惜しからざりし命さへ

なたね由

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其の拾参 三人

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 手持ち無沙汰にごろごろと、当主から借り受けた書物を部屋で読んでたら、件の女が昼餉の膳を運んできた。
 長雨の所為か、膳に並ぶ食事は日に日に乏しくなっていく。その事に対しての不満は一切無いが、ただ飯食いの居候の身としては逆に申し訳なくなる。先生先生と持て囃されてはいるが、村人の中には私に対する不満を持つものもいるだろう。村内を散策したり、こうして部屋に転がっているだけで黙っていても三度の飯にありつけるのだから、実に結構なご身分である。

 「いつも有難う」

 そう声を掛けると、女がとんでもございませんと首を振った拍子に膳の上の茶が倒れた。慌てる女と共に、懐から出した手拭いを取り出し濡れた畳を拭いていると、女がそっと私の耳に顔を寄せる。

 「出来るだけ身軽にお荷物を纏めておいて下さいまし」

 頷く間も無かった。すぐに新しいのをお持ちします失礼しました、と抑揚のない声で湯呑みを手に、そそくさと部屋から立ち去る女の背中を呆然と見送った。
 つまりそういうことなのだろうか。今日にでも、彼を此処から連れ出す機会があるということか。祭の日がいつかはまだ聞いていない。
 この数日、夜中に部屋へ忍んできた女に簡素な地図を手渡され、村から抜ける裏道を教えられた。覚えたらすぐに燃やして捨てろ言われて必死に頭へ叩き込み、昼間は散策の振りをしてその道を確かめた。地図のしたためられた紙は言われた通りに厨の女たちと談笑しつつ竈にくべ、灰になるのを確認したので恐らく大丈夫だろうと踏んでいる。
 彼を担いで夜陰に紛れ、人目を盗んで足元の覚束ない山道を行くのである。想像するだけで緊張で喉が渇いた。茶を、と思ったその時にすうと静かに襖が開く。

 「申し訳ございませんでした」

 相変わらず感情のこもらぬ声と共に女が現れた。目を合わせると微かに首を縦に振る。つまり、そういうことなのだろう。
 飯を食いながら裏道のことを考える。夜道を抜けるのであれば、今のうちに眠って体力を蓄えておいた方が良いかもしれない。夜飯は食いはぐれるだろうから腹は減るだろうが、誰かに夜食を頼むのも不自然だ。地下牢の彼にどれほどの監視の目が付いているかはわからないが、朝になって私が突然姿を消したことを悟られぬように、着替えや荷物はある程度置いていった方がいいだろう。路銀と、懐に入れられる最小限のものだけで発てば、こちらも旅暮らしには慣れている。彼には不自由をさせてしまうかもしれないが、その辺りは目を瞑ってもらうとしよう。
 そして祭のことを考える。番わせて燃やす、と言うのであれば犠牲になるのは彼ひとりではないのかもしれない。だとしたら、彼と同じようにどこかに囚われている人間が、この村にはまだいるのだろうか。この手の祭はまずは生身の人間を贄にし、重ねる歴史の中でその残虐性について思案する人間が現れ、そうして人形やそれに類する何かを代わりとして儀式を執り行うようになっていくものである。この村はそういう意味ではまだ歴史の発展途中なのだろう。其処に住まう人々は、得てして無自覚に残虐である。村の内を守るためであればどんな犠牲も厭わない傾向にある。私たちが逃げ出すところを村の誰かに見咎められたら、それこそどんな目に遭うか分かったものではない。頭の中で貰った地図を反芻しながら背筋に悪寒が走るのを感じた。見付かってしまったら、というのもさることながら、もし彼と番う予定だった相手の人間がこの村にいたとしたら、その人間は一体どんな目に遭わされてしまうのだろうか。
 首を振る。そんなことを気にしてはいられない程のところまで来てしまったのだ。どうせ後戻りできないのなら、人のことなどにかまけている場合ではない。
 飯を食い腹が膨れ、考え事をしていたら眠気に襲われた。暢気なものである。そうしてしばらくうとうとして、畳のざらざらした感触に目を覚ますと、障子紙から透けて見える外はすっかり薄暗くなっていた。身体を起こすと背骨と腰の辺りがぎしりと重い。ほんの暫し、自分が何処にいて何をしていたのかが理解できずにぼんやりとする。そのまま放りっぱなしの座布団の上に胡坐を掻き、ほうけた頭を整えていると襖の向こうから先生、と声が掛かった。応じればするすると開いた襖から当主が顔を覗かせ、よろしければご一献、などと言う。話を聞けば偉い人だかなんだかが集まって酒盛りをしているとのことだ。不調法だと断ってもお話を伺わせて頂くだけでも是非、と相手も引かない。強引さでは敵うはずも無く、渋々従ってから思い出した。これは拙いと、なんとか部屋へ戻る口実を捻り出そうと頭を巡らせるが、元が気の利かない口下手の朴念仁である。仕方無しにしおしおと項垂れ主の後ろに付いて廊下を歩いて行くと、既に賑やかしい声のする部屋へ通された。偉い人、と言われても顔を見ただけではどういう人間なのかは分からない。先生どうぞどうぞと促され、上座に着かされる。隣に並んだそのなんとかという偉い人に当主が、先生はたいそう学のある御仁でしてなどと大仰に紹介するものだから閉口してしまった。
 水のように薄い酒をふた舐めほどし、暫し語らいながら時を過ごして見回すと、座はいいだけ酔っ払っている。数名などは既に畳に崩れ落ちて眠り、残りは柱に凭れたり胡坐を掻いたままで俯いたりで、やはり眠たげにうとうとしている。不調法とは言ったが飲めない訳ではない、けれどこの中で私一人だけが正気を保っているのはどうにも不思議であったが、あの水のような酒がこの村では贅沢品なのかも知れない。だとしたら、それは少し不憫な話だが、悪酔いはしなさそうで良いと思った。
 あらあら大変、と頓狂な声を上げ部屋へ入ってきた下働きの女たちが、甲斐甲斐しく倒れ込む男たちの世話を焼きながら、先生は飲まなかったんですかね、などと言う。いや、と答えかけたところで同じように部屋の片付けを始めた、件の女と目が合った。分かり辛く小さく首を振っている。それがなんの合図かも分からずああ、とかうん、とか曖昧な返事をした。
 先生も此処に床を取りますか、と世話を焼かれ、歩けない訳でもないから部屋へ戻れる、と意味も無く酔った振りをして立ち上がると、足元も危ないですからと例の女が私の傍に静かに付き従った。

 「すまないね」
 「いえ」

 廊下に出て襖を閉めると、一瞬静まり返った後に女たちの姦しい話し声が聞こえる。
 ありゃあ間違いないね。私の踏んだとおりだ。あの先生に取り入ってこの村から出て行こうって算段だよ、今日も夜伽に伺うのかね。先生も先生だ、あんな鶏ガラみたいな女の何処がいいんだか。
 当て推量甚だしい下品な話の後、どっと笑い声が起きた。あの賑やかさの中でもよった男衆は目を覚まさないらしい。言い掛かりにも程があると襖に手を掛けると、その手首を女がそっと掴んだ。

 「私のことは構いません」
 「いや、ですがしかし」
 「構いませんから」

 それよりも急いでください、と女が言った。遅くなってはしまったが、やはり今日決行するらしい。そうなるとあの下働きの女たちの陰口に構っている暇など無いし、むしろ好都合だといったところだろう。けれど私は、私が彼を連れてこの村を出た後のことを思う。
 村の贄を奪い去った私の、その伽の相手と目された彼女が謂れの無い批判や折檻を受けるかも知れない。そういう懸念を口にすれば、女は静かに笑って詮の無い事でございますと言った。これは彼女なりの覚悟なのだろう。それならば私がそれに口を出し、余計な心配をするのは大きなお世話というヤツだ。
 簡易に纏めた荷物と路銀を懐に押し込み、大丈夫ですと言えば暗がりの部屋の中で女が頷く。灯りの無い屋敷を女の先導に頼りつつ、いつもの地下への入り口へと辿りついた。

 「私は、ここを見ておりますから」

 小さな声で告げる彼女に頷いて、岩牢へと向かう。薄ぼんやりした灯りの中、いつもの牢の奥で足を投げ出し、ぼうっと目を閉じる彼の姿が見えた。足音を忍ばせて近付き、牢の扉に手を掛けた。思いの外大きな音がして身を強張らせたところで、岩牢の中の彼がゆっくりと目を開く。

 「起きろ」

 青白い肌に不釣合いに色づいた唇が、あ、と緩く動く。声を立てられては拙いと、己の指を唇に当て、幼子に示すような仕草で静かに、と伝えると彼の唇は小さなまるい形を描いて固まった。

 「少し辛いとは思うが辛抱してくれ」

 背を向け、負ぶされるかと聞けば、押し殺した呻き声と共に背中に掌の触れる感触。必死に声を抑えながら私の背に追い縋る様に、抱えてやった方が良かっただろうかと思った。どこまでも気が利かない自分に嫌気がさす。足の痛みを堪えて私の背になんとか負ぶさった彼に、離すなよ、と声を掛けて牢を出る。彼も何も聞かない。それ程までに疲弊しているのか、それとも彼なりに何らかの考えがあるのか。細い腕が首にしがみ付く。その余りの力弱さになんとも言えない気持ちになってしまった。
 地下から抜けると女が待っていた。お早く、と私を促す。

 「私はこのまま、先生のお部屋に朝まで居ますので」

 夜伽を、と言ったあの下品な噂の通りにするということだろう。夜中に声を掛けられても彼女が応対してくれるというので、申し訳ないがその言葉に甘えた。彼女の負う責を思うと心苦しさしかないが、今更引き返すことも出来ない。すまない、と言えばそれには答えずご無事を、と薄っすら笑った女が、背負った彼の手を握った。

 「ひどいことをして、ごめんなさいね」

 彼がどんな顔をしていたのかは分からない。初めて見る彼女の笑った顔は、なんだか泣きそうにも見えた。

 「先生、お体の具合は大丈夫ですか」
 「ああ、呑んだ割には足元も確りしている」
 「それは何よりでございます」

 水を混ぜておいた甲斐がありました、とまた女が笑う。どうやらあの水のように薄い酒は彼女の仕業だったらしい。
 彼女がどうして私たちにここまで尽力してくれるのか、それを問い掛けても女は答えず、急いでくださいと言うばかりだ。頷いて例を言うとご無事で、と頭を下げた。
 裏道を抜ければもう気付かれることも無い、という女の言葉を信じて、出来るだけ速く駆ける。足下が不如意な中で普段通りに駆けるのは無理にしても、転ばぬよう、背に負った男を落とさぬよう、出来る限り速く。
 夜の帳の下りた空には、薄白い半月がぺったりと張り付いていた。
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ooo
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