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第118話 朝焼けスターマイン
しおりを挟む……だんだんと意識がはっきりしてくる。
ペリエの腕の中で目覚めたゼニスは、仄かな寒気を感じて右手を掲げた。セイルに教わったばかりの、火魔法による遠隔操作。慣れない魔力の動きを慎重に操り、部屋の隅にある、魔法石の切れた暖房魔道具を再起動させた。
カチリ、と小さな音が響き、徐々に暖かくなっていく仄暗い部屋。
閉め忘れたカーテンの隙間からは、淡い月灯りが差し込み、ベッドの中で寄り添うペリエとゼニスの輪郭を静かに縁取っていた。
毛布の質感と重なり合う素肌。ペリエの重みのある体温。
(温けぇなぁ……)
重い瞼を閉じかけながら、ゼニスはもそもそとペリエの腕の中に更に潜り込んだ。
かつては騎士団長として名を馳せた男の腕は、今やバーテンダー見習いの手として、優しくゼニスの腰を抱き寄せている。以前のような「守るための強さ」ではなく、ゼニスという存在を「慈しむための強さ」に変わったその感触が、ゼニスの胸を締め付けた。
「……起きたのか、ゼニス」
頭上から降ってきたのは、少し掠れた、それでいて心地よく響く低音。
ペリエの碧眼が、月光を反射して宝石のように光っている。
「……起こしたか。悪い、魔法使ったから」
「いや。お前の魔力が揺れたから、すぐに分かった。……寒かったな」
ペリエはそう言うと、抱きしめる力を少しだけ強めた。騎士団長という身分を捨て、自分の隣にいる道を選んだ男。その覚悟の重さを知るたびに、ゼニスは鼻の奥がツンとするような感覚に襲われる。
「セイルに習っといて正解だった。火魔法ってこんな使い方もあるんだな」
「ふふ、そうだな。あいつ――セイルとアッシュも、今頃はあっちの家で、同じように温め合っているんだろうな」
エリンジューム侯爵家の養子として、アッシュと「家族」になったセイル。二人の幸せを思い浮かべると、ゼニスの唇に自然と笑みがこぼれた。自称「兄貴分」として、弟分の幸せは何よりの肴になる。
「……お前、今セイルのこと考えてただろ」
少しだけ拗ねたような、独占欲の混じった声。
ペリエはゼニスの額に自分の額をこつんとぶつけた。
「いいだろ、別に。お前と違って、あいつは可愛い弟分なんだから」
「俺は、お前の可愛い恋人だろう?」
冗談めかして、けれど真剣な瞳でそう告げるペリエに、ゼニスは「バーテンダーのくせに口説き文句が甘すぎるんだよ」と毒づきながら、その首に腕を回した。
「……知ってるよ、馬鹿」
ゼニスがそっと唇を重ねると、ペリエはそれを深く、深く受け入れた。
外は冷え込む冬の夜だが、この部屋にはセイルから教わった「火魔法」よりもずっと熱い、二人の体温が満ちていた。
煙草の香りが染み付いたゼニスの指先を、ペリエが愛おしそうに絡めとる。
朝は、まだ来ない。
二人の吐息が重なり、魔法石が放つ熱よりもずっと深い情熱が、夜の帳を溶かしていった。
薄い睡眠を終えて、まだ領地の輪郭が葡萄色からオレンジ色に変わる頃の早朝。
ゼニスとペリエは軽く食事を済ますと、厚着をして家を出る。
二人して、踵を鳴らして領壁の、一般解放されている側の階段に向かう。入口の騎士に頭を下げて、二人は階段を昇っていく。
「おはようございます。今朝も早いですね、ペリエ元団長」
番に立っていた若い騎士が、居住まいを正して挨拶をする。ペリエは苦笑しながら、「もうその肩書きはやめてくれと言っているだろう」と手を振った。隣を歩くゼニスは、少し誇らしげに、それでいて照れくさそうに、ペリエの隣で足音を揃える。
程なくして、設置してあるベンチに、肩を並べて腰掛ける。ゼニスは上着のポケットから煙草を取り出し、指先に小さな火魔法を灯した。かつては火種を探すのも一苦労だったが、セイルに魔力を貰ってからは、こんな些細な日常も便利になった。
ふう、と紫煙をくゆらす。
広大な領地が、徐々に朝日に縁取られていく。
昨日、セイルとアッシュの婚姻が無事に成立したことを思い出し、ゼニスの胸には温かい達成感が広がっていた。
「……セイルの奴、今頃はアッシュの腕の中でまだ寝てんのかね」
「アッシュのことだ、セイルを離さずに閉じ込めているだろうな。あいつは一度火がつくと、俺たちよりもしつこいぞ」
ペリエが思い出を語るように目を細める。
かつては共に剣を振るい、国を支えた仲間。今は一人が侯爵家の次男として異世界から来た恋人を守り、一人はすべてを捨てて愛する男の隣でシェーカーを振る練習をしている。
「……なあ、ペリエ。お前、後悔してねぇか。こんな場所で、俺みたいなのと一緒に居て…」
不意に口を突いた言葉は、紫煙と一緒に朝の冷気に溶けた。
ペリエは一瞬だけ目を見開くと、隣に座るゼニスの肩を抱き寄せ、その頬に軽く唇を寄せた。
「後悔? するわけがないだろう。時たまこうしてお前と日の出を見て、一緒に同じ仕事をして、夜は毎日同じベッドで眠る。騎士団長の椅子よりも、俺にはこのベンチの方がずっと居心地がいい」
「……ちっ、相変わらず甘ぇんだよ。お前の客になる女共が気の毒だぜ」
「俺が口説くのは、店主であるお前だけだ」
ゼニスは、この時間のこの風景が好きだった。
朝日に照らされて輝くクラミス王国の街並み。そのどこかに、自分たちと同じように幸せを噛み締めているセイルとアッシュがいる。
そして隣には、自分を何よりも優先してくれる、馬鹿みたいに一途な男がいる。
「……よし、行くか。今日はレティスとカシスが揃って休みだから、ウチで昼食会だったな。散歩して市場行って、色々買い込んで行くか」
「ああ。若い二人の熱い話も聞かされるかもしれないが、それも悪くない」
二人は立ち上がり、オレンジ色の光の中へと歩き出す。
新しく始まった「家族」の形。それはセイルとアッシュだけでなく、自分たちにとっても、何物にも代えがたい光に満ちていた。
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