異世界に転移してサンドウィッチ屋を開いたら、騎士様の胃袋を掴んでしまった様です。

有永

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第145話 セイルと森の宝石

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引越し作業2日目。

新しくなった「リメイン」の店舗フロアは、木の香りが心地よく漂っている。俺はレティスと共に、客席の配置や配膳の動線を入念に確認した。


​「セイルさん、こっちのテーブルを少しずらせば、もっとお客様通りやすくなりますね」

「そうだね、レティス。助かるよ。……よし、今日はこのくらいにしようか」

​久しぶりにレティスと二人で賄いを食べ、午後は所用のため商業ギルドへと足を運んだ。新店舗の設備投資に向けた口座からの現金引き落とし、特許料に関する打ち合わせをする。

事務的な手続きを終え、ようやく腰を上げようとしたその時だった。

​「そうだセイル様、こちらをご存知ですか?」

​ギルド職員が、茶色の包みを差し出してきた。中から現れた、ラグビーボールを小さくしたような形の、硬い樹の実。その独特のフォルムと表面の質感に、俺は思わず目を見開いた。

​「……これは」

「『カカルオ』といいます。南の獣人族の大陸『ハイペリカム』にある『カリオフィルス』という国で採取される実だそうです。食通のセイルさんなら、何かご存知かと思いまして」

​カカルオ。
名前こそ少し違うが、この形状、そして微かに漂う芳香は間違いない。俺の元いた世界で、世界中を虜にしていた魅惑の食材――「カカオ」だ。

​「これ……!、これギルドで流通させることはできないのですか!?」

​思わず身を乗り出した俺に、隣に座っていたレティスや職員が驚いたように目を丸くした。いつも穏やかな俺が、これほどまでに興奮するのは珍しいからだろう。

​「か、可能ではありますが、南大陸からの定期便は本数が少なく、運搬や通関の手続きを含めると、安定して入荷するには最短でも一ヶ月ほどかかりますね」

「一ヶ月……。いえ、構いません。ぜひ、リメインで優先的に買い取れるよう手配をお願いします。料金は特許料から引いて下さって構いません!」

​俺の頭の中は、すでにこの「黒い宝石」をどう調理するかで一杯だった。
発酵させ、乾燥させ、焙煎して……。砂糖が無いのでハチミツでの代用にはなるが、あの甘く、ほろ苦い至福の味。
もしチョコレートが完成すれば、スイーツとしてはもちろん、酒好きのアッシュやゼニス、シュロ宰相たちへの最高の贈り物になるはずだ。この領内でもあっと言う間に広まるだろう。

​「わかりました。では、カリオフィルスの港領商会と調整に入ります」

​ギルドを出た俺の足取りは、羽が生えたように軽かった。

「セイルさん、あれってもしかして、セイルさんがよく言ってる『チョコレート』っていうやつの原料ですか?」

​ギルドを出て、新店舗への道を歩きながらレティスが顔を覗き込んできた。俺は抑えきれない高揚感を滲ませながら、何度も頷く。

​「そうだよ、レティス。正確にはその種子を加工するんだ。あの中には、この世のものとは思えないほど濃厚で官能的な香りが眠っているんだよ」

「官能的……。セイルさんがそこまで言うなんて、相当美味しいんですね」

​レティスは目を輝かせている。彼はまだ知らない。あの苦味と甘みのマリアージュを知ったら、きっと虜になるだろう。俺は脳内で、カカオ豆の発酵・乾燥・焙煎の工程をシミュレーションした。魔法を駆使すれば、本来なら数週間かかる工程も大幅に短縮できるはずだ。

俺はレティスを送り届けた後、はやる気持ちを抑えてエリンジューム邸に戻り、庭で日向ぼっこをしていた中型犬姿のノワールを抱き上げた。

「ノワール、行くよ。……聖域へ」

「へっ?」

ノワールを抱え、俺は一気に自らの聖域へと転移した。​聖域の清浄な空気の中、白銀の長髪をなびかせたブランシュと、あどけなさを残すアルジャンテが俺を迎えてくれた。

​「ブランシュ、南にあるハイペリカム大陸の『カリオフィルス』っていう国、行ったことある?」

​俺の転移魔法は既知の場所にしか飛べない。だが、古くから世界を駆ける聖獣である彼らの記憶を共有すれば、未踏の地へも道が開けるはずだ。

​「ハイペリカムのカリオフィルス……」

ブランシュは端正な顔を少し傾け、銀の睫毛を伏せて思案する。

「あの大陸は精霊の力が強く、我らもかつて羽を休めたことがあります。……熱帯の湿った風が吹く、緑豊かな地ですな。ですが、主よ。あそこは今の季節、魔力の乱気流が激しく、転移には少々骨が折れます」

​珍しく渋るブランシュ。だが、俺の「食」への執念を甘く見てはいけない。俺は無限収納から、以前「食品生成魔法」の試作で作っておいた、とっておきの包みを取り出した。

​「これ、食べてみて」

​包み紙を剥くと、艶やかな焦げ茶色の板状の塊が現れる。それをひとかけら、ブランシュの薄い唇に押し付けた。

「……ん、主、これは?」

「いいから」

​ブランシュが観念したように口に含む。次の瞬間、彼の涼しげなアイスブルーの瞳が大きく見開かれた。体温でとろりと溶け出す脂質の甘みと、鼻へ抜ける芳香。

​「な……っ!? この、とろけるような口溶けと、鼻に抜ける芳醇な香りは……! 甘美でありながら、微かな苦味が後を引く……。主様、これは一体!?」

「それがチョコレート。この原料の木が、カリオフィルスにあるんだよ。一ヶ月待てばギルド経由で手に入るんだけど、どうしても現地の畑を見てみたくて」

​ブランシュは最後の一欠片を惜しむように飲み込むと、シャキッと背筋を伸ばした。現金なものだが、彼は相当な甘党なのだ。

​「すぐに向かいましょう。アルジャンテ、準備を。……ノワール、お前も人化しなさい。あちらの森は深い。犬の姿では歩きにくいぞ」

「わふっ?」

​ノワールが光に包まれ、しなやかな筋肉を宿した黒髪の美男子へと姿を変える。アクアマリンの瞳が、面白そうに俺を見た。

「セイル様の食への執念には、聖獣も形無しですね。まあ私もその『ちょこれいと』とやらには興味があります」

​俺、ブランシュ、アルジャンテ、そしてノワール。俺達は円になり、互いの手を握りしめた。

​「ブランシュ、意識を共有して」

「承知いたしました。……さあ、参りましょう」

俺がブランシュの膨大な記憶にアクセスし、魔力を練り上げる。視界が白銀の光に染まり、次の瞬間、俺たちの肌を焼くような湿った熱気と、生命力に溢れたむせるような緑の香りが一気に押し寄せてきた。
​目の前には、幹から直接ぶら下がる、色とりどりのラグビーボールのような実――カカルオの林が広がっていた。

「……うわ、暑いな。湿度が尋常じゃない」

俺はたまらず、着ていた上質のコートとカーディガンを脱いで無限収納へと放り込んだ。ドレスシャツ一枚になっても、じっとりとした空気は容赦なく体温を奪っていく。

​見渡せば、巨大なシダ植物や、極彩色のアリウムに似た花々が咲き乱れている。そしてその奥には、幹から直接ぶら下がる色とりどりの――赤、黄、紫の「カカルオ」の実が、たわわに実る林が広がっていた。

​「ブランシュ、ここはどこかの領地なの?」

「いえ、ここは港領『フリティラリア』から少し離れた場所にある原生林です。人の手は入っておりますが、野生の魔物も多い場所……」

​ブランシュが言いかけたその時、湿った風に乗って、鋭い金属音と獣の唸り声が響いてきた。

「……戦闘の音? 近いな」

ノワールがアクアマリンの瞳を細め、音のする方角を凝視する。

「セイル様、あちらです。かなり激しくやり合っていますね」

​俺たちは顔を見合わせ、声のする方へと駆け出した。




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