と言う奴で・・・。馬鹿に付ける薬はないって言いますから。」
「自分で言うな、自覚しているならば少しは治す努力をしろ。」
「へーい、精々精進致しやす。」
照れ笑いをして誤魔化す銀平に、呆れ顔を向ける凌雲。
「本当だな、無茶をして悪化しても診てやらんからな。」
「かしこまりやした。そうだ先生、良い鰹が入りやしたので持って参りやした。そろそろ初鰹の終わりですからね、味わってもらおうと思いやして。」
「良いのか?こんな高価な商売物。」
「そりゃあもう。先生は口が肥えてなさるからねえ。」
「そいつは褒めてるのか?」
「勿論でさあ。」
そう言うと銀平は薬袋を受け取り、帰って行った。
懐から懐中時計を出し時を見ると、時は朝五つ半(9時半)になろうとしていた。これから朝餉を取ろうとした所で仁吉と勇五郎に捕まり、今の今まで凄惨な死骸を診ていたのだ。今何時か知った途端に、大人しくしていた腹の虫が鳴き始めた。
患者がまばらになった所で、台所仕事をしていたお喜代が声を掛けて来た。
「味噌汁、温め直しました。頂きましょうか?」
「おぅ、二人はもう食ったのか?」
「いいえ、これからです。」
「忙しかったみたいだな。」
「先生がいなかった分、沢山押し寄せてきましたわ。」
「そうかい、そいつは済まなかったな。」
話も早々に、飯にしようと作務衣を脱ぐ。手桶で手を洗い終えた凌雲は、上座に胡坐をかく。直ぐにお喜代が、猫足の御膳に朝餉を乗せて運んでくる。朝餉が並べられた盆を引き寄せ、まず凌雲は味噌汁に口を付けた。味噌汁の味を感じ、ようやく人心地付いた気がした。
「それで先生、此度の死骸は如何でしたか?」
「患者たちの噂では、相対死とか?」
事件の概要を、美沙が何気なく聞く。普段は検死の事等鼻にも掛けない様子だが、気にはなる様だ。
白米に納豆を掛けながら、凌雲は美沙に事件について語る。
「ああ、一筋縄ではいかぬ死骸だったよ。」
「一筋縄ではいかぬ?ただの相対死では無かったのですか?」
凌雲は飯を食いながら、当たり障り事から語り始める。他者の手に掛かり、相対死に見せかけられた可能性があると聞いたお喜代も美沙も、俄かには信じられぬ様子だった。
「では先生の調べでは、相対死ではないと?。」
「うん、十中八九間違いない。ところでお喜代さん、あんたの早耳を見込んで効くのだが、三島屋のおはつには良い人がいたのか?」
「良い人ねえ・・・、三島屋伊兵衛は躾が厳しくてね、何処へ行くにも息の掛かった物が行状を監督していたほどなんです。ですから、浮いた噂は聞きませんねぇ。」
「行状を見張るだなんて、やり過ぎですね。」
「美沙先生の御父上は、そんな御方じゃなくて良かったですねえ。」
「私の父は、当たり前の礼儀作法は厳しかったですが、それ以外の趣味嗜好はほったらかしでしたからね。」
「親は木に立って見ると書く、いちいち濡れ落ち葉の様に引っ付くのは間違っている。」
子を躾けるのは愛情と世間では言うが、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。薬も過ぎれば毒になる。
「先生、厳しい躾と言えば親御さんだけに限った事ではありませんよね。今のご時世、改革高何だか知らないけどさ、何でも駄目だ駄目だと五月蠅い世の中になりましたねぇ。」
「左様、人の心は紙風船と同じだ。入れ過ぎた息の如く、何れ溜まり過ぎて破裂するぞ。御上の連中は、その点の事が解らぬ様だな。」
「そうですね。」
暫くおかみのせいさくについての不満を口々に言っていたが、お喜代の言葉で内容は相対死に関する話になった。
「何があったのか知らないが、酷い事を擦る奴がいた物ですねえ。相対死に見せかけるだなんて。殺しの可能性があるんでしょ?」
「悪い奴がのさばるだなんて・・・、嫌な渡世だねぇ・・・。」
「敵うならば、天誅を加えてやりたい。俺は医者だ、命を粗末にするやつは許せぬ。」
二杯目の白飯をよそいながら、お喜代は険しい顔を浮かべる。凌雲も表立って怒りを露わにはしていないが、胸の内は腸の煮え繰り返る思いだった。
「先生、悪を懲らしめるのは役人の領分。先生の仕事ではありませんよ。」
顔色一つ変えず、目の前の朝餉を淡々と食べながらも暴走しそうな凌雲を嗜める。如何に凄惨な話を聞こうと、理不尽な目にあった者の噂を耳にしようと表情一つ変えようとはしない。喜怒哀楽が欠如した朴念仁と言う訳では無い。検使を終えたらもう医者の出番は終り、その後の事は町方の仕事であると理解しているからだ。何かと暴走しがちで、目の前が見えなくなりがちな凌雲をこうしていつも律してくれる。世話女房のような存在だ。
美沙は親の反対を押し切って、女医者となった。何れは何処かの医者か、武家の養女を経て何処かの御家人か旗本の家に嫁ぐか、それが女である美沙の人生だと信じて疑わなかった。しかし当の本人が、それを良しとはしなかったのだ。「女は家に残るだけが能じゃない」、「内儀として押し込められるのは嫌だ」と豪語して、小石川養生所に押し掛けた。肝煎医師である森岡泰然は難色を示したが、医者の最高位である奥法印医師の立場にある大物の令嬢の申し出に、否やは言えなかった。美沙はなりたいと言い出しただけあり、成程本道医としての技量は中々の物で、様々な疾病の治療に貢献した。
だが、順風満帆と言う訳では無かった。元来美沙は男勝りと称される程に気が強く、博識さも相まって名の隙のない患者を言い負かしたり、小言を言って参らせる事も一度や二度じゃなかった。優秀な医者でありながら、損得勘定しか見えていない泰然にとって美沙の存在は目の上のたん瘤であった。
しかし唯一美沙を前にしても物怖じしなかったのが、凌雲である。ある日、大けがを負った無頼漢を治療した際、悪行を重ねた無頼漢など怪我を負って死んでも自業自得と美沙は言い放った。しかしそれを、凌雲は厳しく叱咤した。
「かの天下の極悪人刀われる吉良上野介治療した栗崎道有しかし、本当の医者ならば善悪の区別無く治療してこそ。それが出来ぬのならば医者の看板を下ろせ」
恩師の娘を前にしても断固として考えを曲げぬ凌雲に、美沙は反骨心と言うか、今までとは違う感情を抱き、今度は天竜堂へ押しかけた次第だ。
男所帯に若い女が入る、当然のことながら凌雲は難色を示した。しかし、恩師の娘をたたき出すわけにもいかない。そこで通いを条件に、天竜堂の出入りを許し今に至るのだ。
「いかようにも取り扱って構わぬ」
そう師匠の玄瑞からは言われている。豪快と言うか、どこか俗っぽい泰然に至っては—
「何れは手が付くに違いない」
そう恥ずかしい事を言われ、赤面させられたものだ。玄瑞自身、玄信と言うれっきとした嫡男がいながら、愛弟子と美沙が結ばれる事を密かに望んだものだった。だが凌雲自身は、男と女の色恋沙汰は苦手としており、二人の間柄が進展する兆しは今のところない。
一足早く飯を食べ終え下げやすい様に皿を重ねた美沙は、凌雲の卓上に置かれた箱を見つけて近づいた。受診した患者がお足を入れるのだ。其れなりに患者が来た、あれだけの患者がいればそれなりの額が入っていても良いと美沙は思った。おもむろに箱を持ち上げ、箱を揺さぶる。ジャラジャラと音がする。中には金の小粒も混ざっているが、殆どが文銭のようだ。天竜堂の治療代が十六文と言うのは、もはや有名な話で凌雲は「二八医者」と呼ばれる理由の一つだ。中には凌雲の人間性に漬け込み、しめしめと治療代を払わず立ち去る患者もいるぐらいだ。
ジャラジャラとなる箱の中を、お喜代も覗き見て溜め息をつく。
「患者の割には、儲かってませんねぇ。」
「相手は貧乏なのだ、致し方あるまいよ。」
「先生が甘やかすからですよぉ、見料薬礼何れも十六文だなんて。隣近所の医者はもっと取ってますよ?」
「向こうには向こうの、俺には俺のやり方があるのさ。」
「全く。それに先生、この間も百間長屋の店子の店賃を肩代わりしたそうですねえ。私たちとしては有難いですがね、甘やかすとキリがありませんよ?」
「せいぜい気を付ける様にしよう。」
穏やかな面持ちで凌雲は返答する。その様子にお喜代は呆れながら、二杯目の飯をよそう。
その最中も、お喜代の小言は止まらない。亭主が滑稽噺よろしく小言幸兵衛と呼ばれるように、お喜代も小言っぽい。似た者夫婦とは、まさにこの夫婦の事だ。
「しかし、町方も残酷ですねえ。どんな事情があるか知らないけどさ、先生にあんな血生臭い御役目を押し付けて。家の人に先生を連れてこさせたのも、先生を監視下に置いてこき使う為だったんでしょうねえ・・・。」
「おいおい、自分の亭主まで悪く言う物じゃない。それに俺は、済む場所を世話してもらって感謝しこそすれ恨みに何て思っちゃいないよ。」
「でも先生、世間で先生を何と申しているか知っています?鳴滝崩れのおろく者、行けば自分もおろくにされる。まるで気違いの、人殺しの様な言われようですよ?このままじゃ、先生の立身出世は一生叶いませんよ?」
「はっはっは、口さがの無い連中だ。言いたい奴には言わせておけば良い。それに俺は出世なんて臨まぬ、俺一人の糊口が凌げればそれで良い。」
凌雲の言葉に、お喜代は益々呆れた。この欲の無さが、凌雲の長所であり短所である。
箱の中の稼ぎを見て溜め息を付いた美沙は、上部で風見鶏が右に左に回る南蛮渡来の置時計をちらりと見た。巳の刻(朝四つ)になろうとしていた。
「さあ先生、お話はその位にして早く支度をしませぬと。往診の御用があるのでは?」
「そう言えば、今日は水谷家の往診だったな。」
「ああ、あの無用斎様のねえ・・・。」
無用斎の名前が挙がると、お喜代が怪訝な面持ちを浮かべる、凌雲の顔も、どこか気怠そうだった。
それはこの無用斎が、嫌な患者だからだ。医者を生業にしていれば、嫌な患者の一人や二人いよう物だが、この無用斎は群を抜く。
「また嫌な野郎から往診の依頼が来たものですねえ。」
「お喜代さん、患者にその様な物言いはいかん。」
「でもあんな文句しか言わない患者じゃねえ、あんな人使いの荒い因業な野郎の相手は化け物じゃなきゃ務まらないでしょうねえ・・・。」
「患者を誹るのは良くない。治して欲しいと願うならば、治すのが医者の務めだ。」
「真面目ですねえ、先生の様な医者が増えりゃ少しは世の中良くなるでしょうねえ。」
「いちいち大袈裟なこと言いなさんな、俺は当然の事をしているだけだ。」
無用斎とは、元勘定奉行の水谷豊後守の事だ。勘定奉行は年貢や知行割などを扱う勝手方と公事や訴訟などを扱う公事方に分かれ、無用斎は公事方の立場にあった。関八州の悪党たちからも「鬼豊後」と呼ばれて恐れられ、切れ者と誉高かった。今は職を辞し、家督を信一郎に譲り、隠居の身なのだ。今その後釜には、老中首座の異母弟である跡部能登守良弼が就いている。
大人しく隠居をしていれば良いのだが、その後がいけない。信一郎は今や蔵人と名を改め、大名を観察する大目付の立場にある。順風満帆だ。しかし、無用斎はそうでは無かった。置いた自分はもはや無用だと、陰気臭い雅号を名乗り隠宅に籠った。
ただでさえ無用斎は如何なる不正も職務怠慢も許さぬ頑固な人物で、隠居してからは輪を掛けて気難しい人間になった。女中や用人を雇いはしても、その気難しさと人使いの荒さから直ぐに辞めてしまう。こんな調子だから、口入れ屋の間では要注意人物として広まっており、「あれでは妖怪でも雇うしかない」と噂になる程なのだ。
人使いの荒さは、雇った用人に限った事ではない。通いの商人や往診に来た医者も例外では無く、医者の間でも悪名が知れ渡っている。
「大抵の医者では捌ききれぬから、俺に回って来たと言う事だ。」
無用斎は近隣に住まう岡田林斎から紹介された、と言うより押し付けられた患者なのだ。
「都合よく先生が利用されているとしか思えませんよぉ。」
「そう言いなさんな、頼ってくれるならば何でも良い。」
「先生の様なお医者様が増えれば、苦しむ患者もいなくなるでしょうねえ・・・。」
「大袈裟だよお喜代さん。」
無駄話を言っているうちに飯を食い終え、凌雲は支度をすべく次の間へと入って行った。
厄介な患者を押し付けられるのは、今に始まった事では無い。しかし凌雲は、余程の理由でもない限りは断らない。いや、断るわけには行かぬ事情がある。恩師の教えがあるからだ。
凌雲は二親を知らず、「親父様」と呼ぶ養父・高柳道庵に男で一つで育てられた。道庵はこの江戸の地で、医者の看板を上げていた。医は仁術を絵に書いたような人情医者で、ある時払いの催促なしが当たり前。凌雲は何時も、道庵の背中を見ていた。道庵を「親父(おや)っさん」と呼び、敬愛していた。そんな道庵にはもう一つの顔があった。町方や代官所と言った役人の要請を受け、変死体の検死を請け負う検使役としてつとに有名だった。
「死人に口なしと言うが、伝える術がない訳では無い。物言わぬ死骸の声なき声に耳を傾けるのが検死、生ける者も死した者も見る事が出来てこそ一人前だ」道庵の口癖だった。
役人からは御上の御用を陰ながら支える縁の下の力持ちとして重宝していた。しかし、ある騒動が勃発した。嘗て各地でコロリ(コレラ)が流行。その風邪は人体だけではなく、心まで蝕んだ。高柳家は医者として、人と接触せず、手を洗い此処に対策を取る事を唱え続けた。しかしコロリの感染者数は増え続け、その不安と怒りの矛先は高柳家に向けられ、道庵は石を投げられた挙句、「医者は薬や金を貯め込んでいる」と邪推され、打ち壊しよろしく家を襲撃され道庵家族は死亡。凌雲は齢僅か十歳で身寄りが無くなった。
その後凌雲は、道庵の盟友だったと言う奥法印医師の藤川玄瑞に身柄を預けられ、医者としての技術を徹底的に叩き込まれて育てられた。持って生まれた天性の才なのか、凌雲は医者としてメキメキと腕を上げ、十五の頃には逆子で苦しむ野良猫を帝王切開で子猫を取り上げると言う技を見せ、既に「若き医聖」の名を恣にしていた。玄瑞にもその腕を見込まれ、既に一子の玄信がいたが、養子になる事を望まれた。だが凌雲は、養父の道庵が守っていた俗に言う地域医療を受け継ぐと言う目標があった。
凌雲は更なる修行の為、鳴滝塾入門を玄瑞に懇願した。鳴滝塾では最新鋭の開腹手術を学ぶ事が出来ると、医学を志す者の間では有名な話で凌雲も入門を強く望んだ。凌雲がこの最新医学を学ぶ事を熱望した理由には、道庵の検使役と言う稼業に活かせると考えての事だ。
検死は法医学の領域、法医学の本分は解剖だ。江戸時代の検死の中にも、司法解剖が存在した。古方派の五大家の一人である山脇東洋は、恩師の後藤艮山から臨床重視の古医方を学び、後の『蔵志』の刊行に先立ち、人体と構造が類似すると言われていたカワウソを何匹も解剖するなど、人体の内景に長年疑問を持っていた。
一七五四年(宝暦四年)閏二月、京都所司代の酒井(さかい)忠用(ただもち)の許可を得て、弟子の小杉玄適や原松庵を派遣し、斬首刑に処せられた屈嘉という名の刑死人を幕府御用として解剖、観察を行った。それが切っ掛けで『蔵志』の出版につながり、この刑死人の解剖以降、日本中で人体解剖が行われるようになった。
その玄適に触発されたのは、小浜藩の同僚であった杉田玄白だ。一七年後、千住小塚原にて仕置に処された罪人の腑分けを行った。その際に玄白は、仕置場を管理する老人の協力を得てドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスが書いた『ターヘル・アナトミア』と照らし合わせ、五臓六腑の位置を記憶していった。後に玄白は、前野良沢、中川淳庵、桂川甫周ら著名な蘭学者と図り『ターヘル・アナトミア』の翻訳を行い、生まれたのが解体新書で手術の技法発展に大いに貢献、検死・司法解剖の技術も向上し、御上の要請を受けて死骸を調べる事を業とする役人や医者が存在する様になった。この様に検死の役目に解剖学は必要不可欠で、凌雲はそれを学びたかったのだ。
凌雲は入門し、シーボルトの元でメキメキと頭角を見せ、誰もが凌雲の立身出世を信じて疑わなかった。だが、ここで問題が発生した。
シーボルト事件—帰国する際に日本地図などの禁制品を国外に持ち出そうとした事が発覚し、シーボルト本人が国外追放の厳罰に処され、シーボルトに地図を贈った幕府の書物奉行兼天文方筆頭の高橋景保を初め、鳴滝塾に関わる大勢の関係者が断罪された一件だ。更に十一年後、高野長英や渡辺崋山などが、モリソン号事件と江戸幕府の鎖国政策を批判したため、捕らえられて獄に繋がれるなど処罰された俗に言う「蛮社の獄」。これらの蘭学者弾圧事件により、蘭学を修めた者は世間の片隅に隠れ、細々と暮らす事を強いられた。
シーボルトの門下だった凌雲も例外ではなく、江戸に帰郷して直ぐに宗源寺と言うちっぽけな寺の納屋に居候を決め込み、そこで患者を診察し日銭を稼いでいた。しかし、ある筋より要請を受けたと言う町方に八丁堀の地へ招かれた次第だ。恐らく第二第三の渡辺崋山の様な不心得者を産まぬ為の監視であると考えたが、凌雲は住家が得られるのならとこの地を訪れた。
凌雲は他の年配の医者に比べれば若年の部類に入り、鳴滝塾出身という噂も相まって近隣の住人は疑問視した。しかし、道庵の考え方と「医者は商いで会って商いで無し」と言う恩師・玄瑞を重んじ分け隔てなく患者を診察しているうちにその懸念は消え去り、今では「八丁堀の二八先生」と評判の医者となった。二八先生の名前の由来は、凌雲が提示する治療費の最低請求額が十六文で有る事に由来している。「具合が悪いなら、二八先生に相談しな」と江戸庶民は口を揃えているが、検死の声がかかればすぐに駆り出されてしまう事には難色を示し「先生の片手業には困ったものだ」と呆れられている。
しかし凌雲はこの地に腰を落ち着け、養父や恩師の考えを重んじ医者としての道を邁進しているのだった。
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