異世界に転移してサンドウィッチ屋を開いたら、騎士様の胃袋を掴んでしまった様です。

有永

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第91話 蠱惑のバーテンダー

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「セイル、髪切ったんだな!」

リメイン仕事納めの翌日、前から約束しておいた事の為に、夕方の開店前のエムに訪れるセイル。
現れたセイルの姿を見て、ゼニスとペリエが驚きの声を上げた。

「うん。昨日の打ち上げのあと、アッシュに切ってもらったんだ。…似合う?」

ウルフボブの後ろ髪を撫でながら、セイルは少しだけ不安な表情で二人に聞く。

少し短くなったボブウルフの襟足を細い指先で弄りながら、セイルは不安げに首をかしげる。その仕草だけで、うなじから色気が零れ落ちそうだ。

「とてもお似合いですよ、セイルさん。一段と洗練されましたね」

ペリエが蕩けるような微笑みを浮かべて褒めちぎると、隣で腕を組んだゼニスもうんうんと深く頷いた。

「ああ。なんていうか……、元の美形が際立つっていうか、さらに色気が増したな」

「変なこと言わないでよ、ゼニス」

セイルは頬を微かに染め、照れ隠しに軽く会釈をすると、着替えのために奥の部屋へと向かった。





カラン、とドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

入り口の扉を開けた常連客を出迎えたのは、見慣れた店主たちではなく、見目麗しい「新人」だった。淡い紫色のベストにボトムス。ベビーピンクのドレスシャツに極めつけは、ティファニーブルーの柄物ネクタイをきっちりと締めたセイルだ。
いつもの「リメイン」のエプロン姿とは打って変わり、バーの薄暗い照明に照らされた彼は、息を呑むほど妖艶だった。

「あれ? セイルさん!? どうしてこちらに?」

常連客の問いに、セイルは流し目で柔らかく微笑む。

「今日は私もエムのバーテンダーとして、こちらにお世話になっております。……不慣れですが、精一杯おもてなしさせていただきますね」


オーダーを受けカウンターの奥でシェーカーを手に取る。高い器用さと、執事のバイトや料理人として培った感覚は、カクテル作りにも遺憾なく発揮されていた。

「セイル、次、マティーニだ」

「かしこまりました」

無駄のない動きでバースプーンを操るセイル。細い手首が動くたび、アッシュに整えられたばかりの髪がさらりと揺れる。

その姿を、カウンターの端に座っていた「身内」たちが黙って見守っていた。

「……やりすぎだな」

低く、苦々しい声を漏らしたのはアッシュだ。
自分の手で切り揃えた髪が、琥珀色の光を受けて桃色に透けている。仕事上がりで駆けつけた彼は、愛する恋人のバーテンダー姿に鼻を高くしつつも、周囲の客が送る熱い視線に気が気ではない。

「ふふ、アッシュ団長。セイルの新しい魅力が開花して素晴らしいじゃないですか。独り占めしたい気持ちも分かりますが」

ソレントがブランデーのグラスを傾けながら、楽しげに目を細める。その隣では、ティントレットが逞しい片腕をソレントの腰に回し、もう片方の手でエールのグラスを静かに傾けていた。

「……それにしても、ソレント参謀とティントレット団長、貴殿らが『そうなった』ことの方が、俺には衝撃なんだがな」

アッシュは隣に座る二人をじろりと一瞥した。その視線に気付き、ティントレットが無言でソレントの腰をぐいと抱き寄せ、ソレントの頭を自身の肩に添えさせる。ソレントは「困った人ですね」と苦笑しつつも、その頬は赤らんでおり、拒む様子は一切ない。

「……お熱いことだ」

アッシュは溜息をつき、再びカウンターの向こうで微笑むセイルに視線を戻した。
ちょうどセイルがこちらに気づき、アッシュに向けてだけ、特別に甘く、淫らさすら感じさせるウィンクを投げた。

ドクン、と心臓が跳ねる。
アッシュは手元のグラスを一気に飲み干すと、まだ夜が始まったばかりだというのに、早く彼を家に連れて帰りたくて仕方がなくなっていた。

「……ゼニス、悪いが、セイルのシフトはあと一時間にしてくれ。それ以上は、私の理性が持たない」

「おいおい、団長様。公私混同は勘弁してくれよ?貴重な 今日限定の看板バーテンダーなんだからな」

ゼニスがニヤリと笑いながら、新しいボトルを棚から取り出した。セイルは苦笑いしながらアッシュの前に移動し、手際よくジンリッキーを作って差し出す。
 
「アッシュ、朝からね、今日はエムで接客するの楽しみにしてたんだよ?俺。 閉店までいさせて?」

上目遣いで、アッシュの手の甲にそっと指先を滑らせる。その確信犯的な誘惑に、アッシュはぐっと言葉を詰まらせた。

「……分かった。だが、帰ったら覚悟しておけよ」

「ふふ、楽しみにしてる」

セイルはアッシュにだけ聞こえる声で密やかに囁くと、再び他の客のオーダーを受けるべく、翻るように背を向けた。

その背中を、アッシュだけでなく、今夜の「エム」に集まった男たちの熱い視線が追いかける。

「おーい、アッシュ。睨みすぎてグラス割るなよ?」

ペリエがからかうように、反対側から声を上げた。


「お待たせいたしました。ウイスキー・トゥ・デイです」

​優しく湯気が立ち込め、シナモンの香りが広がる耐熱グラスが、常連の男の前に置かれた。
セイルはグラスを置く際、わざと少しだけ身を乗り出し、男の耳元で「お熱いうちにどうぞ」と吐息混じりに囁いた。
​その瞬間、男は顔を真っ赤にし、セイルの細い指先に自分の手を重ねようと手を伸ばす。

​「セイルさん、君って人は……。今夜はこのまま、どこかへ連れ去ってしまいたいな」

​「お客様、私はバーテンダーですので…」

​セイルが困ったように眉を下げて笑ったその時だった。

​背後から、突き刺すような、物理的のような圧力を伴った殺気が男を襲った。
男が凍りついたように顔を向けると、そこにはグラスを指先でミリ、と軋ませ、氷のような眼差しでこちらを凝視する、アッシュの姿があった。

​「ひっ……!」

​男は反射的にセイルから手を離し、肩を竦めてホットウイスキーを無理矢理一気に煽った。

​「……ご、ご馳走様。……いや、団長さん、そんな顔で見ないでくれ。冗談だよ、冗談!」

​男が逃げるように会計を済ませて店を出ていくと、セイルはクスクスと肩を揺らした。

​「アッシュ、お客様を怖がらせちゃダメだよ?」

​「……。セイル、今のカクテルの意味を知っていて出したのか」

​「ウイスキー・トゥ・デイの? さあ、なんだったかな。そもそもさっきのお客様のオーダーだもん。俺は作って出しただけだよー」

​とぼけるセイルの瞳には、明らかに確信犯的な光が宿っている。カクテル言葉は『誘惑の仕草』。

​「お前は本当に……。……ペリエ、悪いがやっぱり、あと三十分だ。これ以上、獲物を狙う男たちの相手をさせるわけにはいかない」

​「あはは! 団長様、独占欲が爆発してますね」

​ペリエが笑いながらシェーカーを振る中、セイルはゼニスに声を掛ける。

​「アッシュ、俺は閉店までいるよ。ゼニス、アッシュにキャロル入れてあげて」

ゼニスはその意味に口角を上げると、ブランデーとスイートベルモットをステイし、カクテルグラスに注ぐ。カクテルピンにマラスキーノチェリーを刺すとカクテルに挿し、アッシュの前に置いた。聞き慣れないカクテルに首を傾げるアッシュ。

「こちらはキャロル。『この想いを君に捧げる』という言葉をお持ちです。…閉店までごゆっくり」

ゼニスはアッシュの肩をポンっと叩くと隣のソレントとティントレットに話し掛ける。

アッシュの前に置かれた、宝石のように深い真紅のカクテル。

『この想いを君に捧げる』という甘いメッセージを突きつけられ、アッシュは完全に毒気を抜かれたように息を吐いた。

​「……セイル、君には敵わないな」

​降参だとばかりに肩を落とし、アッシュはキャロルを口に含む。ブランデーの芳醇な香りとベルモットの甘みが、嫉妬で焼け付いた喉を優しく撫で下ろしていった。

​セイルはアッシュの様子に満足げに微笑むと、再びカウンターの中を軽やかに舞い始めた。
アッシュに切り揃えられたばかりのボブウルフは、彼が動くたびに首筋にさらさらと触れ、その隙間から覗く白い肌を際立たせる。



冬の夜はまだ始まったばかり。

賑やかな喧騒の中で、セイルの新しい髪型とバーテンダー姿は、集まった男たちの心を激しくかき乱し続けていた。





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