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第152話 セイルと魔導給湯器
しおりを挟む室内は、まさに混沌の一言だった。
複数枚有る黒板や壁には数式が書き殴られ、床には歯車や魔石の破片が散らばり、中央の大きな作業台には、何やら蒸気を吹き出す奇妙な筒状の機械が鎮座している。
「……汚くてすみません。で、私に何か用があるんでしょう? セイル・エリンジューム様」
「名前までわかるんですか?」
「ええ。種族、名前、年齢、魔力量、属性……。あなたの魔力量は、鑑定窓から溢れて視界が真っ白になるほどですがね。……人間一人で、国を三つは焼き払えるほどだ」
ダリスが淡々と、恐ろしいことを口にする。セイルは苦笑いしながら、持参したカカルオの豆を取り出した。
「国を焼くつもりはありませんよ。俺がやりたいのは、この豆を美味しく焼くことです」
「豆を……焼く?」
ダリスが怪訝そうに眼鏡をかけ直す。セイルはそこから、先ほどジャンたちに説明した「チョコレート」の概念、そして、正確な温度管理が必要な「焙煎」と「攪拌」の工程について詳しく語り始めた。
セイルの話を聞くうちに、ダリスの瞳に熱い輝きが灯り始めた。眠たげだった表情は消え失せ、飢えた獣のような鋭さでセイルの言葉を追い始める。
「面白い……。つまり、火の魔石の出力を魔法陣で制御し、ドラムを回転させながら常に一定の熱を加え続ける……。さらに豆から出るガスを逃がすための風の魔石による排気機能……。なるほど、熱の『循環』か!」
ダリスはすぐさま黒板に向かい、猛烈な勢いで図面を書き殴り始めた。
「攪拌効率を上げるなら、魔石で風を送るよりも内部に羽を付けるべきか。温度センサーは……そうか、魔導金属の膨張率を利用して……」
「ダリス様、俺の世界では『コンチェ』という工程も必要なんです。数日間、絶え間なく熱を加えながら磨り潰し続けることで、口当たりを滑らかにする機械も作りたいんです」
「数日間連続稼働!? 魔石の燃費効率を極限まで高めないと、貴族でも破産するぞ……だが、やりがいがある。おい、ジャン様!」
ダリスが突然ジャンを指差した。
「この話、私が受けます。金はいりません……いや、研究費は出してもらいますが、この『新魔法理論』の実証ができるなら、私は寝食を忘れて没頭できますよ!」
ジャンは、狂気に満ちた笑みを浮かべるダリスを見て、満足げに口角を上げた。
「話が早くて助かる。セイル、どうやら彼は合格のようだね」
「はい。よろしくお願いします、ダリス様」
セイルが手を差し出すと、ダリスは煤けた手でそれを握り返した。その手は驚くほど熱く、新しい何かが生まれる予感にセイルは胸を躍らせた。
「ちなみにダリス様、最終的に俺が作りたいものはこちらです」
セイルは無限収納からチョコレートを取り出すと、ダリスと、ついでにジャンにも渡した。
「甘い物は脳を活性化させると聞きます。……まずは、完成形を知っていただいた方が話が早いかと思いまして」
ダリスは怪訝そうにそれを眺め、鼻先に近づける。
「……ふむ。芳醇だが、どこか複雑な香りだ。これが、そのカカルオから出来ていると?」
ダリスは迷うことなくそれを口に放り込み、咀嚼した。その瞬間、彼の動きがピタリと止まる。ノンフレームの眼鏡が、驚愕でわずかにずれた。
「…………なんだ、これは」
ダリスの左目が、無意識のうちにキョロキョロとする。「真鑑眼」が作動しているのだ。
「甘み、苦味、油脂の滑らかさ……。成分の粒子が極限まで微細化されている。これほど均一な混ざり方は、通常の調理では不可能だ。分子レベルで……いや、魔力による結合に近い精度で練り上げられているのか?」
「そこなんです、ダリス様。今は俺の魔法で強制的に粒子を整えていますが、それでは量産ができません。だから、物理的にその『滑らかさ』を作り出す機械が必要なんです」
「……っ! 面白い、面白すぎる!」
ダリスは口の中に残る甘美な余韻に浸る間もなく、チョークを手に取り、黒板に描いた図面を次々と修正し始めた。
「攪拌の工程だな。ただ回せばいいんじゃない。熱を維持しながら、重い液体を数日間こね続ける……。モーターとなる駆動系には土の魔石の回転力を、温度維持には火の魔石を。そして、この『香り』を飛ばさないための閉鎖型循環システム……」
ダリスが独り言のようにぶつぶつと専門用語を並べ立てる。その集中力は凄まじく、すでにジャンやセイルの存在すら忘れているかのようだった。
「セイル、放っておくと彼は三日はあのままだよ。……だが、これで『チョコレート』の製造ラインは形になりそうだ」
ジャンが苦笑しながらセイルの肩を叩いた。
「はい。まさか真鑑眼を持つ方に出会えるとは思いませんでしたが……。ダリス様なら、俺の感覚的な要望を正確に数値化してくれそうです。……ところでダリス様、『魔導給湯器』に梃子摺っていられるとお聞きしましたが……」
セイルは作業台の端に置かれた、銅製の管が複雑に絡み合った機械に目を向けた。
「ダリス様。その給湯器、もしかして『一度に大量の水を温めよう』としていませんか?」
ダリスの手が止まった。彼はチョークを持ったまま、首だけを機械の方へ向ける。
「……当然だろう? 湯を溜めるタンクに火の魔石を組み込み、一気に加熱する。だが、どうしても温度にムラが出るし、一定の温度を保とうとすると魔石の消費が激しすぎるんだ。おまけに、時々タンクが内圧に耐えきれず爆ぜる」
「やっぱり」
セイルは苦笑しながら、機械のそばに歩み寄った。
「俺のいた世界には『瞬間湯沸かし』という考え方があります。大きなタンクを温めるのではなく、細い管の中に水を通し、その管を通過する際にだけ、超高温で加熱するんです。そうすれば、水を出す時だけ魔法を使えばいい。常に温めておく必要がないので、魔石も節約できるはずです」
「……っ!?」
ダリスの左目が再びキョロキョロとした。彼の脳内で、セイルの言葉が数式と構造図に変換されていく。
「……管の形状を螺旋にして、表面積を稼ぐ……。そこに火の魔法陣を多重展開し、通過する水の速度に合わせて出力を微調整する……。そうか! なぜ気づかなかった! 溜めるのではなく、『流れ』を制御すればよかったのか!」
ダリスは狂ったように別の黒板に駆け寄り、ものすごい速さで螺旋状の管の図面を描き始めた。
「これだ……これなら暴発のリスクも抑えられ、かつ熱効率は飛躍的に上がる! セイル、君は……君の頭の中には、どれだけの『答え』が詰まっているんだ!?」
「あはは……。たまたま知っていただけですよ……」
セイルが謙遜して苦笑いすると、ジャンがその肩に腕を回した。
「おいおい、セイル。これ以上こいつに知恵を貸すと、本当に今日中に帰れなくなるぞ。アッシュが待ちくたびれて、血相を変えて飛んでくる前に退散しよう」
「そうですね。ダリス様、後日改めて、チョコレートの試作品をいくつかお持ちします。その時にまた、機械の相談をさせてください」
「ああ! 待っているよ、セイル! ……いや、セイル殿! 君の知識は、私の魔道具開発に革命をもたらす!」
ダリスの見送りもそこそこに、二人は嵐のような研究室を後にした。
帰り道の馬車の中、ジャンは窓の外を眺めながら、ふと真面目なトーンで切り出した。
「……セイル。さっきの『真鑑眼』の話だが」
「……はい」
「ダリスが言った通り、彼は変人だが口は堅い。だが、今後も君が新しいものを世に出すたび、彼のような『視る力』を持つ者や、勘の鋭い者に出会うだろう。……アッシュが君を独り占めしたくなる気持ちが、今は痛いほどわかるよ。君はあまりにも、無自覚に世界を塗り替えてしまう」
ジャンは少しだけ寂しそうに、けれど慈しむような目でセイルを見た。
「君がどんなに『ただの料理人』でいたいと願っても、その力は君を特別な場所へ押し上げてしまう。……だから、俺たち兄をしっかり頼れ。君の盾になるために、俺たちは高い爵位を持っているんだからな」
「……ジャン兄さん。ありがとうございます」
セイルは胸が温かくなるのを感じ、深く頷くと、ふわりとジャンの肩に頭を乗せ瞳を閉じた。
「……っ!」
ふいに間近になったセイルから、淡く甘い髪の香りとセイルの爽やかな体臭が、ジャンの鼻腔をくすぐった。細い肩の感触と、その柔らかな熱に、ジャンは一瞬息を呑む。アッシュが、そして自分たちが「宝物」として守りたくなる理由が、その瞬間に凝縮されている気がした。
「せ、セイル……」
ジャンは無意識にセイルの肩へ手を回しかけ――、そして我に返って苦笑した。このままでは自分までアッシュの様に「狂わされる」側になってしまう。
「……全く。アッシュの奴、こんな無防備なのを外に出しておくなんて、生きた心地がしないだろうな」
ジャンの呟きに、セイルは不思議そうにジャンを見上げ瞳を瞬き、それからにこりと微笑んだ。馬車は夕刻の光の中、エリンジューム邸に向かっていた。
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